●電車内マナーについて真面目な考察 |
皮肉じゃなくて、以前からどうしても理解できないことなんですが、電車の中でものを食べるのは何がどうマナー違反なんでしょうか。 電車内でのマナーを検索してて改めて思いました。 たとえば、こちら(http://blog.livedoor.jp/m-06_16350/archives/13499853.html)のページでは、以下にあげる7点を管理人さんは全て「許容範囲外」と感じているようです。 1)電車の中で、ものを食べる(ガム、飴は除く) 2)電車の中で、化粧をする 3)電車の中で、携帯電話で話す 4)電車の中で、携帯メールを打つ 5)電車の中で、携帯電話の着信音が けたたましく鳴る 6)電車の中で、イヤーフォンから大きく音が漏れている 7)電車の中で、床に座る 僕は物理的な迷惑さえ蒙らなければ別に問題を感じないので1〜7まで全て許容範囲内です。 2に関してはパウダーを撒き散らしたり、混み合った電車の中でなければOKです。 3は他者と10cm以上離れていれば問題ないと考えます(ペースメーカーの関係上)。携帯電話の話し声も、隣の人と話してる声も、物理的影響に関しては変わりません。 4は同じく10cm以上離れていれば。これは音も出ないし何一つ問題ないと思います。 5も耳をつんざく大音響でなければ構いません。大体電車の走行音の方が大きいです。 6も同じく電車の走行音の方が大きいです。なぜこれが気になるのか理解できないです。 7は混んでたり通行の邪魔にならないなら構わないでしょう。 ただ、これは僕の意見であり、これらはどれも一応理屈の上では反対理由を考えることはできます。 例えば、化粧は完成形を見せるものであり、過程を見せるのは周りの人間を人間扱いしていないという理屈。 これなどは全く共感できませんし、単に理屈をこねてるだけとしか思えませんが少なくとも理屈のレベルでは理解できます。 携帯に関しては、調査の限りではペースメーカーから3cm離れていれば誤動作の可能性はないと言われていますが、科学はいつの世も完璧ではないので0.0000001%くらいの可能性で1M離れてても誤作動を起こす可能性がないとは言いきれません。それを言ったらピースメーカー使用者は携帯電話を一生使えないと思いますが。 携帯とヘッドフォンに関しては、一切の騒音が許せない、という人がいるのかもしれません。 そういう人は電車の走行音はなぜ許せるのかと小一時間尋ねたいのですが、きっと「電車の走行音は仕方ないが、人が出す音は出さないこともできる」と言うのでしょうね。 到底納得はできませんが、一応言い分は理解はできます。 7に関しては、これは物理的に邪魔にならないケースというのが考えにくいというのが問題でしょう。人が全くいない車内で床に座るなら問題ありませんが、それならその人はきっと席に座ると思います。そうでなければ物理的に迷惑な可能性が高いでしょう。 と、ここまでは序文に過ぎないわけですが、問題は車内での食事です。 車内での食事に一体何の問題があるのか? 僕は25年間生きてきて、これの明確な理由がどうしても分かりません。 Googleで理由を検索しましたが、やはり納得させられる答えはありませんでした。 まず、僕でも理解可能な車内で食事をすることの物理的な迷惑について考えてみます。 ・くさやを食べると周りが臭い。迷惑だ。 ・生グレープフルーツをかじると果汁がだらだら垂れて床が汚れる。迷惑だ。 ・食べる時に醤油を撒き散らしたり、お弁当を引っくり返したりする。 ・酒臭い。 これらが問題であるというなら僕にも理解可能です。 ですが、それならば何故電車内でソフトドリンクを飲んだり、菓子パンを食べたりすることがマナー違反となるのか? これが今回のポイントで、これがどうしても理解できないのです。 これらが物理的に他人に迷惑を及ぼしている可能性はほぼ無いので、感情的な原因だと思われます。 上記のページでは >>この人たちが電車の中で上記のような行動を起こす時の判断基準は「自分が恥ずかしくないか否か(自分基準)」だろう(そもそも、そんなことすら意識しない人も多いかも知れないが)。その判断基準の中に「自分の行為が他人を不快にさせるか否か(他者基準)」ということは含まれていないように思える。 >> 「全然恥ずかしくないし、他人に直接迷惑かけるわけじゃないから、いーじゃんっ!」くらいにしか思っていないのでは無いだろうか。 >> >> 逆に、上記のような行動を起こさない人は「恥ずかしくないだろうか?」「他人を不快にさせないだろうか?」と考え、行動を躊躇し、止めるのだと思う。 と書かれていますが、そもそも車内でパンを食べることが「恥ずかしい」「他人を不快にさせる」という前提が全く共有されていないので、ここで議論終了となってしまいます。 考えるべきは、なぜ車内でパンを食べることが「恥ずかしく」「他人を不快にさせるのか」ということです。 ですので、なぜ感情的に不快になるのかを考えることにより「車内で食事をすることがマナー違反」である可能性を考えようと思います。 仮説1、食事をしている姿を公に見せることは忌避すべきことである。 確かに人間が食物を咀嚼している場面は、どちらかといえば感覚的に美しいものではないと考えられます。口の中で様々な食物がぐちゃぐちゃとかき混ぜられ、唾液と一体となり、そのような汚らしく原型を保たない物が人の喉を通って胃に納められるわけです。人によっては大変気持ちの悪いものと思うかもしれません。僕は全く思いませんが。 そのような汚らしい光景を他人に見せることが「恥ずべきことである」「人を不快にする」のであれば、一応理解はできます。ですが、この理屈ですと自分が食事をしている姿は友人・家族であれ誰にも見せるべきではないし、オープンカフェなどは論外です。 仮説2、食べているものが気持ち悪い。 例えば、仮にゴキブリとミミズが主食の人がいるとして、その人が電車の中で、目の前でゴキブリやミミズをバリバリと食べていれば僕はきっと気分が悪くなるでしょう。それはマナー違反だと言いたくなります。 しかし、その人にとってゴキブリは菓子パンと全く変わらないものであるのかもしれません。 こう考えるなら、例えば菓子パンが見る人にとって気持ち悪くて仕方の無い、口にするのもおぞましいものであれば、車内での食事がマナー違反であると理解はできます。僕は全く菓子パンが恐ろしくはありませんが、そのような人がいてもおかしくはないでしょう。ですが、このような意見が一定数を集めるほどに、菓子パンを恐れる人間がいるというのは考えにくいことです。 仮説3、外で物を食べること自体が食物に対し失礼。 室内、ならびに飲食店など食事をする専門のスペース以外での飲食は全て失礼な行為であると考えれば、電車での飲食はもちろん眉をひそめる行為となるでしょう。 では、なぜこれらの行為が失礼と考えられるのか? 例えば、電車の中で食事をすることを「時間がない」「忙しい」ことの顕れだと捉えたなら、こう考えても不思議は無いです。食事はゆっくりと落ちついて楽しんで頂くもの、栄養を補給するために食事環境の悪い電車内で急いで食べるのでは食物、またはその作り手に対して失礼である。これなら理解が可能です。 またこの線で考えるならば、なぜローカル線での食事はNGでも新幹線などでの駅弁は許容されるのか理解できます。新幹線には机があり、また目的地までの時間が比較的長いため、「忙しいから移動時間の間を縫って栄養摂取する」のではなく「食事をする環境がある程度整えられた中で食事をする」と認識されるからです。 しかし、それならば最初から急速な栄養摂取を目的として作られた食物、ウィダーインゼリーなどであれば電車内で摂取しても問題ないような気がしますし、また、「ビターインゼリーとおにぎりはどう違うのか?」と言われれば新たな問題が発生します。 *** いまのところ、僕は3の線が濃いのではないかと考えてます(1と2はないと思う)。 ですが3の路線では、まだ僕が車内でパンを食べることを止めるには弱いですね。 正直、そこまで作り手に感謝しながら食べてませんし、本当に高価な美味しい物を買ったときは誰に言われなくても家で味わって食べます。 それに他のページを見ても、どうも3の理由(食物に対し失礼だ)でマナー違反と考えている訳ではないように感じます。 車内での食事がマナー違反とされることについて、誰かより明確な理由をご存知の方がいたら教えて下さい。 (これを書いた1時間後) いま先生と話していて、新しい仮説が生まれました。 例えば、電車内での食事ですが、まずこれは物理的な迷惑を及ぼす可能性がなくはありません。 どんなに気をつけていても人間ですから、食べ物を落としたり、人に引っ掛けたりするでしょう。 また匂いの問題もあります。くさやほど臭くなくてもハンバーガーとか匂います。 それに食べた後のゴミなどが電車内に放置されてるのを見ても良い気持ちはしないでしょう。 こういった物理的な問題とは別に心理的な問題も生まれるでしょう。 例えば僕はまったくそうは感じませんが、ものすごく混み合った車内で隣に立っている人が匂いのない菓子パンを食べていた場合、何かの理由で(寝起きでイライラしてるとか)その行為にBADな印象を受けるかもしれません。 前記の仮説1のように、たまたま咀嚼している口内が目に入り、BADな印象を一瞬受けるかもしれません。 そして、このような「Aという状態において電車内の飲食はBADな結果を生む」ということの繰り返しが、ある一定の飽和状態に達した時、その人の中で「ある特定状況」という枷が外れてしまい「電車内での飲食はいついかなる時でも迷惑である」という非理性的な結論に発展してしまうのではないでしょうか。 「なぜなら私は電車内飲食により物理的迷惑を蒙ることを経験的に知っているからだ」と。 そして、このような考えに至った人が一定数に達した時点で、その考えはコモンセンス(共通感覚/社会的通念)となるのです。 また、そのようなコモンセンスを多くの人が持っているということは、これにより無用なトラブルに巻き込まれる可能性もあり、たとえばその人がなんら物理的迷惑を蒙っていないにも関わらず、コモンセンスにより「お前の行為は迷惑だ」と突っかかって来たり、殴りかかって来たりする可能性もあるわけです。 そのような状態を考慮し、危機回避を考えるならば、やはり結論として「電車内での飲食はどのような状況下であれ禁止」というのが、マナーというかコモンセンスとして強化されるのではないかと。 それで、僕のような人間がなぜ「電車内での飲食がNGなのか」を理解できないのは、おそらく僕が電車に乗る機会が比較的少なく、そのような「電車内での食物に関わる嫌な思い」をした経験が少ないからではないかと思われます。 「特定状況下での電車内飲食は迷惑」から「あらゆる状況下での電車内飲食は迷惑」の間には論理的な飛躍があるわけで、ぶっちゃけ後者のコモンセンスは非理性的な結論です。 しかし、非理性的な結論であっても、その結論に至るまでには理性的な前提があるわけで、それが前者の積み重ね(体験的な積み重ね)である、と。 前者の積み重ねがない僕には後者が理解できるわけがないのです。 これを敷衍すれば、電車内での化粧や携帯電話などもこの仮説で説明できます。 それらによって物理的迷惑を何度も蒙ったことにより「電車内での化粧・携帯電話利用はあらゆる状況でNG」という結論が生まれたのではないかと。 電車内での携帯メール利用など、物理的な迷惑が皆無であるにも関わらずNGと考えられているのは、「電車内での通話は迷惑」などの積み重ねが非理性的な飛躍により「電車内での携帯利用はすべて迷惑」に発展してしまった結果ではないでしょうか。 というわけで、非理性的なレベルの話を理性的に解釈して、なぜ「電車内での食事がNGなのか」について一定の結論が出せた気分になっているわけですが、では、この仮説に基づき、具体的にどのように「電車内飲食について」対処するかという問題になります。 電車内のコモンセンスに従い一切のトラブルを避けるべきなら、電車内では食事も音楽もナシで縮こまってるのが一番ですがそうもいきませんし、そこまで長いものに巻かれる気にもなれません。 ですから、このコモンセンスの元となった「電車内で食事をすると物理的に迷惑を掛ける可能性が高い」ことに敬意を表しながらも、「物理的に迷惑をかけない」ことに注意して飲食をすれば良いのではないでしょうか。 匂いの少ないものを食べる、こぼさないように注意する、ゴミは持ちかえる、とか。 つまり、非理性的なコモンセンスではなく、それ以前となる理性的なレベルでの判断に従う、ということです。 ぶっちゃけると「自分が迷惑を掛けていないと信じてるなら電車内で食べてもいいし、周りの人がどんな嫌な顔しててもガン無視」ということです。 もし誰かが「自分が生理的に耐えれないから止めて下さい」とお願いして来るか、もしくは自分が「気付かないうちに迷惑を掛けていること」を理性的に諭してくれるのであれば、その時は飲食を止めるべきだと思います。 ただ単に「マナー違反だからやめろ」と言われたら僕は反論しそう。面倒だから従う可能性の方が高いけど。 これが現時点での現実的な結論なのですが、もちろんこの仮説が間違っている可能性もあるし、この仮説が間違っていれば結論も改めるべきでしょうね。この結論は「オレは理性的だが、お前らは非理性的だ」と言っているわけで我ながら非常に偉そうなのですが、実際にそう思ってるのだから仕方ない。僕が間違ってたら優しく諭して下さいね。 以下、上記テキストを書いた4日後に追記 掲示板や上述のサイトでみなさんの投稿を頂き、少なくとも自分の中ではある程度の答えが出ました。 ちなみに今回のメインテーマは「なぜ電車内飲食がマナー違反と考えられるのか」という疑問解明であり、またそれに対して得られた仮説をもとに「はたして電車内飲食はすべきではないのか否か」という態度決定をするというものでした。 みなさんからの投稿で、少なくとも確定したのが前者の疑問「なぜ電車内飲食がマナー違反と考えられるのか」です。 これには主に2つの物理的問題があることが判明しました。 「こぼす可能性」と「臭い」です。 すなわち、どれだけ気をつけて食べようと、思わぬイレギュラーで食べ物をこぼす可能性があるということです。 人にクリームパンでもぶつけたら目も当てられません。 そのような危険をおかさないよう「電車内での飲食はすべきではない」というのが1つめの「物理的迷惑の可能性」です。 もう1つは臭いの問題で、たとえば一人が食べているだけなら気にならなくとも、車内の人間全員が色々なものを食べるという場面を想定します。 そして、乗物酔いに弱く、臭いに敏感な人がいたとします。 この状況であれば、乗物酔いに弱い人には物理的迷惑でしかありません。 というわけで、少なくとも「なぜ電車内で飲食をすることがマナー違反なのか」という疑問は解明しました。 実際、物理的に迷惑をかける可能性があったんです。 いやあ、良かった。積年の謎が解明された。さて。 さて、僕としては上記の段階で終わってもいいのです。 なぜならこの先は感覚的な問題となり、結論から言えば「どちらかといえば迷惑なことを知りながらも、腹が減ってて時間がなければ食う」からです。どうしてかといえば「マナーであってルールではなく拘束力がないから」です。 もうこんなジョーカーを出されては話になりませんよね。 だから理性でお話ができるのは、上記の段階までと思います。 ここからは「でも僕は食いたいんだ」という自己弁護的なバイアス(いろめがね)が掛かった、限りなくヘリクツに近いものとして受け取ってください。 ただ、ヘリクツであっても自分が「問題ない」としか思えなければ、やはり電車内で飲食をすることは止めれないわけで、みなさんはできれば僕のヘリクツを打ち破ってみて下さい。 では始めます。 まず、電車内で飲食をして食べ物をこぼしてしまう可能性を考えます。 確かに食べ物をこぼすことは大迷惑です。 ですが、同じようにピンヒールで人の足を踏んでしまうことも大迷惑です。 確かに電車内で食事をしなければ、「こぼす」という危険性は回避できます。 ですが、同じように電車内で靴を脱ぐようにすれば、大ダメージを与える危険性を回避できます。 電車内で食事をすることがマナー違反だとしたら、なぜ靴を脱がないのはマナー違反ではないのか? 靴を脱ぐ必要がないのに、なぜ食事を控える必要があるのか? 次に臭いに関してですが、体臭は仕方がないと考えましょう。 では香水はどうなのでしょうか? 香水はかぐわしい臭いだから問題ない、という理屈は成り立ちません。 肉まんはとても美味しそうな臭いだからです。 これも同様に、香水を控える必要はないのに、なぜ食事を控える必要があるのか、という問題になります。 そこで、さらに議論はこのように展開します。 靴を脱がないのは人の足を踏むために靴をはいているからではないからだ。 人の足を踏んでしまったのは故意ではなく「失敗」だからだ。 同じように、食べ物はこぼすためにあるのではなく、食べ物をこぼすことは「失敗」である。 悪意を咎めることはできても、失敗は(場合によっては咎めるけど、基本的には)咎めることはできない。 こうなると、ここで「許す/許さない」ラインを引くのは、自分がそうしているか否か、になるかと思われます。 自分も靴をはいているから踏む可能性がある。だから踏まれても許す。 自分は食べてないからこぼす可能性はない。こぼすやつが許せない。 じゃあ自分も食べてたらこぼす人も許せちゃう? 少なくとも僕は許せちゃう。 気をつけてたけどこぼしちゃったんだよね、仕方ないよ。 おそらくそう思うでしょう。 高い服にクリームパンつけられたら、怒りはしないがクリーニング代は請求しますけどね。 (大昔、酔っ払って級友にゲロかけたときも、怒られなかったけどクリーニング代請求されました) なぜ、靴を脱ぐ必要はないのに、飲食を控える必要があるのか? 靴を脱ぐことも香水をつけないことも、取ろうと思えば取れる「迷惑を掛けないための行動」。 でもほとんどの人はそれをしない。 もちろん、もしかしたらする人がいるかもしれない。 している人は本当はみんなもそうして欲しいと思うだろうけど、(一部の人を除いては)あえて声高に叫んだりはしないでしょう。 であれば、車内で飲食をすることも同じ次元で考えられるのではないでしょうか? 「みんなも食べない方がいい」と思っても、それを人に強制することはできないのではないでしょうか? これの答えは明白で、強制することはできないんです。 なぜならルールではなくマナーだから。 ここに「マナーの限界」があるのだと思いました。 結局のところ、やはり「正しいマナー」はなく、どこまでを許容するかという自分の美的感覚によるのではないか、というのが結論でしょうか。 そして、僕の脆弱な美的感覚はまだ空腹に耐えれそうにありません。 ここまで来て現在の自分の美的感覚による考えを述べます。 以下、あくまで自分の態度表明です。 まず、シートとかに食べ物や飲み物をこぼしちゃう可能性です。 シートにこぼしたりなんかしたら、きっと電車会社はいい迷惑でしょう。 が、知りません。どうしてもイヤなら「食べちゃダメ」ルールを作ってください。 作らない限りは食べます。 何故なら「こぼす気はないけどこぼしちゃったから」です。 ティッシュとか持ってたらきっと拭く努力はしますが、そんだけです。 次、人にクリームパンをぶつけちゃう可能性。 クリームパンは食べません。 他、汚しやすいものは食べません。 クリーニング代を請求されたらたまらないからです。 あと、イレギュラーが発生しにくいよう、できるだけ態勢を整えて、できれば席に座って食べます。 これだけ気をつけて、さらに人に迷惑をかけたなら、平謝りしてクリーニング代を払います。 でも、おそらくそのようなケースはまずないと思います(突然気を失うとかはありえるけど)。 最後、臭いで酔う人がいる可能性。 電車に乗らないで下さい! ・・・と、言いたいところですが、個人的には、あくまで個人的には、このような人のことを思うと自粛したい気がしなくもありません。 ただ、「いかんせん、そのレベルで酔う人がいることが感覚的に想像できない」ため、どうしたものか迷ってるレベルで、仮に「無作為抽出した100人の人間に聞いたところ10人がわずかな臭いでも電車に酔う」とか、そういう話が出たら直ちに止めますけど、今のところ本当に悩んでる感じです。 正直10000人に1人そういう人がいるくらいなら、食べてもいいんじゃないかと思います。 もしくは無飲食車両を作るとかね。 今のところは、まだ食べる方向かなー。 結局、物理的に迷惑である可能性が分かっても、僕は「それでも食べる」を選んでるわけですが、これが単に議論に負けたくないだけなのか、心の底から共感できてないからなのか、僕が人間のクズなのか、それともやっぱり合理的に考えても「物理的迷惑をかける可能性」の危険性を感じられないからなのか、そこのところは正直分かりません。 分からないものは分からないのだから仕方ない。 まあ、なんか適当に意見とか下さい。 追記)なぜマナーを語る人がしばしば腹立たしく感じるのか、たぶん皆さんが気付いていることに僕もなんとなく気付きました。彼等は自分が正しいと確信を持って語りがちだからですね。「もしかしたら違うかもしれないけれど、これは正当性のあるマナーで守る方が良いと個人的には思うがどうだろうか」だと、もしかしたら腹立たしく感じないのかもしれません。言ってる内容自体ではなく「オレの方が偉いんだゴミどもめ」というオーラが反論したい気分にさせるのかもね。何を語るにしてもオーラは出さないように気を付けたいです。 |
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