●『君主論』研究_第一八章





『どのようにして君主は信義を守るべきか』
〔第一八章では、慈悲深さや信義などといった善の要素をどのように扱うかについて言及されている〕

・偉業を成し遂げた君主は信義などほとんど考えにも入れない者たち。

闘いの種類――法によるもの(人間のもの)
          力によるもの(野獣のもの)――狐
                               獅子

『獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れない。したがって、狐となって罠を悟る必要があり、獅子となって狼を驚かす必要がある』
「法によるもの」が信義などの美徳によるもので、「力によるもの」が戦力での脅し(実行力)と、姦計ということと思われる。

結論から述べると、信義はそれが自分にとってマイナスになりそうなときは守る必要は無い。このときに狐の性質を用い、この不履行を巧みに潤色することが必要となる。『偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである』。このことでマキャベリはアレクサンデル六世を(悪口としか思えないような言い方で)褒めている。←【メモ】P133.これ使えるので要チェック

・慈悲ぶかく、信義を守り、人間的で、誠実で、信心ぶかい…それらを常に実践するのは有害だが、そのようなふりをするのは有益である。

マキャベリも実際にそれらを実行することが悪いとは言っていないが、「必要があれば」その逆を行うことを躊躇してはならないとしている。また、ほとんどの民衆は君主を「見る」ことしかできず、「手で触れる」(深く本性を知る)ことはできないため、「見せかける」ことは有効だとしている。

・『君主はひたすら勝って政権を保持するがよい。手段はみな常に栄誉あるものとして正当化される』

まさに一般的なイメージのマキャベリズム。大衆が君主を「見る」ことしかできないように、大衆は事の成り行きと上っ面しか見ないため、このような欺瞞や潤色は十分に通用する。


第一八章のまとめ

A:信義は守るべきか?
Q:守ることで不利になるなら守らなくていい。ただし、不履行を正当化する潤色は必要。

同様に、信義のほかの美徳も「身に付けている」と見せかけることは有益であるが、実際にその通りに振舞うことは有害であり、必要であれば悪徳も断行しなければならない。


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