パイズリするカスミ第3部 著者:通りすがりのスケベさん様
「よぉ、ここにいたのか。」
無骨な男がゴツゴツとブーツを鳴らして近寄ってくる。
道場で修行に汗を流していたカスミは、その男がやってくるのに気づき一息ついた。
「ビクトールさん……どうかしましたか?」
彼とは3年前の統一戦争でも共に戦った間柄だ。
見た目はガサツだが人情味溢れる、頼りになる男である。
そしてこの同盟軍でもまた一緒に武器を持つ事になった。
(こういうのを“縁がある”っていうのかな……?)
カスミは熊のような身体を揺らして近づいて来る
ビクトールを見ながらそんな事を考えていた。
「相変わらず真面目だな。さすが副頭領ってとこか?」
「いえ、私なんて大したお役に立てませんから。日々精進あるのみです。」
「まーたご謙遜を………違う違う、こんな話をしに来たんじゃねぇや。」
「?」
「リオウの奴、また新しい仲間連れて来やがった。それがお前さんも知ってるヤツで……
ま、見りゃわかる。一緒に来てみな。」
リオウという方は、この同盟軍のリーダーに当たる人だ。
まだ年端もいかない少年だがその志は崇高で、誰もが彼を敬服している。
そのカリスマ性で仲間はどんどん増えていき、今や同盟軍の本拠地であるこの城では
溢れんばかりの人が生活していた。
「はい……。」
ビクトールのどこか含みのある物言いにカスミは怪訝な顔をしつつ、彼の後に続いた。
「ありゃ?どこ行ったんだ?」
城の入り口付近まで歩いてくると、ビクトールがそんな声を上げた。
辺りをキョロキョロと見まわす。
「ついさっきまでここで皆に囲まれてたってぇのに……お、フリック!!」
今まさに酒場に入らんとしていた男にビクトールは大声で呼びかけると、
その男はくるりと振り向いた。
精悍な顔つきは美形と言えるだろう。
青いバンダナ、青いマント。ビクトールとはまた違った力強さを感じさせる。
「なんだよお前。どこ行ってたんだ?」
フリックと呼ばれた男はやや眉をしかめながらビクトールを睨みつけた。
しかし睨まれた本人はさして気にする様子もなく不機嫌そうな彼に近づいて行く。
カスミも静々とその後を追い、目が合ったフリックにペコリと頭を下げた。
「いやぁ、アイツの事カスミにも教えてやろうと思ってなー。」
そう言って、ビクトールはイヒヒとイヤらしく笑う。
そんな彼を見てフリックも口許に笑みを浮かべながら、
「へぇ、お前にしちゃ気がきくじゃないか。あいつならリオウと一緒に2階の広間へ行ったぜ。
シュウにもお目通ししておかないとまずいだろ?」
と教えてくれた。その顔はビクトールまでとは言わないが、にやけ顔だ。
カスミは2人の表情にわずかだが不快感を持ち、隠し事をする彼らに次第にイライラしてきた。
「おぉ、サンキュ。行こうぜ。」
「あの…ビクトールさん、場所は判りましたから、付き添いは結構ですよ?
私1人でご挨拶できますから……」
そう言うものの、ビクトールはカスミの背を押し先へと歩かせる。
「いいからいいから!俺も一緒に行くって!!」
「ちょちょっと、押さないで下さいっ!危ないですっ!!」
2階の広間の大きな扉は閉じられていた。
特に使用されていない時などは開け広げられているが、その扉が開かれていないという事は
中で誰かが使っているという事。
そんな中に入る事は少し躊躇してしまう。
だが、そんな考えはカスミだけだったようだ。
「よし、入ろうぜ。」
ズンズンと扉へ向かうビクトールに、カスミは慌てて声をかけた。
「ダ、ダメですよ!大事な会議中だったらどうするんですか!?」
「そんな大事なモンなら俺達も呼ばれるだろうが……。」
「と、とにかく!私は特に急いでないですから、ここで待ちます!」
「……どうしてビクトールさんもここで待っているんですか?」
「ん?」
広間の前で壁に寄りかかったまま特に会話もない状態だった2人の間に、
カスミが質問を投げかけた。
『待つ』行為なんて、好んでする方ではないのに…。
お尻の辺りで手を組んで、カスミは横に並ぶ彼をちらりと見やる。
「んあー、俺もさっきは顔合わせただけだからな。
ちゃんと挨拶しとこうと思って……それにまぁ、お前さんの驚く顔が見たいってのもあるし。
はははー、ビックリし過ぎて小便ちびるかもよ?」
「そ、そんな事しません!!」
デリカシーの欠片もないビクトールに声を荒げて叱咤する。
そのいたずらっ子のような無邪気な笑みにはさして悪気も見当たらないため、
からかわれているのは判っているのだが…。
(私が驚くような人……まさか、ね。)
カスミの頭に、1人の少年の顔が浮かぶ。
3年前の統一戦争後多くの支持を得て新しい国の初代大統領に推薦されたが、
彼はその後、どこへともなく姿を消してしまった。
誰もがその行方を心配したが、全く消息がわからないまま現在に至っているのである。
その優しい笑顔は3年経った今でも決して色褪せる事なく彼女の記憶に残っており、
彼の行方を一番気にしているのはカスミだという事は
当時共に戦った仲間達は誰もが知っていた。
「ビクトールさん……その、新しい仲間の方って…」
「何してるんですか、こんなところで?」
カスミの言葉を遮るように、すぐ傍の階段からひょっこり少年が現れた。
2人の視線が彼に注目する。
「あぁ?リオウじゃないか……どこ行ってたんだよ。」
「リオウ様……あの、新しく仲間に加わられた方って…」
カスミが今一度問おうと思ったその時、リオウと呼ばれた少年の背後から
もう1人、階段を上ってきた。
リオウと比べるとやや背丈は高いだろうか。
トントンと階段を上り終えると、3人の顔を見て驚いたように口を開いた。
「あれ、カスミじゃないか?君もこの軍に参加してたのかい?」
「えっ!?」
リオウに注目していたカスミがその声に反応する。
緑色のバンダナ。
身体より若干大きめの拳法着。
人懐っこい笑顔。
カスミの想い出の中にのみ生きていた彼が、今目の前にいる。
「ありゃ!?お前、何で……広間にいるモンだと……」
「ちょっと御手洗い貸してもらおうと思ったんだけど、ここ広いから迷っちゃいそうで
彼に案内してもらってたんですよ。」
「あはは、しょうがないですよ。広いですもんね……このお城。」
「………」
動いている。
喋っている。
少し雰囲気が大人っぽくなったような気がするが、
3年の歳月が彼を変えたのはそれだけだった。
後は何も変わっていない……悲しくなるほどに。
「ん?どうしたカスミ……本当にちびったか?」
そう言って、ビクトールが冷やかしの目を彼女に向ける。
2人の少年もカスミに視線を向けた。
「あ……ティル様……ぁ」
何か言おうとした途端、言葉より先にカスミの涙腺が緩んだ。
「おぁ!な、何でここで泣くんだよ!!」
「ビ、ビクトールさんが失礼な事を言ったからじゃないですか!」
リオウとビクトールは彼女の変貌ぶりに慌てふためいている。
その涙の意味は当の本人でさえ理解できていなかった。
嬉しいのか、悲しいのか……それとも、別の感情が流させたものなのか。
「カスミ、どうして泣くの?」
顔を手で覆うカスミの背をティルはそっとさする。
その労りの気持ちがストレートに伝わってきて、カスミはその場に崩れてしまった。
「おい……どうするよ……。」
「ビクトールさんの責任ですから、何とかして下さいよぉ……」
「困ったなぁ。」
3人が顔を合わせて思案していると、彼らの後ろでギィと音がした。
大きな扉が開いた先には、腕組みをした人物が2人。
「賑やかですな。」
「待たされる身にもなって欲しいですね。」
そこには、軍師の2人が苛立たしげな面持ちで4人を睨んでいた…。
シュウ達が彼と交わした話の内容はほとんど覚えていない。
想い、待ち続けていた人が目の前にいるという事だけで、カスミは感無量の思いだったのだ。
自分に安心感を与えてくれる声が耳に届く度、胸が熱くなってくるのが判る。
話し合いが終わり、ティルが広場の者達と握手を交わしていく。
自分の掌に彼の温もりが宿った瞬間、カスミは溢れ出そうな想いをぐっと噛み締めた。
「トイレの帰り」という再会の瞬間こそドラマティックではなかったが、そんな事は問題ではない。
ずっと心配していた彼が生きて目の前にいるという事が何より大事なのだった。
一通り顔合わせを済ませ、集まった皆が広場を後にしていく。
「よぉティル、まだ時間あるんだろ?積もる話もあるだろうからちょっと付き合わねぇか?」
「あ、いいですね。僕も前戦争時のお話、聞きたいなぁ」
両脇を2人に囲われ、あの人が行ってしまう。
その背中がひどく遠く感じられ、カスミは思わず大きな声を上げて呼びとめてしまった。
「ティ……ティル様!」
その声に前を歩いていた3人、
そしてカスミの後ろにいたシュウとアップルも彼女に注目した。
多くの視線を向けられ萎縮してしまったのか、
カスミは赤面して立ちすくんでしまう。
「あ…あの、お話が……」
呼びとめた声とはまるで違う、蚊の鳴くような小さな声。
だがその前の大声で静まり返ったその場では、その音量でさえ充分聞き取れるものだった。
「………そーか、じゃ酒場で待ってるわ!遅くなっても構わんぜ!」
ビクトールが静かな場に嬉々とした大声を張り上げ、ティルをドン、とカスミの前に差し出す。
よろけながらカスミの前に放り出されるティルは、赤面したままの彼女の顔を覗きこんだ。
「じゃあ僕は…」
「お前は俺につきあえ!1人で飲んでも寂しいからな!」
リオウは有無を言わさぬビクトールの豪腕に捕まり、ずるずると引きずられていく。
棒立ちのままの2人の横をシュウとアップルが通りすぎていく。
アップルが一瞬、ちらりとカスミを見たのを彼女は気づいただろうか。
心配するような、興味があるような視線を。
「話って何だろう?」
皆が見えなくなった後に、ティルが切り出した。
それはとても穏やかな口調で、決して急かすものではなかったのがカスミには有り難かった。
いつまでもここでこうしている訳にもいかない。
カスミは一つ息を飲み込んで、顔を綻ばせて彼に告げた。
「ここでは何ですから、私のお部屋に行きませんか?」
「どうぞ…。」
ドアを開け、ティルを部屋に招き入れる。
部屋に通されたティルは大雑把に部屋中を見やった後、
「へぇ、綺麗な部屋だね。」
と感想を漏らした。
実際、『綺麗』という言葉が尤も妥当だろう。
目に付く大きな物はベッドと机ぐらいのもので、部屋を飾るためのものなど
一切見当たらない。
カスミはティルの言葉に苦笑いを浮かべて、自嘲気味に呟いた。
「女の子らしい物なんて、何もありませんけど。」
「別にそれでもいいじゃないか。」
ティルは差し出された椅子に座ると、にこりと笑ってカスミに向き直った。
いざ面と向かうと、言葉が出てこなく事がある。
3年の疑問をぶつけられる相手が目の前にいるというのに。
身体の前で掌を組み、カスミは何から聞けば良いのかと頭の中を必死で整理していた。
「………ごめん。僕はもう他の人を巻き込みたくなかったんだ……」
それは突然の言葉だった。
だが、その言葉はカスミの聞きたかった事を全て解決させた。
誰にも告げずに何故グレッグミンスターを去ったのか。
今までどこでどうしていたのか。
カスミの頭を、様々な思いが駆け巡る。
「僕の持つこの紋章は、持ち主に近しい人の命を奪ってしまう呪いがある……」
ティルは右手を見つめながら、かつてこの紋章を託してくれた親友を思い出した。
自分を信じてくれた彼のためにも、僕はこの紋章と共存していかなければいけないんだ…。
カスミはじっと黙りこくってしまったティルを悲しそうに見つめ、彼が話し出すのを待った。
「もう人が死ぬのは見たくないよ……。」
ふうっと、重そうに息を吐く。
その仕草が今まで生きていた疲れを吐き出すかのようで、
カスミはいたたまれない気持ちになった。
もうこんな彼を見たくない。
その苦しみを分かち合える事ができれば―――。
「……グレミオさんは、ティル様と……」
カスミは疑問に思っていた事を口にした。
聞けば、ティルの付き人をしていたグレミオも時を同じくして姿を消したらしい。
ティルと深く関りをもつ彼の行方も、カスミの気になるところだったのだ。
「グレミオは、……僕と一緒に生きる道を選んでくれたんだ……」
そう言って、ティルは黙ってしまった。
1人の人間の命を背負ってしまった事を、後悔しているのだろうか。
こうして彼は、人と触れ合う機会も持たず生きていくのだろうか。
「……では、私もその道を共に歩ませてはもらえないでしょうか……?」
その言葉に、ティルが目を見開いてカスミを見る。
その視線に負ける事なく、カスミは強くティルの瞳を見つめ返した。
「私も、ティル様と一緒に歩きたい……生きたい。」
「何を言っているのか解かっているのかい?」
「はい。私は、ティル様が……好きです。」
「……」
「あなたのその辛い思い出を一緒に支えさせてもらえませんか?
私では、あなたの拠所にはなれませんか?」
「そんな事ないよ。でも…同情で歩けるほど、この道は易しくないんだ。」
「同情ではありません!!」
カスミのきつい口調に、ティルの身体が驚く。
その勢いのみに押されたのではなく、
言葉に込められた覚悟、想いがあまりに大きなものに感じられたからだ。
「同情などではありません…」
やりきれない気持ちが溢れ、こみ上げてくるものを最早押さえようともせず、
カスミは言葉を紡ぐ。
「3年前から、お慕いしていました……愛していました……」
潤む瞳もそのままに、カスミの両の眼はティルだけを映す。
今までずっと大切にしてきた言葉。
それを意中の人の前で言えた事にカスミは感極まったようだ。
あくまで真剣な眼差しに、ティルも迷い始めたようだ。
カスミの直向な想い、本気で自分の隣を歩きたいという気持ちが
真っ直ぐに伝わってくる。
嬉しくないはずはない。
しかし素直にその好意を受け取れないのは、右手に宿る紋章のためなのか。
これ以上自分の周りの人を失うわけにはいかない…。
眉をしかめ、苦しげな表情のまま思い悩むティルの右手を
カスミはそっと取り、自分の胸に押し当てた。
柔らかな感触の中に、呪われた紋章を持つ手が埋まっていく。
「ティル様……私の心の音が聞こえますか?」
聞こえる。
トクトクと命を刻む音が。
「うん……。」
「私、幸せです。
ティル様のお傍にいられる事……ティル様の温もりを感じられる事が。」
「カスミ……」
一定の感覚で動く心音が、ティルに安心感を与える。
不安に支配されていた心が、彼女の存在によって癒されていく気がした。
「お傍においてくれませんか……?それが、私の幸せなんです……」
きゅ、とティルの手を握るカスミの指に力が入った。
その様子で、彼女の求めている答えはわかる。
この呪いを知った上で、彼女は自分と一緒にいたいと言ってくれたのだ。
ティルは押し黙ったまま何かを考えていたようだが、
すっと立ち上がるとカスミから身体を離した。
自分の掌からそっと抜け出たティルの手を見つめ、
カスミは心なし不安な表情を浮かべる。
ティルは部屋の出口に向かい、ドアの前で立ち止まった。
「僕がどれだけ君に幸せを与えてあげられるか解からない……
でも、それでも僕と生きてくれるなら……」
「……!」
振りかえったティルの顔には、いつもの穏やかな笑みが見える。
全ての迷いに決着がついたような、晴れやかな笑顔だった。
「一緒にいくかい?」
第3部 完