●紳士的黒猫世界




紳士的視点により構築された黒猫世界です。
主にクリード・アイランド編以降を扱っています。

・ クリード・アイランド編ストーリー

世界に紳士の革命を――!

紳士的秘密結社「星の使徒」は世界中の人間を全て紳士とすべく、武力による世界制圧を目論んでいた。
彼らの目標は非紳士的人間に機械の身体を与え、紳士的な人間へと矯正することである。

一方で、星の使徒の「全人類紳士化計画」に反撥する者たちもいた。
クロノス、掃除屋、そしてトレインたちである。
彼らは「自由意志による紳士」を何よりも重んじたのだ。

星の使徒も、トレインたちも、紳士的な世界を造りたいという願いは変わらない。
ただその手段・思想に相違があるだけだ。

星の使徒のリーダー、クリード・ディスケンスは幾度もトレインを誘う。

「トレイン、キミなら分かるはずだ!」

本当は分かり合えるはずだった…親友となれるはずだった……
しかし、彼らは自分たちが信じる紳士の道を守るため、戦い合うことを選んだ。
自由意志による紳士の世界か、矯正してでも為すべき全人類紳士の世界か。
トレインとクリードさま、両者の信じる紳士道はどちらが正しいのか。
その答えを求めて、二人は哀しい戦いへと赴く。

そして、紳士の中の紳士、頂上紳士となるため、二人の壮絶な紳士的最終決戦が始まる!


・世界観

黒猫世界(知欠空間)は極めて安全な世界である。
まず、劇中で頻繁に見られる銃撃戦であるが、これは銃弾が時速30kmでしか飛ばないため、人を殺傷するような威力を持たない。
あまつさえ、ほとんどの紳士は敵の足元へ向けた威嚇射撃しか行わない。

また、心臓中心医学と呼ばれる独自の人体観により、黒猫劇中での登場人物たちは心臓を害されない限り死なないことになっている。
胸を貫かれ、明らかに致命傷と思われても、心臓からわずかに外れていれば無事蘇生できる。
失血死やショック死などというものは存在しない。
さらに言えば、「救急セット」という簡易な医療用具さえ揃っていれば、瀕死の人間であろうととりあえず死ぬことはない。

このように、黒猫世界は極めて安全にできているため、一見激しいバトルのように見えるが実際にはハラハラドキドキするようなものではない。
読者の心臓に優しいバリアフリー設計である。

なお、黒猫世界では四則計算は出てきた順に計算するという特異なルールがあり、そのため乗除より先に加減を行うというケースがしばしば発生する。

例)1+2×3=9

この計算方式を用いれば、既存の科学知識では首を傾げざるを得ない劇中での描写も数学的に納得がいくものとなる。
おそらく、銃弾が時速30kmで通常の弾丸のような軌跡を描けることも、心臓さえ無事なら死なないことも、この計算方式を用いることで解明できるであろう。
黒猫世界は一見目を疑うような描写ばかりだが、この計算方式さえ頭に入れておけば完璧に整合性のとれた世界であることがわかる。


・紳士道

黒猫のテーマの核となるのが、「紳士」である。
クリード・アイランド編は、基本的にトレインとクリードの決戦であるが、彼らが戦う理由もお互いの譲れぬ紳士道を巡ってのことである。
劇中では紳士vs紳士の激突ということで、戦闘の合間にもお互いの紳士的行為が頻出する。
戦闘時における主な紳士的行為としては「足元への威嚇射撃」「『後ろがガラ空きですよ』の警告」「不可視攻撃の使用制限」「能力事前説明」などが挙げられる。

彼らはこのような紳士行為を行いながら戦闘を行う。
お互いの能力を十分に出しきった上で勝負を決したい、と両者が考えているため、このような紳士的戦闘が成り立つのであろう。
不意打ちや、偶然による事故などでの勝利など、彼らには何の価値もないのである(奇跡は除く)。


・死後の世界

では、なぜ彼らはそこまでして紳士道を貫こうとするのだろうか。
それは、黒猫世界における「死後の世界」観と関わることである。

劇中では死んだはずのサヤが頻繁に現れ、トレインたちに数々の奇跡を起している。
クリードさまとの最終決戦では、クリードさまは何度も死んだはずのサヤを目撃している。
このことから考えるに、おそらく黒猫世界においては紳士のまま淑女のまま命を失った人間は、死後に幽体となり、黒猫世界をぷらぷら飛び回ることができるようになるのだろう。
そして、生きている者も紳士であれば、それら幽体を目撃したり、短い会話を交わしたり、銃を支えてもらったりすることができるのだ。
紳士的にその命を全うしたものは、死した後も第二の生を得られるのである。
これを”紳士は永遠の命を獲得できる”と言い換えても、決して言い過ぎではないだろう。

そのため、黒猫世界では死ぬことよりも紳士でなくなることを恐れる。
戦闘時に、彼らが自分たちが不利になることを分かっていても紳士的行為を行う理由はここにある。


・紳士的世界の実現に向かう二者

だが、紳士的な人たちは良いものの、紳士でない非紳士的な人々はどうなるのだろうか。
彼らには第二の生は与えられるのだろうか。
おそらく、そういった人々は死した後も幽体となることが叶わず、肉も精神も塵に返るだけだろう。
紳士たちは死後のことまで考え、紳士的な生を全うしようとしているが、しかし、「今が良ければ良い」と考える人々もいるだろう。
そういった非紳士的な人々は、死後幽体となれず第二の生を放棄することになる。

そこで、紳士的な集団である掃除屋は、紳士的な人間に生まれ変わらせるべく彼らを捕縛している。
あまりにも非紳士っぷりが過ぎたり、周りに与える非紳士的な影響が大きい場合には、「Dead or Alive」となる。
つまり、最悪の場合は非紳士的なまま殺傷してでも、周りに非紳士が広がるのを防ごうということだ。
クロノスも掃除屋も基本的にはこの姿勢で動いているが、トレインは「不殺」の信念を第3話から貫いており、「Dead or Alive」の非紳士に対しても、できるだけ生きたまま紳士的人間に変えようと考えている。

この「Dead or Alive」の思想。
つまり、最悪の場合は殺傷しても構わない、という考え方。
そして、いくらクロノスの実働部隊として活動しても、いくら掃除屋たちが頑張ろうとも、この世から非紳士的人間が完全になくなることはない。
この理想と現実のギャップに苦しんだのが、クリードさまである。

彼はあまりにも完全主義すぎた。
「できるだけ多くの人間を紳士に」ではなく、「全ての人間を紳士に」。
彼はその理想に縛られすぎた。
セフィリア女史から「狂った野望」と呼ばれたほどである。

全ての人間を自分の意志で紳士へと導くことなどできない。
そこで彼は、非紳士的な人間に機械の身体を与え、その機械の身体により人間の言動を紳士的に強制する方法を思いついた。
彼はそのためにクロノスを抜けた。
そして、その実現のためにナノマシン開発を行い、同時に実行部隊として紳士的精鋭部隊「道使い」の協力を得た。
彼らは人類の機械化による全人類紳士化計画に踏み切ったのである。
それはクリードさまによる全人類救済計画に他ならない。

だが、人間を矯正してでも紳士にしようとするクリードさまの思想は、クロノスや掃除屋、トレインたちにとって受け入れ難いものであった。
自由意志によらない、矯正された紳士が本当の紳士といえるのか。
そのような”矯正された紳士”が本当に第二の生を歩めるのか。
確かにクリードさまの紳士革命が実現すれば、世界は紳士的に生まれ変わるだろう。
しかし、その世界は本当に紳士的な世界なのか……??

その答えは誰にも分からない。
だから彼らは戦うのだ。
己の紳士力の全てをぶつけ、紳士的に戦うのだ。
答えは…………その戦いの先にきっとある。
己の信じる紳士道を胸に、彼らは最後の決戦へと挑んだ。


★キャラクター紹介

・トレイン

淑女サヤの意志を受け継ぎ、紳士として一歩一歩成長を続けるトレイン。
クリードへの憎しみを紳士的精神により克服し、頂上紳士へと一歩近づいた。
トレインがクリードさまと戦う理由は、自由意志による紳士の世界を守るためでもあるが、同時にクリードさまを救うためでもある。(「クリードさま」の項参照)

・スヴェン

クリード・アイランド編に入り、グラスパーアイという紳士的能力を開発し、紳士的戦闘力を大幅にアップした。
イヴのことは最初は「化け物」としか思っていなかったが、厳しい紳士教育を行うことで、彼女を立派な淑女に育て上げた。

・イヴ

最初はスヴェンたちから「化け物」と認識されていたが、淑女教育により立派な淑女となる。
ナノマシンにより自分の身体を別の物体や形状に変化させる能力を持つが、最終話では具現化能力まで得ていた。

・クリードさま

星の使徒のリーダーにして、紳士革命の遂行者。
ナノマシンによって不死の身体を得、それにより未来永劫全人類との面接を続けるつもりでいた。
紳士革命により全ての人間を救済する一方で、自分は生身の肉体に縛られ永遠の面接を行うという、極めて自己犠牲的な精神の持ち主である。
人類全ての罪を一人で贖おうとするクリードさま。
彼の身を案じたトレインは、クリードさまを救うため、クリードさまの紳士革命を打ち倒すことになる。
クリードさまの道は「SWORD」。
不可視攻撃である妄想虎鉄LV.1、意志を持つ剣LV.2、そしてクリードさまの紳士力に応じてその威力を増すLV.3。
不可視攻撃という非紳士的性能からスタートし、最終的には紳士力に応じて威力を発揮する武器に進化した妄想虎鉄は、まさにクリードさまの紳士精神成長の象徴といえるだろう。

・セフィリア

クロノスの送りこんだ実行部隊、クロノナンバーズのトップ。
基本的にはトレインたちと同じく、自由意志による紳士世界を守るためにクリード打倒を試みる。
しかし、トレインたちと違い、クリードさまを殺してでも止めようと考えており、クリードさまの「全人類紳士化計画」を「狂った野望」と強く非難した。
だが、クロノナンバーズトップという重責に耐えるだけあり、彼女も相当の淑女である。
彼女は卓越した剣の技術を持っているが、それは基本的に彫刻を行うためのものであり、他者を害するものではない。
このことから、彼女が本当は戦いを好まない心優しい人物であることが分かる。

・エーテスさま

道使いのおさる。
おさるであるエーテスさまを幹部として起用する辺りに、人種や性別などあらゆる偏見・差別を取り払い、優れたものには相応の礼儀を払うという星の使徒の理念を垣間見ることができる。
エーテスさまは、もちろん始めはおさるだが、彼自信の能力「COPY」や周りの人々と触れ合うことで、徐々に知能を得ていった。
その結果、始めは非紳士的なキャラクターであった彼が、トレイン一行や鬼星隊との戦いを通して立派な紳士へと成長したのである。
クリード・アイランド編において、エーテスさまはいわば「赤子」である。
学習の伴わない彼の知能は、本能のまま非紳士的な方向に流れた。
だが、スヴェンや鬼星隊など一級の紳士たちと交わることで、彼は短期間のうちに紳士としての成長を遂げたのである。
エーテスさまの存在は、機械化による強制的な紳士化を行わなくとも、立派な紳士と交わるだけで人は紳士的に成長できるという体現に他ならない。
これは、クリード・アイランド編における矢吹先生のテーマ、「矯正による紳士世界か、自由意志による紳士世界か」の大切な答えの一つである。

・鬼星隊

クリードさまの紳士革命において重大な役割を果たす「機械化による紳士的矯正」の実現例。
劇中ではまだ実験段階であり、「不安要素も残る」状態だったにも関わらず、彼らは基本的に紳士的な戦闘を行っていた。
その紳士力は彼ら自身も「もう道使いにだってヒケを取らない」と述べていたほどの紳士っぷりであった。
だが、矯正により紳士となった彼らも、スヴェン・イヴ・クロノナンバーズにより全滅させられる。
矯正による紳士は自由意志による紳士に勝てないという、矢吹先生の描写であろう。


★頂上紳士への遥かなる道程

・クリードアイランド侵入時
不慮の事故により、掃除屋同盟のガロム&ラグドール死亡。
敵味方ともにどれだけ紳士的な戦いを志していようとも、死闘ゆえ死者も出るし、怪我人も出るという描写。
しかし、心臓は無事だったから二人も生きてるかもしれない。

・マロ&プレタ戦
リバー・トレイン組がマロ&プレタと激突。
マロさまが「可視攻撃の原則」を、プレタ神父が「能力事前説明の原則」を披露。
紳士的戦闘の描写を深める。

・リオン戦
年少ゆえ、十分に紳士的戦闘が行えないリオンに対し、イヴが聖母のような慈愛をもって接する。
リオン戦により、淑女としてのイヴを強調。

・ギアッチョ戦
スヴェンvsギアッチョ氏。
仲間の命を救うために、「能力事前説明」を省いたスヴェン。
紳士としてのプライドよりも、仲間の命を救うことを優先する。
それが本当の紳士であるという、矢吹先生一流の紳士表現。

・シキ&セツキ戦
強大な敵セツキを傷ついた身体で必死に引きとめるリバー。
そんなリバーを尻目に、のんびりとシキさまの昔話を聞いたり、空にレールガンを撃ったりするトレイン。
リバーの力を信用しているからこそできることである。
シキ&セツキ戦により、トレインとリバーのお互いへの信頼、友情、仲間の絆などを描いた。

・フドウ&ムンドック戦
ナノマシン「バーサーカー」を注入され、理性を失い、破壊衝動だけの完全な戦闘マシーンにされてしまったフドウ&ムンドック。
だが、完全な戦闘マシーンになった彼らでも、戦闘能力を失い瀕死の状況にあるケビン・リバーには止めを刺そうとはしなかった。
どのような精神操作を受けようと、心の奥深くに根付いた頑強なる紳士精神を挫くことはできない。
何物にも操られぬ紳士精神の強さが描かれている。

・ドクター戦

圧倒的に強大な能力を持ちながらも、能力事前説明を決して欠かさないドクターの紳士精神が強調される。
また、危機的状況の打開手段として”奇跡”がクローズアップされた。

・エーテス戦
仲間になったフリをして寝首を掻こうとする、非紳士的なキャラクター、エーテスさまの登場。
毒手、鏡のトリックなどによりエーテスさまの非紳士性がアピールされる。

・セフィリアvsクリード
自分を殺しに来たセフィリアに対し、クリードさまの怒りが爆発。
「正してやらねばならんだろう。その愚かな思い上がりの精神は…!!」
人の命の大切さを知り、全ての人類を救済したいと考えるクリードさまだからこそ、人の身でありながら他者の命を奪おうとするセフィリアの「思い上がった精神」が許せない。

・鬼星隊戦
非紳士的行為を続けるエーテスさまを見かねて、エーテスさまの精神を救済せんとすべく、エキドナ女史は泣く泣くエーテスさま抹殺の命を下す。黒猫で最も美しく、哀しいシーン。
鬼星隊はクリードさまの紳士革命、つまり「機械化による紳士的矯正」を体現する存在であったが、「自由意志による紳士」であるスヴェン・イヴらに敗れる。

・エキドナ戦
エキドナ女史の非紳士的な不可視攻撃から「思わず身体が動いて」イヴを助けたエーテスさま。
非紳士的だったエーテスさまが、紳士に目覚めた瞬間が描かれている。
非紳士的な人間(おさる)であろうと、紳士と共にいるだけで、紳士的成長を遂げるという意味が込められている。

・クリード戦
トレインとクリードさまの頂上紳士決戦。
紳士力に応じて威力の高まる妄想虎鉄LV.3を振るうクリードさまは、妄想虎鉄強化のために、ありとあらゆる紳士的行為を行う。
能力事前説明、弱点説明などは言うに及ばず、トレインの地形上の不利をなくし、屋根から落下しそうになるトレインを助けたりした。
また、トレインの説得もあり、「紳士的精神でサヤに劣っていた自分」を克服。
最大の紳士精神を得る。
だが、最後はトレインと仲間たちによるバースト・レールガンにより、最大の紳士力をもった妄想虎鉄も敗れる。


★黒猫という物語――矢吹先生の描きたかったもの――

矢吹先生の描きたかった物語――黒猫とは、一体何だったのでしょうか。
それは結局のところ、「理想の紳士の姿」を追い求めた二人の男の物語だったのではないでしょうか。

自由意志による紳士の世界を目指すトレインたち。
たとえ人体を機械化し、矯正してでも紳士の世界を創ろうとするクリードさまたち星の使徒。

彼らの戦いには善も悪もなく、ただ思想の違いのみがあったのです。
最終的な目的は同じでありながらも、戦わなければならない両者。
この悲劇性が黒猫という物語を魅力的にする最大のファクターであったと思います。

重厚なテーマを抱いて展開された黒猫という物語。
「自由意志による紳士の世界か、矯正された平和な紳士的世界か」。
これほどの難題に、僕たち読者はおいそれと答えを出すことはできません。
ですが、天才矢吹健太朗先生は難しいテーマを提示しておき、答えも出さぬままお茶を濁すような作家では決してありませんでした。
矢吹先生は、この難解極まるテーマに一つの答えを用意していたのです。

その答えとは「自由意志による紳士の世界」でした。
クリードさまは全ての人間が紳士とならない現状を憂い、この世を紳士一色に塗り替えんと紳士革命を企てました。
クリードさまは全ての人間の魂を救済すべく、ただ自分一人が未来永劫続く全人類面接という十字架を背負おうとしていたのです。
クリードさまは全人類の悲哀を全てその一身で受けようとしたのです。

ですが、人間とは本当にクリードさまが考えるような、自己救済のできない存在なのでしょうか。
確かに、非紳士的な人間が紳士的な人間に生まれ変わるには、それ相応の環境が必要となるでしょう。
しかし、言いかえれば、そのような環境が備わったならば、人は紳士として成長を遂げることができるのです。

そのことを描くために矢吹先生が用意したキャラクター。
それが、イヴとエーテスさまです。

イヴは当初はスヴェンから「化け物」と思われるほどでした。
殺人しか教わっていないイヴは、とても淑女といえる少女ではなかったのです。
ですが、そんなイヴもトレイン・スヴェンという超一流の紳士に囲まれ、そして星の使徒との度重なる紳士的激闘を経て、今では立派な淑女へと成長しました。

また、エーテスさまも当初は裏切ったフリして寝首を掻こうとするなど、大変非紳士的なキャラクターとして描かれていましたが、最終的にはエキドナ女史の非紳士的な不可視攻撃を「身体が勝手に動いて」阻止してしまうなど、立派な紳士として生まれ変わりました。
エーテスさまはスヴェン・イヴvs鬼星隊の紳士的戦闘に触れるだけで、紳士とは何か、その要諦を学び、実践できるまでに至ったのです。

これら二者の紳士的成長を描くことで、矢吹先生は僕たち読者にこう伝えようとしているのです。
「人間は適切な紳士的環境さえあれば、誰でも紳士的に生まれ変われるんだ」と。

そうなのです。
非紳士的な人間だからといって、機械化を施し、紳士的に矯正するという手法は性急に過ぎるのです。
第一、それではクリードさまは救われません。
彼は永久の全人類面接地獄へと堕ちたままです。

クリードさまとトレインの最終決戦。
――己の紳士力をそのまま剣の威力へと変える
まさに紳士の象徴としての妄想虎鉄Lv.3を備えたクリードさまは、トレインとの戦いの中で幾度もの紳士的行為を行い、その紳士力を高めます。
さらには、トレインの助けもあり、「思い通りにならない自分の弱い心」を克服し、自分の中に眠る全ての紳士力を解放します。
つまり、クリードさまはトレインにも助けられ、自分の全ての紳士力を妄想虎鉄という形で具現化することに成功したのです。
個人の持つ紳士力の限界、それが体現されたものが、最終形妄想虎鉄の姿なのです。

個人の持つ最大紳士力の権化、最終形妄想虎鉄を打ち破ったのは、トレイン・スヴェン・サヤ、三者の紳士力が詰まった一発のバーストレールガンでした。
クリードさま一人の紳士力全てを用いた妄想虎鉄も、三者の紳士力を合わせたバーストレールガンの前に敗れたのです。

トレインはあえてクリードさまを助け、クリードさまが自分の弱い心を克服し、全ての紳士力を発揮できるようにしました。
そして、個人としては最大の紳士力を得たクリードさまを、スヴェン・サヤの紳士力を借りて撃破したのです。
完全なる個人紳士vs不完全なる複数紳士の構図を用意し、矢吹先生は後者に勝利をもたらしたのです。

これは言うまでもなく、一人の紳士力よりも複数の仲間を合わせた紳士力の方が勝る、という描写に他なりません。
自由意志による紳士の道は茨の道でしょう。
ですが、彼らには仲間がいます。同じ紳士の道を歩む仲間がいるのです。
仲間に助けられることは、その人が歩む紳士道に無限の可能性を与えるということです。
全人類の紳士をすべて一人で贖おうとするクリードさまには、いつか限界が来るでしょう。
クリードさまには助け合える仲間がいないからです。
「お前は神じゃない。神になろうとしたちっぽけな人間だ」
トレインのこのセリフは、クリードさまに共に紳士道を歩もうと手を差し伸べるものなのです。


矢吹先生の用意された答えは、およそ以上のようなものだと僕には思えます。
しかし、天才矢吹先生といえど、先生の導いた答えが全ての読者の満足の行くものではないとも思います。
いくら矢吹先生が天才であっても、全ての人を満足させることはできないからです。
ですが、それでいいのだと思います。
僕たちは矢吹先生の用意したテーマから、各個人が真剣に、それについて悩み、議論し、考えること。
それが大切なのだと思います。
矢吹先生の用意した、素晴らしいテキスト「黒猫」は、僕たち読者の数だけ、その物語があるのです。

矢吹先生は偉大です。
矢吹先生は偉大です。



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