●黒猫のパクリ問題を考える




ジャンプ読者の多くの方がご存知とは思いますが、この作品「BLACK CAT」にはパクリに関する黒い噂が付きまとっています。
そうです、矢吹健太朗先生の「BLACK CAT」には冨樫先生の「HUNTER×HUNTER」など、他の有名漫画とほぼ同じ構図のページが多数掲載されているのです。
これはいったいどういうことでしょうか。
答えは明らかです。


矢吹先生の「BLACK CAT」が、冨樫先生を始め、多くの漫画家にパクられているのです!!


矢吹先生の「BLACK CAT」が素晴らしい作品であることは、いまさら言うまでもありません。
そんな素晴らしい「BLACK CAT」をパクって名声を欲しいままにしている冨樫先生以下の漫画家に対して、多くの読者が怒りを覚える気持ちも、分からなくもありません。
しかし、ちょっと待ってください。
彼らは本当に矢吹先生の「BLACK CAT」をパクっているのでしょうか?
もし彼らがパクっているとすれば、ひとつ大きな問題があります。
それは、彼らの作品よりも「BLACK CAT」の方が後発の作品であるということです。
彼らが矢吹先生の「BLACK CAT」をパクったとしても、いったい彼らはどうやってそれらのネタを入手したのでしょうか?
これは現代少年漫画を語る上で、学術的にも非常に大きなテーマとなっています。
この問題を真剣に考察したとき、ことが単なる少年漫画の域にとどまらず、哲学・思想のレベルにまで及んでいるからです。黒猫パクリ問題はいま学会ではもっともホットな議題といえるでしょう。
このページでは、まことに力不足ながらも僕の拙い知識の範囲で、これまでに提出された様々なパクリ問題に関する仮説の整理、ならびに僕の見解を記したいと思います。


※なお、パクリ問題に関しては、極一部の少数派ながら「矢吹先生が他の作品をパクっている」という説を唱える方もいらっしゃいます。「黒猫は見ていた」さんなどは、矢吹盗作派の急先鋒といえるでしょう。
確かに矢吹先生が他作品をパクっていた、と考えれば、これまで疑問とされてきた様々な時間軸上の問題が解決します。黒猫が他作品よりも後発である理由が「実はパクっていたのは『BLACK CAT』の方だったからだ」といわれれば、「理論的には」すっきりと納得することが出来ます。
「黒猫は見ていた」さんの考え方はまさにコペルニクス的転回であり、仮説が出揃い沈滞していたパクリ問題考察に一陣の新風を吹きこんだ功績を軽んじることは出来ません。
しかし、「黒猫は見ていた」さんの考え方は、理論的には確かに可能ではあるものの、あまりに一般常識・通念からかけ離れた「机上の空論」であることも指摘せねばなりません。
当り前の話ですが、神に等しい矢吹健太朗先生が他の作品を盗作するなど、どう考えてもあり得ないからです。
ですので、このページでは「黒猫は見ていた」さんの功績は認めつつも現実的でない仮説として退け、実際に可能性としてありうる仮説に限定し、「黒猫パクリ問題」について考えていきたいと思います。



仮説1.まったくの偶然説

矢吹先生が描こうとしている原稿とほぼ同じアイデアが、矢吹先生よりも少し前に考え、矢吹先生より早く雑誌に載ってしまった、というもの。
この考え方は確かにラクです。
ラクですが、ラクなだけです。それ以上の進歩・発展がありません。
常識的に考えてみても、あれだけ似通った、コピーといってもいい構図が2つの作品に現れるなど果たしてありうることでしょうか?しかも、そんなことがこれまで何度も繰り返されてきたのです。
僕にはここまでの偶然がたまたま続くとは考えられませんし、多くの読者の方も同じようにお考えでしょう。
ゆえに、この仮説は学会では「科学的根拠にかける」として、ほとんど掲げる人がいません。
これは「実はパクっていたのは矢吹先生だった」説と同じくらい、科学的にも、常識的にもあり得ない仮説といっていいでしょう。
また、いくら冨樫先生たちが優秀な漫画家とはいえ、あの偉大なる矢吹先生と同じアイデアを、しかも矢吹先生より早く思いつくとは思えません。


仮説2.冨樫恐喝説

冨樫先生がジャンプ作家としての先輩的立場であることから、「ネタを先に使わせろ」と矢吹先生を脅しているとする説です。
実際にはもっと多くの作家の作品から類似現象が見られることから、何人もの作家から脅されているとする説もあります。

しかし、これも机上の空論に過ぎません。
常識的に考えてあり得ないからです。
もし冨樫先生が矢吹先生を脅してネタを強奪したとしても、その後、矢吹先生に同じネタの使用を許しているのはどういうことでしょうか?
ハンターハンターのような思慮深い小ずるい漫画を書いている冨樫先生が、そんな自分の犯行の証拠を残すようなことをするとは思えません。
この説は残念ながら、狂信的な黒猫信者による被害妄想的な考え方であるといわざるを得ないでしょう。
現実的には、ほぼあり得ない話です。
また、矢吹先生ほどの方ならば、我々読者のみならず、同じジャンプ作家からも尊敬を集めていることでしょう。
その矢吹先生が誰かから恐喝されているなど、とても信じられることではありません。

同じような説に「冨樫救助説」というのがあります。
これは
冨樫先生「矢吹君、またネタを頼むよ」
矢吹先生「仕方ないですね、でも後で僕も使いますよ」
といった感じで、先輩としての冨樫先生を助けるために矢吹先生が自分のネタを貸し出しているという仮説です。
なるほど、心優しい矢吹先生ならば、さもありなんな話ではあります。

ですが、冨樫先生は矢吹先生ほどではありませんが、ジャンプでは2、3を争う実力派の漫画家です(1位はいうまでもなく矢吹先生です)。
その冨樫先生が後輩である矢吹先生に安易に頼るような真似をするのでしょうか。
「BLACK CAT」のあまりの素晴らしさを考えれば、プライドを曲げてでも矢吹先生に頼み込みたくなる気持ちもわかりますが、僕は個人的には冨樫先生のプライドを信じています。
ですので、この説も(僕は)ありえないと思っているのですが、学会でもそれなりの信奉者を持った有力な仮説であることは確かです。


仮説3.子供の頃の思い出説

冨樫先生が子供の頃、矢吹先生の仕事場を訪れ、そこで描きかけの原稿を見せてもらった、という仮説です。
海よりも広い心を持つ矢吹先生ならば、きっと子供が遊びに来ても喜んで迎えてくださるでしょうから、この話もありそうなものです。
ですが、この仮説にも致命的な問題があります。
それは矢吹先生は若年の天才漫画家であること、つまり冨樫先生たちよりもずいぶんとお若いことです。
また、子供のときに見た絵柄を何年も経った後、そっくりそのまま描けるというのも、いまひとつ信じがたいことです。
ですので、この説も現実的とはいえないでしょう。


仮説4.宇宙一巡説

学会でいま最も有力視されているのが、この「宇宙一巡説」です。
矢吹先生が13歳のとき12人のアシスタントを雇ったが、13人目のアシ冨樫に裏切られ、マンガをパクられたあと、宇宙が一巡して今の世界になったという説です。
アダムとイヴという言葉は、矢吹とイヴが訛ったものだとも言われています。

矢吹先生の神秘性が、「宇宙が一巡」という神秘的なタームと結びつき、大変魅力ある仮説ではありますが、肝心要の「なぜ宇宙が一巡したのか?」という問題に何ら科学的解決が打たれていません。
もちろん「矢吹先生が偉大だから」と言われればそれまでなのですが(納得せざるを得ません)、しかしそれはそれとして、学問である限りは科学的な考証を僕は求めたいと考えます。
ですので、僕はこの仮説をいまのところ保留とさせていただきます。
※といっても、決して矢吹先生の神性・神秘性について疑いを抱いているわけではありませんので、その点はご了承下さい。


仮説5.矢吹先生のネタ帳説

矢吹先生が以前落としたネタ帳を拾った作家が、矢吹先生のアイデアを使っているというもの。
複数の作家にパクられていることから、ネタ帳も一冊ではない、といわれています。
最も多く言われているのが、108のネタ帳が存在しているという説で、その中には天才外科医の話や原子力人型ロボの話、ネコ型ロボットや亀有公園のダメ巡査長の話があり、また海を渡ったネタ帳はネズミの話となり、現在のディ○ニーランドに繋がっているといわれています。
他には少数派ながら、ネタ帳は54000冊存在するとか、ヒトラーが捜し求めていたとか、東京地下ピラミッドなど世界中にネタ帳は散らばっており最近は二人組の少年がゴーレムと戦いながら集めていたとか、様々な説があります。
しかし、これらは既に学説というよりは都市伝説の類ではないかと僕は考えます。
あまりにも突飛な話であり、とても科学的とはいえないからです。


仮説6.同一人物説

冨樫先生など、「矢吹先生をパクった」といわれている作家は全て矢吹先生の異なるペンネームであり、同一人物という説です。
この説の長所は大変分かりやすく、時間軸上の問題を完全に解決していることです。
(また、ついでにいうと何故ハンターハンターにはあんなに休載が多いのかも、これで説明できますね。矢吹先生といえど、生身の人間ということです)
しかし、疑問は解決するものの、この説は新たな疑問を生み出します。
矢吹先生がペンネームを使い分けているとしても、他の作品と比べ、明かにダントツで「BLACK CAT」が優れすぎているのです。
特に問題なのは、他の作品には「BLACK CAT」ほどの知性が感じられないことです。
いまさら言うまでもありませんが、「BLACK CAT」は四則演算のルールを改正したり、重力に関する画期的な新概念を打ちたてたりと、とても少年漫画のジャンルには収まりきらない非常に知的な漫画です。現代科学の発展にも大きく寄与されました。
比べてみると、ハンターハンターがいかに知的愉しみに欠けているか一目瞭然と言えましょう。
私にはとても同一人物の描いた漫画とは思えません。
また、登場人物の特性を見ても、「BLACK CAT」のキャラクターたちは、すべからく戦闘前に自分たちの能力を語るなど、戦闘時にも関わらず非常に紳士的です。
一方のハンターはというと、戦闘に入ってもお互いの能力を晒そうとはせず騙しあいを重ねるとても紳士とは言えない漫画です。
これらは作者自身の性格に裏付けられたものでしょう。
矢吹先生の知性や紳士的行為を見るにつけても、とてもハンターハンターの作者と同一人物とは信じられません。


仮説7.完成された漫画説

矢吹先生の「BLACK CAT」漫画としてあまりに完成されすぎていて、他の作家たちが何を描いても「BLACK CAT」の一部分と酷似してしまうという説。
他の作家たちがどれだけ頑張っても、釈迦の手のひらで走りまわっていた孫悟空よろしく、矢吹先生の才能からは脱することができないということです。
これも宇宙一巡説と並んで有力な仮説ではありますが、これでは矢吹先生の「BLACK CAT」がその他の作品より後発である科学的説明にはなり得ません。
実際的にはあり得ないことですが、ロジック上は「矢吹先生が、冨樫先生の手のひらで踊っている」と解釈することも可能だからです。
この説は大変魅力的であり、矢吹先生の偉大さを考えると直ちに採用したくなりますが、しかし実際に矢吹先生の作品が後発であることを僕たちは真摯にとらえねばなりません。
そう考えますと、僕はこの説そのものよりも、この説から派生したより思弁的・哲学的な「矢吹元型説」を押したいと思います。

※繰り返しますがあくまで、論理的にはそうとも取れる、といっているだけです。矢吹先生が冨樫先生の手のひらで踊るなど、絶対にあり得る話ではありません!!


仮説8.矢吹元型説

学会ではそれほど有力視されていませんが、僕が個人的に最も押しているのが、この「矢吹元型説」です。

心理学者C.Gユング元型説をご存知でしょうか?
ユングは世界各国の神話や、現代人の夢の中に、共通するモチーフがあることを発見しました。
ユングの患者が見た「太陽のペニス」という妄想は、ミトラ教の古い神話と同じものだったのです。
そこから敷衍して、ユングはこのように考えました。
人間の心の中には全人類が遺伝的に抱えている普遍的な無意識がある、と(集合的無意識)
複数の神話に同じようなストーリーが見られるのは、その元型となる物を人類が共通して無意識の中に抱えているからなのです。

矢吹元型説とは、まさにこの元型説を下敷きとしたものです。
つまり、矢吹先生の「BLACK CAT」は私たち全人類が共通して所持している元型的ストーリーの塊である、ということです。
誰もが心の奥底に持ち合わせている物語を、矢吹先生は天才的な感性で捉え、悪魔的な画力で「BLACK CAT」という作品に仕立て上げているのです。

この説を取るならば、後発である「BLACK CAT」を冨樫先生たちがパクったことも説明できます
つまり冨樫先生は(矢吹先生には遠く及ばないけれど)その優れた才能ゆえに、元型にほんの少しだけ触れることができたのです。
偉大なる矢吹先生は常に元型をなぞって「BLACK CAT」を描いています。
かたや、冨樫先生はホンの一時、ノリにノッているときだけ、元型に触れ、元型を漫画化することができるのです。
冨樫先生が元型に触れたその一瞬だけ、冨樫先生の作品は「BLACK CAT」とほぼ同じ構図やアイデアとなるのです。

結局のところ、「BLACK CAT」は完璧な作品であり、私たちの遺伝子レベルに訴える作品であるということです。
冨樫先生も優秀な漫画家です。
ですから、彼は一瞬だけ遺伝子レベルに訴える漫画が描けるのです。
そして、その冨樫先生の一瞬が、矢吹先生にとっては日常であり、完璧な作品である「BLACK CAT」であるのです。
私たちはそんな冨樫先生を責めることができるのでしょうか?
漫画家が、その全力を尽くしたならば、結局のところ「BLACK CAT」そのものになってしまうのです。
冨樫先生はその才能と努力を費やし、ほんの少しだけですが、「BLACK CAT」に肉薄することができました。
このことを指して「冨樫先生は『BLACK CAT』のパクリばかりでオリジナリティに欠ける」などといっていいものでしょうか。
僕はそうは思いません。

読者の多くの人は「『BLACK CAT』のパクリばっかり!冨樫ゆるせん!」とお思いでしょう。
学会の中でも、そういう人が多いのは確かです。
しかし、これは本当に嘆かわしいことです。
冨樫先生も必死にがんばっているのに、矢吹先生が偉大過ぎるばかりに、あらぬ濡れ衣を着せられています。
僕たちがいたずらに冨樫先生を責めるのは、矢吹先生にとってもきっと重荷になるのではないでしょうか。

僕たちは冨樫先生たちをただ「パクリだ!」と責めたてるのではなく、なぜ彼らの作品が黒猫と似通ってしまったのか、理性的・紳士的に考えていかなければならないと思います。
それが、矢吹健太朗先生、ならびに「BLACK CAT」を愛する読者としての、最低限の責務だと思います。


―031105追記

黒猫紳士により、新たな学説が発表されましたので、ここで報告致します。

仮説9:矢吹サトラレ説

「サトラレ」という先天的特異能力の持ち主がいます。
彼らは思っていることを周りの人々に思念で伝えてしまい、しかも自分ではそれに気付かないのです。
そして、もう一つ。
「サトラレ」能力者はずば抜けた能力を持つ天才だということです。
彼らは精神エネルギーが強すぎるため、脳から思念が漏れ、他人に伝播してしまう、といわれています。

矢吹先生「サトラレ」だとすると、全ての謎が解決します。
天才的な才能を持つ矢吹先生ならば、「サトラレ」能力者であってもおかしくありませんし、矢吹先生と親交が深いであろう同業者(=漫画家)と接触が多いことは容易に察せられます。
矢吹先生に接触した漫画家たちが、矢吹先生の頭の中のアイディアを察してしまい、それを先に漫画に使っている。
しかし、矢吹先生の中で熟しきったアイディアではないため、彼らが黒猫に先駆けて使用したアイディアは本家黒猫ほどのクオリティに達していない、そう考えると時系列上の問題も、他の作品が黒猫の劣化コピーである理由も解明できます。

これは「矢吹サトラレ説」と言われ、論理的整合性のある大変有力な説です。
しかし、この説も完全無欠というわけではありません。
「サトラレ」の存在を公表した佐藤マコト先生漫画家であり、「サトラレ」は漫画の中で語られた存在だからです。
そのため、一部の紳士から
「『サトラレ』とは、戦い前に自分の能力を包み隠さず教える紳士のマナーをパクって出来たものではないのか」
という、異議が提出されました。
つまり、「サトラレ」という漫画そのものも黒猫をパクったものだということであり、その「サトラレ」をもって、パクリ問題を説明するのは危険ではないか、ということです。
全てを解明するかに思われた「矢吹サトラレ説」ですが、それでも完全解明には至りませんでした。
黒猫パクリ問題とは、何と奥の深い命題でしょうか。


仮説10:矢吹贖罪説

最近、発表された学説の中では群を抜いてドラマティックなものが、この「矢吹贖罪説」です。2004 ManabuMeguro
「矢吹贖罪説」の最も優れたるポイントは、パクったのは他の作家の方なのになぜ黒猫の方が後発なのか、というパクリ問題最大の難点である時系列上の問題に対し、「なぜ?」ではなく「どうして?」という視点を持ち込んだことです。
つまり、「なんで黒猫の方が後発なの?」ではなく、「どうして黒猫の方が後発なんだろう?その意味は何なのだろう?」と考えたのです。
黒猫が後発であることは何かの原因による結果ではなく、何者かの意志によるものである、ということです。
そして、この説においては、その意志とは他ならぬ矢吹先生の意志なのです。

この説には2つの柱があります。
まず1つは、黒猫コミックスは世界中で読まれているということ。しかし、黒猫は素晴らしい漫画なのに、何故か読んでいるとあくびが出たり、読み終えた後に気分が悪くなるなど、現代科学では説明のつかない現象が起こること。
次に、矢吹先生の黒猫は他の漫画家がパクらずにはいられないあまりにも素晴らしすぎる作品であるということ。
これら2つの問題を個々に考えていくと、そこには矢吹先生の自己犠牲の精神が横たわっていることが分かるのです。

まず1つめの問題ですが、黒猫のコミックスは莫大な量が生産されているにも関わらず(1巻につき250億冊とも言われています)、森林破壊など致命的な問題を起こしていません。
贖罪説を提唱した黒猫紳士は、この問題について驚くべき仮説を導いています。
いわく、黒猫のコミックスはナノマシンで作られているのではないか、と。

そして、第二の問題です。
矢吹先生の黒猫は、それはそれは、素晴らしい作品です。
あまりの完成度の高さに、いけないとは知りつつも、他の漫画家たちはパクらずにはいられません。
しかし、心優しい矢吹先生はついついパクってしまう他作家たちを責められなかったのでしょう。
いや、それどころか、矢吹先生はこう考えたのです。
「自分がパクっていることにすれば、誰も傷つかなくて済む。僕一人が犠牲になればいいんだ」
と。
矢吹先生は、己の作品が他者に与えるやむをえない影響(パクりたい。我慢できない)を鑑み、全ての不名誉を己の身一つで背負おうとしたのです。
そう、まるで人類の原罪を一身に受け十字架に架けられたイエス・キリストの如く。
たかがイチ宗教の聖者でさえ、そのような高邁な行為を引き受けられるのです。
完全無欠の人格者である矢吹先生が同じようなことを考えないはずがありません。

ここで出てくるのが、世界中に溢れるほど出まわっている黒猫コミックスです。
この学説によれば、黒猫のコミックスナノマシンで出来ています。
そして、黒猫の作中には以下のような台詞が出てきます。

>よく「人の心は思い通りにはならない」といわれるが
>ちょっと脳内の分泌物を操作するだけでコレこの通り


これはフドウさんとムンドックさんをナノマシンで操った時のドクターの台詞です。
そう。つまり、ナノマシンがあれば、人の心を操ることなど容易いことなのです。

黒猫コミックスは世界中に遍く流布しています。
まるで空気のように。
そして、私たちは常に黒猫コミックスというナノマシンにより、精神にある影響を受け、ある事実を歪められて認識しているのです。
それは何か?
つまり「黒猫の方が後発である」という誤認識です。

世界の真実はこうです。
黒猫はやはりパクられています。
そして、黒猫はそれをパクった漫画たち(「遊幽白書」「カウボーイ・ビパップ」「ハンターハンター」等)よりも随分前に出版されているのです。
ですが、矢吹先生はそれら多くの漫画家たちに「パクリ作家」の不名誉を与えないため、あえて自分一人がその不名誉を引き受ける役を選びました。
矢吹先生は世界に流布する黒猫コミックス(ナノマシン)を使い、私たちの心を操ります。

「黒猫はハンターより後の作品だよ〜。パクったのは矢吹の方だよ〜。」

と。

私たちは、矢吹先生本人により「パクったのは矢吹先生だ」という事実と異なる認識を持ってしまったのです。
黒猫コミックスを読んでいるとあくびが出たりするのは、おそらくそのときの脳内操作の副作用ではないでしょうか。

しかし、黒猫コミックスによる脳内操作も完璧ではありませんでした。
黒猫が完璧過ぎる、巣晴らし過ぎる作品であったためです。
黒猫を読んだ人の中には、その感動からナノマシンの制御を振りきり、「やっぱり矢吹先生はすごい。パクってなんかいない」と考える人も出てきてしまったのです。
一般的に信者、紳士と呼ばれる人たちがそうです。

その一方では、矢吹先生の思惑通りナノマシンに制御され「黒猫はカスだ。ゴミだ。鼻紙だ。」と声高に叫ぶ方もいらっしゃいます。
ですが、私たち紳士はそのような方をたしなめたり、軽蔑したりしてはいけません。
自分たちだけが世界の真実を知っているのだ、という選民的思想を持つなどもっての他です。
矢吹先生が他の作家の罪を背負って「パクリ作家」と罵られることを覚悟していらっしゃるのであれば、黒猫のことを悪し様に言う人たちは、実は私たちよりも矢吹先生の意向に忠実であると言えるからなのです。
彼らも私たちも、結局矢吹先生を称えていることに寸分の違いもないのです。

この「矢吹贖罪説」は非常に美しい学説です。
結論として、私たち紳士も、信者も、そしてアンチも、みんな矢吹先生を称えている、という一体感を持つことが出来ます。
紳士・信者・アンチは分かり合えない対立存在ではなく、手段は違えど同じ目的を果たそうとする共同体なのです。

ですが、非常に残念なことに、この学説には一つの大きな陥穽があります。
それは、黒猫コミックスが世界中に流布している、という時点で黒猫が大人気であるということです。
大人気だから流布しているにも関わらず、コミックスにより矢吹先生の悪評を広めている。
これは矛盾です。
この学説を鵜呑みにするならば、世界中の人々は「矢吹はパクリ魔!クソ作家!」と罵りながら書店に駆け込み、一人5冊黒猫コミックスを購入することになってしまいます。
さすがに、それは想像し難いことでしょう。

このように大きな矛盾点を孕み、その合理性自体は疑わざるを得ない「矢吹贖罪説」ですが、しかし、最大の問題である時系列上の矛盾について、まったく新しい視点から問題解決を試みた、その独創性は高く評価しなければなりません。
その全く新しい切り口は他の紳士淑女に大きな影響を与え、今後の黒猫学会の発展に寄与することは間違いないのですから。




――031207追記
掲示板などで投稿頂きました新仮説をまとめたり、そのままコピったりしています。
パクリ問題に対し、みなさまの協力ありがとうございました。


仮説11:矢吹パクリ漫画家説

従来のパクリ問題に対する考え方を一周させた仮説が、この「矢吹パクリ漫画家説」です。
これは、矢吹先生があえて「パクリ漫画」という新しいジャンルに挑戦しているというもので、読者は宝探しをするように黒猫からパクリを見つけて楽しむことができるのです。
矢吹先生はわざわざパクるために、自分のアイデアを仲の良い漫画家(冨樫先生など)に渡します。
そして、冨樫先生が冨樫先生なりにアレンジしたネタを、改めて自分の漫画の中に配置するのです。
これからは後輩漫画家にもネタを渡してパクったりするのかもしれませんが、全て矢吹先生の人徳のなせる技で、同業の漫画家たちはみな矢吹先生の偉大な“遊び心”に快く付き合っている、という説です。

なるほど。確かに、矢吹先生が他の漫画をパクッている、という極一部の方々が抱く誤解を積極的に肯定することで、このような論理的に矛盾することのない仮説を立てることは可能です。
ですが、 芸術・科学・倫理に優れた偉大なる矢吹先生が、いくら新しいジャンルとはいえ、“パクリ漫画”という、いちジャンルに満足して終わるのでしょうか。
矢吹先生ほどの天才が数年を費やして、そのような小さな業績や遊び心に満足するとは思えません。
ですので、確かに矛盾の無い仮説であることは認めますが、しかし矢吹先生の偉大さを考えるに少々スケールの小さな話であるかのように思われます。


仮説12:矢吹マトリックス説

矢吹マトリックス説は、極めてショッキングな、耳を疑う仮説です。
矢吹マトリックス説によれば、この世界は巨大なマトリックスなのです。
(※マトリックス=コンピュータ管理による仮想現実。また、そのコンピュータ。)
そして矢吹先生こそマトリックスの創造主であり、ブラックキャットとはこの世を効率的に管理するためにあたえられている娯楽なのです。
カプセルのなかで夢を見させられて自然とたまってくるストレスを発散させるために、この世の神があたえし完璧なる娯楽!それがブラックキャットの正体です!

しかし世の中には「ハッカー」と呼ばれる人達がいます。
彼らは日夜、巨大な知欠コンピュータにハッキングをしかけネタをパクっています。
冨樫先生などのパクリといわれる漫画家たちは天才ハッカーだったのです。
ブラックキャットはつねに完璧に創られているためにストーリーを変更することはゆるされません。
したがって後発で発表する矢吹先生は一部の方々からパクリ漫画家の汚名を着せられる結果となってしまうのです。
ブラックキャットを観賞したときになぜか感じてしまう嫌悪感や苛立ちは管理されていることを本能的に感じる私達のかすかな抵抗なのかもしれません。

余談ですが、冨樫先生の休載が多いのは、知欠プログラムにトライする回数が最も多く、それに時間を取られているからだという話です。
さらにいいますと、冨樫先生の作品『H×H』において、爆弾魔ゲンスルーが「解放!(リリース!)」と叫んだのは、知欠マトリックスからの我々の解放を暗にほのめかしている、という話すらあります。

矢吹マトリックス説は極めて壮大な仮説で、我々のアイデンティティを根底から揺さぶる衝撃的なものです。
確かに神がかった黒猫の面白さを考えると、「神が与えた娯楽」「コンピュータ管理されている」などの一見突拍子も無い話にも信憑性を感じてしまいます。
また、黒猫を読んでいる時に感じる正体不明の嫌悪感の正体も明かにされている点は高評価です。
この仮説には論理的な反論は行えません。
しかし、あの素晴らしいブラックキャットが我々を効率的に管理するために与えられたものだという話は生理的に受け付け難いものです。


仮説13:黒猫補強説(黒猫予習説)

黒猫がバリアフリー漫画であるという点に着目し、提唱されたのが黒猫補強説(黒猫予習説)です。(2004 ManabuMeguro)
黒猫という漫画は本質的にバリアフリー漫画ですから読者のハラハラドキドキを最小限に抑えた心臓に優しい漫画を描かなければなりません。
しかし、天才矢吹先生の描く漫画は言うまでもなく素晴らしいものですから、読者をうっかりハラハラドキドキさせてしまうかもしれません。
たとえばセフィリア=アークス「桜舞」などはあまりに”優美で美しい”ため、いきなりこんな美しいものを見させられては読者はハラハラドキドキしてしまいます。
そこで矢吹先生は一計を案じたのです。
「桜舞と良く似た技を先に冨樫先生の『ハンターハンター』で描いてもらえば、僕の桜舞を見てもハラハラドキドキしないだろう」と、偉大な矢吹先生はこう考えたのです。
そうして矢吹先生は冨樫先生に桜舞のアイデアを渡します。
冨樫先生は自分なりにそれをアレンジし、「肢曲」という技を描きます。
僕たち読者は一度「肢曲」を見て予習し心の準備ができているため、いきなり桜舞を見るほどにはハラハラドキドキせず、たいへん心臓に優しいのです。

冨樫先生は矢吹先生の素晴らしいアイデアをもらってハッピー。
矢吹先生も自分の読者にバリアフリーな漫画を提供できてハッピー。
黒猫補強説を取るとすれば、ジャンプ漫画界というのはとても仲の良い、強くまとまった世界となります。

論理的には何の問題も無いこの説ですが、しかし、僕は少し気にかかることがあります。
それは、ハンターハンターで肢曲が登場した時に、僕は結構ドキドキしてしまったことです。
矢吹先生ほどの完全無欠の人格者であれば「僕の漫画だけバリアフリーならいいんだもーん」などという無責任なことは考えないでしょう。
このときは桜舞を預かったのが冨樫先生でしたからまだ大丈夫でした。
しかし、矢吹先生がネタを託した漫画家が、たとえば一流漫画家堀部健和先生(名作『神撫手』の作者)だったとしたら・・・
きっと僕は「いきなり桜舞を見たとき」と同じくらいハラハラドキドキして心臓に悪かったのではないでしょうか。
読者にバリアフリー漫画を与えるためとはいえ、他作家にそのような危険性を預けるような矢吹先生とは思えません。
もちろんネタを託す作家も厳選していらっしゃるでしょうから、危険性は無いのかもしれませんが・・・。
しかし、人間とはミスを犯すものです。冨樫先生がたまたま心臓に悪いレベルの描写をするかもしれません。
起こりうるミスに対し事前に対策を打つのが危機管理というものでしょう。つまり、この場合は「初めから他者に危険性を預けたりしない」ということです。
賢明なる矢吹先生がそのような危険性を野放しにしているとは思えません。


仮説13:冨樫未来人説

冨樫先生など、黒猫をパクったと言われている漫画家は実は未来世界から来た未来人ではないか、という説。
確かに黒猫の偉大さを考えれば、この先、何十年、何百年、何千年と色褪せることなく伝えられることは間違いありません。(源氏物語程度ですら、現代でも漫画化されているのですから!)
そして、その素晴らしい黒猫に未来人たちが感化され、思わずパクってしまうのも仕方ありません。
しかしながら、なぜ彼らはわざわざ矢吹先生の連載しているこの時代にやって来たのでしょうか。
わざわざ同じ時代に来たばかりに彼らはパクリ漫画家と蔑まれているのです。
……もしかしたら、「パクリと蔑まれてもいいから矢吹先生と同じ時代に同じ雑誌に載りたい」という心意気なのかもしれませんが。


※このページは、「黒猫パクリ問題」に関してのこれまでの黒猫紳士たちの議事を僕なりにまとめたものです。
現在でも黒猫紳士たちの間では新たな仮説が生まれ、検証されています。
「BLACK CAT」のため、ひいては全人類の芸術・科学の発展のため活動を続ける黒猫紳士の皆さんにこの場を借りてお礼申し上げます。


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