ベルクート×ハヅキ 著者:お茶様
「まったく、呆れてものも言えぬな」
ハヅキは盛大な溜息をついて、言葉通りの「肩の荷」を下ろした。
剣士とはいえ小柄で華奢な、しかも少女であるハヅキには少々重すぎる「荷物」
───すっかり酔いつぶれてしまっているベルクートは、部屋までさほど遠くはないとはいえ、
ズルズル引き摺られてきた挙句、ベッドの上に乱暴に突き飛ばしたというのに、全く目を覚ます気配がない。
「いい年をした男が女に引き摺られて、恥ずかしいと思わぬのか、貴様は」
悪態をついたところで聞こえるわけもないのだが、言わずには居られない。
そしてだらしがない事が何より嫌いなハヅキは、乱れた呼吸を整えるより前に、
適当に放り出しただけの男をベッドにきちんと寝かせるべく奮闘する。
これだけ乱暴にしておいて今更だが、起こさないように気を使いながらベッドカバーを剥ぎ、
だらしなく投げ出された身体をベッドにもう一度しっかりと引き上げる。
そうして寝かせた上で靴を脱がせ胸元を緩めてから、何で私がこのような事を
お前にしてやらねばならぬのだ!と漏らしながら、腹いせに顔まで毛布をばさりと被せた。
ようやく一息つける、と大きく息を吐いて手近にあった椅子を引き寄せ腰掛けた。
それなりに体力はあるとはいえ、さすがに酔いつぶれて正体を無くした男を部屋まで送り
介抱(?)してやったのだから、疲れないわけがない。
大剣を扱うにしては細身の身体に見えないこともないが、決して小柄というわけではない。
加えて長身の身体は決して軽くはない。ここまでやっておいて今更ではあるが、
17歳の少女が担いで歩く対象ではない。絶対にない。
ようやく呼吸も整ってきた頃に、ベッドから苦しげな呻き声が聞こえた。
腹いせとはいえ頭まで毛布をかけるのは、酔いつぶれて寝ている彼には少々酷な仕打ちだったかもしれない。
ハヅキはひとつ大きな息を吐いてから立ち上がり、毛布を直してやった。
顔が赤いのは酒のせいか、それとも毛布を掛けられたせいで苦しかったからか。
恐らく両方だろう。僅かに顰められていた眉が次第に戻り、ほどなくしてその寝顔は苦しげなそれから
安らかなものへと変わった。
起きて欲しいのと起こしては悪いのとが半々な心境でハヅキはベッドへ腰掛ける。
既に男ひとりの身体が沈んでいたベッドは、新たに加わった負荷に思いのほか大きな音をたてて軋んだ。
既に室内着に着替えていたハヅキはそんなに重くはないのだが、ベッドが古いのだろう。
これだけの人数を抱えている軍隊なのだから、ベッドが古いとか軋んで煩いなどと
贅沢を言うつもりはないのだが、これだけ大きな音がすると周囲に迷惑ではないかとは思う。
この部屋を使っているのはベルクート一人で、相部屋ではないというのが今のところの救いではないだろうか。
否、だからこそこのベッドは個室に回されたのだろうか。ハヅキはぼんやりとそんな事を考えた。
考えながらも、これだけ大きな音なら目を覚ますかもしれない。
そう思い身を硬くしてその時を待ったが、やはりベルクートが眼を覚ます気配はまったくなかった。
それどころか身動きの一つもせずに眠り込んでいる。普段はあんなに気配や物音に敏感なくせに、
酒が入るとこのざまだ。いつもの彼なら寝こみを襲うべく戸に手をかけただけでもその気配で目を覚ますというのに。
呆れながらその寝顔を改めて覗き込んだ。身体を傾けるとまた大きくベッドが軋む音がしたが、
ハヅキはそれをもう気にしなかった。この様子なら今夜はきっともう眼を覚まさないだろう。
朝になって何故部屋に戻っているのか判らずに困惑するに違いない。
朝まで介抱して文句を言ってやるのも悪くはないが、稽古の後のこの一仕事はそんな気力を
あっさり奪ってしまった。要するに疲れたから寝たい、ということだ。
「気持ち良さそうに寝入りおって…人の苦労も知らずに、この阿呆が」
決して一回り歳の離れた相手に言う台詞ではないのだが、この場合は止むを得ないだろう。
言葉通り、ベルクートはそれは心地良い眠りに入っている様だった。
普段から穏やかな顔つきで、何を言ってもどこか余裕があるような微笑みか、少し困った顔をするくらいのベルクート。
少なくとも、自分に対して向けられる表情はそれくらいだ。
作戦中や戦闘中に敵に向ける目は鋭く厳しいが、日常でその瞳が険しくなるのを見たことは一度もない。
かつて剣を交えた時もそうだった。当然と言えば当然なのだが、決して強い敵意のある鋭い目ではなかった。
真剣ではあったが。
ハヅキはいつも人と向き合う際には相手の目を見る。
目は口よりも雄弁に、そして素直にその主を語ることをよく知っているからだ。
そんな、年齢に相応する、というよりもやや年齢以上に大人だと思わせるベルクートだが、
それを感じさせる瞳が閉ざされているせいなのか、寝顔はまるで少年のようなあどけない、無防備なものだった。
年齢の割に若い顔立ちをしているのもあるだろうが、普段とは全く別の表情に、
ほんの僅かだが鼓動が早くなったような気がしてハヅキは目を逸らした。心なしか顔が少し熱い。
今まで剣の道にのみ生きてきたハヅキは、特別強く意識した異性がひとりもいない。
今まで剣を交えてきた男たちはいずれもハヅキより弱く、興味の対象にならなかったのだ。
カヴァヤは別の意味で強烈に異性として意識はしたが、
それは決して好意的な意味ではなかったのだから、これも対象外だ。
どんなに見目が麗しくても、自分より弱い男には興味はない。
逆に、どんな自分より強くても、厳つい不細工には興味などもちはしないだろう。
少なくとも少し前までの自分には、麗しかろうと不細工だろうと、
負けたことのある相手が居なかったのだから、確かめようもなかったのだが。
そうして、ハヅキは恋などというものとは全く無縁、かつ興味もないまま知らずに生きてきた。
だが、ベルクートに負けてからというもの、片時たりともその剣を、顔を、姿を忘れたことはなかった。
声さえも鮮明に今でも覚えている。それが何故なのか考えたことは当然あるが、結局いつも結論は、
「初めての敗北を喫した相手だから」という答えに落ち着くのだ。
理由はどうであれ、ベルクートはハヅキが初めて強く意識した異性ということになる。
それが、どんな感情であったにも関らず、初めて強く思い、求め、追いかけた相手。
自分にとってそれは、ただひたすらに「雪辱を果たす為」であった筈だ。
だから、何かにつけていちいち口を出してきては、二人きりにさせないようにと邪魔をする
マリノの気持ちや、真意はまるで理解が出来なかった。自分はこの男と決着をつけたいだけだというのに、
何故邪魔をするのか。特別何かをしたわけでもないのに、何故嫌われているのかが全く判らなかった。
答えが出そうで、出ない。いつもこの繰り返しだ。否、本当はすぐそこに答えはあるのかもしれない。
ただ、それを認めてしまうことを拒んでいるだけで。そして、
それにうすうす気がついているからこそ、むきになってその理由を排除しているのかもしれない。
認めたからどうだというわけではないが、ハヅキにとってそれは初めてのもので、
未知のものだった。だからこそ認めることで自分が変わってしまうのが怖かったのかもしれない。
そうして寝顔を眺めながら物思いに耽っていたが、扉の向こう、廊下から数人の足音が近付いて来たことで思考は断絶された。
時計を見ると既に短針が一周している。既に一時間以上経っていたのだ。
夜も更け酒場を後にした兵たちが部屋へ戻るほどの時間。
自分はこんな所で何をしているのだろう。無防備な室内着で、仮にも男の寝室にいつまでも
居座って、その上相手が寝ているとはいえ同じベッドの上に腰掛けて。
これではどんな疑いをもたれても仕方がない。何とはしたない事を────。
時間も時間の上ここはベルクート一人の個室だ。
誰かが入ってくるということはないだろうが、足音が近付き通り過ぎる毎にハヅキはそれを意識し、
焦った。誰かに見られるようなことがあれば、変な誤解を招く。間違いなく。
どこへいっても色恋沙汰を好む輩は多い上、戦時中だ。色っぽい話題に乏しい今、
噂を立てられたらあっと言う間に末端の兵士まで広がるだろう。そうなれば…。
足音が去るまで部屋を出ることは出来ない。わかってはいたが、
自分でも何故こんなに焦るのかわからないまま立ち上がろうとした。が──────
「?!」
前にのみ意識を向けていたハヅキは、勢い良く立ち上がろうとしたものの、
予想しなかった背後の抵抗にバランスを崩した。裾が何かに引っかかっていたのか、
腕が引かれるような抵抗に、勢いがついていたのが災いしてそのままベッドに倒れこんでしまう。
何が起きたのか理解したのは、突っ伏すように倒れた身体を仰向けにされた時だった。
「ベ、ベルクート!」
其処にいたのは先程まで健やかな寝息を立てていたベルクートだった。
見れば裾がかかったのでも何でもなく、単に目を覚ましたベルクートに腕を掴まれた
というだけのことだったのだ。
取り合えず何が起きたのかは理解しても、突然腕を掴まれた上に、
結果としてだがこうしてベッドに組み敷かれてしまった状況に納得はしない。
それに加えて先程まで耽っていた考え事の内容もあって、
いつもなら冷静に返す所を、つい過剰に反応してしまう。
「い…いきなり何をする!それに目を覚ましたのなら覚ましたと言わぬかっ!」
顔を真っ赤にして、先程までの懸念などすっかり忘れて大声で怒鳴りつける。
だが、ベルクートはそんなハヅキの動揺などお構いなしといった様子だ。
掴んだ腕を放す様子もない。
「何とか言ったらどうだっ…そ、それにいい加減もう離せ、冗談にも程があるぞ、悪趣味な…ッ!」
掴まれている腕を振り払おうと暴れるが、ベルクートはやはりまったく動じもせずに、
逆に暴れる身体をベッドへ引きずり込むように抱き寄せた。
かーっ、と顔が熱くなり、鼓動が跳ね上がる。何を考えているのか全く判らないが、
いつもと違うことだけは確かだ。
「離せ!やめんかっ!何か言え!!人の聞いたことに答えんかっ!」
必死の抵抗も虚しく、ハヅキは実にあっさりとベッドの中に引きずり込まれ、
組み敷かれてしまった。暴れてみるものの不意を突かれて自由を失った身では
大した抵抗も出来はしなかったのだが。
両腕を掴まれ頭上で押さえつけられた所で、ハヅキは抵抗を止めた。
不本意だが適う相手ではない。だからといって好きにされてやる義理はないが、
意味もなくこんな事をする人間ではないし、性格上、女相手に乱暴なことをする男ではないと
判っていたのもあったのだが。最も、理解はしてもこの状況で動揺しない、
というほどハヅキはまだ大人ではないし免疫もない。きつく目を閉じて身を固くしながら言葉を待った。