●重力張手研究会 ‐3、重力否定説(030501)‐




僕の職場の先輩の仮説、ならびに、2ちゃんねるの黒猫スレッドから取り上げるべき価値のある意見を汲み取ったところ、「重力を操っている」こと自体を否定する向きがあることに気づかされました。
これは仮説として、かなり有力なものとなりうるかもしれませんので、ここでそれらの意見をまとめてみたいと思います。

一、序論

今回、マロさんが「重力を操っている」こと自体を否定する論調を見るに当たって、まず第一に、この「重力張手研究会」の趣旨自体に関わる問題があります。
つまり、なぜこれほどに紙面を費やしてまで、マロさんの技について考究を深めているかといいますと、マロさんの技の数々が「重力を操っている」という定義を前提に考えると理解不能に陥るからです。
私は「2、かがみの仮説」において、重力を「万有引力」と定義した場合、ならびに「地球の引力」と定義した場合、2つのパターンに分けて、考察を深めましたが、いまのところどちらの論にも、深刻な矛盾点が発見されています。
もちろん「重力を操る」方向で、さらに考察を重ねていけば、いつかは重力弾や重力張手のテクノロジー全てに合理的かつ論理的な説明が付与されるかもしれませんが、その一方、「マロさんは本当は重力を操っていない」と考えることで、多くの矛盾点が解明できることも確かです。

ここでは、重要な可能性の一つとして、「マロさんは本当は重力を操っていない」という仮説を体系立ててみたいと思います。


二、職場の先輩の仮説

職場の先輩の言い分をまとめますと、次のように箇条書きすることができます。

・マロさんは実は重力を操っていない。
・マロさんの操っているものは 実際は氣である。
・重力張手は実際は重力とは何の関係もなく、ハンターハンターでいうところの念をまとったパンチと同じである。
・重力弾も実際は「かめはめ波」や「どどん波」と何ら変わらない。
・重力壁は実際は「かめはめ波」を当てることで弾丸を落としている。
・マロさんのいうところの「重力」とは、黒猫世界の共通言語に照らすと「」であり、この誤解は言語体系の違いから来る。

マロさんは見ての通り、異国の人です。
マロさんはおそらく自分の国の母国語で会話しており、トレインはまた別の国語を使って会話していると考えます。
たとえマロさんがトレインと同じ言語を使っていたとしても、マロさんとトレインの間に文化の差があることはいうまでもありません。
英語でいうところの「Rainbow」と日本語の「虹」が同じ物を指しているとしても、日本人と欧米人では、目に見える虹の色の数に違いがあるのと同じです。
つまり、マロさんのいうところの「重力」の意味と、僕たちやトレインが捉えている「重力」の意味は、実際に指しているものが違うと考えられるのです。

おそらくマロさんの言語体系、もしくは文化においては「重力」とは、「目に見えないエネルギー」程度にとらえられているのでしょう。
そう考えれば、話は早いです。
つまり、マロさんの操っているものは、同じく星の使徒であるデュラムの氣弾と同じ物なのです。
要するにマロさんは道士の基本能力(?)である氣を用いて、殴ったり、飛ばしたりしているに過ぎないのです。


三、2ちゃんねるからの転載


>> さて、本題に戻って、マロはなんで自分の弱点を自覚していながら上に飛べないように
>> 自分の周りに重力場をつくらなかったんでしょうか?


>> 重力張り手を喰らわせるより張り手が届く範囲まで行って重力の壁で押し潰すか
>> 動けないように足止めしてピッコロの腐食させる能力で殺した方が効率がいいよな


>> 問題なのは、重力を自在に操れるのに
>> あんな使い方をして、なおかつ接近戦をしたマロの奇行だ。


>> 相撲取りは重力を操れるみたいなんですが、
>> なぜトレインは上に飛べると思ったんでしょうか…。
>> 普通に考えれば、重力で飛べなくなってそうなもんなんですが。
>> 弱点は上???それならなお更警戒しろよと。


以上は2ちゃんねるからの転載です。
やはりみなさん、なぜマロさんは重力を操るという最強クラスの能力を持っているのに、あんな無駄な使い方をしたのか、という点について言及しておられrます。
その当然たる問いに対して、下のような回答が寄せられました。

>> マロは「重力」を強調しているが実際には重力を操作しているわけではない
>> H×Hのフランクリンが「指を切り落とすことで自分の念をパワーアップ」したように、
>> 「重力を操っている」と思いこむことで、自分の道をパワーアップしている。
>> だから、本来、高重力だと停止してしまう弾丸が不自然にも「マロの認識する下に落ちる」事になる。


そうです。
やはり答えは「マロさんは実際は重力を操作していない」という点に帰着するわけです。
マロさんが本当に重力を使えるならば、あんな意味のわからない非効率的な攻撃をしなくとも、もっと確実安全な戦い方があったはずです。
なのに、マロさんはそれをしなかった。何故か?
したくてもできなかった、だってマロさんは本当は重力なんて操れなかったから。
確かに道理の通った回答といえるでしょう。

しかし、これでは「マロさんが重力を操作していない」という発想上の転換を得ただけであり、それでは実際にどうやってマロさんは銃弾を落としたりしていたのかは説明できません。
それに関しては、次のような意見があります。

>> 高重力空間とか無しで任意の物を重くする能力にすればよかったのでは?
>> そんで銃弾が弧を描きながら地面に落ちれば良かったんじゃないか?
>> マロ戦はジョジョを読んでれば少しはマシになったと思うんだけど。

>> エコーズACT3みたいなもんか。

つまり、マロさんの能力の再定義です。
これを認めてしまうと「マロさんは『重力を操る』能力のほかにも、『張手を強化する』能力に、『転がる威力を強化する』能力に〜〜」という論も認めてしまう欠点もありますが、マロさんが重力のことを「任意の物を重くする」ことだと考えている可能性はあります。
これもマクロな視点で見れば、先に触れた「マロさんは重力の捉え方が読者とは違う」という論と同じ物だといえるでしょう。



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