「くちづけの所以」
「では、以上で講義を終了する」
厳かとさえ思えてくる、静かな声音で…彼――火村英生は言った。
(…ふぃーっ…やっと終わった……)
彼の講義は、いつにも増して内容が濃く、決して居眠りなんて恐ろしい事は出来ない。まぁ、とても面白いし、実に有意義なのだが…
「…いかんせん、手抜き出来ないのがつれぇ…」
出席しているだけで、すでにD(平均点)をくれる講義とは、ひと味違う。
しかしキツイ分…何故か彼の講義は休講が多い。
(それが唯一の救いって…とこかな)
「松くぅーんv」
いやに鼻にかかった甘い声が、後ろから聞こえた。後かたづけをし始めていた火村氏も、彼女の声に、ふと視線だけ向けたのが、俺…――松田 章にも分かった。
「なに?」
「今日の昼食、何処でとる?」
この子…西田 茜…は、一応俺の彼女だ。一応って言ったのには、理由がある。
「そうだな…何処でもいいけど」
「ええーー!やだよ、あたし。ちゃんとした所で食べようよ」
食べようよ、というわりには、西田はどうせサラダしか注文しないのだが。
「ね、**のレストランにしようよ」
「え!?あそこ高いじゃん」
…たしかコーヒーだけで600円はしたような…
反論しようとした俺の唇を、塞ぐように西田はキスをした。
(…――――――ッ!?)
あ、あほうッ!と内心俺は西田に怒鳴った。もうほとんど人はいないが…俺の後ろには、火村氏が立っているのだ。し、視線が心なしかきついような…痛い…し、視線がっ。
俺はそれでだって、火村氏との相性は良くないのに。
「いいじゃぁーん…あ、せんせーvご一緒しません?」
(きっさま、この状況で更にそんな事言うかぁ―――ッ!?)
…そう、この西田は、聞きしに勝る火村先生のファンなのだ。いつの頃からか自然に出来たと言われる伝説の(で・伝説って言うの…やっぱし今でも抵抗あるな、俺)英都大学の火村先生ファンクラブ(時と場合によっては名がころころ変わるらしいが)の、西田は会長だ。時間が空くと、いつだって俺は西田の「火村先生がぁ〜v」に付き合わされる。
(ホントに俺の事、好きなのかな…)
って、不安になる。どんなときも、チャンスがあれば火村氏にアタックしている姿を見ると、とりあえず、彼氏がいれば格好はつくっていう、そういう存在なんじゃないかと。
我ながら女々しいが。
「ちょ、待てよ西田ぁ」
あせって、俺は口をだす。すると、教壇の上から、男の俺でも「渋い…」とか思ってしまう声が降ってきた。
「…ふふ、松田君が嫌がってるから、俺は遠慮しとこう」
その言葉に、松田はかなり不満だったようで、キツイ眼差しを俺に向ける。
「もぉーう!なんでそんなこと言うのぉーっ、いいじゃん、一緒に食べようよ」
「う…」
「ねっ?一生のお願いっ」
キミの一生のお願いは、一体何個あるんだと言いたくなった。
「………………………………キス、してくれたら」
言った後にかなり気まずくなってなって、俺は赤面しながらうつむく。
(しまった………は、はずい。火村氏の目の前だというのにッ)
いや、だからこそ、俺は敢えて言った事を否定できない。少なくとも西田は火村氏にかなりの好意を持っているだろうから、しないだろう…という思惑がよぎったのだ。
(いや、…しかしなぁ…こんなの、いくらなんでも…)
「いいよ」
「だろ、だから………って、はぁ―――――!?」
てっきり嫌だと言われると思って…だからこの話はおじゃんになって…って…ええ!?
「ちょっ……っと待て、西田。よっっく考え…っ・んぐっ」
(かなり格好悪い…っていうか西田ぁぁぁぁ――――!!火村氏の前だよ馬鹿野郎ぉぉぉ―――――!!やめろ――――っ!俺今年単位落としちまうだろぉ!?それとも何か!?お前は俺に恨みでもあるのかぁッ…――――――!!)
「君らって、よっく簡単にキスするよなぁ…」
「っは……って、先生ッ、止めて下さいよっ」
必死になって西田を引き剥がして、俺は半ばやけになって火村氏にくってかかった。
「…なんで?」
「な・なんでって…」
俺はてっきり眉をひそめられるかと思ったのだが、意外にこの人、若いのかも。
「…所詮他人事だし。君らのキス止める権利は、俺にないだろ。まぁ…俺はしないけどね。所構わずキス」
人差し指で、軽く唇を撫でる。
あ、この癖…西田が「たまんないv」ってメロメロになってたやつだ。嫌な気がして視線だけちらりと横に向けると、案の定、西田の目はうるうるしている。
(…………おいおい…)
すい、と胸ポケットからキャメルを取り出すと、くわえて火をつける。この時の少しうつむいた顔が「またたまんないのぉv」と…いや、もうやめとこう。墓穴ほりそうだから。
「ええ?先生だって、好きな人にキスするでしょ?」
「するよ」
「……え」
真顔でさらりと言われると、こちらが赤面してしまう。…いや、実際しているのは俺だけなのだが。
「もう、余すところ無く全て」
抑揚も、気負いの欠片もない口調で。
(…なんか、俺の方がはずかしくなってきた…)
このままのろけに入られそうな…
「んじゃ、一緒じゃないですかぁ」
「…唇は、特別なんだよ」
しょうがないな、てな顔で、少しため息をついて火村氏は言う。
「どう特別なんです?」
興味が湧いて、俺は訪ねてみた。このクールな人の恋愛観を、聞いてみるのも面白そうだ。
「…な、もともとキス…くちづけには意味があるんだが、君ら知ってるか?」
「………好きって、いう意味なんじゃないんですか?」
「ま…そうだけどな、おい、松田君は?」
ふられて、慌てて答える。
「……んー『愛してます』?」
「ん、外れじゃないが、違うな」
違う?…じゃぁ、どんな意味があるっていうんだろう。
問い返すと、火村氏はにやり、と唇だけで笑う。
「『この命をあなたに捧げます』…だよ」
「………………へ?」
俺と西田は同時に聞き返した。
「…ほら、口って塞がれると息できないだろう?」
「え…ああ、そういえば」
「でも、鼻ですればいいんじゃないですか?」
「ま、ディープの時は…そういうテクニックもあるけどな」
デ…ディープの時はって…先生っ!!今あなたどんな問題発言してるか自覚してます!?
「俺の場合、そんな余裕与えないキスするから」
「え……」
何故か西田の顔が赤くなった。
(なんでキミが赤くなるんだ…今は火村氏の彼女の話だろ…)
おいおい、なんて内心つっこみながら西田をみやる。
「いいなぁ…先生の彼女…」
こけっ、と思わず俺はその場で滑りたくなってしまった。
小さく呟いていたので、火村氏には聞こえなかったのか(それとも敢えて無視したのか)話を続けている。
「大体、人ってキスする時は無防備になるだろ。殺すことだって…まぁ…やる気になれば出来るわけだ」
「ぶ、物騒な事を…」
「まぁ聞けよ。…ほら、瞼だって閉じるし、首だって晒すし。身体は密着してるし。もし相手が首に腕を回してきてたら、それを掴めば相手は逃げられない。…人には結構一撃で死に至るツボみたいな所、あるんだ。下手したら交差点のど真ん中で、気づかれずにキスしながら人一人殺すことだって、出来る」
ふ…と唇から煙を吐き出す。
「でも、敢えてそれをする。要するに、目の前の人物に命ごと預けるって事になるだろ」
「はぁ…そう…ですね」
「分からないかな…」
苦笑して、火村氏は肩をすくめる。
「あたし、よく分かんない」
と、西田はぶぅと唇をつきだして不満を言う。
俺は…少ぉしだけ、分かった気がするんだが……、
「…う…ん。だからな、」
と火村氏が唇を再び開きかけたとき、教室のドアが開いて、声が聞こえた。
「火村ぁ――!講義終わったか――?」
「…アリス?」
その時の、火村氏の表情の変化に気づいたのは、俺だけかもしれない。慌てて煙草を携帯用のコンパクトに捨てて、教壇を降りる。
「…お前…なんで?」
「いや、こっちに取材かねて来てたんやけど、思ったよりも早く終わったから…火村と昼一緒に食べれるかなって思うて…何、もう食べたんか?」
可愛らしく首を傾げた男性は、とことこと俺たちの横を通り過ぎて火村氏の前に行く。ふわふわの茶色い髪や、優しそうな雰囲気、それに女性的な顔立ちを見ると…。二十歳後半くらいだろう。ん、きっとそうだ。
(…あれ、でも火村氏と仲良さそうだし…友人?それにしちゃ年離れすぎることになるし…?)
「いや…まだだけど」
「なんや、良かったぁ!…あれ、もしかして、今君質問でも受けてたんか?」
俺達の方を向いて、すまなそうにまた火村氏をみやる。
「いや」
「?」
まぁ、正確には、キスの意味について聞いていたんだが。
「…アリス」
優しく、舌で転がして大切に紡ぐ。傷つかないよう、包み込むように。そんな風に、火村氏が名前を呼ぶ。こんな声、俺は初めて聞いた。
「……ん?…んッ」
次の瞬間、俺と西田は確かに凍りついた。…セメントで地面に縫いつけられたみたいに。
(き…キス…してる…)
しかも男と。
「……ん、やっ…ひ…」
ひむら、と言おうとしたんだろうが、それは儚い抵抗であった。ばしばし両手で拳を握って火村氏の胸を叩いているのだが、びくともしてない。
(…よ、よかったな、西田。お前今先生必殺の『余裕を与えないキス』を生で見てるぞ)
それは俺もだが。
「…ふ…ぅ……ッ!!」
ずる、と男性の(それにしちゃやけに華奢なんだけど)身体が、火村氏の腕の中に収まる。もう抵抗する気力もなくなってしまったのか、くてん、と腕が力をなくす。
それをみて、ようやく火村氏が唇を離した。
(う…っわ。は・激しい…)
「……ほら」
と、嬉しそうに火村氏が俺達を見た。しばらくの光景のショックから立ち直れず、俺は呆然としていたんだが…ふと火村氏の腕の中にいる男性を見る。
ああ、確かに。無防備だ。
(そんな事じゃ、いつもこの人火村氏につけ込まれるんだろうなぁ…。)
などとかなり思ったのだが。
ふふん、と(たぶん)恋人を腕に抱きながら笑った火村氏を、俺と西田は一生忘れないだろう。
「…たまんねぇだろ?」
これが、くちづけの所以。
*おまけ*火村氏の研究室にて。
「なぁ―――、火村ッ!なんで生徒の前であんな事したん!?俺めっちゃ恥ずかしかったんやで!?」
「……だってよ、あいつら俺の前でいちゃいちゃしてんだぜ?」
「そ…っ!そないな事でかぁ!?」
「…俺とアリスって、下手したら何ヶ月も会えないだろ?」
「……あ、ああ。そやな」
「……………………あいつら、毎日毎日毎日会って、毎日毎日毎日所構わず平気で人の目の前でキスするんだぜ。それもディープ」
「ぶ、そ、そやの?」
「そうなんだよっ!(怒)すんごくむかついたんだ、俺は!」
「俺と会えない上に、見せつけられたからか?」
「…そうだよ!」
「…あは、あははははは!!」
「笑うなっ、俺も失敗したと思ってるんだよッ」
「……俺達の関係知られたからか?」
「そんなんじゃねぇよ」
「じゃ、なんやの?」
「…………………………………………松田に…の時のアリスの顔…見られた」
(火村氏、うつむいてもごもご喋る)
「…は?」
「……松田って、あそこにいた奴にお前のキスしてる時の顔みられた!!」
(………………沈黙。)
「あ、あほかぁ―――――――!?」
(アリス氏、赤面)
ちゃんちゃん♪
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こんにちわ。真皓です。ヒアリ第四弾。「くちづけの所以」です。もっといい題名は…とぎりぎりまで考えてたんですが、だめでした。かっこわるいなぁ〜この題名。
ここまで読んで頂けて、本当にありがとうございました。出来ればご感想を掲示板に書き残して下さるか、真皓にメールを送って下さると恐縮ですv苦情も受け付けてますよ。
よろしくお願いします。
では、乱文にてしつれいします。
2000/5/20 明日の生命倫理のテストに怯えながら 真皓拝