ワタリ×アヤメ、マイク×サナエ、ヒューゴ×クリス 著者:5_251様
第1部:アゲハ蝶
悲鳴と怒号が響く、阿鼻叫喚の地獄絵図。
戦場とは常にそういう場所である。
そこに立ち刃を振り下ろし人をただの無機質にしてしまう自分はさながら悪鬼羅刹の類だろうと自分でも思う。
誰かの友人を、恋人を、家族を奪う死神にも等しい自分が、たとえ戦場から帰還したとしても
愛する友人や、恋人や、家族と共に笑って幸福に過ごすことなど許されるのだろうか?
そんな事、どのような理由があっても許されてはいけない。自分は人殺しで
自分の手は血で染まっているのだから、そう言い聞かせ今まで生きてきた。
しかしそれでも人生とは案外捨てたものではなくて。
生まれて始めて恋をした。
世界がまるで自分から光を放つように輝いて見え、誰にでもほんの少しだけ優しくなれた。
けれどこの気持ちは口外するつもりは毛頭ない、この胸にしまったまま墓に持っていくと決めたのだから……
第2部:サウダージ
冷たい金属が擦れ合う音が、城の中を反響せずに風のように吹き抜けていく
あちこちに空いた穴のせいなのか、それとも今争いの真っ只中にいる2人の人物の職業柄なのかは不明である。
お互いの顔には鼻から顔下半分を覆う黒い布に、黒いこのゼクセンとグラスランド
どちらの地域にも見られない、遥か南にあるトラン共和国独特の衣装。着物を装備している
刀で切り裂かれたその布の下には鈍い光を放つ鎖帷子と、同じような格好をしている。
彼らはトラン共和国においても珍しい、忍の者である、常に闇夜に忍び隠密に
行動する彼らの職業柄か、ただでさえ破損が激しい城の壁に大きな傷を残しているが
全くと言っていいほどに物音はたっていない。
男の白髪の忍びは小太刀を、女の忍びはクナイを手に睨み合ったまま
常人では耐え切れないほどの緊張感をまといじりじりと距離を測っている。
さすがに一階とはいえ城の地下、風も一向に吹く気配も無く、お互いの緊張も最高潮に達し様としたその瞬間
二人を唐突に隙間風が襲い、叫び声が聞こえた。
「やめろー!!俺と交尾か!?降ろせ!巣に帰るな!俺なんか食っても美味くないぞ!」
「ギチギチギチギチ……」
不幸な工作員の叫び声と虫の羽音を合図に二人が一瞬にして距離を詰める。
キィ……ン
先に仕掛けたのは男の忍び、ワタリである。
硬質な金属同士を叩きつける音が響く、お互いを挟んで2メートルはあったであろう距離が
その一瞬で狭まり、今は少し顔を前に突き出せばお互いの唇を合わせることも出来る。
もっとも首を突き出した瞬間にその頚動脈に刃物が突き刺さることは間違いないが。
小太刀での一閃を二本のクナイを十文字にして受け止めるも、男性の筋力には敵わず
女の忍び、アヤメはゆっくりと背後にあるエレベーター側に追い詰められていく。
アヤメは頭巾の下でチッと小さく舌打ちをした。
本来ならワタリと自分は互角である筈なのだが、周囲を石垣に覆われている建物の内部で
しかも地下とあっては純粋な力押しの勝負になる、そうなっては自分に勝ち目などない、とアヤメは自覚していた。
しかし、忍びにとって諦めるという事=死へと繋がることなのだ
敵わないと頭では理解していても、決して弱気にはならず、攻略の方法を思案する
それは相手がワタリだから、というのも理由の一つなのだろうな。と一瞬考える
昔からワタリは強い女が好きだった。自分は彼が思うほど強くなれただろうかと…
束の間、過去を思い出すもすぐに思いは振り切られた、今は決戦の時なのだ。
クナイを手の中でクルリと回すと、それに体重をかけ押していた目の前のワタリがバランスを崩し、アヤメに圧し掛かる
その隙を逃さず、しなやかな長い脚を掲げる、それは今まさに獲物を砕こうとする
クワガタの角の様に、確かな勢いを持ってワタリの鳩尾へと吸い込まれていった。
ワタリが服の下に着込んでいる硬い鎖帷子と、自分の草履につけた鉄板のぶつかった鈍い音が狭い廊下に響く
事態は好転した、そう思ったのも束の間にアヤメは蹴りを出した足から凄まじい衝撃を受けることとなった。
「防具は念入りにしているお前のことだ…きいただろう?」
自由にならない体で床に転がったまま、何とか首だけをワタリに向ける。
ワタリの鎖帷子の上にびっしりと雷の紋章球から生成される、飛翔する雷撃の札が貼りつめられていた。
雷撃での一撃を全身に叩き込まれたアヤメはなす術もなく床に横倒しになるしかなかった。
二人の体を伝った電流の凄まじさは、お互いの服が焼け落ちボロボロになった事からも一目瞭然である。
しかしアヤメの蹴りを放った右足は多少の火傷はあるものの神経や骨にまでダメージは与えられていない。
手加減されたか……、そう思うとアヤメは悔しさに眉根を寄せワタリを睨み付けた
ボロボロの衣服を纏ったまま、二人はしばし見詰め合いとも睨み合いともとれぬ視線を交わらせる。
アヤメとしては睨み付けているのだろうが、ワタリの視線は彼女の目線とは交わらず
むしろ彼女の全身を観察している。
一瞬でも気を抜くと手に持ったままのクナイで攻撃を受けるかもしれないという神経質さか
焼け爛れてボロ布と化したものしか身に纏っていない一人の女という艶めかしい状態にあるアヤメに対して欲情しているのか
それはワタリ自身にもわからないことであった。
「ちっ……」
アヤメの口元を覆う鉄具が熱を湛え、その熱に耐え切れなくなったアヤメが小さく舌打つ
このまま水脹れのような火傷を負うのは目に見えているが自由の利かない両手はブラリと垂れ下がるだけである。
火傷に利く薬草がこの地域に生えているかと、考えを巡らせる間に、ワタリの手が伸び鉄具から顔の半分が開放された。
「…恩を売るつもりか?」
アヤメの低い呻き声には、憤怒に近い感情が確かに隠されていた。
「……そういう訳ではない」
対照的にワタリの落ち着いた低い声が静かに残響を残して宵闇の城の中を拡散していった。
その台詞に更に噛み付こうとして口を開きかけたアヤメの唇に、ワタリがまさに噛み付いて乱暴に塞いだ。
無理矢理重ねられたそれに牙を立て、噛み付こうとするがガッチリと片手で下あごを押さえられ
無抵抗にされるままでいることにアヤメが納得するわけがない。
首の神経が痛むのに耐えながらも、柔らかな唇の感触から逃れようと軋む首を動かすのたうっている。
後頭部で束ねたアヤメの髪は四散し、灰色の床に漆黒の螺旋のような放射状の模様を作り出している。
烏の濡羽色とはこういう色をしているのかと、乱暴に覆い被さったままのワタリが思う。
ふと、視線の先のアヤメに目をやるとギラギラと激情を宿した射抜くような視線をこちらに向けて送ってきている。
もしワタリが異国の獣に興味を示し、いつの日か図書館に足を運ぶことがあったなら
有名な動物学者の模写した絵の中に、アヤメに似た黒豹という美しい獣がいることを知るかもしれない。
触れるだけの接吻はものの数分で終了を告げた、しかしそれでだけで開放されることがあるわけがない。
「盛っているのか?」
侮蔑のような、汚いものを見るような目でアヤメが下から睨み上げている。
その会話を聞いて顔を真っ赤にしている人物が一人。
夜中寝付けず、外に出ようとシズがいないエレベーターを勝手に動かそうとし、中に入ったのはいいものの
全く動かし方がわからず、かといって外ではこういう状態なので出るに出れなくなっているヒューゴである。
「…どうしよう…気づかれたら二人からリンチかなぁ…」
寒いエレベーターの中でヒューゴは体育座りをしながら途方に暮れていた。
「そういうコトをスる時は…せめて部屋の中にしようよ…」
自分の膝に額をつけて、誰ともなく呟く。
こういう経験に至ったことは無いが、それでも自分が少なからず好意を抱いている相手と
性交渉を行うときの理想、みたいなものは歳相応にある。
本来ならば恋をしてはいけない人物に対して抱いた恋心が、蛇のように鎌首をもたげて自分の中で膨れていく
それは今、背中にある板一枚を隔てて行われている行為をヒューゴの頭の中で自分と、好意をもつ相手に摩り替えて
脳裏に映像として浮かび上がらせる。
「クリスさん……」
銀色の長い髪を、淡い紫色の瞳を、ふっくらとして柔らかそうな唇がその名前とともに自動的に思い出される
誰にも聞かれないように囁いた声は溶けるように漆黒の空間に消えていった。