リヒャルト×ハヅキ 著者:七誌様
草が風にそよぐ声がした。眺めればセラス湖の陽を弾くきらきらとした湖面が、静かに広がる空があった。湖に聳え立つ本拠地からは、時折歓声が聞こえていた。恐らくあの騒がしい漁師たちが、また勝負か何かをしているのだろう。
はぁ……。と、ハヅキは珍しく、深く重い溜息を吐いた。折り目正しく、悩みや迷いによって己を燻らせることを厭う少女にしては、らしからぬことだった。
自身でもそれが分かっており、それが一層少女の心を憂鬱にさせるのか、再度少女は、はぁ……。と、深い深い溜息を吐き、その元凶となっている、重い重い自身の膝へと目をやった。
少女の膝には、同じくらいの齢をした金糸の髪の少年剣士が、心地良さそうに寝入っていた。
そも、と、少女はひとり思う。
そもそも、どうしてこのようなことになったのだろうか。確か、ベルクートを追いかけてこの城まで来た。そこで、ニケアや、あの考えるも不愉快なカヴァヤと再会した。城には他にも多くの腕に覚えある者たちが集まっており、自身を高めたいと願う自分にとっては、実に喜ばしい環境とも言えた。それは良い。(常に求婚して来るうつけがいることはやはり、不愉快ではあったが。)
そこで、同じ齢の、剣王とも称えられている少年の存在を知った。それも良い。――そうして折角の、同じ齢の、それなりに腕に覚えある存在である。互いを磨くためにも、共に修練を積むべきだと、リンドブルム傭兵旅団の部屋を叩いた。――その判断も、たぶん、間違っていなかった――と思う。
傭兵旅団の隊長であるヴィルヘルムは、ハヅキの申し出をあっさりと、それも実に快く引き受けた。部屋に入った折に、随分と無遠慮な視線を向けられたが、武人として値踏みされるであろうことは、戸を叩く前から想像していたことなので、さして気に留めないように、背筋をぴんと伸ばしていた。
副長という大男は、お前もこの姿勢を見習えと、散々リヒャルトを罵りながら、ハヅキと学ぶ許可を下ろした。
リヒャルト自身は、「ミューラーさんがそう言うなら」と、しまらない顔つきで、ハヅキの意に合意した。
少年の第一印象としては、侮る気持ちも、尊敬の意も特になかった。ベルクートから敗れる前は、やれ天才だ、やれ、百年に一度の逸材だと持ち上げられていた我が身である。少年の齢や容姿などは、興味の対象とならなかった。気になったのは、互いに磨きあえる相手であるか否か。その一点のみだった。
そうして身のこなしを見れば少年は自分と肩を並べる――あるいはそれ以上のものであることが見てとれ、少年がミューラーという大男を随分と慕っていることも、ハヅキからすれば、さしたる問題にならなかったのだ。
そこまで思い返し、はぁ……。と、これで本日何度目かと思える溜息を、ハヅキは吐いた。
そうだ。そこまでは問題無かった。やる気あふれる、という程ではないが、それなりにリヒャルトは協力をみせた。『ミューラーさんに叱られちゃうから』というのが、その主たる理由ではあったが。
……恐らく、あのミューラーという男は、この少年の親代わりか、師のようなものなのだろう。
協力攻撃の修練中、ハヅキの髪留めがはらりと取れた。結わえ直そうと髪に手をやった折、気付けば陽が随分高く昇っていた。この辺で昼食にしようかという運びになり、(リヒャルトは暗くなるまで帰ってくるなと、ミューラーに言われているらしかった。)昼食を取った。正座をして食事を取っていると、そんな姿勢で痛くないのかと、リヒャルトが何の気なしに聞いて来た。自分の食事を終えると、だらり、とリヒャルトは足を伸ばして草地に座った。別に慣れている、痛くない。と、ハヅキは食事を終えてもそのままの姿勢でリヒャルトに答えた。
ふぅん。と、少年は呟き――
何を思ったか、ハヅキの膝にぽすん、と頭を乗せて来た。
「! リヒャルト! な、何を……!」
「いいじゃない。別に。疲れないんでしょ?」
ハヅキの抗議の声は、リヒャルトのあどけない笑顔と声で遮られた。痛くはないとは言ったが、疲れないとは言っていない。第一、膝の上に重しがあるのと無いのとでは大違いだ。
だが、今更否定するのも、まるで負けを認めるようで嫌だった。ぐ。と言葉に詰まっていると、言ったが早いか、少年は少女の膝上で寝息をくぅくぅと立て始めた……。
はぁ……。と、溜息がこぼれ出る。
昼食の休憩時間はとうに過ぎていた。だが、依然としてリヒャルトが目覚める様子は無かった。一体何をどうして、この少年は自分の膝を枕にと思ったのか。何故そう、深くは知らない人間の膝上に、身を任せることが出来るというのか。もしや、そんなことはどうでも良く、この少年はただ「楽そうな」と思って行っているだけではないか……と、つらつらとした考えが浮かんでいった。
……思えば思うほど、少年に対し怒りを覚えて来た。
自分が膝を貸してしまったのは、間違いなく自分の弱さと甘さ故、である。だが、それに付け込んで良いわけでもあるまい。そも、休憩時間はとうに過ぎているのだ。だというのに、人様の膝の上でぬけぬけと休息を貪って良いものか。否、良くない。 これはもう、勢い良く立ち上がってしまって良いだろう。良いはずだ。良いに決まっている。そうだ。それがいい、そうしよう。
そう思い、上半身を軽く身じろぎしたところで――
がばり、とリヒャルトが身を起こした。
「――……あー! 良く寝たなー!
さ! ハヅキさん、続きやるー?」
立ち上がり、大きく伸びをしながら、リヒャルトはハヅキを見た。笑顔だ。それはもう、とっても良く休めましたよ! 元気イッパイですよ! ということを物語るほどの、良い笑顔だ。
……言いようも無い怒りが、ハヅキの中で湧き上がった。
「……随分と良く、眠っていたようだな。既に休息時間は過ぎているぞ? 時を定めて休めぬようでは、武人失格ではないかな?」
この程度で怒るな。抑えろ。と、必死で高ぶる心を抑えようとしたが、ついつい、悪言が口からついて出た。
「えー? あ、ホントだー。
もう、ハヅキさんってば、起こしてくれれば良かったのにー。
あ、でも、ひょっとして僕のために寝かしておいてくれたのかな? 優しいね?」 「……な!」
かぁあ、と。頬に熱が集まるのを感じた。
「うん。それと……」
にっこりと笑んで、リヒャルトは言った。
「ふともも、気持ち良かったよ?」
「………………………………斬る」
からぁん、と、ハヅキの鞘が宙を舞った。
少年の居ない傭兵旅団の部屋は、酒臭さと汗臭さがあるものの、珍しく静かな時間
が流れていた。
「しかし、あの嬢ちゃんもやるよなぁ……」
「あ? 何がだ?」
盃を手に、くつくつと笑うヴィルヘルムに、ミューラーは金棒の手入れをしながら問いかける。
「いやぁ。普通もたねえだろ。神経が。つーか、あいつと話した時点で、協力しての攻撃技考えようなんて、思わねー」
「女だてらに剣士を目指して、武者修行で負けちまった時の相手を追っかけて、ここまで来るような娘だ。同じく、変わりモンなんだろうよ。まぁ、うるせえのがいなくて、こっちはせいせいするが」
げらげらと、ミューラーの言葉にヴィルヘルムは笑いを一層大きくする。ツボに入ったのか、声を上げ、苦しそうに腹を抱えた。
その様子に、不審な気配を捉えたのか、悪人顔を一層深めてミューラーは聞いた。 「なんだ? なんかあんのか? 言いやがれ」
「あー……いや、な。気付いちまった。
あのねーちゃん、怒った時の態度とか、お前に似てるわ。
いやー、こりゃ結構。うまくいくかもしんねーぞ!」
「………………………………ブッ飛ばす」
だっはっはっはっはっは。と、響く馬鹿笑いの後に、重いものが振り回される音が響いたが、部屋の周りにいる人々は、「いつものことだろう」と、全く気にも留めずに過ぎていった。
*END*