神々と精霊の集う場所、油屋。どこにもない、どこかにある。不思議の町で、営むのは湯婆々という名の魔女。癒されませ、癒されませ。滝のごとく轟く薬湯が、湯女達の嬌声が、今日も賑やかに、暮れていく空に響いてゆく。
最近、ハク様は上機嫌だ。
帳場の隅でこそこそ交わされる会話。
「何か良いことが?」
「湯婆々様から褒賞が?」
「いやいや、そうではあるまい」
「神々じきじきに賜り物が?」
「いやいや、そうではあるまい」
その時だった。
「お前達!そこで何をしている!」
ぴしゃり、割って入った声は噂のその人。
あわわ、しかられる、と顔を青くしたり白くしたり、水干姿のカエル男が、ハッピ姿の青蛙がひきつづくであろう怒鳴り声に身構えると。
「じき、お客も引けよう、休憩まではいま少し、しばし励むように」
にっこり…と、極上の笑顔が続いた。
となると一層気味悪く、あたふたと仕事に戻る手下共。そんな姿を見る視線さえも柔らかく。既にハクの意識は仕事が終わってからに飛んでいた。
あと少し、あと少しで千尋に逢える。締め付けられる胸の痛みさえ愛しく、もどかしく時が過ぎるのを待っている。いささか適切ではないかもしれないが、まさしく「るんるん気分」といった態で、帳簿の文字さえも躍りだしそうに、さらさらとハクは仕事にいそしんでいた。
一方…。
「どーしたんだよ、セン、最近元気ないじゃんか」
客の帰った大湯を久々リンと共に洗いながら、千尋はぽんぽん、と老婆のように腰を叩いた。リンが疲れきった千尋の顔を覗き込むと、かすかに見える、目の下の隈。
「…ちゃんと寝てないのか?」
あわてて千尋はぶんぶんと首を振り、答えた。
「ううん!そんな事…ないよっ!」
「じゃあ疲れてるんだ、釜爺に言ってさ、薬湯、使わしてもらおうか?」
リンさんと、一緒に…それは、激しく問題がある、と、千尋は思った。
「ううん!大丈夫!今日は…早く寝るし」
「そうかあ?じゃあ…まあ、とにかく、ちゃんと食って、しっかり寝ろよ。んで、辛くなったら俺に言う事!」
「ありがと…リンさん」
千尋は、ひどく後ろめたく、掻きあわせるように水干の胸元を握り締めた。
もうじき、仕事が終わる。動悸が収まらない。後ろめたい、そう、思いながら、心はすでに移っている。「きゅうん」と、胸が締め付けられた。
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