WJ28号感想 |
怪奇千万も神撫手も……なんだかんだいって、そこそこ楽しめる漫画でしたね。 守護神が終わった今、しみじみと僕は思うのです。 ☆☆☆ディグレ☆☆☆ (´-`).。oO(……やっぱり空気漫画だなあ。) ☆☆☆デスノート☆☆☆ 世間的に「こういう展開だったらヤだよね」と言われていた、「もう一人デスノート所持者がいる」展開でした。 でも、思ったより悪くないです。 考えてみれば死神はみんなヒマヒマしてるわけで、リュークが下界で楽しそうにしていれば便乗してみたくなる死神もいるでしょう。 デスノート所持者が増えたって、違和感ないといえばないです。 そして新キャラのミサたんに激しく萌え。 死神の眼ゲットして寿命半分失ってるところに(*´д`*)ハァハァ L&ライトという人外どもに狙われて既に死地に半歩以上突っ込んでるところに(*´д`*)ハァハァ 特殊属性「今にも死にそうな女の子萌え」の僕としてはシズク以来のヒットです。 これでメガネなら完全に代替可能なのになあ。実に惜しい。 しかし、南空さんの例からしても彼女は後3、4週のうちに死にそうです。 ミサという名前からはやっぱり黒井ミサを想起してしまいますが、幾らかイメージしてるんですかねー。 ☆☆☆リボーン☆☆☆ タバコの火をダイナマイトにつけるのはともかく、タバコに火を点けた後にタバコからダイナマイトに火を移すのはまったく無駄のような……作者の意図的なツッコミどころなんですかね。 死ぬ気弾さえあれば、10代目が主人公である必要はまったく無い気がします。 今週でずいぶん空気漫画化したような…。 ☆☆☆テニス☆☆☆ 1ページ目1コマ目から爆笑。 なんだこの中学生は! その後の柳先輩の『弦一郎の究極奥義』にも爆笑。 彼らは真拳使いだったようです。ギガのオブジェ真拳には気をつけて! ☆☆☆いちご☆☆☆ 久しぶりに流し読みしてみましたが、読んでて死にそうでした。 いちごがどうとか、さくらんぼがどうとか・・・。 ここまでイカれた漫画でしたっけ?これ。 ネタとしても、僕にはもうムリだなあ。 ☆☆☆赤塚賞選考結果☆☆☆ 講評「バトルもののパロディには飽きた(武田)」 月ジャン巻末で3枚目キャラを演じてる武田さんを知ってるものとしては、こんな厳しい武田さんは何かイヤです。 KESHIPIN弾は普通に読んでみたいけど…。 ☆☆☆ゲドー☆☆☆ うーん、基本的にはアホらしくて良いのですが、少しだけシリアス路線へ針路変更したのがすごく不安です。 今週はこれまでほどには面白くなかったし。 この進路方向がハズレて打ちきりになるんじゃないかと、2クール目始まってスグなのにビクビクです。 ☆☆☆ぷーやん☆☆☆ つかみにゲマトリアを使うのは悪くなかったんですが…。 ゲマトリア間違ってませんか? これ、高い演算能力を手に入れた、ってだけでも良い気がするんですがね。 もちろん漫画的には主人公の能力に「ゲマトリア」なんていうネーミング与えたほうが読者も馴染み易いのでしょうが…。 しかし、演算能力が発達したからボールの起動が計算できるというのと、名前を数字に置き換える能力はまったく次元の違うものだと思います。 後者は基本的に占いで、やってることはMMRと変わりませんし。 そりゃあ小学生を騙すには十分な気もしますけどね。 個人的にはゲマトリア使わない方が良かった気がします。 あと、生徒会がどういう人たちなのか良く分からないです。 暴力的に学校を操ってるのかと思ったら、普通に校則違反の摘発とかしてますし。 ☆☆☆ジャガー☆☆☆ 最近のジャガーは目次コメントと合わせて読むと楽しいです。 「うすた先生が苦悩するとこういう作品になるんだなあ」って。 僕らのような凡人には、どの作品が苦悩の末の作品であり、どれがうすた先生の会心の作か分からないですから。 ☆☆☆守護神☆☆☆ 終わった。ついに、終わった。 11週もの長きに渡り掲載されつづけた少年守護神がついに終わりました。 「守護神がスピンちゃんと同じ11週だなんて信じられない!」 「11週も連載を許すなんてジャンプ編集部は東先生に甘すぎる!」 など、ものすごい酷評を受けていた守護神。 いやあ、本当に酷い作品でした。 それでも酒のみが出てくるまでは、下の下くらいの作品だったんですがね。 バトルを描くのがヘタだヘタだとは思ってましたが、まさかここまで酷すぎるとは…。 今年中にこれを超える酷い作品は現れるのでしょうか。 東先生の作品を超えるものは東先生の作品しかない気がします。 今週の感想。 アクラさんは甲冑の下に鎖帷子などは着てなかったのでしょうか。 この漫画は鎖帷子さえ着てればどんな攻撃も防げるという設定だったはず。 最後まで姫さまの歌は♪なんですね。 導殺眼はアクラ戦ではクソの役にも立ってないですね。 あずまけいしん(東直輝)は削除。今は好きじゃなくなったから、別にもういいかな〜って。 絵は今でも萌えるんだけどね。うん、私にとっての「萌え絵」ってあんな感じ。 ああいう絵は好きだけれど(猫口女は苦手だけど)、今のはネタとしても楽しめないし、面白くないや。 (シェルターさんより) ついにシェルターさんからも見放された東先生。 聖母のような慈愛で世のクソ漫画たちを暖かく見守り続けたシェルターさんですら守護神はムリだった(!) そんな東先生に明日はあるのか!? ☆☆☆黒猫☆☆☆ な、なんということでしょうか・・・。 僕は今週の黒猫1ページ目を見ただけで、あまりの光景に愕然としてしまいました。 ゼノとシルバです。 かねてよりベルゼーはシルバにパクられてるのではないかと噂されてきました。 しかし、僕は幾ら何でもそれは言い掛かりだろう、と気にも止めていませんでした。 ですが、違ったのです! 本当にベルゼーはシルバにパクられていたのです。 しかも、ゼノもセットで! No,]Uの服のどこかに「生涯現役」と描かれていないか探してしまったほどです。 それにしても本当に冨樫先生は黒猫が大好きなのですね。 ここまであからさまなパクリをされては、冨樫先生を責める気にもなれません。 矢吹先生の黒猫が魅力的過ぎるのが悪いのでしょう。 矢吹先生は罪なお人です。本当に本当に罪なお人です。 冒頭3Pでかなりお腹いっぱいになりましたが、次からは決着後のトレイン・クリードさまのエピソードです。 前回で妄想虎徹を破られたクリードさまは、意識を失い屋根から滑り落ちようとします。 それを咄嗟に助けるトレイン。 これは以前屋根から落ちそうになったトレインをクリードさまが助けたシーンを想起させます。 二人とも何という紳士でしょうか。 「てめェが死んだら、何のためにこんな苦労したかわかんねェ…だろッ」 やはり、トレインは紳士革命を止めるだけでなく、クリードさまの身体までも心配していたのです。 クリードさまは紳士革命成就の際には全人類面接という荒行を己に課そうとしていました。 それはセフィリアから「狂った野望」と呼ばれるほどに、己の身を顧みない荒行だったのです。 いくら不死身の身体を手に入れたクリードさまといえど、そのような苦行に精神が耐えられるはずがありません。 トレインはそのことをも苦慮し、クリードさまの紳士革命を止めようとしたのです。 満身創痍で力の入らないトレインを救ったのはリオンでした。 目を覚ましたクリードさまが叫びます。 「このゴミためのような世界を、同じように呪って生きてきた君なら!!!」 クリードさまは自身の紳士精神が優れすぎていたため、世界がゴミためのように見えていたのです。 確かに、クリードさまほどの紳士から見れば、世の中のほとんどの人間はゴミのように非紳士的な人間に見えてしまうのでしょう。 それゆえに、クリードさまは全世界の人間を紳士にしようと、紳士革命を企てたのでしょう。 それに対して、トレインが答えます。 「けど…サヤに会って俺はわかったんだ。 どんな世界でも…自分の心の持ち方次第でいくらでも面白くなるって…な」 そうなのです! これこそ、まさに矢吹先生が今回のシリーズで描かんとしていたことなのです。 トレインは、一人一人が心の持ち方を変える(紳士となる)ことで世の中は幾らでも面白くなる、そう述懐しているのです。 つまり、全ての人間を紳士にすることは難しくとも、少なくとも自分が紳士でありさえすれば良いのだ、と言っているのです。 昔から、紳士と紳士は引かれあう、といいます。 現に一級紳士たるクリードさまの元には道使いという一級の紳士たちが集いましたし、彼らの戦う相手も掃除屋同盟・クロノナンバーズといった紳士ばかりでした。 トレインがサヤと出会い紳士となってから、スヴェンという紳士的な相棒を得たこともそうでしょう。 クリード・アイランド編における黒猫のテーマ。 それは自由意志による紳士と、機械化による矯正的紳士の葛藤でした。 全人類に機械の身体を与え、矯正してでも紳士にするべきと考えるクリードさま。 一方で、自由意志による紳士こそ真の紳士と考える主人公トレイン。 両者の理想はどちらも一長一短。 僕たち読者にはどちらが正しいなどと言うことはできません。 しかし、ここで矢吹先生が用意した答えは「自由意志による紳士の元には紳士が集う」というものだったのです。 自由意志による紳士と、紳士的な仲間は両立しうるのです。 この極めて難解な問題に、これほどまでに見事な回答を用意していた矢吹先生の才能には驚嘆せざるを得ません。 イヴは自分のナノマシンの力を用い、クリードの身体から不死のナノマシンを取り除きます。 僕の記憶が確かならば、フドウ・ムンドックペアに同様の処理を施した時は 「無理よ……。ゲーム機と人体じゃ全然違うし」と言いながらも、やむを得ず行っていました。 しかし、今週のイヴからはそのような姿勢はまったく見られません。 ミスってクリードが死んだりとか、人ならざるものに変わったりとか、そのような危惧は一切していないようです。 彼女も鬼星隊との紳士的激闘などを通し、自分のナノマシン制御に自信を付けたということでしょう。 このようなさりげない1コマからも、イヴの成長を描く矢吹先生は本当に抜け目というものがありません。 不死のナノマシンを失ったクリードさまはエキドナ女史とワープで消えていきます。 このシーンが遊幽白書の仙水編ラストにパクられていたことは言うまでもありませんし、兼ねてより議論されていた通りです。 「私が守るよ…」がしばらく前のキルアにパクられていると見るのは、流石に意地が悪すぎますでしょうか。 「本当は…あんたにはずっと人間のままでいてほしいと思っていた」 エキドナ女史の述懐は、クリードさまに人として、仲間としての立場を求めるものでしょう。 紳士革命を成功させても、一人で全人類の面接を続けなければならないクリードさまの孤独は終わらないのです。 それよりも同じ人間として紳士道を歩みたい、エキドナ女史はそのように考えているのでしょう。 前回、トレインはスヴェン・サヤ(の幽体)といった紳士的な仲間の助けを借り、孤独な紳士クリードさまを打ち倒しました。 彼らの勝敗を分けた決定的な差は「仲間」だったのです。 紳士道には、共に歩むべき仲間が必要である、矢吹先生はそのように仰っているのです。 「紳士」というタームのもと完全な論理的整合性を保ったまま、クリード・アイランド編は一端終結を迎えました。 後は来週のセンターカラーにて、グランドフィナーレを迎えるだけです。 ですが、ここで私たちには一つの疑問が残っています。 そう、トレインが自らの命と引き換えに放った最後のレールガン。 何故、あれがトレインの命を奪わなかったかのか、何故トレインはピンピンしているのか、ということです。 その答えは、実はそれほど難しいことではありません。 レールガンを放つ前に、クリードさまは屋根から落ちそうなトレインを第三の手で掴み、そのまま柱のへこんでいる部分に運びました。 トレインはクリードさまの優しい気遣いに感謝し、そのときリラックスのあまり少しだけ眠りに落ちたことは皆さまご記憶のことと思います。 そうです!その小休止において、レールガンは一発分くらい回復してたのです。 かつて名作『神撫手』においても、主人公が「一眠りしたから神撫手が回復した」というシーンがありました。 それと同じことが黒猫で起こったとしても何の不思議もありません。 トレインは最後にクリードさまの命を救いましたが、同様にトレインの命を救ったのもクリードさまの紳士的行為だったのです! ああ、なんと完成されたバリアフリー世界でしょうか! 矢吹先生は偉大です。 矢吹先生は偉大です。 来週はセンターカラー。 グランドフィナーレですよ、皆さん! |
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