「支え」(ゲオルグ×ミアキス) 著者:ほっけ様

 抱きしめようとした腕は虚空を抱き、愛しい微笑みが霧散するように掻き消えた。

 火花が散るほどの衝撃を顎に受けた時、意識の中では必死にリムスレーアに手を伸ばしていた。
 20を過ぎて、大人になったつもりで、いつも笑えるように己を律してきたというのに、苦行に立ち向かい、身を磨り減らしている軍主とその護衛の苦しみを和らげようと務めようとしても、自分はどうにも無力で、自分の心は無欠ではなかった、と思い知るだけだった。
 愛しい存在を取り上げられても、立ち上がり身を支え、立ち向かう彼らを見ていると、劣等感が募る。
 回転の速い頭が認識してしまう。
 自分はリムスレーアを護れないばかりか、彼らに何をすることもできない。
 どうして立ち上がることが出来るのか。それすら出来ない自分の弱さに、夜毎震え泣くことしかできない。
 平静に酷似した強がりが、誰にも見抜かれないのが辛いと思う身勝手さに、自分が嫌いになりそうだった。

 目を閉じる度浮かぶのは、愛しい微笑み。自分を信じてくれた、己を、兄を信じた優しい光。
 どこまでも純粋で気高く、幼くはかない心を持つ…その瞳。
 でも。何も出来なかった自分に、果たして実物が目の前に現れても、何が出来るのか。

 夢から覚め、開かれた瞳が見たのは自室の天井だった。
 じっとりと湿ったシーツを手繰り、汗ばんだ体の不快感に溜め息を吐く。
 ルクレティアの策によって取り戻したセラス湖の城は過ごし易い温度で保たれているというのに真夏に締め切った部屋で眠ったような惨状で、身を起こして、仄かに苦笑を浮かべる。
「…ダメダメだなぁ。私」
 濃縮したコーヒーを無理に飲んだようにぱっちりと冴えた意識。自嘲の笑いを浮かべながらベッドから降り、発育の著しい汗で濡れた肢体に、ぴったりと張り付く寝間着のボタンを外して、すとんと足元に落とした。

 城内の空気は涼しかった。小太刀以外は武装の名を知らぬ平服の隙間から入り込む風が、何とも心地良い。
 シンダルの技術が為した通風性の賜物なのだろうか。
 所々に灯る松明だけが頼りの今は女一人で歩く時間ではないが、そこかしこで見知った見張り番の仲間が居る。
 だからこそ、最低限の警戒だけで夜の城の散歩に興じることが出来た。
 聞かれても、なんとなく。
 何時ものように、そういう言葉と微笑みで。
「嘘はついていませんしねぇ」
 ミアキスは、誰に聞かせるでもなく、軽快なリズムを刻むような足音に紛れさせて、夜闇に普段通りに結った紫の髪を躍らせながら、独り呟いた。
「でも…流石にこんな時間だと、王子も眠っていらっしゃいますよねぇ」
「そうでもないぞ」
「…!」
 気を紛れさせるとは言え、知った仲は、王子と、そして、医務室で眠る護衛の少女…。
 女王騎士の面々とて、皆が皆夜更かしであるまいしそれぞれ都合があろう。夜半に尋ねるのも無遠慮だ。
 その中で最後に思い当たった人物の声が、一瞬に近い思考に割り込むが如く速さで自分の独り言に返事をしたため、心臓が跳ねた。
 背後に殆ど気配を感じなかったのは、達人の立ち振る舞いそのもの。
 敵であったなら、命はなかったろう。しかし、敵がここまで穏やかな声を発する筈もない。
 振り向いたミアキスの目は、眼帯で片目を隠した長身の男を捉えた。先程思い描いたそのままの姿だった。
「よう」
「ゲオルグ殿ぉ、びっくりさせないでください。ご趣味が悪いですよぉ?」
「すまん、此処まで気づかないとは思っていなかったんでな」
 むくれたように頬を膨らませるも、僅か、愉しげな色を含めたミアキスの声に、いつの間にか、いや、悠々と抜き足で背後に近寄っていたゲオルグも笑って返した。
 二人の距離は、彼の絶好の間合いだった。
 自戒の意を強めて、ミアキスはまた苦笑する―――自分の顔を見たゲオルグの瞳に、深い色が宿ったのを、目ざとく感じ取りながら。

「でも、珍しいですねぇ。ゲオルグ殿がこんなところにいらっしゃるなんて。」
「普段ならな。今日は付き添いだ。シルヴァ殿と話していたら遅くなってしまった。」
 腕を組み、ゲオルグはついと視線を背後へ向けた。その巨体の横から視線の先を追うように、トンと一歩前へ出たミアキスは、下がっていた医務室の看板を見て、あぁ、と納得の意を示す。
「順調だそうだぞ。傷もふさがってきているそうだ」
「そうですかぁ…よかったぁ」
 ふ、と胸を撫で下ろす。面会時間をとうに過ぎていたのに入室が許されたのは、ファルーシュという存在という理由。そして、恐らく彼が望んだであろうゲオルグの付き添いだろう。
「あいつはミアキス殿と行き違いになったようだな。ついさっき部屋に戻ったぞ」
 誰と言わず、向き直りながら告げて来る。
「いえいえぇ。年頃の男の子ですし、普通なら早寝早起きが基本ですよぉ。」
「そうだな」
 喉を鳴らして笑うゲオルグの瞳を見つめれば、僅かに心臓が動いた。
 こうして話しているだけでわかるのは、自分より遥かに短い時しか共にしていないのにも関わらず、自分より遥かに深く、ファルーシュを、リオンを…誰もを理解しているように思えた。
 何も強いることはなく、彼らが選んだ答えに従うように、いつも背を守り、支えている。
 …冷静に、こうして二人だけで向き合うと、なおさら抱いてしまう。身勝手な感想を。
 この人は、自分が欲する、自分に欠けている何もかもを持っている気がする、と。
「………」
「ミアキス殿」
「あ、はぁい」
「ファルーシュに何か用があったんじゃないのか?」
「いえいえ、お話相手が欲しかっただけですよぉ。真っ先に王子が思いついたんですぅ。」
「ふむ、偶然そこに居合わせてしまったわけか」
「独り言は、嫌味じゃない時は独りでするものですよぉ?」
「そうだな、すまん」

 黙りこんでしまった彼女の瞳に如何なる感情が込められていたかも、ゲオルグは見抜いたのだろう。先程宿った光と同じものを、ミアキスは彼の瞳に見た。
 言葉を交わした数なんてどう考えても少ない筈なのに見えない足のふらつきも、心の揺らぎも、傷跡のような涙もすべて、彼だけに見える色で染め上げられていたかのように。
「ゲオルグ殿、ちょっとお聞きしたいんですけどぉ」
「なんだ?」
 間を取るように、窓のほうへと視線を滑らせたゲオルグは、ミアキスの言葉に向き直る。
 何処となく悪戯っぽい、柔らかな語調と、唇の動きで、一瞬の溜めの後、ミアキスは問うた。
「…お暇ですかぁ?」
 女王騎士の証のシャドーに縁取られたゲオルグの目が、驚いたように見開かれると、彼は再び笑った。してやられたな、と言うように。
 ミアキスの上目遣いにされた大きい瞳は、予想通りの反応を映しこみ、笑うように細められる。
 前後の会話からそれだけで十分だろう。「どうして」と聞き返すほど子供ではないのだから。
「ミアキス殿にしては無用心だな、先程の事と言い。」
「いえいえぇ」
 そう笑った彼は、彼女の今の心情と、望むものを感じ取ったのだろう。
 己に向けられた刃の鋭さを忘れたかのようなその懐の大きさに、ミアキスの胸が後悔と自責、申し訳なく思う気持ちに締め付けられる。
「虫がいいですよねぇ。自分でも思っちゃいました」
「構わんさ。何時までも立ち話させているのも忍びないしな」
 行くぞ、と小さく振られた腕と翻る外套を追い、元気な返事の後、ミアキスは大きい後姿を追った。

 男の部屋に部屋に女より先に男が入る、とは礼法に乗っ取ったそれではない。
 しかしそんなものが、男にも、その部屋にも必要ないことがすぐわかる。
 そして、そうする理由も互いに感じ、わかっているからこそ何も言わずに扉を潜った。
「お邪魔しまぁす」
 語調は何時もどおりでも控えめな無声音で告げると、ミアキスはこれまた静かに扉を後ろ手に閉めた。
 何もやましいことなどないのに、自分が勝手に密裏に動こうとするだけで、悪戯好きの少女の心が残っているのか、と、胸のときめきに問うた。
 見事なまでに、何もない部屋だ。灯りが灯らずとも、「最低限」の言葉で片付く部屋であることがわかる。
「そこでいいのか?」
「いえいえぇ。お席を頂いていいですかぁ?」
「ああ」
 自分から願い出た入室ではあるが、ミアキスの次げた問いは願い出、ではない。
 互いに幾分か距離を取るべき男女の立場を、言わずとも理解しているからこそのやり取りだ。
「涼しいですねぇ」
「そうか?室外とそう変わらんと思うが」
 壁に背を預けて視線を窓の外へ投げたゲオルグが、景色は良いが、と付け加えて返す。
 ふかりと腰が沈むソファにちょこんと腰掛けたミアキスは、少しだけ先程のように膨れてみせた。
「そうですよぉ。もしかしてゲオルグ殿、優遇されちゃってませんかぁ?」
「ははははっ…もしそうだとしたら、先任者の特権という奴か。
 随分幼稚な話になるが、空いている場所には頭から入っていく事になるだろう?」
「そうですよねぇ。か弱い女の子も後手は不利ですよねぇ」
「そう膨れるな。リムの癖が伝染ったか?」
 そこで、会話は途切れる。言葉を発した直後、表情から笑みを消したゲオルグも、冗句と取れるであろう問いかけに、ぴくりと反応をしめして咄嗟に顔を向けたミアキスも、声を止めた。

 ミアキスが凝視したゲオルグの瞳には、先程からちらりちらりと見せていた光が在った。
 ―――それは、彼がファルーシュやリオンに向けているそれと、よく似たものだった。
「……ふふ」
 自嘲の色の濃い含み笑いとともに、ミアキスは俯いた。
 小さい両手を露出した膝の上できゅっと握り、その後、諦念に似た溜め息を零す。
「やっぱり、ゲオルグ殿は凄いですねぇ。勝てる気がしませんよぉ」
 何時ものような調子で告げるも、明確な態度とは違う場所に存在する余裕は明らかに失われていた。
 彼がアルシュタートを手にかけた際、直ぐに身を翻したのは、彼に勝てる気がしなかったから。
 でもその時とは、一字一句違わずとも、全く違った意味の言葉を零す。
「……お前のように本音を隠すことが出来る奴を見抜けるほど、あいつは場数を踏んでいないからな」
 その言葉自体には返さず、ゲオルグは目を伏せて続けた。
「無理をするなとは言わんが、自分を労わることをしないのは足場を削ることと同じだ。もしもお前まで倒れでもしたら、あいつに余計負担をかけることになるぞ」
「…いつから、お気づきだったんですかぁ?」
「区切りをつけられる程に鋭い観察眼は持ち合わせてはいないさ。だが、年長者が年下の不調に気づいてやれなくてどうする、というところだ」
「…どうして」
「環境が変わったというだけで、食事量が減ったり、毎朝目を腫らす事はないだろう?
 それに、平気、という言葉の説得力を的確に見取ることが出来る女がこの軍に居るだろう。
 この上無く厄介だが頼もしい奴がな」
「あ…」
「恐い女だろう?だが、あいつに気にされる程、お前は傷ついているんだ」
 褐色肌の女性を、瞬きの際瞼の裏に思い描き、笑みが消えた。
 最大限の結果を引き出していく、経験の上に為る実力を持ちえた…大人には、同じ子供を誤魔化すことの出来る嘘は見破られてしまうようだ。

「…そう、ですねぇ…」
 緩い足取りで、ソファから腰を上げたミアキスは、俯いたまま、少し危なげな足取りで、ゲオルグに近づく。
 今度は、己の間合いでもある。頭ひとつ分は己よりゆうに高い身長を見上げた。
「ゲオルグ殿は…お辛くはないんですかぁ?」
「俺か?」
 全く拒む様子もなしに間合いへの侵入を許したゲオルグも、視線を合わせて顔を下げる。
 そうだな、と顎に手を当てて、すぐに顔は逸れてしまうが、
 嘗て無い程近づいたこの距離が、不思議と心地よく感じていた。
「まあ確かに、泥をひっかむっているように見えるのかもしれんな?」
 唇が弧を描き、ミアキスの瞬きに告げた。
「しかし、性に合った生き方をしていると、自他では思うものがまるで違うことも常のことだ。
 約束を果たすということは、まあ、そういう時もある。運が悪ければ、悪戯に命を落とすこともあるかもしれん。
 だがな、そんな場所に踏み入るに値する信義の下、俺は約束を交わすと決めている。
 女王もフェリドも、十分過ぎるほどの人物だった。交わした約束があれば、果たすために生きてゆくだけさ」

 ―――理解を、というほうが、難しいと、ミアキスは思った。
 微笑の中告げられるのは、想像もつかない生き方だった。己が刃を向けて、重すぎる汚名をその身に刻まれど、彼は未だこうして笑う。
 どうして、こうまで強くあれるのだろう。
 どうして自分が今欲しいと思ったものが、適わぬ理想に近い、彼のような強さなのだろうか―――。

 次の瞬間に感じたのは、ずっと昔、という漠然とした記憶の中にある感触だった。
 頭に置かれた大きな手に一瞬の驚きと、温もりへの安堵に、反射的に見上げた目を細めた。
「そういうものだ。だが、お前はそうではないだろう」
「…私は、ですか?」
「お前には帰る場所がある。片時も忘れていないだろう?」
「帰る場所…?」
 故郷に、というわけではないのだろう。安らぐ場所であり、無二の場所である。
 しかし彼の意図したことは、そうではあるまい。
 全てを投げ出して帰っても、彼は自分が割り切れない人間であると理解しているだろうから。
 俯いて瞳を閉じ、さらりとゲオルグの指に紫の髪を絡ませながら、思い浮かべた。

「……ひめ、さま」

 この人の隣に居たいと。そうであることが己でありたいと、強く思った幼き高潔な心。
 喉がひくついて、震えた言葉で、精一杯呼ぶ。遥か遠く、兵と河という壁に阻まれたソルファレナにて、独り残された姿を。強く強く、救いたいと思う…、リムスレーアの姿を。
 搾り出すような音を聞いて、ゲオルグは満足げに、ほんの僅かに笑みを深める。
「そう言えるなら上出来だ。そう気負わなくても良い」
「でも、でも…私は」
「資格だ、役割がなければなどと言うのなら、それは勘違いだ。
 寄りどころや帰る場所は、お前を拒んだりはせん。夢を見て恐いと思ったなら、明日でも明後日でも、醒めた後に空を眺めるでも、一日釣竿を片手に過ごしてみるのもいいさ」
 くしゃりと、その手がミアキスの頭を撫ぜた。

「焦りと不安があるのは当然だ、だがその中で、先ずまっさらな目で己と周りを見渡すことだな。
 おぼろげでもいい、そこに本当の自分が垣間見えたら、自信を持て。
 そして、お前はお前でありながら、笑えばいい」
 ―――ミアキスは、ふ、と倒れるような錯覚を覚えた。自分で勝手に自分を追い詰め諦めの色濃くうなだれ、べったりと背を預けていた壁だ、と思い込んでいた道がふと開いたように。
 物理的な支えを失えど、ああ、どうして、不安、という名のものが消えうせているのだろう。
 震えた喉も、白い頬を流れる涙をもまとめて。それごと飛び込むように、堰が決壊するように、雄大な存在が受け止めてもびくともしないであろう、小さな己を、ゲオルグの胸に埋めた。
「姫様を、お救い、できなければ、と……なにもできなかった私がいるだけで、王子も、苦しめて…ってぇ、
 太陽宮を出て、ドラートに向かった時から、ずっと、ずっとですよぉ?私、なにも…してません…っ」
「馬鹿を言え」
 泣きじゃくる幼な子を。人一倍強い激情を、責務に近い、砕けかけた薄い殻で包み込んでいた少女を、ゲオルグは優しく抱きしめた。あやすように後頭部を撫ぜ、確りと聞こえるように告げる。
「お前がリムを想うこと、それをファルーシュが知り、受け止めた。
 確かに、今はお前はリムの傍には居ない。だが、一時の孤独、耐え切れぬような軟弱な姫君ではあるまい。
 きっと志をお前に託している筈だ。ファルーシュと、俺たちと、手をとったお前が、きっと自分を、ファレナを救うと。
 ファレナの未来を担う、誰よりも愛している妹が信頼を託したお前を、ファルーシュが重荷になどと思う筈もない」
 強く、強く服を掴みながら、嗚咽を零しながら、溢れるように涙を流しながら、ミアキスはゲオルグの言葉を受け止める。
 おだてる、などと、こんな状況ではしない男だ、とわかっているのに、だからこそ。
 こうまで己を理解した男の信用に足るのか。
 この男に託された、己が何より大事に想うリムスレーアの未来に、連なってもいいのだろうかと。
「それにリムは、誰よりもお前を信じているはずだ。
 お前を女王騎士にと受け入れたフェリドと女王の信用も。共にリムを救おうと示したファルーシュの決意も。
 ずっと傍に置いていたリムの慧眼も、何れも全くの狂いは無い筈だぞ?」

「……う…う…っ」
 全てを受け入れようとする声。這い上がる余地のある子供に、高くから手を差し伸べる親のような感触。
 頼りなく宙をもがいていたような不安が払拭されたのは、自分が、この男の手を掴むことが出来たからだろうか。この涙が止めば、高くの景色を見渡すことが出来るのか。
 離すまいと言うような、背にまわされた腕も、抱きとめてくれる胸も何もかもが、ほつれ、ほどけかけたミアキスの心を癒していった。
「だから…奪り還すぞ。
 …前を向け、ミアキス」
 対等な位置での、音。取り払った場所で受け止めた、何もつかぬ親から授かった自らの名に、強く心が揺さぶられる。
 見渡せば、笑えばと思わせてくれる強さと、信じることのできる力強さに、職業病の警戒心と、早合点で生まれた憎悪にも覆われぬ素の心で、はじめて触れた。
 底が見えぬ、ゲオルグ・プライムという存在の片鱗にしがみつき、雨が止むのを待つように、否、晴天を迎える準備をして。
 今はただ、と。
「ぁ、あ………ああああああああぁぁっ……!」
 溜めてきた重いもの、まとわりついていた暗い影、後悔の念、自責の念、自分がなりたい、と思った存在への道を阻むものすべてを、涙と声に変え、こめられるだけの力を手に、揺らがぬ胸に溺れながら、
 ひたすらに解き放った。
 ドラートでのそれに、まだ足りないと言うように。
 封殺してきたものすべて、空へと流していくように。

 ―――――…。
「落ち着いたか?」
 静かな嗚咽を零していたミアキスは、ひくりと喉を鳴らして、ひとつ鼻をすすると、押し付けていた胸から顔を離し、腫れた目をゲオルグに見せてから、微笑んだ。
「…ふふ、はぁい」
「そうか」
 花の綻ぶようなそれを見れば、幾分かゲオルグも安堵したような様子を見せた。
 ルクレティアにおおっぴらにせっつかれる彼も見て笑ってみたかった気もするが、ミアキスは心に留めた。
「では、もう寝る時間だな。ここよりは涼しくないかもしれんが、部屋に戻れ」
 後頭部に添えていた手を再びミアキスの頭上に運び、ぽんと撫でた。
「ふふ」
 愉しげに、か。目を閉じて微笑みを浮かべたまま、ミアキスは続ける。
「申し訳ないんですけどぉ…お断りしますぅ」
「何?」
「だめですかぁ?」
 怪訝そうな声で問うたゲオルグの問いをよそに、ぽん、とゲオルグの胸に再び額をくっつけながら、ミアキスはさらに問いを重ねる。
 離れたくない、と焦れる子供のような仕草をとりながら、
「…目を閉じるのはまだ、ちょっと恐いです、からぁ」
 小さな手も再び服を握って、小動物を思わせるくりくりとした目が片方の眼を見上げた。

「添い寝して…いただけませんかぁ?」

 底は知れぬとも、言動や行動が読めぬのは、彼女の個性といっていい。
 はじめて、百戦錬磨の粛然とした輝きを持つ瞳が困惑に曇ったのを見るが、ミアキスはただ、笑みを深める。

「…ミアキス」
「自分が見えなくなってるわけじゃないですよぉ?」
 言葉を探しあぐねたゲオルグに、背伸びをして、体を押し付け、今度はミアキスが彼を抱きしめる。
「…だって、恥ずかしいじゃないですかぁ。王子やルセリナちゃんに、
 添い寝して、何て言えませんっ。私は一応お姉さんなんですぅ」
「俺ならいいのか?」
「レツオウさん特製のチーズケーキ、奢りますよぉ?」
「―――――……………人を物で釣ろうとするのは感心せんな」
「あは、決まりですねぇ」
「おい」
 見事に死角をついた策と言えるか。耳元で蕩けるように告げられる甘美な誘惑―――
 ―――チーズケーキだが。それに一瞬心を揺らがせたゲオルグは、あっさりと彼女のペースに乗せられた。
 でも、と。眼帯に覆われた左目からは見えぬ位置で、ミアキスは表情から笑みを薄める。
 困惑の中にも、折れた証か笑みを浮かべたゲオルグは、肩をひとつ竦めて、落とした。
「…まだ恐いのか」
「言わせようとするのは、ちょっと意地悪ですよぉ」
「そうだな、すまん」
 再び背を壁に落ち着け、ゲオルグは目を伏せて、拗ねるミアキスに頷いて返した。
 細い背中に腕を回し、ほんの僅かに力を込めた。
「ゲオルグ殿…」
 その力を受けてか、猫のように頬を摺り寄せたミアキスが続ける。
「…本当ですよ。嘘じゃないんですよぉ?」
「わかっているさ」
「今は、本当に信じてますから」
「ああ」
「だから…お願いしたんです」

 結局つもりは、つもりだった。子供の弱い心に、どうしようもない寂しさが空けた大きい幾多の隙間に、じわりと染み込んで来る果て無い優しさに、どうしても溺れたくなってしまう。
 それとは別に、鼓動が躍り、声に熱が篭る。その感覚と感情の名を彼女は知っていたが、口に出さなかった。
「物騒だ…とよく言われるが、そのあたりはよくわかっているんだろう?」
「はぁい、勿論ですぅ」
 ミアキスは腕の中で身を捩り、かかとを地面に近づけた。
 久しく向かい合う気がして、かつてないほど近づいた顔に、余計熱を高ぶらせた。
「………物好きだな」
「そんなことありませんよぉ?…あ、でも、私だけなら、それでもいいかもしれませんねぇ」
 腫れた目元を撫でる優しい指遣いにくすぐったそうにしながら、ミアキスは笑った。
「…甘えちゃいますよぉ?ゲオルグ殿、やめるなら今のうちですからねっ」
「俺はとめないが、後悔してもかけられる言葉があるかはわからんぞ」
「ふふふ…はぁい」
 笑顔を写した瞳が笑いに閉じられ、その隙にとミアキスは再び背伸びをした。
 やり方を知らぬ最初の口付けの感触は、酔う暇もなかったが、寸前にゲオルグが顔の位置を変え、その一連が自分と彼の立場を示している気がして、ミアキスはさらに赤くなる。
「ルセリナちゃんも時々、王子に添い寝してもらってるんですよぉ?
 全然変じゃありません、時々悲鳴なんか上げちゃってるんですからぁ」
「……こんな時くらい、不謹慎な冗談は止したらどうだ?」
 彼女にとっての二度目は、どちらともなく行われ、全くぎくしゃくとしたそれのないまま、涼しい風の入る窓から同時に差す月明かりによって、溶け合うように二人の影は動いた。

 ――――。
 重たそうな外套がテーブルの上にそれなりの扱いで置かれ、その上に短刀の入ったベルトが丁重に置かれる。
 ベッドの上に座り込んだミアキスは静かに鉢巻の結び目を解いて、するりと抜き取った。
 続いて髪留めに手をやるが、
「その結い方は、ファレナではじめて見たな」
「ゲオルグ殿もしますぅ?ちょっと、お髪の長さが足りませんけどぉ」
「嫌がらせを悦ぼうとは思わん」
 酷いですぅ、と微笑んで、髪留めを外すと、はらりと独特な形に結い上げられた髪が流れる。
「…印象が変わるな」
 馴染ませるため、軽く首を横に振っている間、驚いたようなゲオルグの瞳には気づかなかったのか、くすぐったさが無くなったのを確認した後、ミアキスは彼を見て瞳を幾度か瞬かせた。
「人前では解きませんからねぇ。お風呂に入ったときも、結ってますし」
「…大事にしているんだな、綺麗な髪だ」
 直球に褒められて、すぐに返せる程には慣れはない。
 誤魔化すように、間を取る間にさりげなく褒められた髪を指で弄った。
 その間にも上着を脱ぎ、テーブルの上のものがまた一枚重ねられた。
 心地よく眠れそうな、互いに同じくらいの軽装になると、ふとミアキスの頭に何かが過ぎる。
「嘘で褒めない人って、強いですよねぇ」
「ずるいか?」
「はぁい、とっても」
 満面の笑みで軽口を締め括ると連動し、ゲオルグが一歩静かに歩むだけで指先を跳ねさせた。
 ベッドの傍らに腰掛けたゲオルグを見て、ミアキスは少しだけ驚いたような仕草を見せる。
 それを不思議がるような仕草をしたミアキスが何を言う前に、ゲオルグは振り向いた。
「ぁ………」
 やましいことを見透かされたような、もじもじとした肩の動きと落ちる視線と、彼女にしてはわかりやすい恥じらい、それに続く戸惑いは、上目遣いに上げられた視線に映った。

「…ゲオルグ殿ぉ」
「どうした?」
 あっさりと切り返されてくる言葉は、さらにミアキスの精神を迷わせた。
 もう入室して暫し立った故か、ひりひりと痛む目の視界には、暗い部屋の中を見渡すには一切の支障はない。
 しかし、同じベッドに体重を沈ませ、すぐ近くで視線がかち合う…という互いに同じ状況で、こっちの心情を全てわかった上のような微笑を浮かべるゲオルグに、ミアキスは少し咎める口調で告げた。
「……私、おでこに烈火の紋章なんかつけてないですよぉ?
 フェロの紋章は、つけてみたいなぁ、とは思いますけどぉ」
「…………」 
 一人だけで顔を熱くしていることを認識されたように思えて、ミアキスは、個性的な言葉回しで平静を演じようとするも、抗議の言葉が切れると、
「ひゃ…ぅっ!?」
 急にがくんと視点が変わり、向きは天井、眼帯に阻まれぬ片目の持ち主が、ベッドの上で自分に覆い被さる、という状況になった。瞬時に回した片腕だけで、ミアキスの身をベッドから奪い、姿勢を崩して寝かせたのだろう。
 するりと、ゲオルグは自らの腕をミアキスとベッドの間から抜いて、少しだけ体を離す。
「っ…、ゲオルグ殿……、
 …意地悪、なんですねぇ」
「焦らそうだの、羞恥を煽ろうだのとは考えていなかったがな。驚かせたか?」
 ぽふん、とベッドに埋まったミアキスは、驚きに丸い瞳を、欠け始めた満月の形にして見咎める。
「本当に、隣で寝るだけ、って思ってるのかと…思っちゃいましたぁ」
「それでもいいがな」
「……そんな意地悪、あんまりリオンちゃんや王子にしないでくださいよぉ?
 こーんなふうに、しかめっ面で育っちゃいますからね?」
 無理矢理に眉を寄せ「しかめっ面」を作って見せたミアキスを見て、ゲオルグは更に笑う。

「何ですか?本当ですよぉ?」
「おしゃべりになってきたな」
「っ………」
 眉を吊り上げてミアキスの焦りを指摘したゲオルグは、更に赤くなったミアキスの反応も愉しむ。
 水色の、普段は鎧の下に来ている服のあわせを首元からゆっくりと開かれ、緊張にベッドの上に投げ出されていた手がきゅ、とシーツを握った。
「…私にも、意地悪しないでくださいね?泣いちゃいますよぉ?……っ」
 露になった白い首筋に這う優しい指に、言葉の末尾は震えた吐息に変わった。
「されないようにすれば、しないぞ?」
「そういうのを言ってるんですよぉ」
 手玉に取っても、大局は向こうにあり。不満げにミアキスはむくれた。
 段々声が弱弱しくなっているのは、白い服のラインに沿い、ゆっくりと、腰の終着点へ閉じられた合わせが開かれ、白い肌が少しずつ晒されていっているからだ。
「今のうちに喋っておいてもいいと思うが」
 スル、と指が抜け、完全に合わせが開かれた。
「お、おどかさないでください、添い寝の意味なくなっちゃうじゃないですかぁ!」
「忠告だぞ」
 思わず合わせを引っ張って止めようとするも、緩慢に動いたゲオルグの腕がそれを防いだ。
「………あ、」
 防いだ腕の肘がまがり、体の距離が近づく。余裕を保ち続けるゲオルグとは対照的に、ミアキスの余裕は先程から、紙を焦がすような勢いで失われていった。
「ゲオルグ殿……っ」
「やめるなら、さっきのうちだろう?」
 合わせに滑り込んだ指の感触に、びくっと反応を示しながらミアキスは身を捩る。
 それしきでは止まる筈もなく、ゲオルグの手は指先で腹部を擽りながら、ゆっくりと横に動いていき、前をはだけさせ、滑らかな肌に細い腰、そして下着に覆われた、見た目の幼さと不似合いな、ちゃんと発育した膨らみを晒した。

 はさりと自分の体の両脇に落ちる上着の合わせを見て、ミアキスは猫のように唸る。
 舐めるように、というような不純な動機が殆どない視線だからこそ、ゲオルグの視線がとてもくすぐったくて、とても恥ずかしかった。
「此方も外すぞ」
 流れるような、手馴れた手つきで下着の止め具も外された。
「ぁ………こ、こういう事とか…王子たちに指南しちゃ、ダメですよぉ?」
「飛躍しすぎてよくわからんことになっているぞ」
 ミアキスの震え混じり、苦し紛れの冗談に、ゲオルグは喉を鳴らして笑った。
 ダメと制止する前、思考がまとまる前に、その下着が横にどけられ、膨らみが露になる。
 身の震えとともにふるんと震えた瑞々しい膨らみは、先端のツンと上がった薄桃色の突起ごと、青白い月明かりのせいで、暗い部屋に浮かび上がるように鮮明に、ゲオルグの前に晒されている。
「うぅ………」
 段取り毎に増していく羞恥にとうとう耐え切れなくなったか、ミアキスはきゅっと目を閉じて顔を背けた。
 しかし、触れられるどころか、呼吸の乱れすら聞こえない。不思議に思い、ミアキスは薄く目を開くと…
 ぐいっ
「!?」
「こうすれば、俺からは見えないぞ?」
 寝かされた時のように腕を背に回され、間近の黄金の瞳が細められている様を、何が起こったか、と言うように、くりっとした紫の瞳を慌てふためいて揺らしながら見つめた。
「……確かに、見えません、ねぇ…?」
 今の体勢…密着せん勢いで抱きしめられていれば、ミアキスの顔しかゲオルグからは見えない。
 脱いでいる事、恥ずかしいと思った部分が何らかの干渉を受けるのは事実だと言うのに。
「今暫く見ていたかったがな、意外と大きいようだ」
「形もいい、なんて言ったらエロ親父、とか言われちゃいますよぉ?」
 確かに提示されたこの状況は策としてはいいのだろうが、そう挑発し合いながらも、今、本当に自分は彼に指南されているのではないだろうかなどと、ミアキスは釈然としないまま腰の位置を動かして、自分の両腕を彼の背中に回し、自分を抱く腕を自由にさせた。

「……ん」
 唐突ではあったが、優しく、押し上げるように膨らみにゲオルグの手が触れた。
 壊れ物を扱うかのような手つきで、まずは形を確かめるようにやわやわと動けば、容易く指が食い込む様は、マシュマロを弄うようだった。
「ふ……はぁっ」
 手が休まり解放されれば、篭った、灯りはじめの快楽の熱を逃がすように、ミアキスは甘ったるい溜め息を、ゲオルグの肩に零した。
「…ん、ぁ…ゲオルグ殿ぉ、なにか喋ってくださ…」
「必要ないだろう?」
「んんっ…」
 自分の声だけが響くという状況に更に羞恥を煽られたか、段々と快感の色を濃くしはじめた甘い声でミアキスは懇願するも、あっさりと、言葉と僅かに強い刺激に却下される。
「っあ、あ……ぁっ」
 望むがままの刺激を与えられ、ミアキスは抱きつく腕の力を強めた。
 奉仕とも言えるようなゲオルグの手つきは優しく、且つ的確に刺激を与えてくる。
「ふぁ……っ…ぁ、んぅ…」
 カリ、と爪が先端を引っかいたのか、一際大きくミアキスの体が跳ねた。
 眉をハの字に寄せ、目を閉じ、白い喉を見せながら、紫の髪を宙に躍らせる。
「や…ぁ、だめ…だめですよぉ…っ」
 指が狙う場所が先端に集中しはじめると、硬くしてしまっていることを自覚させられる気がして、快楽に苛まれ、蕩け始めた精神を落ち着かせようとするように、ゲオルグの肩に顔を埋め、擦り寄った。忠実…自身ではなく、ミアキスに快楽を。
 そんな意の指遣いは、その「ダメ」の意すら読み取って、指が止まることはなかったが。
「そうだな、そう、今のうちに口を滑らせておくといい」
「何、する…ぁ、んっ…気、ですかぁ…?」
「後々、舌を噛むぞ?」
「ひ、ぅっ…!」

 ほんの少し強めに突起を摘まれ、微弱な電撃を送られたかのように震えた。
 一段落。確りと火のついた体は短い折にも冷めを求め、呼吸を落ち着けようと肩の上下を繰り返した。
「…ふ、…はぁ…」
 潤む視界を幾度かの瞬きで覚まし、視線を落とすと、ゆっくりと膨らみから離れ行く手が見えた。
 快楽を生んでいた場所、突起が快楽に正直に反応し大きくなっているのを見ると、本当に烈火の紋章が発動したのでは、というくらいにミアキスは顔を熱くして、視線を上げた。
「……!ぅ、あのぉ」
「恥ずかしいんだろう?見て欲しい、と願ってはいるまい」
 じ、っと自分の乱れる様を、感覚の長い瞬きを除いて見つめていたのかと。
 間近の瞳と微笑みに、ミアキスの鼓動はずんどこと早いテンポを刻み始める。
 せめて反論はさせてほしい、精神肉体共に逃げ場はなくとも、ずり、と腰を引いて……ぬる。
「……あ…」
「…? どうした、ミアキス」
 ミアキスが違和感を感じたのは、未だプリーツスカートに隠されている下腹部だった。
 自分のことであるからこそ瞬時に理解してしまって、唯一逃げることが出来た視線が向いた先、己の下腹部を見ると…きゅ、と目を閉じて、潤みの残滓を目じりに滲ませながら、片手を解いて、ゲオルグの胸を優しく押した。跳ね除ける気も嫌悪もない、一時の制止を求め。
「……ぬ、濡れちゃいます、からぁ」
 恥じらいの極みの中、絞り出して声を告げる。
 皺くちゃの、行為の残滓を色濃く残した姿で…部屋を出る、などと。そこまで甘えきれるほど…
 …生来図々しい性格だが、今回ばかりは少しだけ自制した。
「ああ、成る程な」
「…ゲオルグ殿ぉ!」
 顎に手を当てて、あっさりと納得してしまったゲオルグに、むすっとした顔を向ける。
 すぐに視線を落とすと、ミアキスは小さく、だから、と告げ
「……じ、自分で……脱ぎます、から、ね?」
「わかった。目は閉じていよう」
 …もう少し間を取ってほしい。だがそれを含め、全てが巧妙な策に思えて、ミアキスは半ば諦める。
 どくどくと内側から響く鼓動音だけを聞きながら抱きしめていた腕を解き、ぽふんとベッドに身を沈めた。

 視線を上げれば、確かに目は閉じているが…スカートの左サイドのホックに手をかけたところで、少しだけ自分の選択を後悔した。
 まるで…自分が淫らにゲオルグを誘っているようだ、と。
 腰を引いた際、足と足を摺り寄せた時に、確かに粘液の感触を感じてしまったし…そう、動くことがあれば、丈の短いスカートなんて無残なことになる。
 だが。
「……うぅ」
 言うがままに目を閉じているゲオルグを見上げ、ミアキスは更に難色を示すも…。
 関連のない上着を脱いで、ベッドの下に落とすだけでは、状況は打開するわけもなく。
 意を決して、まだ定まらぬ呼吸の中、すぅはあと深呼吸をして、スカートの下の下着から手をかけた。
「…これって…その…」
「変な気は起こさんぞ?良いと言うまでは目を開けぬことも誓おう」
「そ、そうじゃなくってですねぇ」
「気が変わったならそれでもいいが」
「い、いいえぇ!大丈夫ですよぉ、大丈夫ですからぁ…」
 独り言の逃げ道だけはないらしい。羞恥をこらえて、ゆっくりと下着を下ろしていく。
 色気のない、衣装とセットになっていたそれが太腿を通過するさいはっきりとした湿りが、糸を引くのを感じた。染みがあることを危惧する前に、どうしようもない羞恥が相も変わらず波のように襲いかかってくる。
「……はぁ、…」
 誘っているわけではない、と必死に何かに言い訳をしながら、片足を曲げて、足から抜いた。
 22ともなれば、自慰の経験もそこそこ。先程までの快感だけでも溢れてしまった愛液にまで涼しい風があたる。
 同じくベッドの横に落とし、最後…ここまで来ればもうやけか、ホックを外してベッドの横に落とすまでに、さして躊躇いは生まれなかった。
「………ゲオルグ殿ぉ」
「ああ」
 おやすみなさい、と言ってみたくもなったが、ここまでしておいてそれもあるまい。
 一糸纏わぬ姿のまま、先程のように抱きついて、耳元に唇を寄せ、
「…終わりましたよぉ」
「…そうか」

 見られてはいない、という状況は先程とは変わらないが、段取りはひとつずつ進む。
「…触れるぞ?」
「ぅ…は、はぁい」
 抱きついている腕だけでも緊張の震えは伝わるのか、ゲオルグは彼女に見えぬ位置で笑う。
 声で気づいたミアキスが膨れる前に、その指が白い太腿を双方に見えぬ位置で這い、ミアキスに再び快感を送る。
 指がふに、と沈む、普段から晒された太腿に、5本の指全てが触れ、緩急をつけてそれぞれが沈み、離れる。
 胸への刺激とは違い、むず痒く、肩をもじもじしたくなるもどかしい刺激が送られてきた。
「…………ぅ…あ、あの…ゲオルグ殿ぉ?」
「よく聞いてくるな、どうした?」
「な、なんでしょう…触り方、凄くエッチなんですけどぉ…」
「そういうものだろう、気にするな」
「む、無茶を……っひゃ!」
 滑らかでむちむちとした太腿の上を滑って、指が一気に足の付け根へ移動した。
 驚き半分に肩を竦ませたミアキスをよそに、ゲオルグは続ける。
「まあ、興味がなかったわけでもないからな、ついでに確かめさせてもらった」
「…ゲオルグ殿までぇ、女の子の楽しみのお洒落をそういう目で見るのは、ちょっと失礼ですよぉ?」
「俺にも煩悩くらいはある。まあ、褒めてもいるんだ、そう拗ねるな」
「丸め込もうとしても、そうは問屋が卸しませんよぉ」
 足を摺り寄せるように閉じるも、さして力は込めていない。
 しかし招き入れられる程、心は慣れも強さもなく、足の間に指が滑り込むと、脅かされたようにびくつく。
 一本の指が、髪と同色の紫の薄い恥毛に触れ…
「ふぁ…ぁっ!」
 濡れそぼった秘裂を別の指がなぞるだけで、高い声を漏らしてしまう。
 他者の指に伝わる感触は自分にわかるわけもなく、次にどう動くのかもわからない。
 そんな言い様のない不安すら、往復する、粘液に濡れ行く指の感触から発せられる
 快感に混じり、強くミアキスを責め立てた。

「…やぁ、あっ……んんぅ」
 仄かな水音が、遠くから響くように耳に届く。
 舐めるような動きをする指が与えてくる快楽に、音を助長する液体は更に滲み、ただひたすらミアキスの快楽を求めるゲオルグの指は、濡れ行くにつれ動きを激しくしていく。
「はっ…ふぁ、あ! ぁ、あっ…」
 規則的なペースで送られてくる刺激に、幾度も幾度も甲高い声が喉をかすっていく。
 元より敏感な身か、弱い部分を探り当てられれば的確に其処を責められ、断続的な愛撫でほぐれた秘部に、ゆっくりと、太い指の先端が、膣壁を割って入り込む。
「ひぁっ、ああぁ…っ!」
 優しい動きでも、その異物感は容赦なく快楽を産む。しかし、ゲオルグはその行為の中、僅かな違和感を感じ…ゆっくりと目を細めた。
「………、ミアキス」
「ふぁ……、」
 熱に酔い、ぼうっと虚ろになりはじめた瞳を、緩慢に名を呼んだゲオルグに向けた。
 僅かに動いた指に、びく、と相変らず敏感な反応を示しながら、唇を笑みの形へ緩ませた。
「だいじょうぶですよ」
 片手でゲオルグの、眼帯に覆われていない方の頬に愛しげに触れながら、ミアキスは告げた。
 甘えるような声で、目を緩く閉じながら、しっかりとゲオルグに向けて、ミアキスは告げていく。
「哀れみとか、同情でも、しかたなくでも、私みたいなの子供にこうしてくれるほど…
 …ゲオルグ殿は、甘くないでしょお?…それくらい、優しい人だと思っちゃってますぅ」
 だから、と微笑んで、ミアキスは続けた。

「優しさに甘えるだけで、身持ちが硬い、って自負してきた身体を捧げたい、なんて思いませんよぉ。
 強く、しっかり…ゲオルグ殿を、信じさせて欲しいんです。
 そしたら自分に自信も持てて、自分を信じれる気もするんですぅ。
 恐い、っていう気持ちを忘れられるくらい、あなたが私を信じてくれているって…」
 瞳を開いて、ね?と問いかけるように、ミアキスは小首を傾いだ。
 暫し今までの調子で聞いていたゲオルグは、少し間を置いて、力を抜いたように笑う。
「前は、わかりにくい奴だと思っていたが…」
 目を伏せて、言葉に間を作ったゲオルグを見て、ミアキスは目を瞬かせた。
「意外とわかりやすい奴だったんだな」
「…褒めてくれてるんですかぁ?」
「信じられるということがわかっただけさ」
「ふふ…ありがとうございますぅ」
 偽りの一切ない言葉を交換して、ミアキスは背伸びをするように、またゲオルグに口付けた。

 ――――。

「ふっ…ぅ」
 粘液に塗れ、ひくつく秘部は、宛がわれた熱の塊にも敏感に反応し、欲するように快楽という声を響かせる。
 依然として、確りとゲオルグに抱きついたまま、ミアキスは目を閉じて、待った。
「力を抜け、痛むだけだぞ」
「…ぅ、優しくしてくれますよねぇ?」
「何度も聞くな、出来る限りはする」
 何度目かわからない問いを投げかけ終わると、深呼吸の後、言われるままにミアキスは力を抜いた。
 にち、と厭らしい音を立てて、指とは比べ物にならない異物感が割り入ってくるのを感じた。

「…っう…ぅん…」
 ただでさえ難しい脱力という指示が、割り入ってくる大きさに更に困難に思えてくる。
 侵入を拒まぬように深く息を吸おうと試みるが、快楽と苦しさに阻まれて呼吸すらままならない。
 その様子を見れば、ゲオルグも流石に難色を示すが、苦しみを長引かせることの無意味さも知っている。
 彼女の為などと大手を振るって言えることではないが。
「…堪えてくれ、最初だけだ」
「………ぃうっ…?!」
 狭い、ぬるぬると濡れた膣壁をかきわけて、ゲオルグは強く腰を進めた。
 未開を示す狭まったところを押し入られる感触に、ミアキスは目を見開いて、身体を反らす。
 みちっ…、と嫌な音が、身体の中で響いた気がした。そして。
「い、た……ぁ、あ…!」
「………っ」
 肉を裂き、熱い強張りが自身の奥深くへ入り込んでくる。身体の中身が押し上げられるような、
 言い様のない呼吸のつまりと、腹部を満たされる苦しさ、裂かれた痛みに、掠れた喘ぎを上げた。
 指先にも腹にも力が行ってしまい、ゲオルグの背に爪が思い切り立てられ、強張りの侵入をミアキスの意思に関わらず、軋む体が拒もうと強く強く締め付けた。
「ミアキス…っ、」
「ご、めんなさっ……だ、大丈夫…ですぅ」
 耳元で吐かれる苦しげな吐息と、上ずった涙声を聞いて、シーツについたゲオルグの手にも力が篭った。か弱すぎる程に感じる体を掻き抱く。
「…ぅ、ぅあ…あっ」
 ゆっくりと、痛みの在る部位を擦りながら、脈動を誇示する異物をミアキスの身体は受け入れていく。
 ずる。最後のスパートは意外にもあっさりと済んだ。
 内側からの痛みをそう経験する身ではないとしても、痛み、というものに対する耐性はある為か
「辛いか…?」
「は、ふ…ぅ、お、大人になるのって…こ、こんなに痛いんですねぇ…っ」
 涙を一筋零しながら、未だ慣れぬ異物感、じんじんと響く痛みに喘ぎつつも、笑う余裕を見せたミアキスを見て、ゲオルグはふう、と息をついた。

「…ふふ、…でも、…っもっとしないと、多分…慣れません、からぁ…っ」
 抱きつく腕を強め、このままでは変わらない故と、ミアキスは哀願した。
 眉を顰めたゲオルグは、せめて意識を拡散するためか、不意を打つようにミアキスの唇を奪う。
 かちりと当たった歯にミアキスの動きは一瞬止まるが、彼女のほうから舌を差し出して、絡ませあった。
「ふっ…んむ…」
 人身を貫いた剣を抜くような、生々しい抵抗に阻まれながらの抽迭。
 びりっ、と響くような、甘いという言葉とはかけ離れた痛みが占めた衝撃がミアキスの身体に走る。
 痛みの声は、深く重なり、艶かしい音を立てながら舌を絡ませあうなかで、互いの口の中へと散っていく。
「んく…ぅあ…ん、む…ぅっ…」
 出し入れが繰り返される中、もどかしい快楽の姿も身体を走る衝撃の中に見え隠れするが、痛みが和らぐのはその上を行って遅いのだろう。未体験だった苦しみと痛みに耐えるため、甘い快楽をくれる深いキスを、ミアキスは積極的にゲオルグに求める。
「っぷは…ぁ、っく…うぅ…んっ」
 唇が離れ、吐息を吐き出せば、呼吸もそこそこに必要な吐息だけを吸って、ミアキスはまた求めた。
 血液と愛液の混じった液体が立てる、結合部からのぬちゃぬちゃとした水音がゆっくり、断続的に響くのを聞きながら。
 ぐん、っと自らの膣奥の一部分を強張りのとっかかりが擦れば、ぞくっ、と背筋に痺れが走った。
「げお、るぐどの、……そこ、…っ」
「……わかった」
 痛みを誤魔化す快楽を得られる、見ることも構わぬ部位を、タイミングと言葉だけで伝えた。
 的確に、反応の大きい部分を責めて、制止も中断も告げぬミアキスの苦を少しでも和らげようと、ゲオルグはただ抽迭を続ける。
 与えられる快楽も、与え合うには程遠く、今は何よりミアキスを優先した。
「っひ…ぅ、っく…んぁ、あっ!」
 痛みと快楽の比率が変わり行き、自ら口付けをする余裕すら削れてくる。
 強く吐き、弱く吸い。弱く吐いては、強く吸う。一定しない呼吸の中、はっきりと、快楽を悦ぶ嬌声が響き始め、変化を戸惑う崩れ行く理性に、ミアキスは涙を堪えることも忘れていた。

「んぅっ!…っあ!…はぁっ」
 裂く痺れと甘い痺れに苛まれ、何か、言い知れぬものがこみあげてくるのを感じているのか、トーンがあがる部分が、喘ぎの中に増えていく。
「……大分…慣れてはきている、ようだな」
「は、いっ……気持ち、いいですよぉ…?い、痛いですけどぉ、まだ…」
 赤く上気した、泣きそうな苦笑を気丈に浮かべたことは、声と同じくした肯定の意。
「すまんな、出来る限りはしている…今しばらく辛抱を頼むぞ」
「っ…は、んんっ……いいほうも…我慢しなきゃダメですかぁ…?」
 申し訳なさげなゲオルグの言葉にも、いつもの調子で、抽迭によって響いた快楽と痛みに、目を閉じてぴくぴく、っと震えながらも、笑って首を傾いだ。
 こういう奴だ、と―――そう思えたゲオルグは、さらり、と、先程、思うが侭褒めた髪を撫でた。
「出来るのなら…それでいい」
「ふっ…ぅぁ、あぁっ!」
 穏やかな声と、強い刺激を享受し、ミアキスは更に甲高く鳴いた。
 段々と強く、絶妙な力加減で繰り返されて、未だ残る痛みを差し置いて、幾度も、己の指で味わったそれよりも激しい絶頂の兆しを、一度、一度の度、感じ始めた。
「っあ、あぁっ!げお、る、ぐ……っぅあ、はぁあっ!」
 確りと感じる体温も、存在するからこそ、縋るように抱きつくことが出来る。
 不安も、痛みも感じれど、恐怖といったものを感じることなく、この事態を受け入れることが出来たのは、そのためか。
 追い詰められ行く肉体と精神だが、心という概念を考えるなら、それは確実に、安堵を覚えていた。
「ふぁっ…う、ひぁっ!…あぁぁぁっ!」
「………っ」
 阻むことなく、目の前で光が弾け、全身に激しい快楽が走った絶頂を受け入れた。
 強くしがみついて、激しく強張ったミアキスの胎内に、共に絶頂を迎えたゲオルグも、熱を解き放ち……乱れた吐息を響かせあう中、暫し、言葉が消える。

――――。

「……その…、お疲れ様でしたぁ、ゲオルグ殿」
「ん、ああ…」
 ベッドに座り込んだゲオルグは、しなだれかかるミアキスが落ち着くのを待った。
 経験上、慣れているほうが早く落ち着くためか、結果、ようやく覚醒したミアキスがゲオルグを呼び起こすような形になる。
「…大丈夫か?」
「はぁい、多分大丈夫だと思いますぅ。…ちょっと、おなかのあたりが変な感じしますけどぉ」
 そうか、と頷くゲオルグ。言って、先程までの情交を思い出したか落ち着いていた頬の上気が再発して、ミアキスは俯いてしまった。
 ぽん、とミアキスの後頭部に再び手を当てて、暫し考えるように黙ったゲオルグだったが。
「やれそうか?」
 そうミアキスに問うた。
 ゆっくりと顔を上げたミアキスは、迷うことなく微笑みをつくる。
「はぁい、ばっちりですぅ」
「…そうか」
 ゲオルグもつられたように微笑みを浮かべ、ミアキスは身を乗り出すように、ゲオルグの肩に顎を乗せる。
「頑張っちゃいますよお。見ててくださいね、ゲオルグ殿。王子やリオンちゃんに、心配をかけちゃわないように、
 …姫様のお支えになれるように、ちゃーんと、自分の足で立ちますからねっ」
「勇みすぎて転ばなければ、気持ちを持てただけで上出来だ」
 撫でる手に、擽ったそうにしながらも、嬉しさを隠さず、ミアキスは笑みを深める。
「転びそうになっちゃったり、迷っちゃったときは、空を見上げて…そうですねえ。
 チーズケーキを食べましょお! 甘くて美味しいですし、食べればきっと落ち着けますぅ」
「ははははっ…そうだな、それはいい。俺もそうさせてもらおうか」
 談笑をして、灯りもいらぬほど暗闇になれた視線を絡ませた後に。
「…おやすみなさい、ゲオルグ殿」
「ああ」
 あたたかな胸に体重を預け、ミアキスは瞳を閉じた。

 リムスレーアの為に。彼女を支えていくファルーシュやリオン、そしてゲオルグの信用を裏切らないように。
 …だから、その入り口から踏み出すために、この人の傍らで、この人の傍らに寄りかからせてもらおう。
 きっと彼は、全てを取り戻したとき、太陽宮に姿を残さないだろうから―――…今はただ。
 あなたが愛しい、と。女としての感情を、口には出さないで、幸せの中、まどろむ。

 この夜に見た夢の中、神格化すらされた自分の全て。
 愛しいリムスレーアの微笑みは消えずにいてくれた。
 この腕に、現実の中で抱きしめ、笑い、自信を持って愛することが出来るだろうと。
 決して折れぬ支えになってみせる、という心を持つことが出来たから。

 翌朝、各々の起床時間もまばらな、作戦のない日の朝。
 セラス湖の城のレストランにて、早朝もいいところにゲオルグとの稽古を終えたファルーシュは、彼を伴って朝食を摂ろうと、レツオウの営むレストランを訪れた。
「ゲオルグ、良かったの?昨日の夜も付き合わせちゃったし…寝ててもよかったのに」
「リオンが起こしにこなければ寝坊するだろう?何、ついでのようなものだ。気にするな」
 人気の少ない廊下を抜ければ、レストランへたどり着く。案の定、この時間は人がいない…
 ――――筈なのだが。
「王子ー、ゲオルグ殿ー、おはようございまぁす」
 元気に手を振ってみせていた女王騎士の姿に、ファルーシュは目を丸くしたが、すぐに微笑んで、手を振りながら、歩みを進めた。ゲオルグの表情を見なかったのは、失策だったかもしれない。
「おはよう、ミアキス。早起きだね」
「はぁい、ぐっすり眠れましたから。朝ご飯、一緒に食べませんかぁ?」
「いいよね、ゲオルグ?」
「ああ」
「それじゃ、頂くよ。シュンミン、注文いいかな」
「はいなの。朝は焼き魚だ、ってハヅキさんに言われたから、美味しい魚を仕入れておいたの!」
 ゲオルグとともに、ミアキスと同じテーブルについて、ファルーシュはシュンミンの言葉に微笑む。
 そうだなあ、と考え込むファルーシュを見て、ゲオルグとミアキスは顔を見合わせて苦笑した。
 稽古は口実でなく、せねばならないことだが、時間差で同じ部屋を抜け出す言い訳になったことを、ゲオルグは申し訳なく感じていた。
 …ミアキスは悪戯心が勝っていたが。
「…王子、絶対に、姫様をお助けしましょお!ね?」
「え?…うん、そうだね」
 急に言われて、驚いたように目を丸くするも、ミアキスの笑顔に、ファルーシュも強い笑顔で返した。
 微笑むゲオルグと、首を傾ぐシュンミン。レツオウは一足先に、何故かオーブンをあたためていた。

「…で、何で二人とも朝からチーズケーキなの」
「美味いぞ?」
「そうですよぉ、王子もデザートにどうですかぁ?」
「…いいけど、あなた達明らかに主食で食べてるじゃないか!」

おわり。

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