ほしつちのはな(ゼラセ×5主人公→サイアリーズ) 著者:七誌様

 トントン、という軽いノックの音。王子殿下が見えたという侍女の声もろくに聞かず、その幼子(おさなご)は「おばうぇー」と、高い声を上げながら、ドアをすり抜け、叔母の元へと駆け寄った。

「ああ、アンタかい」
 と、まとめ髪で片目を隠していた叔母は、片眼で、自身の甥の姿を目に入れる。自分を慕い駆け寄る様子に、自然、目尻が緩んでいった。

「おばうえ、なにをみていたの?」
「花を見ていたのさ」

 はな? という甥の言葉に、そう。と、サイアリーズは相づちを打ちながら、甥を自分の腰掛けてるベッドへと呼び寄せる。よいしょ、という声を上げて、甥は小さな手でベッドにしがみ付き、足をぱたぱたとさせてどうにかベッドによじ登る。
 よじ登るサイアリーズのベッドには皺が寄り、侍女が慌てて手を貸そうとするのを、サイアリーズは目で制し、幼子が自力でよじ登るのをじっと待った。幼子は登り切り、ぽすん、と腰を落ち着かせる。短い足を、ぶらぶらさせた。

「おはなって、あれー?」
「そう。綺麗だろう? サクラっていう木の、花なんだ」
 子どもがテーブルに置かれた盆栽を指差すと、サイアリーズは目を細めながら桜を眺め、言葉を返した。

「あたしはこの花が好きでね。年に八日間だけしか咲いてくれない木で、なかなか手に入り難いやつなんだが――
 知り合いが手に入れて、贈って来てくれてね……」

「おばうえ。ははうえと、おとーさんにも、みせてあげようよ! よろこぶよ!」
 そうだねぇ。と、サイアリーズは子どものはしゃぐ言葉に、相づちを打ちながら、苦笑する。

「そうしたいのはやまやまだけど、贈って来たヤツも秘密であたしに贈って来たんだ。あまり贈った、贈られた、っていうのをおおっぴらにするのは、あたしも、贈ってくれたヤツも好きじゃあなくてね。
 これがここにあるのと、贈って来てくれた人物に関しては、姉上も義兄上もご存知だけれど、秘密なんだ。暗黙の了解、ってやつだね」

「アンモク……?」
「知ってるけれど、言っちゃ駄目。ってことさ」

 しーっと、サイアリーズが人差し指を立ててそう言うと、幼子はぱっと両手を口にやり、こくん。と、妙に神妙な顔で頷いた。その様子に、くつくつ、とサイアリーズは可笑しそうに肩を震わせる。

「おばうえ。ぼく、これみて、いいの?」
「ああ、いいさ。ただし、あまりこのことは喋らないようにしておいておくれよ?」

 叔母の許可に、幼子はわぁい! とひとつ歓声を上げると。桜の木へと駆け寄った。薄紅色した花弁が、雪のように木々の枝へと咲いていた。

「ぱっと咲いて、ぱっと散る。潔いさまが、好きなのさ――」

 サイアリーズの言葉を聞いてか、聞かずか、桜の花弁は風を受け、ちらちらとその枝を揺らした。

『 ほしつちのはな 』

 笛の音が、湖城静かに響いていた。決戦前夜、思いにふけるのは自分だけではないのか、城に身をおく者たち皆に声を掛けながら中を廻り、ふと、とある場所で足を止めた。
 そこには漆黒の衣に身を包み、夜天の星を仰ぎ見る、女の姿が、あった。

「まだ、起きているのですか。眠りなさい。明日に障ります」
 ゼラセさん。と、少年は女の言葉に呟いた。俯く少年の姿に女は昂ぶる気を静めようと思ってか、この女性にしては珍しく、少年に対し幾らかの言葉を掛けた。黄昏の紋章の継承者に関しては、しばし、忘れなさい。と、言いくくって。

 でも、と。少年は顔をぱっと上げて、女の言葉に言い募った。
「そんなこと、出来ないよ!
 だって、僕は伯母上とずっと、一緒だった。ずっと、助けられて来たんだ。ずっと――守られていたんだ! ロードレイク視察の時も、闘神祭の時も、ラージャさんと出会えたのも、太陽宮を逃げ出すときも、バロウズの側に行った時も、ルクレティアに会えたのだって、セーブルを味方につけられたのだって、ユーラムの目を、覚ましてくれたのだって、伯母上が――!」

 ――ああ、そうだ。と、少年は思った。
 ロードレイクを視察する時、王家という重圧に、寄せられる眼の冷たさに耐えられたのは、リオンやゲオルグの存在もあったが、同じく王族である叔母が、共にその重圧を負ってくれていたためだった。闘神祭で、ギゼルの思惑に気が付き、無実であるゼガイを助けることが出来たのも、叔母の経験があってこそ。ラージャと縁を結び、それからログやランといった者たちに出会え、そこから縁が広がったのも、叔母の勧めがあったからだ。太陽宮を逃げ出す時、バロウズの領地に入ったとき、もし、これが自分ひとりであったならば、あっさりと自分の命運は途絶えていたかも知れない。

 現軍師であるルクレティアの名を出したのも、叔母だった。セーブルの心を引き戻すために、損害が互いに出ないよう、趣ある知恵を出してくれたのも叔母だった。バロウズに粛清を加え、ユーラムの目を覚ましてくれたのも、結果的には叔母の行動あってのことだった。

 あの時の、バロウズ兄妹の分かち合った笑顔と、決意の眼差しを、忘れることはないだろう。

 叔母が裏切った。などとは思っていない。この十六年、ともに食事をし、ともに笑い、ともに怒って、生きて来たのだ。叔母の人となりは、良く分かっていた。私利私欲で動く人間ではなかった。優しく、厳しく、身分に拘ることを厭い、誰にでも平等で、正義感あふれる、ひとだった。

 母の性情を太陽とするならば、叔母のそれは大河だった。あるべきものを照らして教えるのではなく、あるべきものへと流れて教える。母とは違うやり方で、導いてくれるひとだった。

「忘れられない。忘れられる、わけが、ないよ――!!
 ゼラセ、僕はなんとなくでしか分かっていないけれど、ゼラセは人の星回りが分かるんでしょう? どうして、どうして伯母上は一緒に歩めなかったの? そうしてもし、それが、僕の選んだ運命だというならば、どこで僕は――……」

 俯く。低い、声が漏れる。
「どこで僕は、伯母上との運命を、選び損ねて、しまったんだ――」

 月の光が、少年の立つ場所を淡く照らす。す、と。俯いた視界に、黒い影が近付いた。
「――では、この場で全てを放り出し、諦めますか? 愛しい叔母のもとへ、ひとりで駆けて行きますか? 黎明の紋章継承者よ」
 
 わかっているくせに。と、少年は泣き笑いのような表情で、頭を上げて、女を見た。

「僕は皆を、僕を信じてついて来てくれた、ファレナの民を裏切れない。僕は妹であるリムを助けたい。伯母上と一緒にいたい。でもそれだけじゃなくて、やっぱり僕はファレナの女王であった母上と、騎士団長だった父さんの子なんだ。
 僕は、ファレナを愛している。だのにここで投げ出すことなんて、出来ないよ」

 分かっているではありませんか。と、平静な声が続いた。
「愚痴を聞いてやる気はありません。時間の無駄です。それよりも早々に体を休め、明日に備えろと言っているのです」
「歯に衣着せないなぁ」

 くしゃり、と少年はゼラセの言葉に少し、笑った。
「でも、ゼラセ。駄目なんだ。僕はどうしても、伯母上をことを考えてしまう。忘れろと言われても、忘れられない。僕は、伯母上に助けて貰って、ばかりで――僕は伯母上に、何をしてやれたのかと、そんなことを、考えるんだ――」

 愚かですね。と、声が響く。うん、そうだね。と、どこか達観した気色を交えて、少年は自嘲にも似た笑みを浮かべる。

「言っても聞かない、と言うならば仕方ありません。……我慢なさい」
 声は少年の耳元で響き、女が自身の外套を少年にふわりと被せると同時に、少年の視界は闇に染まった。

 そこには天も、地も無かった。辺りは全て漆黒で、少年は驚きのあまりに、見えぬであろうにも関らず、ぱちくり、と目を見開き、きょろきょろ辺りを見回した。ゼラセ。と、女の名を呼んでみる。

「ゼラセ、居るんでしょ? ここ、どこ?」
 返事は無かった。少年は暗闇を手探りで、おぼつかない足取りのまま、歩み出した。ゼラセ。と、時折女の名前を呼ぶ。

 しばらく歩いていると、次第に目が闇へと慣れて来たのか、自分の足元に、点々と輝く淡い光があることに少年は気付いた。よくよく見れば、辺りにはそうした光の粒が広がっている。その光に目を凝らしながら、少年は歩いた。夜空をもし歩けたとすれば、こういう感じなのかもしれない、などと思いながら。

 歩む間も、眼は闇へと慣れてゆく。当初、淡いと思っていた光は、歩むうちに、十分に灯りの役目を果たしていた。自身の靴音も響かない場所において、少年は時折上げる女の呼び声と、自身の心音だけを感じていた。

 ――そこで、ふと、あの城で奏でられる、笛の音に似た音がした。

「ゼラセ、そっちにいるの?」
 返る応えはやはり、無く。少年は、微かなる音を頼りに、音の方へと進んで行った。

 果たして、音の先に女はいた。そこは他よりも一層、光が集い、それぞれの光が、胎動の如く、穏やかに明滅していた。外套を脱ぎ捨て、静かなる光を受ける女の肌は、どこまでも白い。平生と異なる空間の中で、女の肌は明るく映った。

「――立ち止まって、そのまま眠ってしまうかと。或いは、慌てふためいて走り回り、疲れで眠り込むかと思っていましたよ」

 そうなれば良かったのに。という抑揚に、少年はひとつ、苦笑する。
「こんなわけの分からないところで立ち止まれるほど、僕は大物でもないし、闇雲に走り回れるほど、熱血漢でも無いよ。
 ねえ、ゼラセ、ここはどこ? どうして僕を、ここに呼んだの?」

 少年の問い掛けに、――ふぅ。と女はひとつ、溜息を吐き、歩み寄った。
「――私が貴方に害なす。という可能性も、貴方は考えないのですね――?」

 言い、女はそっと、手を伸ばして少年の頬へと、触れる。
「思わないよ。そう思うなら、ゼラセさんはとっくにしているし、初めから、僕に力を貸そうだなんて、思わないでしょ?
 ね、ゼラセさん。ここはどこ?」

「その質問には、答えられません。ただ、私といる以上は、貴方には害は無い。と言うことは保障します。
 ――もっとも、これから起こることを、貴方がどう思うか、によっては、保障の限りではありませんが」

 え? という少年の呟きを無視し、ゼラセは少年の身をはさりと倒した。

「ゼラセさん!?」
 少年はここでもって、初めて驚きの声を上げた。少年の体の上には、女が圧し掛かり、少年の頬を女の黒髪がはさはさとくすぐった。甘い香りがした。

「陰陽説。というものがあります。
 女は隠。男は陽。ちょうど陽が昇り、夜が訪れ、くるくると世界が円を描いて回るように、相反するものが交じり合うことにより、ひとつの世界を形づくる」

「えっと……どういう……?」
 黄昏の紋章は。と、女は言った。

「本来の継承者によって導き出された、あれの力は強大です。私もやれる限りのことはするつもりですが、何よりも、頼りになるのは貴方のもつ黎明の紋章です。それには、少なくとも黄昏の紋章主と同等な力を必要とされます。
 黄昏の紋章とは異なり、黎明の紋章は本人の英気によってその効果が左右されます。眠れ、と言ったのはその為です。どうしても眠れない。というならば仕方ありません。
 ――貴方を抱きます」

 はさりと、黒髪が広がった。女は眼を見開いた少年の唇を、女の唇がくちりと塞いだ。
 声を上げようと思った口の隙間から、舌がするりと押し入った。生暖かい感触とは別に、ふぅ……と、不可思議な、吐息にも似た「流れ」が少年の身に注ぎ込まれる。熱が高まる。種類の違う酒を混ぜ合わせたものを飲んだような、けれども甘い痺れと、酔いとが少年の身にあった。

 互いの唾液で濡れた少年の唇を、女は指で軽く拭い取る。しばらくは上手く混ざらず、気分が優れないだろうが、暫くすれば、自分の注いだものは少年のものとなる。そう言い、女は少年の服に、手をかけた。

 待ってよ。と、少年は掠れるような声で、悪酔いするかのような体を、どうにか上半身だけ持ち上げ、抗議した。
「待ってよ。ゼラセ。駄目だよ……だって、これは……」

「私は警告しました。けれども貴方は聞かなかった。ここで私に言うことを聞けという権利が、貴方にあると思いますか?」

 衣服の隙間から、女の冷たい指先が肌へと触れた。衣擦れの音が響く。ぽつ、ぽつと、最早星空としか思えぬ、明滅する闇の上に、緋色の衣が広がった。

「痛ッ……!」
 髪留めが布を噛んだのか。髪が引っ張られ、少年は形良い眉を歪ませた。真白い、細やかな指が髪留めへと動き、かちり、と。少年の結わえている髪を解いた。

 少年の銀糸の髪は波を描きながら闇へと流れ、女の黒髪と混じりあう。しゃらん。と、音が響いた。女は少年の下肢へと手を伸ばしていた。女の腕につけた幾重もの腕輪の音と、少年が女の動きによって震わせた、足につけた金輪とが、それぞれ互いに音(ね)を上げた。

 少年の衣を解き、自身をさらけ出させると、すぅっと……女はそれを、いささかの躊躇いもみせずに柔らかく手で包んだ。そっと撫ぜ、次第に緩急をつけてしごき上げる。駄目っ! と、少年が白い吐息を吐きながら、そう叫んだところで――ぴたりと、手が止まった。

「…………?」
 物憂げな目で、自分の上にある女を見上げる。女は何も言うことなく、両の手で自身の首筋へと手をやり、ぱちん、と音を立てて留め金を外した。音と同時に、女の着衣ははさりと沈み、両の胸がふるり、と顔をだした。

 気配に呑まれてか、或いは女の、夜中の雪を思わせるような白さゆえか。息を、飲んだ。その場から逃げ出したいような、けれども先を目にしたいような、そんな感覚に捕らわれながら、じり、と後ろに下がる。

 女はそうした少年の様子など意にも介さないように、自身の下履きをするりと解く。女の同じ髪の色が、そこにはあった。
「ゼラセ、さんっ!!」
「聞きません」

 泣き出しそうな少年の声を無視して、女は片手で少年の身を捉えると、もう片方の手で自身を開き、ずぶずぶと、少年の身を、飲み込んだ。
「…………ッ!」

 ぞくぞくと、背を駆ける快感から、少年は身を竦ませた。女の陰器は少年の陽物を包み込み、波打つように捕らえあげる。下腹部へと熱が高まる。悦楽へと流れてしまいそうな自身を戒めるかのように、少年はきゅ、と自身の唇を噛締めた。堅く、眼を瞑り、腕に力を張り、精一杯の抵抗を試みる。

 少年にとって、性交はいわば、禁忌だった。
 そも、王位継承権がないとはいえ、争いの胤を作らぬためにと女王以外の王家の女たちは結婚しない定めである。自分の腹より子を生むことがない男だとはいえ、無闇に交わることが良いわけがなかった。

 それだというのに、王位継承権が無いにも関らず、その身分に惹かれてか、媚を売ってくる女たちの姿が、周りにあった。

 幼い頃は、叔母がそうした気配に目を光らせ、しばらくすると、リオンが護衛につくことによって、そうした者たちを防いでくれた。恐らくリオン当人は自身が防いでいたということに気付いていないだろうが、異性であるものが常に護衛につくことによって、そうした謀(はかりごと)から、少年の身を守ってくれていたのだ。

 だのに、いま。
 頭の芯が痺れていた。女が動くたびに、快感と、ぐちゃぐちゃという音が響く。
 背徳感が、あった。

 太陽宮では、孤独と抗いながら、懸命に自分を待つ妹がいる。真意が知れないものの、身を汚すことなく立ち続けた叔母がいる。本拠地の医務室では、自分のために、無理をしてでも起き上がろうとする少女がいる。明日のために、心を奮い立たせる仲間たちがいる。

 黄昏の紋章を抑えるため、力を増すため、と、理由はあれども、それと快感に支配されるのことは、少年にとって別だった。

 噛み締めた唇から、うっすらと鉄の味がしていた。

「愚か、ですね……」
 ふいに、女の声がした。平生その言葉を呟く時の、忌々しいものを見つけたような口調とは違い、どことなく憐れむような抑揚に、少年は堅く閉じていた眼を開いた。

 女は、少年の身をくわえたまま、やはり、憐れむような目で少年を見ていた。
「このようになることが嫌ならば、はじめから私の言うことを聞いていれば良い。予測することが出来ないのなら、出来ないものと、その場で諦めてしまえば良い。
 これは単なる魔力促進の儀だと、ただ、それだけのことを思えば良いではありませんか。
 何故、貴方はそう、他のもののことを思うのです――」

 そんなの。と、少年は掠れる声で女に言った。
「ゼラセさんだって、そうじゃない。
 僕のことを思って、何も言わないようにしたり、言ったり、してる。同じ、だよ。ただ、それが多いか、少ないか。それだけの、ことだよ――」

 少年はそう言うと、眉を寄せて、今にも泣き出しそうな顔でひとつ、笑った。女はその眼差しを僅かに伏せると、再度、動き、出した。

 ぐちりぐちりと音がする。女の髪がさらさらこぼれる。たわわな胸が、上下に揺れる。
 少年の首筋が、びくんと揺れた。女は少年の傾いだ頭を抱き、自身で傷つけた少年の唇を、軽く舐めた。律動が早まる。頭の奥がくらくらする。靄がかかる。
 ――さきがけの星よ、と。掠れるように、女が言った。

「魁(さきがけ)の星、星たちの長よ。
 本当は、嘆くことなど、無いのです。朝が来たり、陽が照らし、夕闇が、夜が来る。全ては、円を描くように連なっている。
 黄昏の紋章が宿主として選んだ、あの女性とも。太陽の紋章の宿主であった、貴方の母とも――見えぬだけで、その心は、貴方がいる限り、繋がっているのです――」

 言い、女は少年の額に、目蓋に、掠めるような口付けを落す。少年は高まる熱に翻弄されているのか、女の動き合わせ、少しずつ自身も動きをみせていた。

「夜の紋章は陽の輝きを疎ましく思い、自らの姿を剣となし、絆を断ち切り姿を消した。けれどもあれは、陽の輝きを疎みながらも、同時に憧れ、愛していた。そうして、自ら望んで孤独を招いたというのに、その寂しさを恐れているのです。さもなくば、自身の使い手を求める存在である、剣の身などにはなりません。姿を変えても、それでも、自身のかたわれを、求め続けているのです。
 ――愚か、です」

 ――私も。と、女は言った。

「求めているのです。夜の紋章と同じように、自身のかたわれを。断ち切った『絆』より生まれた、ものたちを。その輝きを疎ましく思いながらも、求めているのです」

 すっと、女は少年の手をとり、自身の手と重ね合わせた。首筋から黒髪が流れ落ちる。少年の銀糸と絡み合い、交じり合い、流れる。動きが早まる。きゅっと、少年は自ずから、重ね合わさった女の手を、握り締めた。

 ――あなた。と、伴侶を呼ぶかのような声が、微かに響いた。

 王都は奪還した。妹は手に戻った。だが、叔母の姿は決して戻らず、まだ全ては、終わってなかった。

 叔母は本拠地の墓場に葬られたと、ガレオンは言った。
 帰陣し、自室に戻る。見慣れた筈の自身の部屋に、どことなく違和感を覚え、少年は自分の部屋を見回し、はたと、寝台近くに置いていた、桜の植木に目を留めた。

 窓辺に置いていた桜の花は、戦が行なわれた、数日間のうちに散り、鉢植えにその花弁を雪の如く、広がっていた。
 少年は窓辺に歩み寄り、窓を開けると、一陣の風がふわりと吹き込み、花弁を巻き上げ、空へちらちら舞って行った。
 夜。しんとした暗闇の中、少年は桜の鉢植えを手に叔母の眠る墓場に出向いた。

 そこには、眠る主を想う花々が、ひっそりとして供えられており、少年は、そこの土をほんの少しだけ掘り起こすと、桜の鉢植えの中に、そっと入れた。



 姫さまぁ! という呼び声に、声の方へと振り向いた。
「何じゃ、ミアキス。仮にも女王の部屋に入るのじゃぞ? ノックくらいせぬか!」
「やだぁー、姫さまってば! 私、ちゃんとしましたよぉ?」

「……そうなのか? わらわの耳には聞こえなかったが?」
「もう! 姫さまってば、いくら大好きな王子がリオンちゃんに取られて旅に出ちゃったからって、塞いだりしちゃ、駄目ですよ!」

 ば、馬鹿を申すな! と、顔を赤らめて、慌てて少女は護衛の言葉を否定した。
「だ、誰がそのようなこと……! 第一、リオンは兄上の護衛であるし、ゲオルグ殿とて一緒であろうが!?」

「ふふ、甘いですよ姫さま〜。ゲオルグ殿はもうばっちり大人! の、空気が読める人なんですからぁ、王子に気を効かせたりすることくらい、お茶の子さいさいですよぉ〜」

 う……。と、ミアキスの言葉に少女は言葉を詰まらせた。口元に手をやり、眉を強く歪ませる。うー、うー。と、唸った。

「まぁ、ノックしたのは隣の部屋からですから、聞こえなかったかも、しれませんけれどねぇ〜」
「おのれはぁあああ!!!」

 しら、っと言うミアキスに、リムスレーアの怒号が続く。そのまま、この悪友にも似た存在である護衛へと文句を言おうとしたところで、
「それで、何をぼうっとしてらっしゃったのですか?」
 と、ミアキスの言葉が先を塞いだ。

 ああ。と、気を取り直し、少女は応える。
「桜をな、見ておったのじゃ」
「桜?」

 見れば確かに、リムスレーアの言う通り、テーブルには一本の、どこか見覚えのある、桜の植木が置いてあった。
「あれ? ひょっとして、それ、王子のですかぁ? セラス湖でのお城で、見たことありますぅ」
 そうじゃ。と、ミアキスの言葉に少女は答えた。

「自分の留守中、決して枯らすことの無いように、と言い、置いて行きおった。勝手なことじゃ」
「へぇー。でも、王子にしては珍しいですねぇ。私的なことは、あまりひとに頼まないひとですからぁ。
 でも、姫さまってば、よく王子の旅出を許可した上に、鉢植えまで受け取りましたねぇ」

「うむ……。
 わらわも、あの戦の最中、ここで懸命に戦っておったが、兄上のそれは、わらわの比ではなかったじゃろう、と思うておる。
 何より、兄上は今まで何のかんのと、周りのものに気遣いすぎじゃ! 暫く、気を楽にしても良いかと思うてな」

 これは、兄上には秘密じゃが。と、ぽつりと少女は言った。
「この花は、兄上に似ておると、わらわは思うのじゃ。
 今咲く、いつ咲くかと心待ちにしておるうちに花開き、予期する間もなく散って行く。全く意のままになりはせぬ。だのに、人の心を捉えて離さぬ――くるくると、めぐりめぐる、毎年毎年の月日の流れを、共に過ごすことを、楽しみにさせて、くれるのじゃ……」

 ミアキス。と、少女は女王騎士の名を呼んだ。
「花を愛でるには、何より心の余裕が必要じゃ。まずは、争いによる焦土を治す。ついてまいれ!」
 りん、とした幼き女王の言葉に、はい! とミアキスは恭しく一礼を返し、主に付き従って部屋を出た。テーブルの上に乗せられた桜の木は、部屋を出るその時に起こった風によって、青々と茂る緑の葉を、さわりと揺らした。

*END*

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