自慢屋、骨川スネ夫の深い知識と熱意とテクニック
連載初期の頃は、のび太のカタキ役は、ジャイアンよりもスネ夫であることが多かった。
今では、ジャイアンの腰巾着的な印象が強いスネ夫だが、初期のエピソードではあのジャイアンを子分のように従えているシーンさえ登場している。
のび太はスネ夫にバカにされ、からかわれ、様々な豊かさを自慢している。
その悔しさから、ドラえもんに泣きつくことになる。
ドラえもんもスネ夫の名前を聞いただけで「負けてたまるか!」と異常なまでの対抗心を燃やす。
スネ夫が経済的に豊かで、そのことを自慢するのがどうしても我慢ならないようだ。
これは、ドラえもんがのび太のところにやってきた理由に関係があるだろう。
のび太のせいで貧乏を余儀なくされた孫の孫のセワシくんが運命を変えるために22世紀の未来から送り込んできたのがドラえもんである。
未来の世界でどんなことがあったのか詳しくは説明されていないが、貧富の差から生まれる屈辱感に対してかなり敏感なものを持っている。
だから、経済的に裕福で恵まれていることを自慢するスネ夫は、まさしくカタキ役であり、ドラえもんのライバルとしても存在していたのだ。
また、子供たちが欲しがる物や事をほとんど手に入れることができるうらやましい存在としてのスネ夫は、それを自慢するという嫌味な性格だ。
のび太を肉体的にいためつけるジャイアンに対して、精神的にいためつけるカタキ役である。
連載が始まった昭和45年はまさに高度経済成長の真っただ中にあったが、しだいに物が溢れ始め、ほとんどの日本人が中流意識を持つようになっていく。
貧富の差が、闘争心のエネルギーとしてのリアリティーを失った時、スネ夫の財力はジャイアンの原始的かつ肉体的な強さの前に、ガキ大将の座を明け渡すことになる。
その後もスネ夫の豊かさ自慢は繰り返されるが、たんに経済力があるというだけでできることではなく、社長であるパパの人脈やコネを利用した自慢ネタが増えてゆく。
より高度なテクニックと交渉が必要なレベルでのコレクションになり、芸能人のサインや、発売前の漫画雑誌、アニメビデオの特別入手、されにはエキストラではあるがテレビ出演などに自慢の活路を見出していく。
経済格差が縮んだ時代になっても、持てるものの虚栄心満足への欲求はとどまるところを知らない。
ここまでひたむきに自慢ネタを求め続ける姿を見ていると、その熱意とマメに動き回るエネルギーにはかえって感心させられるくらいである。
スネ夫の自慢の趣味の世界には、ラジコンをはじめとして鉄道の9ミリゲージ、ジオラマセット作りなどがある。
これらは、ホビーのマニアである従兄のスネ吉の指導や豊富な資金もあるが、それ以上に深い知識と熱意とテクニックがなくては実現できないものである。
これもかなり高度なレベルに達している。
実はこれらの趣味は、藤子・F・不二夫の趣味のあらわれでもあるのだ。
ジオラマの製作や鉄道の9ミリゲージなどは、藤子・F・不二夫も実際にかなり凝ったものを作って楽しんでいた。
ホビーを語る時、いつにもましてスネ夫が饒舌(じょうぜつ)かつ造詣(ぞうけい)の深さをみせるのは、スネ夫を通して作者が自分の好きなホビーについて薀蓄(うんちく)を語っていたのからだろう。
スネ夫は、たんなる自慢屋ではなく、こうした作者の趣味の代弁者でもあったのではないだろうか。
以上の事柄は、小学館「ド・ラ・カルト」を参考にして書いたものです。
さて、これに対するコメントを書くとしよう。
今でもスネ夫はのび太がドラえもんに泣きつく原因になっているのではないだろうか。