Licht



私は闇、彼は光。



 ある朝通勤途中、車の前にネコが飛び込んだ。運転手がそれを避け、車は近くの電柱にぶつかった。ネコは無事仰せ逃げ、部下も私も大した怪我はなかった…――――ように見えた。

『見えない』

 そう、目の前が真っ暗になってしまったのだ。最初は誰かが自分の上に覆い被さって、衝撃から守ってくれているのかと思った。(実際そうだった)だが、その誰かがどいても闇の視界が晴れない。すぐさま病院に運ばれた。

 この目に光が入らなくなったとき、「嗚呼やはり」と私は思った。
 それは落胆でもなく、絶望でもなく、悲嘆でもなく。ただ一つすとんと落ちてきた確信だった。すべてを見ているであろう神が、おそらく何らかの形で自分に罰を下すであろうという事は分かっていたので、むしろそれが「死」ではなくてほっとした程だった。
「この程度なら」
 そう思えて安堵した気持ちの方が大きかった…慌てている部下とは裏腹に。
(…しかし仕事に支障をきたしてしまうな…)
 彼との約束が守れなくなってしまう。それは辛い。――――酷く、辛い。
『手術をして、二週間ほど安静にしていれば見えるようになります。格別酷い怪我ではありませんよ』と医師が言う。ほう、と隣に立つ部下が深い安堵のため息をついて出ていく、と同時に医師がいった。
『これは怪我ではありません。精神的なものです…――――何かありましたか?』
 一瞬何を言われたか分からなかった。
『確かに軽く傷つけているようですが、他の部分に支障はありません。見える筈なんです。何処も盲目になってしまうような怪我はない。けれど室井さん…貴方は見えないんでしょう?』
 頷いた。すると医師がカルテに何かを書く音がする。
『部下の方にも言った方がいいかどうか悩んだんですが…そうすると貴方の経歴がまずい事になりますよね?嘘をついてしまいました…貴方もこの原因が突き止められるまでは嘘を突き通して下さいね?』
(…私の経歴?…なぜこの人がそんな事を気にする必要がある?)
 このとき少しこの目が不便だと思った。相手の顔が見えない。
『警察病院じゃ、おそらく貴方の病を治す事は出来ません。知り合いの××医大の方に行って戴きます。あそこには、ちょっとばかり曲者だがいい医者が一人いるんでね』
『貴方は…なぜ――――?』
『友人に警察官がいるんですが…キャリアですよ、もちろん…貴方にとても期待しているんです。分かっていますよ…その重圧は…。だから良い機会です、少し休んだ方がいい』



 期待。

 脳裏に、耳の奥に、残った言葉。



 本当の所、自分にどれほどの事が出来るかなんて分かり切っていた。この組織の腐敗を膿みを切り取り、形態を変えていくだなんて大それたことは無理だ。あがきでしかない。
 でも出来ないとは言えない。それは「彼」と交わした言葉、日々をすべて無駄にしてしまうからだ。宝物のように、胸の奥にしまい込んで大切にしておくのもいいと思ったその時間を。
(彼は眩しすぎるのだ)
 存在事態が、”光”なのだ。万人を照らし、暖かくし、愛する。
『好きですよ』
 囁かれるたびに、背筋に快感が走る。同時に恐怖する。
(いつか失う…――――)
 それは予感ではなくて確信。自分はどれほどの事を出来ているだろうか?
 自分はただ、彼を手に入れたくて多くの人を騙しているような気がする…。『表』の彼が未だ『裏』の私に惹かれているのは、おそらく未知の領域に踏み込んでいる興奮からだ。もしも私が女性ならば、彼はきっとこれほど執着することはなかっただろう。
 結ばれない体同士を無理に繋ぎあわせるのは、なかなか付き崩れてくれない警察組織にモラルを重ね合わせて楽しんでいるにすぎない。こんなにも容易く我々は刃向かえるのだと。
(笑顔が見れない)
 室井さん、と微笑む彼の顔が。直視出来なくなったのはいつから…。
 夢を見る…何度も彼を縛り付ける夢。快楽で彼を縛れるのなら、薬を使ってでもと思う自分の姿。浅ましく、彼を受け入れて悦ぶ自分の姿。苦しむ彼を見るのは楽しい―――そのくせ、血の海に沈んでいる彼を夢見れば泣き叫んで起きるのだ。
(そうか…)
 その期日はすぐそこ、と、見せつけられたあの事件以来だ…――――





「室井さん!!」
 入院して二日目、ばあんっ!とドアがしなったような音を発したと同時に彼の声…青島俊作の、声がした。
「あおしま…」
 声の聞こえた方を見、名を呟く。しかし広がるのは闇ばかり…当然か、包帯を巻いているのだから。
「目!目ぇ見えないんですか!?見えなくなっちゃったって本当ですか!?」
 これはどうやら、湾岸所で情報を受け取った時にちゃんと聴いてこなかったらしい。くすりと笑いが漏れた。と。途端にぎゃーぎゃーと叫びながら私の手をとって大騒ぎしている。
「何笑ってんの室井さん!?見えないんでしょう?どうして落ち着いてんのさ!?」
「ぶ…っくくく……」
「笑い事じゃないよ!!」
「………だとしてもだな、普通病人に怒るものじゃないと思うんだが青島?」
「あっ!!ご、ごめんなさい…そうですよね…すみません…っ、俺、何動揺して…っ」
 声が震えている。どうやら落ち込んでいるようだ。私は手探りでイスを探しだし、ぽんぽんと叩いて座るように促した。布ずれの音と靴音がして、彼が側にきたのが分かる。
「相変わらずヘビースモーカーらしいな。煙草の香りがすごいぞ」
「へ?あ…そ、そうか…すみません…」
「おい…今度は落ち込んでるのか?浮き沈みの激しい奴だな」
「室井さんはどうして落ち着いてるんですが…信じられない…」
「だって見えるようになるからな」
「……………は?」
「君がどういう情報を得てきたのかは知らないがな、私は盲目になった訳じゃないぞ?手術して、安静にしていれば大丈夫だそうだ。ちなみに手術は昨日だったんだ。だから後は包帯がとれれば見えるようになる、ちゃんと」
 半分が本当で、半分が嘘だった。
「…………なっ………」
 な、という一音を発して、彼は黙り込んだ。随分長い間彼が何も言わないので、耳までどうかしてしまったのかと思うと不安になった。あおしま?と口を開きかかけたとき、ふわり、と髪の毛が手の甲に触れた。手のひらはベットシーツに触れていている。しかし手首はしっかりと彼の両手に捕まれていて…額が、落ちてきた。暖かい何かが青島の額なんだと気づいた時、驚いて声が出ない。
「……んだよぉーーーっ……」
 今にも消えそうな声でそういって、彼はつっぷしている。手の甲にしっかりと彼のぬくもり。
(……光は、見なくても感じられるんだな…)
 不意にそう分かった。光は、知覚出来なくても暖かさで存在を知る事ができるのだ。
「よかった……」
「あおしま」
「ん?」
「顔、触ってもいいか?」
「………いいですけど…?」
「ありがとう」
 彼の額がすっと離れる。しかし手首を掴む手のひらは離れなかったので、それを左の指先でたどっていく。肘、肩、首から頬…耳…額…髪の生え際を撫でて…目…そして輪を描くように鼻筋を撫でてから唇に。
「………青島だ」
「はぁ。俺ですけど」
「この髪は青島だなぁ」
「だからそうですって」
「低い鼻だし」
「日本人ですから」
「耳が大きいし」
「猿ってよく言われます…って失礼な」
 くすくすと笑いが漏れた。なで回すように触れてしまった事に謝り、そっと手のひらを離す…と、その左手も捕まれてしまった。ちょっとびっくりする。
「どうした?」
「いや…その……」
 言いずらそうに口ごもると、青島は黙り込んでしまう。無言で促すと、彼が呟いた。

「キスしてもいいですか?」

 そんなに躊躇う事だろうか?ここは個室だし、それに慌てて走ってきたとはいえドアは閉めてきているだろうし…

「どうしたんだ急に?」
「……証明したいんです」
「……なにを」
「俺がここにいるってこと」
「されてる。今さっき、私がした。触って確かめた」
「違う。――――俺が…」
「?」
「―――――俺が、証明したいんです。だって、俺は今貴方の視界の中にいない」
「!」
 ”光”とは掴めないもの。手のひらにいたと思っていても、それは違うもの。
 見えなくなればいいと思った。彼を消してしまいたいと思っていた…出来ることなら。死んでは欲しくはなかった…それは怖い。だけれど見たくはない。「彼」を知れば知るほど、その「約束」の重さが増していくのだ。

 出会った頃に裏切られたと思いこんで君を何度傷つけただろう?
 想いを確かめたくて、何度酷い言葉を吐いただろう?
 この恋を終わらせたくなくて、幾度君に踏み込んできてもらっただろう?

 私は闇の者。
 神の加護など一欠片も戴くことの出来ない者。
 狡い男だ。それでも少しは呵責を感じていたんだぞ?
 この視界の中に入れていたら、君が汚れてしまうと思った。泣いている誰かを真剣に助けたいと願い、守ろうと戦う君を。
 私は君以外、どうでもいい。
 だから『期待』が重荷でしかない。嘘を付き、はき続けて辛くなった。闇の人間の癖に。紡ぎ続けた言葉が光の世界の呪文だからだろうか。
 『正しい』あり方とか。『垣根を取り払う』とか。灰色であっただろう今までの現状を、無理矢理白で塗りつぶしていく。今までの自分を否定するような行動、言動が身を傷つけていく。後悔反省の繰り返し。何もかもが、崩れていくような気がした…

 だから、見たくないと強く思った――――君の姿も君の笑顔も。

「……室井さん?」

 でも。
 君は飛び込んできたいと?この私の視界の中に。
 マイナスしか、呼び起こさない男の隣に居続けると?

(―――光に恋われれば、私がいくら闇の者とて神は許すざるをえまい?)

「………許す」



 口づけろ。



光とは、闇からすなわち生まれるモノ。




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Σごめんなさいーーー!!はる様!!全然入院ネタじゃねぇ!!(汗)
リクエスト、「入院ネタ」だったんですが…まとまってないです(涙)大変お待たせした癖に腹グロ室井さんなんて救われんわー!ガシャーン!(涙)
室井さんが目が見えなくなる、というのは前々から決まってたんですが…どしてーなしてー。青室は「花月」しか書いてなかったからなんか変……。すみませんー!(><)/
分かった…リクエストは苦手だ…(笑)


01/9/15 真皓拝

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