WJ3号感想

少年漫画界には「クソ漫画」のそしりを特権的に免れる作家が二人います。
一人は、漫画太郎先生。
彼にとって「クソ漫画」とは誉め言葉以外の何物でもなく、事実上、彼は「クソ漫画」と呼ばれる脅威から完全に解放されています。

そして、もう一人が我等が梅澤春人御大。
御大の漫画を読む人は、みなこういいます。
「この漫画はロック(=クソ)だ!」と。

そうです。
梅澤先生の漫画においては、「クソ」という言葉は全て「ロック」に置きかえられるのです。
デストローイも、スタンガンダンスも、魔城ガッデムも、ミコリンの鎧も、グリードさまも……
これ、全てロック!

伝説のロック漫画家、梅澤春人先生の連載が今週から始まるのです。


☆☆☆ハンター☆☆☆

・・・す、すごい。
すごい、すごすぎる。
いろんな意味ですごすぎますよ!冨樫先生!!

以前から、何も書かれていない空白や、空白に文字を書くだけのコマを多用していた冨樫先生。
し、しかし、、、今週のこれは……。
なんと、全15P中、ジャイロの過去を説明している9Pに渡り、この技法が使われているのです。
コマ数で数えれば、全46コマ
そのうちの25コマが文字しか書かれていないのです(ベタ含む)

いやあ、やりやがりましたね。冨樫先生。
小学生とかは、これを見て単純に「また手ェ抜きやがって、このクサレ漫画家が!」と思うのでしょうが、既に漫画太郎の洗礼を受けている僕たちにとっては、ただただ驚異的です。
無論、僕もこの描き方が手放しで賞賛すべきものだとか、この技法によってジャイロの昔話がとても効果的に描かれているとか、そんなことは思いません。
思いませんが、それにしても、すごすぎる。
ベクトルはともかく絶対値はすごいのです。それは間違い無い。
たとえこれが冨樫先生の手抜きの産物だとしても、もう、ここまでやられちゃ仕方が無い。
そして、総じて判断するならば、これは結局賞賛に値するものだと思います。
僕たち読者をビックリさせた。
それだけで賞賛する理由は十分ではないでしょうか。

(↑こう書くと大変信者っぽく思われるかも知れませんが、漫画とは作者が楽しませるものではなく、読者が楽しむものだというスタンスに則った発言です。その意味で言えば、僕にとってはワンピースよりも黒猫の方が価値高い作品です)

で、本編の感想に戻りまして。

あー。
また、やられました。
ちっくしょう。
「工事現場での下積みが彼の合理的、建設的な思考を育んだ」
の辺りから、あれ?と思ったんですが

ジャイロさん、消えてった――――!!!

なんてこったい。
絶対、中ボスだと思ったのに。
キメラアントに滅ぼされた国の悪玉の生まれ変わりで、単独行動中、主人公と同じ街にいる。
どう見ても中ボスじゃないですか。主人公に倒されるためにいるような舞台設定じゃないですか。
「合理的、建設的な思考を育んだ」
じゃないですよ。
大物すぎです。ジャイロさん。
悪の親玉といえど、一国の王に上り詰めるほどの人間は優れている、という話なのでしょうか。

と、前半はすっかりやられてしまったのですが、後半は変わってNGL国内のお話。

「女王さまに移城を進言してみるか?」
のアイデアが却下されたことにより、少なくとも王が生まれるまではキメラアントの被害がNGLの外に及ぶことは無いと分かりました。
被害と敵兵が分散しないということは、ハンター側にとって大きなプラスですね。
「兵隊の選別」とは、例の授与式のことでしょうか。
やっぱりアレで殴られて死んでしまった兵隊も多いのか。

キメラアント側が奔放型を囮に統率型で捕える作戦を立てた一方、ハンター側は奔放型と統率型を分離、もしくは統率型を叩く作戦を立てます。
はあ。すごいなあ、としか言いようが無いです。
「統率力のある隊ばかり残すと後々団結されて厄介になる」
など、早くもキメラアント側の「個性」を作戦に組みこんでいますし、
「上手くいけばあと3〜4隊消せるでしょう」
の、3〜4という数字の少なさが、また良いですね。
作戦1つの成功に対する成果が、3〜4隊という少なさから、今後もこのような裏のかきあいが何度となく行われること、またキメラアント側も3〜4隊の犠牲で自分たちの作戦が失敗していることに気付く知性があるとの評価にもなっています。
単純に考えて、残り28隊に対しこのような作戦による殲滅を図るには、今後7回相手の裏をかかなければならないわけで、加えてキメラアント側にはネフェルピトーなどの奥の手が控えているわけです。
キメラアント側は28隊の手駒、7回のチャンスを有しているわけで、どこで彼らが攻勢に転じるのか、この消耗戦も大変魅力的です。(いちいち描くような冨樫先生ではないでしょうが)

ところで、どうでもいい話ですが、ハンター側の3人。
彼らはいつお風呂に入ってるんでしょうかね。
これは旅団編のときに「シズクたんはいつお風呂に入ってるんだろう」と、つくづく疑問に思っていたことでもあるのですが。
あと、食料とか衣類とか、そこらへんも気になります。
が、気になってはいけないんでしょうね。はい。


☆☆☆銀魂☆☆☆

うん。とても、とても、空知先生らしいお話ですね。
なんで幕府のお偉方がどこの馬の骨とも知らぬ一介の万事屋に仕事を依頼するのかとか、どの程度の技量かも分からない万事屋にアレを無傷で捕獲しろとか、ムチャクチャな話だと思ったら長谷川さんの行動で全部納得。
空知先生はあんまり酷い話は描きませんね。
やはり、このクオリティで連載が保てるならば、(すごく面白いとは思いませんが)ずっと続いて欲しいです。
でも、ダメだろうなあ。打ち切り臭漂ってるもんなあ。
あと、台詞回しのセンスを何とか復活して欲しいものです。
台詞回しは今週もイマイチ。


☆☆☆LIVE☆☆☆

梅澤先生、おかえりガッデム!

今週の白眉は、やはり「暗井君
相変わらずのロックなネーミングセンスと、ありえない顔色
そして、「DQN描写の達人」である梅澤先生による、「無敵の未成年様」こと不良の皆さん

梅澤先生の漫画に不良は付き物ですし、彼らのトンデモ暴力行為・トンデモ発言は梅澤節の大切な要素ですが、流石は梅澤先生。僕らの期待を裏切りません。
彼らは、第一話から暗井君に食糞プレイを強要、さらには

「暗井はオレらのイジメにたえきれなくなって…
ずっと引きこもっちまってたんだぞ……」
「それをやっとの思いで家から引きずり出したオレらの苦労がパーだぜ」

素晴らしいDQNっぷり
梅澤節は健在です。

しかし、まだまだ第一話。
あの名作「ソードブレイカー」でさえ、第一話は抑え気味でしたからね
今後の更なるハジケっぷりに期待しておきましょう。
ハレルヤがスレイヤになっただけじゃん、という感想は秘密です。


☆☆☆デスノート☆☆☆

「警察の情報を知る手段を持っているということ」

これがLに知られたのはかなり大きいのではないでしょうか。
しかし、デスノートによる殺人は世間的にもLにも超能力のようなものとして認識されていますし、超能力で人を殺すのがアリならば、超能力で情報を知るのもアリじゃないかと考えるかもしれませんが。
ただ、「被害者は日本で情報を得ることが可能なもの」という事実がある以上、「超能力で情報は得られない」→「超能力は人を殺すことしか出来ない」→「警察の情報は超能力以外の方法でリークしている」と展開していくのでしょうか。

楽しいなあ、デスノート。


☆☆☆ワンピース☆☆☆

ワンピースで一番好感度の高いベラミーさんが再登場してくれたのはいいんですけど、何だかあっさりリタイアしてしまいました。残念です。
ワンピースはどいつもこいつもすぐに生き返らせるのだから、ベラミーさんにも生きててもらって往生際悪く活躍して欲しいです。
ベラミーさん、がんばって!


☆☆☆夢泡釣団☆☆☆

まあ、ハガユイズムとかくらげとかしゅーるまんとかに比べれば遥かに読めますね。
ただ、この手のギャグは少々ツッコミが多すぎるような気がします。


☆☆☆ジャガー☆☆☆

なんといいますか。

本編も決して捨てたもんじゃないレベルで面白かったんですけど、うすた先生には納得がいかないのでしょうね。
それよりも、ラストのコマ。
なんといいますか。
うすた先生が落とした週「本気で考えても考えてもネタが浮かばなかった」ということが良く分かりました。
もう2回目ですしね。
ギャグ漫画家って大変なんだなあ、と強く思った今週のジャガーでした。


☆☆☆神撫手☆☆☆

タ、タトゥーハーツ、か……。
すごいですね。

神撫手を消す神撫手……。
や、やりやがった。
打ちきり漫画をパクるとは……。
恐るべきかな、神撫手。

今週の知欠ポイントは、「銃持ってるなら自殺する前に彰人に撃ってみろ」ですよね。何といっても。
まさか自決用に弾丸一発だけ持ち歩いているとも思えないし、彰人の弾丸回避能力なんてあの距離じゃどうにもならないでしょう。
いや、それ以前に黒めがねの人は彰人が弾丸をかわせるなんて知らないんですし、とりあえず相手を殺す努力しましょうよ。
彰人はもう幻覚の神撫手は使い切ったし、ああなっては普通の少年ですよ。
諦めが良い、というか……アホですね。

そして、ラスト。
「オレたちの戦いはこれからだ!」
打ち切り漫画お馴染みのアレで終幕です。


堀部先生の巻末コメント
「逃げ続けてた逃亡犯が捕まって正直ホッとした様な心境です(笑)
支えてくれたスタッフ&読者の皆様に大感謝☆<健和>」

劇中の主人公彰人の台詞
「逃げて、逃げまくって、頑張って生きろよ!!」

・・・ひょっとして、それはギャグでいってるのか?


☆☆☆紳士的神撫手感想☆☆☆

まったく。
恐るべき作品でしたね。「神撫手」。
この真実に気付いた僕たちは、もうこの作品に対して軽はずみなコメントは何一つできないのではないでしょうか。
もはや「面白い」とか「つまらない」とか、そのような次元で語れる漫画ではありません。
そう、全ての謎は今週の堀部先生コメントにより、明かとなったのです。

「逃げ続けてた逃亡犯が捕まって正直 ホッとした様な心境です(笑)
支えてくれたS&読者の皆様に大感謝☆<健和> 」

言うまでもありません。
これは、先日12月14日に逮捕されたサダム・フセイン元大統領のことを示しているのです!

「な、なんだってーー!!」

僕たちは、長い間、ずっと勘違いしていました。
神撫手を普通の漫画だと思い、その矛盾点や頭の悪さ、トンデモ科学知識を笑いものにしてきたのです。
ですが……
いま、僕はそのような愚かしい態度に大変恥じ入っています。
そう、この漫画は、初めから僕たち読者を楽しませるために描かれたものではなかったのです。
この漫画はサダム・フセイン元大統領捕縛のための、情報機関の通信暗号文だったのです。

「な、なんだ(略」

フセイン元大統領も、まさか日本の出版社が出している子供向け週刊誌の中で、そのような暗号がかわされているとは夢にも思いませんでしょうし、イラクで米兵がジャンプを読んでいても何ら違和感はありません。
まったくもって、巧妙な擬態であったと思います。

そう考えれば、神撫手のストーリーが、名画泥棒→ロリ→ホモ→サスペンス→エロ→能力者バトル、と不自然なまでにコロコロ変わり続けたのも納得ですし、トンデモない科学知識や、矛盾にあふれた設定、主人公たちの頭の悪い行動や、道徳心の欠如など、全てが溜飲できます。
漫画は暗号を伝えるためにあり、暗号を含ませながら、かつ漫画としての体裁を整えるため最低限のストーリーを保つことが情報機関には課せられていたのでしょう。
暗号文という制約の下に作られた漫画だとすれば、この整合性はむしろ十分、見事なものだと言えます。

いえ、そもそも、暗号通信用の漫画とするならば、この漫画の整合性など全く評価の対象ではありません
そのような些細なことよりも、僕たちが毎週読んでいた神撫手が世界的な事件の解決に結びついた、そして、そのことをリアルタイムで体感できた自分たちの幸運を喜ぶべきではないでしょうか。
僕などは、このコメントに触れ、先ほどから興奮を抑えることが出来ません。

「支えてくれたS&読者の皆様に大感謝」

この言葉におけるS(スタッフ)とは、おそらく情報機関の人々、そして暗号文としてジャンプに19Pを確保してくれた集英社に対する協力感謝の意でしょう。
特に集英社は神撫手ができるだけ目立たないようジャンプの後ろの方に掲載するなど細やかな心配りをしていましたからね。感謝されるだけの協力はしていたと思います。
読者にも感謝しているということは、(暗号文ゆえ仕方のない事ですが)このような内容の破綻したロクでもない漫画(実際は暗号文なんですが)を普通の漫画と思って何週間も読み続けた、耐え続けた、それに対する協力感謝の言葉なのでしょう。
僕たちが神撫手を普通の漫画として扱い、普通の漫画のようにバカにし続けた行為が滑稽であることに変わりはありませんが、しかし、僕たちのそんな行為が、幾らかでも擬態の助けになっていたと考えると、全く無駄ではありませんでしたね。

先日、無事にフセイン大統領は逮捕され、神撫手もその役目を終えました
これは、ある意味円満終了と言っていいでしょう。
ラストで、巨大な悪の組織に立ち向かう主人公の姿は、「次からも世界的事件の解決に励むぜ」という情報機関の意志の現れでしょう。
おそらく、作者の堀部健和という人物は実在しません
彼女は情報機関が生み出した架空の漫画家なのでしょう。
そうです。
もし、次に堀部先生がジャンプで連載を開始したとき・・・

そのときは、どこかの情報機関による、新しい作戦が開始される時なのです。


☆☆☆黒猫☆☆☆

無敵と思われたドクターのワープワールド。
先週、謎の光に包まれたサヤによって、ワープワールドを脱したトレイン。
この不可解極まる脱出に、天才矢吹先生はいかなる答えを用意しているのか。
黒猫紳士たちの注目が集まりました。

しかし、今週の黒猫では、その答えは最後まで明かされませんでした。
否。
すでに答えは示されていたのです。
そして、その答えは単純な論理的明快さだけを示すものではなく、より深い人間性の核心に迫るものだったのです。

そうです。
ワープワールドとは、ドクターのイメージを現実化するだけの空間ではありません。
空間内の人物の記憶を現実化することも出来るのです。
つまり、それまでトレインを襲っていたキョウコやサヤ、彼女たちも紛れもないトレインの記憶の中の彼女たちなのです。

キョウコ、そして、サヤ。
キョウコは昔は敵対勢力の殺戮者の一人、そしてサヤは闇の商売である掃除屋の一人でした。
キョウコは今では改心していますし、サヤも無碍に人を殺傷するような人間ではありませんでした。
しかし、二人とも理由はどうあれ他人を傷付けていたことに違いはありません。
おそらく、トレインの深層心理の中では、「人を傷付けるもの」としての彼女たちのイメージが根強くあったのではないでしょうか。
表面上では彼女たちにポジティブなイメージを持っていたとしても、大量殺戮者であるキョウコや、掃除屋のサヤのネガティブなイメージは深層心理では拭いきれなかったのです。
そのトレインの心の奥底に潜む、彼女たちのダークなイメージ
それが先週までトレインに襲いかかっていた彼女たちの正体なのです。

その一方、今週トレインを助けた光の中のサヤはどうでしょうか。
なんと、手しか現れていません!
トレインを殺そうとしたサヤ全身が現実化しているのに対し、トレインを救おうとしたサヤわずかに左手のみです。
キョウコに至っては、全く姿も見せません。

これはつまり、人間というものは「生命の恐怖」に対するイメージを強く持ちつづける、ということではないでしょうか。
かつて、キョウコはトレインを害そうとしたこともありますし、現に人間を何人も殺しています。
トレインの深層心理には「オレを殺そうとするかもしれないキョウコ像」が強く、表面上に現れている「改心した良い子のキョウコ像」は、「オレを殺そうとするかもしれないキョウコ像」に比べ遥かに小さく弱々しいものだったのです。

サヤに対しても同じことです。
サヤは昔、死にかけていたトレインを介抱し助けてくれた恩人ですが、彼女は掃除屋という職業柄、常に銃器を携帯し、また深手を負ったトレインなら殺傷できるだけの技量も持ち合わせていました。
トレインにとって、サヤは表面的にも心の底でも「恩人」であることに間違いありませんでしたが、その一方で「もし、彼女がその気になればオレは造作なく殺される」という恐怖が、彼の心の底の底にあったことは想像に難くありません。
そういったトレインが抱く負の感情、それらが現実化したものが、ワープワールドにてトレインに襲いかかった彼女たちなのです。

矢吹先生は、このことを通して、おそらくこう仰りたかったのでしょう。
人間というものは、表面上ではいかようにも言うことも思うこともできる、しかし、心の深層においては違う、そこにあるのは根源的な生への欲求、死への不安だけだ、と。
矢吹先生はワープワールドという、人の心を解体する世界を描くことで、このように複雑極まる人間の心を描き出そうとしたのです。
そう考えると、今週突然サヤが出てきて良く分からないうちにトレインを救った、というストーリー展開も、これしか無い!といえるほど当然の帰結です。
人間の深層心理が「生への欲求」「死への恐怖」である以上、人は自分のイメージしたものに殺されるようなことはないのです!
つまり、ワープワールドの世界では、自分で作ったもので自分を殺すことは出来ないのです。
自分の手で自分の首を締めて死ねないのと同じことです。
まったく殺傷能力が無いにも関わらず、あえてそのような戦法を選んだドクターの思惑は僕のような凡夫には分かりかねますが、きっと何か紳士的な理由があったのでしょう。
そんなトレインを救うのが、トレインの心の中に、ほんの少しだけカスのように残った「恩人」としてのサヤだということは、人間の業の深さを思わずにいられません。
人は誰かに助けられた有難さよりも、誰かに害されるかもしれない恐怖の方が遥かに強いということなのですから。

また、主人公であるトレインを超人化したり英雄化したりせず、頭が悪く粗暴な等身大のトレインを描くのは矢吹先生の毎度のことですが、今回は特にトレインの心の闇を描くことで、さらなるリアリティを求めてきましたね。
最後に光の中からサヤの声が聞こえ「クリードの狂った野望を止める事ができるのは――」と言っていますが、これも勿論トレインの深層心理作り出したサヤの声で、その内容は自分に都合の良い解釈自分の行為に正当性を与えるための詭弁と考えられます。
これらの描写はエヴァンゲリオンの碇シンジの描写に通じるものがありますね。
矢吹先生の人物描写は本当に深いです!

たった2週でこれほど人間の深層心理に迫った作品を描ける矢吹先生は偉大です。
しかし、今週はこれでも、まだ前半に過ぎません。
ワープワールドで、いわば「文学的に」リアリティを描いた矢吹先生は、後半のドクターとの対決において「理系的に」リアリティを描くのです。
そう、今週は知欠物理学的にも重要な描写がなされていました。

トレインと対峙するドクターはワープワールドの能力により、壁からメスを出現させます
ドクターの思うとおりになるのだから、トレインの足に直接足枷をはめればいいものの、あえてそのような回りくどいやり方を取るドクターの紳士さは、もはや当然ですので割愛します。
そして、ドクターはこう言い放ちます。

ドクター「この距離では君の攻撃より、僕のメスの方が確実に早いぞ」

そのドクターに対し、トレインとイヴが取った手段。
それは、「殴る」だったのです。
この状況にも関わらず、決して銃を使おうとせず、近寄り、殴る
トレインは、「銃を構えて撃つ」よりも「近寄り殴る」の方が速いと計算したのです。
これは、あの有名な知欠物理学「弾丸の弾速は時速30km」を矢吹先生が再度訴えたかったのではないでしょうか。

人間が走るよりも、弾丸の弾速は遅い。
この驚くべき真実を、2度も描く矢吹先生。
矢吹先生の欠けることなき知性を称え、僕はもう一度、知欠先生と尊称したいです。

知欠先生は偉大です。
知欠先生は偉大です。



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