ナイフ
============================================================携帯電話を持つ手が一瞬だけ震え、
そして硬直してゆく。
意識が閃光のように白く弾けて、
そのまま痛いほど鮮明になってゆくのを、
遊哉はどこか遠くから見るような気持ちで受け入れていた。
ドラマで良く見るように、電話を取り落とすことも、
意識を失って倒れることも出来ない。
『遊哉、大丈夫?』
「…………」
『遊哉?』
押し黙った遊哉を気遣う、紺の躊躇がちな声だけが聞こえる。
ややあってから、遊哉は深い息を吐いた。
震える吐息に続けて、一言だけ返す。
「信じない」
×××
それからの数日はまるで嘘のように早く過ぎて、
何をした覚えも無いまま、今日に至る。
事務所が用意してくれた黒いスーツに袖を通した時も、
二人の両親に只黙って頭を下げた時も、
全く実感が涌かなかった。
紺が両親たちに弔辞を述べている姿を、遠くからぼんやりと見詰める。
――大の大人が泣く姿を、初めて見た。
自分の子が自ら死を選んだことだけでなく、
それが同性との心中であったことも、
親の心痛に拍車をかけているのだろうか。
真と直が心中を選んだのは、紺から電話があった前の晩だったそうだ。
二人は手を繋ぎあったまま息絶えていて、
死後硬直した二人の指を引き離すのは不可能だったとか、
だから例外的に一緒に葬るのだとか、
誰かがそんなことを言っているのを遠くに聞いた。
二人の手首を繋ぐ深い深い切り傷も、
二人の穏やかな死に顔も、
遺書ひとつ遺さない静かな旅立ちも、
全てが遊哉の肩に重く圧し掛かって来る。
けれど、不思議とそれが自然なことのようにも思えた。
理性の一部がこの結末を知っていたから。
初めから分かっていた。
絶望的な恋をしていたことも、
この想いの先には破滅しか備えられていないことも。
それでも信じたくなかったのが、理性を遥かに上回る、遊哉の「感情」で。
「真って、直以外の誰かを選ぶ可能性、あるん?」
「はぁ?」
唐突にそんな問いかけをした遊哉に、
また良く分からないこと言って、とばかりに苦笑した真。
二つやそこらしか変わらないのに、ひどく子供扱いされている気がして、
腹立ち紛れに、真の手から火の点いた煙草を奪い取った。
「つまり、直以外の誰かに好きだって言われたらどうするん、って聞いとるの」
「誰かって?」
「別に誰でも。紺ちゃんでもええし、真の好みそのままの女でもええし」
「ああ…そうだねー…」
指先で煙草を弄ぶ遊哉を眺めながら、真は考える振りをする。
答えが決まりきってる、分かりきってるのは、お互いに知っているのに。
「…まあ、無いんじゃないかな」
「――やっぱり、直を選んだんやな」
まだ人の居ない客間に上がりこみ、
棺の窓から覗く真に向かって、そっと語りかける。
「こんな倖せそうな顔して…」
今もやっぱり向こうの世界で、二人で仲良く過ごしているのだろうか。
キリスト教だったか仏教だったかが、自殺した者は地獄行きだと言っていたっけ。
けれどこの二人の行方には、地獄さえその存在も能わないように思える。
それくらい、真と直の愛情は深かった。
そこには誰の踏み入る余地も無かった。
遊哉がどんなに真を想っても、
たとえ直以上に想っていたとしても、
直には、遊哉に無い何かが在った。
そして真は其れを愛した。
直も又、遊哉には見えない、真の中の何かを愛したのだろう。
決められた相手にだけ共鳴するかのような、理想の愛。
だから真と直は、こんな道を選べた。
そんなことを思うと、ふたりの死さえも羨ましく思われる。
「…でも、信じないよ」
掠れた声で呟いた。
乾いた部屋に響いた声が、酷く白々しい。
こんな結末で、二人が倖せだなんて。
信じない。
生命の摂理に逆らって死を選んだのだ。
こんなに沢山の人を泣かせて、
あれだけ必死に守ったバンドも棄てて、
二人だけで倖せになんかなれるものか。
倖せになんか、してやりたく、ない…
「信じない…」
真の頬に、ぱたぱたと透明な液体が零れ落ちる。
噛み締めて切れた口唇からは赤い液体が零れ、
透明な雫に混ざって不思議な模様を描き出した。
――この痛みはどうしたら良い?
眼の奥が灼かれているように熱くて、
心臓が締めつけられるように痛い。
真が自身も知らぬ間にこの胸に突き立てたナイフは、
一生抜けることは無いだろう。
真と直の手首から流れた血、
それを優に越える勢いで、この傷からは血が溢れ出す。
「真…」
答えて、笑って、そして助けて欲しい。
もうその心なんか望まないから、
ただその存在を以て、この痛みの中から救い出して。
只のメンバーで良い、傍に居てくれるだけで。
「…し、ん…」
幾ら呼んでも応える人の居ない名を、
遊哉は呼び続ける。
目に見えることの無い血溜まりの中から――
======================================================================ナイフ三部作完結編。
雪緒さんが「遊哉だけ使ってないよ〜」っていってたので、
遊哉関連でネタを考えたら、昔の真×遊哉ネタを思いだしたので、
すすめてみました。
「残された者の気持ち」ということで。
自分の倖せって、結局何かを犠牲にしないと成り立たないんだと思う。
確かに人間、生まれながらにして、倖せになる権利っていうのを持ってる。
自分なりの倖せを追求する為に、生きてるんでしょう。
でもその過程で、必ず何かを犠牲にして、誰かを傷つけてしまう。
私は自殺を肯定しませんが、死にたいと思うことは多々あります。
でもいくら思っても、結局死ぬことなんてできない。
死ぬことが自分の最高の倖せだとは思えないから。
これから生きていけばどんな楽しいことが待ってるかわからないし。
なんかもったいない気がして。
でも死ぬことより生きることのが辛い人だっているんだよね。。
私の伺い知れぬ辛さを抱えてる人だっているんだろうし。
だから否定もできないんだけどね。
ナイフシリーズのシンナオは、自分たちの倖せのために死にますね。
それはそれでいいと思うんだ。彼等が倖せなら。
でも、私は遊哉の方に共感します。
自殺が人に何の影響も与えないわけないんだよ。
これを見ている人で、自分が死んだって誰も何も思わない…
なんて思ってる人がいたら、考えて欲しい。
私と何の面識がない人でも、うちのサイトに訪問してくれてる人が
亡くなったと聞いたら、私だってすごいショックを受けます。
確実に私はあなたの死に衝撃を受けるし、哀しい。
死は美徳じゃないんだよ。
ってなんであたしこんなに説教臭くなってんだろう。(笑)
思春期独特の死への憧れってあるんだって。
そう死ってとても綺麗なものに思えるよね。
でも目の当たりにしてみると、ホントそんな美しいものじゃないんだよね。
哀しみのパワーって半端なもんじゃないから。
ナイフのシンナオ、イス紺バージョンも、
決して死を美化した話ではないよね、雪緒ちゃん?
完結編を期に、「ナイフ」の本当の意味を考えてみてください。
そして雪緒ちゃん執筆本当にお疲れさま!
異様に長いアトガキでごめん。ホントに。
(2001.0512 のち)