●『君主論』研究_第九章 |
『市民による君主政体について』 市民による君主政体――『自分の同胞である他の市民たちの好意によって、祖国の君主となった場合』 ・市民による君主政体にて君主となったものは『運に恵まれた策謀の結果』 市民による君主政体――民衆の好意によって 有力者たちの好意によって 民衆の好意による場合とは、民衆が有力者に対抗できないことを認識したとき、誰か一人に評判を集め、そのものを君主とすることで自分たちの身を守ってもらおうとする場合のこと。身を守る、とは生活状況の改善などを言うのだろうか? 同じように、有力者たちの好意による場合とは、有力者たちが民衆に対抗できないと知った時に、自分たちの一人に名声を集めて君主に仕立て上げ、その庇護下で自分たちの欲求を満たそうとする場合のこと。 民衆(有力者たちに命令されるまい) ↑ 対立 ↓ 有力者(民衆に命令しよう抑圧しよう) 対立の結果が生み出すもの――君主制 自由(共和制) 放縦(共和制) ここでの「自由」と「放縦」の違いは、訳注を読むかぎりでは、自由(=貴族との並存を望む民衆による共和制)、放縦(=貴族を参加させぬ民衆だけによる共和制)らしい。なお、マキャベリは『フィレンツェ史』において「自由」を「ローマ」、「放縦」を「フィレンツェ」に例を取っているが、何時の時代のローマ・フィレンツェの話かは良く分からない。同時代かな? ・君主の困難さ 有力者の好意による君主>民衆の好意による君主 有力者の好意による君主のデメリット ・君主になっても、自分の身の周りは有力者ばかりで強権を振るえない ・正義によって有力者を満足させることはできず、民衆には危害を加えずにはいられない(※1) ・民衆を敵に回すと数が多いので危険 ※1 ここでの「正義」は良く分からない。訳注によれば現代の「正義」よりも強い意味らしいが、「人として正しいことをすると、とても有力者たちが満足するような結果にはならない」ということか? 「有力者の欲望は常に悪」くらいに考えて良いのだろうか。事実そんな気はするけど。ここの「正義」の意味は、どうも「まじめなもの」「穏当なもの」くらいの意味らしい。民衆の願いは貴族の願いよりは「穏当なもの」ということ。 有力者の好意による君主のメリット ・民衆を守ってやれば、好感度が簡単にアップする(※3) ここまでの君主論で最も意味の分からない箇所。民衆を敵に回すと数が多いので身の安全を保ち得ないと書きながら、すぐ次に、敵に回しても見放されるだけだ、と書いている。結局、民衆を敵に回すことがリスキーなのかそうでないのか良く分からない。有力者を敵に回す場合についても同様であり、どちらが危険なのか分からない。この後の3行も意味が分からない。読解困難。たぶん私は何か勘違いしてる。 ※3 「有力者が支持して生まれた君主」、すなわち「当然民衆を害するであろう君主」が民衆を守ってくれたなら、それは「初めから民衆を守るために君主になったもの」、すなわち「民衆が支持した君主」が同じ事をしたときよりも、君主の好感度はアップするというもの。「魁!クロマティ高校」にて、いつも悪そうな林田君が本を読んでるだけですごい勉強してるみたいに見えるのと同じ理屈。 ・有力者は敵に回すと刃向かってくる(※4) ※4 ※2と同様、安全なのか危険なのか良く分からない箇所。その後に続く文章も意味が分からない。なんだろう。何か読解する上で大切な言葉が省略されてる気がする。こういう意味の分からないところこそ訳注でフォローして欲しいのに何も書いてやがらねえ。Fuck! 民衆の好意による君主のメリット ・自分を押し上げたのが所詮一般人なので、君主になったら周りに強い人がいないので強権を振るえる ・正義にかなったことをすれば、民衆に恩恵を施すことになる ・有力者を敵に回しても、有力者は数が少ないから安心。有力者は刃向かってくる怖れはあるが、彼らは常に利益を追い求めるので、勝ち目のある方にしかつかない。つまり民衆を味方につけておけば、有力者も君主の側につく。 ・君主は有力者の顔ぶれを自由に左右できるので、それほど怖れなくていい。 有力者の扱い方――自分に恩義を感じるよう統御する 自分に恩義を感じさせないよう統御する 君主から恩義を受けた人たち――恩義は感じてるが何かクレとは言わない⇒A 恩義を感じない人たち――小心だから⇒B 下心があるから⇒C A:何かやったりするから恩義を感じる。これは当たり前。恩義だけ感じて、何かクレとは言ってこない。これは素晴らしい(たぶん)。だから誉めそやして、目をかけてやろう(マキャベリが本当にこういう人物を「立派な」もしくは「信用に足る」ものだと考えてるかどうかはいまいち不明) B: C:つまり下克上する気満々の部下ということ。正体を現しかけた敵のごとくに警戒しよう。 民衆の扱い方――いかなる君主(民衆の好意による君主 or 有力者の好意による君主)であろうと、民衆を味方につけておくのが必要。 市井の一市民が民衆の上に基礎を築いたつもりになっていても、それは簡単に崩壊するが(民衆は一市民なんて守っちゃくれないが)、君主が民衆の上に基礎を築いた場合は逆で確固としたものである。 ・市民による機構から絶対的な機構へと上昇する時 それまでは市民(民衆 or 有力者)の好意で支えられてきたのを君主一人の支配する機構へ、といった意味か。市民に選ばれた君主制から、専制的な君主制に移行するといった意味の模様。 絶対的な機構――君主が直接命令統治⇒安全 執政官を介しての統治⇒危険(※5) ※5 民衆は執政官(になった市民)に左右されるし、執政官は有事に裏切るかもしれないし、そのときに君主が直接命令しても、民衆は執政官の命令に慣れているから君主の命令に従わない。 このような「執政官を介しての統治」の場合は、自分たちが「平時の民衆」に基礎を置いていると考えてはいけない。平時はみんな頼りになる仲間のフリしてるけど、有事になるとほとんどが頼りにならないから。そのため、常に自分とその政権が民衆にとって必要となるようにする必要がある。 ここで言いたいのは、市民に選ばれた君主制から、専制的な君主制に移行する時、そういう不確かな時には、間接的に支配するのではなく、直接的に支配すべきだということだと思われる。磐石な基盤を築くまでは間に人を入れるなということか 第九章のまとめ 正直良く分からない困った箇所。↑の読解があってるかどうかも甚だ怪しい。 たぶん、ということでまとめてみると次のような感じか? 市民による君主政体――民衆の好意によって 有力者たちの好意によって ・君主の困難さ 有力者の好意による君主>民衆の好意による君主 【有力者の好意による君主のデメリット】 ・君主になっても、自分の身の周りは有力者ばかりで強権を振るえない ・正義によって有力者を満足させることはできず、民衆には危害を加えずにはいられない ・民衆を敵に回すと数が多いので危険 【有力者の好意による君主のメリット】 ・民衆を敵に回しても、最悪見放されるだけで済む ・民衆を守ってやれば、好感度が簡単にアップする 【民衆の好意による君主のデメリット】 ・有力者は敵に回すと刃向かってくる 【民衆の好意による君主のメリット】 ・自分を押し上げたのが所詮一般人なので、君主になったら周りに強い人がいないので強権を振るえる ・正義にかなったことをすれば、民衆に恩恵を施すことになる ・有力者を敵に回しても、有力者は数が少ないから安心 有力者の扱い方――自分に恩義を感じるよう統御する 自分に恩義を感じさせないよう統御する 君主から恩義を受けた人たち――恩義は感じてるが何かクレとは言わない⇒誉める 恩義を感じない人たち――小心だから⇒誉めて侮る 下心があるから⇒警戒する 民衆の扱い方――とにかく味方につけておけ 絶対的な機構――君主が直接命令統治⇒安全 執政官を介しての統治⇒危険 第九章はマキャベリにしては内容が散漫で、あっちこっちに飛んでいって良く分からないことになってる気がする。ポイントは、民衆の支持によって君主となった場合の方が、有力者の支持によって君主となった場合よりも楽で、またどちらの場合であれ、結局民衆は味方につけておけ、ということか。市民による君主政体の場合は「民衆は大事」がここのメインと考えていいのだろうか? |
戻る |
★★★完全パンクマニュアル発売中です!〈amazonで購入〉★★★