第二章
食料運搬ヘリの運行は月に一度だ。そうなると食料以外のものも、たまに運ばれてくる。今回は少年が2人乗っていた。
「おい坊やたち、名前は?」
この道何十年というベテランの操縦士は、前を向いたまま後部席に話しかける。
「ボクは・・・・・・ディック」
まだ幼い顔立ちの少年が、おずおずと答える。淡い金髪に緑色の瞳をしている。ひどく痩せているのは成長期特有の栄養バランスの偏りによるものではなく、病人特有のものだった。
「坊や・・・・・・じゃない、ディック。出身はどの辺だい? ここいらじゃ見かけない顔だね」
「旧アメリカだよ。統合都市には最近来たんだ」
「へーえ」
療養に来たのか、とは聞かなかった。理由が何であれ、彼はそこから逃げ出したのだから。よっぽどの事情があるのだろう。
「もう一人の坊や、気分は大丈夫かい?」
さっきから全然喋らない少年に、乗り物酔いでもしたのかと操縦士が気遣う。
「最悪」
黒髪に黒い瞳の少年は、ぶすっとしたまま答えた。実際、乗り物に弱いのかもしれない。
「そういうときは、喋るといい。少し気分が紛れるから」
呑気に言う操縦士に、少年はますます顔をしかめる。今の彼にとって、何もかもが面白くなかった。
「あんたさ、俺が人殺しだって知らねえのかよ?」
鋭い目で睨みつけながら言うが、操縦士には見えていない。
「もちろん知ってるよ。でも未成年だから名前は公表されてないだろ? だから名前を聞いてるのさ」
「そういうことじゃねえだろ!」
平然と、人殺しに話しかける神経が信じられない。いくら凶器は取り上げたからといって、そう呑気に構えられるものだろうか。
「いやー、俺にもちょうど君たちくらいの年頃の息子がいてね。何だか嬉しいんだよ」
少年の心も知らず、操縦士はしみじみと語る。ディックも興味をひかれたのか、話に乗り出した。
「めったに会えないの?」
「ああ。もう半年ぐらい会ってないね。たぶん、そこの黒髪の坊やくらいになってるんじゃないかな。成長期だから、とっくに俺の身長も抜かしてたりしてな」
「そうだねー」
何だか和やかなムードである。少年は居心地の悪さを感じた。
「ねえ、黒髪の坊や」
「本庄サキトだ」
坊やと呼びかけられるのが嫌で、ついムキになる。言ってしまってから、しまったと後悔した。
「サキちゃんか」
「なに『ちゃん』づけで呼んでんだよ」
「いやー、かわいい名前だと思って」
このオヤジ呪ってやる、とサキトは誓った。仲間からよくからかい半分に呼ばれていた名前を、知らない人間が同じように呼ぶのが許せなかった。
―思い出してしまうのだ、あの事件の夜を。
『サキちゃん、面白いゲームがあるんだよ。参加しねえ?』
そう言って誘われたのは、つい最近のこと。
ゲームの内容が、犯罪行為だと知ってもサキトは怯まなかった。ナイフをちらつかせるだけで、驚くほど簡単に大金が手に入った。打ち上げと称して仲間たちと楽しく騒いでいたとき、中年の男性が絡んできた。
『君たち、こんな時間に何をやっているんだね』
ずっと真面目一筋に生きてきたような男性だった。楽しんでいる最中に説教を聞かされて、サキトたちはキレた。
『うるせえな』
サキトが男を殴りつけると、仲間たちは面白がって囃し立てた。
『やっちゃえ、サキちゃん』
仲間の一人である女子高生のミカも、横から蹴りを入れたりしていた。男がムキになって怒ると、さらにサキトたちの暴力はエスカレートした。
サキトがナイフを取り出したのはこのときだった。脅そうとして、男の腹に突き刺した。本気で刺す気はなかった。男がいきなり体を起こしたりしなければ、かすり傷で済んだはずだ。予想外に深く刺してしまったサキトは、慌ててナイフを抜いた。
仲間たちは事の深刻さに気づかず、「やるねえ、サキちゃん」などと声をかける。
腹を刺された男は、呆然とサキトを見つめていた。ふと、そ
の視線がミカへと移った。すでに意識が朦朧としていたのか、ミカを自分の娘と勘違いしているようだった。
『リョウコ・・・・・・、迎えに来てくれたのか。父さん・・・・・・やっと帰れたぞ。久しぶりに・・・・・・家族でどこか食べに行くか』
男が震える手をミカへと差し伸べる。ミカは真っ青な顔で後ずさった。
『やだ、何このオヤジ。気持ち悪い』
仲間たちも異様な空気に気づいて、急に静まり返った。
『何が・・・・・・いい』
柔らかい笑みを浮かべたまま、男はがくりと頭を垂れた。差し出された手からも、力が抜ける。ミカが狂ったように悲鳴を上げた。
『俺たち、何もやってねえぞ。サキ・・・・・・サキトが悪いんだよ』 あんなにいつも一緒にいた仲間たちが、急にサキトを凶悪犯罪者を見るような目つきで見た。
『俺・・・・・・』
頭の中が真っ白になる。ミカが地面に座り込んで、何か呟いているのが聞こえた。
『・・・・・・し。・・・ろ・・・し。人殺し!』
言葉がはっきり耳に届いた瞬間、サキトは走りだしていた。こんなのは嫌だ。こんなことで人生が狂わされるのは嫌だ。
サキトは走りながら考えていた。ドームの外には、法に縛られない地域がある。犯罪者はそこへなら逃げ切ることが出来るらしい。
(ドームの外へ出てやる)
勘違いしていたのかも知れない。外へ出れば、自分の犯した罪も消えてしまう、と。
「坊や・・・・・・サキトくん。着いたよ」
一瞬、そこがどこなのかサキトは分からなかった。それも無理はない。彼の知る景色とは掛け離れた風景が、目の前に広がっていた。
一言で言うなら、荒れ地。よく見ると、畑や田のようなものもあるが、ほとんどは岩がごろごろしている荒れ地だった。林は黒々としていて、ところどころコンクリートの壁や鉄柱が見えている。豊かな田園地帯を予想していたサキトは、思わず息を呑んだ。
ようやく我に返ったサキトが、次に感じたのは暑さだった。暦の上では秋だからと油断していた。黒いシャツなど着ているから、よけいに暑い。思わず袖をまくると、強い紫外線が、容赦なく肌を焼いた。
先にヘリから降りたディックへと視線をやると、暑さにやられてぼうっとしている。
「ようこそ、プライム・リージョンへ」
いきなり、後ろから声をかけられた。やや低いが女性のものだ。振り返ると、黒髪に黒い瞳の美女が立っていた。突然のことに戸惑っていると、彼女は腰に手を当てたまま、サキトとディックをじろじろと見た。
「ちっ。若い働き手が増えると思ったけど、イマイチだね。特にそっちの小さい子」
ギャップ
その態度と外見のあまりの差異に、サキトはますます戸惑う。小さい子と呼ばれたディックは、シュンとしてうつむいてしまった。
「まあいいわ。言い忘れたけど、私がプライム・リージョンの統率者、カヤよ。以後よろしく。黒髪が人殺しのサキト、金髪が逃亡者のディックね」
二人の少年に口を挟む隙も与えず、てきぱきと自己紹介を終えると、カヤは後ろを向いて合図をした。
「はいはい。全く人使いの荒い・・・・・・」
ぼやきながら現れたのは、銀髪に銀の瞳という珍しい容姿をした青年だった。
「やあ、初めまして。カーティと言います」
愛想よく挨拶しながら、手に持っていたた服と農具をサキトとディックに手渡す。
「何だよ、これ」
サキトが怪訝な顔をする。
「決まってんでしょ、それ着て働くのよ。農具もちゃんとあるし、問題ないわ」
「はあ? 何でそんなこと俺がしなきゃなんねーんだよ」
「あんた見たでしょ? この邑がどんな状態か。とてもじゃないけど、あんたたちにタダで食わせてやるほど豊かじゃないのよ」
しんらつ
辛辣なカヤの言葉に、穏やかそうに見えるカーティまでが大きくうなずく。
「まあ最初は、政府が援助する食料を分けてあげますが、それがなくなったら面倒見きれませんよ」
サキトは早くも、ドームの外に逃げたことを後悔した。これならおとなしく少年院に入った方がましだった。
「やってられっか」
ぽいっと作業着と農具を放り投げる。途端にカヤの顔色が変
かま
わった。農具の中から鎌を手にして、サキトに詰め寄る。予想外の事態に、サキトは青ざめた。
「わああ! 何すんだ、あぶねーだろ!」
「うるさい! 甘ったれるな!」
ぶん、と鎌が顔を掠める。サキトは思わず尻もちをついた。その喉元にカヤが鎌を突き付ける。
「いいかい、ここじゃあ殺人だって罪にはならないんだよ。自分の身は自分で守る。自分の食い物は自分で作る。それが出来なきゃ、ここでは生きれないから、覚悟しな」
それだけ言うと、カヤは鎌を引っ込めた。息を詰めていたサキトは、やっとの思いで息を吐き出した。カヤは今度はディックへと視線を移す。
「そっちの坊やも、わかったかい?」
ディックは引きつった顔で、何度もうなずいた。カヤはやれやれという表情で、カーティの方を振り返った。
「この二人はあんたに任せるわ」
カーティは不服そうな表情を浮かべつつ、しぶしぶと引き受ける。カヤが邑の畑へと向かうのを見届けた後、カーティは二人の少年へと向き直った。
「さあとりあえず、邑を案内しますか。立てるかい、少年」
まだ座り込んだままのサキトへと手を差し伸べる。しかしサキトは立ち上がろうとしない。
「もしかして、腰が抜けてるのかな」
カーティの言葉に、サキトは無言で睨みつけた。どうやら図星だったようだ。
「仕方ないねえ、しばらく待ってあげましょう。君も座りなさい」
カーティはサキトの隣に腰を下ろすと、ディックに向かって手招きした。
「なあ。あいつって、いつもああなのか?」
「あいつって、カヤさんのことですか? いつもと言えば、いつもですかね。最近はまだおとなしくなったほうですよ。以前なら、相手に怪我を負わせてましたからね」
事もなげにカーティは答える。サキトは今更ながら、ぞっとした。
「無法地帯っていうのは、本当なのか?」
無法地帯だとわかっているつもりだった。だけど、カヤの言う無法地帯は、サキトの思っていたものより、ずいぶん厳しいもののようだ。
「罪を犯しても罪にならない、犯罪者の楽園だと思っていたのに。それにびびっちまうなんてな」
「君なんて、犯罪者としてはまだまだ甘いってことですよ。私なんか、もう何十人も殺してますからね」
さらりと言われた言葉に、サキトは思わず目を見開いた。どう見ても優男風の青年が、そんなことをするとは、とうてい信じられない。
「まあ、だから私が君たちの世話役に選ばれたんでしょうけどね」
さあ行きましょうか、と穏やかな口調で続ける。ディックもずっと強い日差しの下にいたので、ひどく辛そうだった。今度こそ立ち上がろうとして、サキトは顔をしかめた。どうやらまた、腰を抜かしてしまったようだ。