Que sera sera
―――――――――――――――――――――――――時計を見ると、午前10時.
約束の時間には間に合いそうもない。
「あーあ」
おまけに外は雨だ。
傘なんか持って来ていないというのに。
「…ま、いっか。思ったよりもらえたし」
溜息をついて、脱ぎ散らかしたままだった服を拾う。
腰をかがめる度に感じる鈍い痛み。
この痛みと引き換えに、欲しいものを手に入れる
――そのために必要なものを手に入れる。
好きなものを欲しいという気持ちの、どこが間違ってる?
難しいことは分からない。楽しいことしか考えない。
そうやって、嫌なことを乗り越えてきたのだから。
「ごめん、30分遅刻っ」
スタジオに飛び込んだToshiyaに、メンバー達の視線が一斉に集中する。
びしょ濡れのその姿に、始めに反応したのはDieだった。
「傘差さないで来たんか!?」
「うん、急いで走って来たから」
「濡れネズミやん」
「そんな事したら風邪ひくやろ。お前、ホンマ阿呆うやなぁ」
「ひどいなぁ」
ShinyaとDieの物言いに、Toshiyaはふわりと苦笑する。
漆黒の髪の先からぽたぽたと滴る雫を見かねたのか、
京が手近にあったタオルを投げて寄越した。
「床までびしょびしょになるやろ」
「ごめん。このタオル使っちゃっていいの?」
「ええから早よ拭きや」
「うん。ありがと」
無愛想な京だけれど、Toshiyaがお礼を言うと、
少し照れたようにふいと顔を逸らす。
そんな京の様子に思わず笑みを零しながら、髪を拭こうとして、
Toshiyaはふと薫の姿が見えないことに気付いた。
「…薫くんは?」
「トイレやろ。タバコすってくるとか言っとったし」
「そ」
「Toshiya君も鏡見て来たほうがええんやないの?
髪、滅茶苦茶になってんで」
「そんなにひどい?」
Shinyaの言葉に問い返すと、Dieと京の二人も頷いている。
そんなに酷い格好なのかと苦笑して、Toshiyaはその場を離れた。
「薫くん」
「…お前、随分ひどい格好してるんやな」
Dieの言葉通り、薫はトイレの洗面所のところにいた。
窓を細く開けて、タバコを蒸かしている。
タバコ嫌いのShinyaの前ではすわないようにしているのだろう。
「みんなそう言うんだけど」
「今日は朝から降ってたのに、何で傘差さなかったん?」
「…遅刻して急いでたから」
――その薄い口唇。
タバコを銜える様が妙に似合って、色っぽくて、
何だか好きだと前触れもなく思った。
「どうせメンバーだけの集まりなんやし、そんな急ぐ必要もないやろ。
それにお前がそんなに急ぐこと自体、ずいぶん珍しいことやな」
「そんな物珍しそうに言わなくてもいいじゃん」
どこか見透かしたような、切れ長な瞳でToshiyaを見つめて問う。
冗談で済まそうと笑って、Toshiyaは鏡に向かった。
その背後に、薫はごく自然な仕草で歩み寄ってくる。
「…何?」
「キスマーク」
「そんなもの無いよ」
「金もらってるん?」
「…何言ってるの?」
誘導尋問の応酬だ。
首筋の、自分からは見えない位置に、薫の細い指先が押しつけられている。
昨日の客にキスマークをつけられた覚えはなかったけれど、分からない。
ここのところ連日のように客と寝ていたから。
「…言っとくけどな、」
ややあってから、ふっと指が離れた。
そこだけが熱を持っているかのように熱い。じんじんする。
そして、薫は言った。
氷なんかより、よっぽどつめたい声。つめたい言葉。
「そんな汚い金で買った楽器なんか、ウチの楽曲に使うなよ」
「…結局練習になんなかったじゃん…」
しとしと しとしと 降り続く雨。
朝から晩まで降り続く雨は、身も心も重くする。
スタジオの入っている建物の非常階段に、Toshiyaはひとり座り込んでいた。
気休めのつもりで火を点けたタバコは、もう4本目だ。
「汚い金って…冗談じゃないよ。マトモに稼いでベース1本買うのに、
一体どれだけかかると思ってるわけ?」
自分だってギタリストのくせに、そんなこともわからないわけじゃないだろ。
――そんな愚痴は、後から後から溢れてくる。
でも、それが筋違いであることは自分が一番よく知っていた。
だから、最後に出てくるのは、やっぱりこの一言なのだ。
「…俺だって、これでも頑張ってんのに」
欲しい物を手に入れるために、客とギヴ&テイクで。
…欲しい物って何?
(何時帰るつもりなんだろ…?)
(まさか泊まり込みでやるつもりじゃないだろうけど)
(こうやって待ってみると、)
今まで待たせておいて振った客の気持ちが分かる気がする。
約束もしないで相手を待つというのは――待つと言うよりはむしろ
待ち伏せに近いとは言え、これはかなりのギャンブルだと思う。
可能性は半々。
来るか来ないかのどちらか。
そして尚も降り続く雨は、折角乾かしたToshiyaの体を再び濡らし、
体温を奪って行く。
――そうやって薫の車の横に座り込んでから、何時間が経ったのだろう?
「じゃあ明日なー。おやすみ」
「ああ、お疲れ」
半ば意識を失うような形で眠りかけていたToshiyaは、ふと聞こえてきた
Dieと薫の声に目を覚ます。
Dieが自分の車の方に向かったのを足音で確認してから、
Toshiyaは立ち上がった。
「薫くん」
「…Toshiya?何やっとるん?」
こちらの存在に気付いた薫は、ひどく怪訝そうだ。
こんな時まで冷静な彼の口調が、何だかひどく悔しい。
「来るの遅いよ」
「…俺は残ってDieと練習するって言ったやろ?」
「…うん」
そう言って5人揃っての練習を終わらせたのが、もう4時間前。
この雨の中、そんなに待っていたのかと思うと、我ながら馬鹿だと思う反面、
ちょっと感動してしまうのも否めない。
「長くても2時間くらいで終わると思ってた」
「…乗るか?」
「いい。でも何のために待ってたかっていうのは分かるよね?」
いつもと変わらない、平然とした口調だけれど、寒さのために僅かに指先が震えている。
そんなToshiyaに、薫は傘を差しだした。
「…さっきムカつくこと言われて、言い返せなかったから。
でも、ここでずっと薫くん待ってたら、全部どうでもよくなっちゃった」
「何やそれ?お前、ホンマにヘンやで」
「自分でもそう思う。変だよね」
呆れ果てたような薫の口調と言葉に、Toshiyaは思わず表情を崩す。
と、薫がふいに視線を逸らした。すこし躊躇ったように口を開く。
「…でも、悪かったな。俺も口悪いから」
「うん」
「ちょっと嫉妬してみたりな」
そう言って、初めて薫は笑う。
それは些か皮肉を含んだ笑みではあったけれど。
「でも、これはお前の事で、俺は何も言えない事やから。…だから嫉妬」
「…うん」
――ああ、そうだ。
「嫉妬してくれてたんだ?」
欲しかった物は、高価なベースやブランド物の服やアクセサリや、
そういう物では決してなく。
こうやってドキドキしながら人を待ってたりするという事。
もう少し早くソレに気付いていたならば良かったのになと少しだけ後悔した。
「…一応」
「ずいぶん曖昧じゃん」
「まあな」
二人、声を合わせて笑う。
お互いに対する苦笑と、己に対する嘲笑の混ざった、複雑な笑い方で。
…そしてそのまま、唇を合わせた。
一瞬だけ触れて、すぐに離れる。
けれど二人の間には何の変化という変化という物もなく。
相変わらずToshiyaは体を売って稼ぎ、薫はそれを傍観する。
…そういうものだ。
<END>
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初のカオトシ。
とっちって娼婦っぽいイメージあるよねぇ?(ないって)
何か変わるきっかけはあっても、それがあったからといって、
関係が変わるわけじゃない…そういう経験てあるよね。
そこに妙にリアリティを感じました。
コメント:のち
作:雪緒××××××××××××××××××××××××××××××