蝶野助手の観察日記。
サヴァイバル意識は、常に必要だ。




 大学や、短大においては大概「助手」というものが存在する。
 予算の執行から管理、国書の購入、書類の整理、会議の日程、受け持ちクラスの出欠、授業内容の予定組、プリントの用意……いわゆる先生方のサポート役だ。
 俺蝶野俊一(25)は、英都大学院の二年生……そう、今年卒業の生徒だ。生徒でもこういう仕事はする。むしろこの仕事につくのは、ほとんど大学院やら大学生でも先生と同じゼミあがりの人間やら(時に就職に失敗した奴とか)が付く。社会に適応出来ない(失礼)むしろ個性的な、熱烈なまでの研究にかける情熱がなせるポジションだ。
 俺の場合も大して違いはない。大学時代は火村ゼミに所属していたからだ。(彼の上司にあたる教授はゼミを開講していなかった。助教授本人はすごく嫌がったらしいが、大学側の意見に否めなかったようだ)前評判とは違って非常に楽なゼミだった。講義が非常に厳しかったので、少しばかり構えていたのだが。
(……問題は難易度じゃないよな)
 そう、社交性を養うという点だ――――それも否応なく。
 彼は基本的に休講が多かった。通常の講義さえ休みがちなのだから、いわんや専攻ゼミは……一番の被害者であろう。火村英生助教授の端正な顔つきを拝みにあがった人間は、そのほとんどが絶望した。かくなる上はたとえ専攻科目であろうとも潰して、めったに開かれない通常講義に出るほか方法がなくなったのである。
(俺なんかはさぼってたけど……)
 半年に二度だけ開かれたゼミ。行かない奴も当然いる。でも火村先生は除名しなかった。何より自分が師として義務を怠っているのを知っているからだ。
 四年生になると、(英都大学は二年から専攻ゼミを開講するが、ゼミによっては年度により開かれないこともおおく、火村ゼミは俺が三年になってから開講した)就職に役立たない――――ゼミによっては先生のコネで就職が決まる時もある為――――ゼミはさっさと離脱しようとする動きが現れた。かくして残った火村ゼミ生は、俺蝶野秀一と、最後まで添い遂げると決めた数名の火村ファンの女子だけとなる。
 女の子が助手に就職することなど殆ど無い。というか、親たちが反対するだろう。
 そうして大学院まで進んだ火村ゼミ生は俺一人となり、結果俺が助手をする填めになった。まあバイトはかったるいし、助手は大学院からそう遠くない部屋で仕事を行えるので都合がよかった。どうしても遊びたいときは事務局にいけば確実に休めるのだから、バイトなどよりよほど効率が高く労働条件が良い。
(ただこの一つを覗いては……ね)
 はぁーと俺はため息をついた。今俺は、棟の違う事務局の室長に呼び出され、厳重に注意を受けた所なのだ。
(頼むから授業やってくれよ……)
 そう、火村先生の休講の多さに、だ。
 ピーっという電子音に、白衣の胸ポケットから携帯を取り出す。予定時間を大幅にオーバーしてしまった。今日は用事があるのに。
(……先生いるのに居留守使うし)
 そう、珍しく今日は先生が部屋にいる。なのに内線でかかった呼び出しに、俺がかりだされたのだ。
(畜生ちくしょー)
 今日はオープンゼミ。今棟のあちこちで一斉にゼミがどのように行われているか、デモストレーションされている。年々大学側ではゼミに参加する生徒が減ってきたために、アトラクションを催したのだ。まあ確かに、ゼミって何してるんだというイメージが強い。それを払拭するために、「うちのゼミはこんなことをしていますよ」という模擬ゼミをするのだ。
 うちは開かない。ただ紹介文をパンフに載せ、「質問は火村研究室にて本人に」との一文だけ。
 それはつまり俺が受け付けるという事だ。
(早く行かなきゃなー。先生困ってんだろうな……)
 今年も生け贄が必要だろうか。
 でもそうするとゼミ生が来ない。
「……でも絶対何でか出るんだよな。生け贄」



 『生け贄』
 ・火村ゼミにおける絶対不可侵を犯した者を言う。
 ・またはその教訓を皆に知らせしめ、退場(死)する者。



「……出ないといいなぁ……また俺男一人になっちまう」
 そう、この洗礼を受けた者は、ことごとく除名(入ってすらいないとしても永久除名)される。しかし女性の記録はない。全部男だ。それでなくとも少ないのに……いや、女の子は好きだけど。
 まだ春の兆しが見えない研究棟の廊下。がちゃり、と書類を片手にドアを開けると、途端に甲高い歓声が俺の鼓膜を突き刺した。女性の悲鳴だ。
(……遅かったか……?)
 普段研究室はこんなに五月蠅くない。騒がしいとしたら先生がいない時、ゼミ生が集まった時だけだ。しかし……今日は目の前にちゃんと先生が座っている。
 いつものポーカーフェイスが崩れている。傍目には分からないだろうか、もう四年も助手をさせて貰えば表情の違いなど簡単に読めるのだ。
「……失礼しまーす、蝶野です。事務局から帰りましたー……」
 呟きながら群となっている女子大生の横を通り、先生の席に行く。横目で彼女たち(プラス男三名が群がる)ソファに目を向けた。案の定――――不可侵存在がそこに座っている。
「あ、蝶野君ー。お帰りなさいー、また火村の尻拭いか?」
 はにゃーん、という効果音が最もふさわしい笑顔を俺に向けるのは、火村ゼミにおける絶対不可侵存在―――推理作家の有栖川有栖先生―――だ。
 火村先生とは十年来の親友――――親友? まあそういう事になっている――――なんだそうだ。どう見ても正反対のキャラクタなのに、二人は本当に息が合っていて、仲が……仲が恐ろしい程よい。
「いいえ。尻拭いだなんて……助手の仕事ですよ」
 にっこり笑って言うと、きゃーvなんてアリスさんが声を上げた。
「蝶野君いつみても男前やなー! ほらみんな見てみい! 火村なんかよりよっぽど色男やで!!」
「やあん、ホント――――!!」
「あたし絶対このゼミ入る――――vv」
 と一時的に悲鳴がこちらに向けられたものの、彼女たちの本命は火村先生だ。こちらにくることは殆どない。
(……お世辞でもまあ、嬉しいけどね……)
 問題は男どもだ。
(今年は三名か……減ったな。噂の所為か……?)
 『火村ゼミは女しか受け付けない』……そういう噂は、開講一年目から慎ましやかに生徒たちの中に流れている。それはきっと今もだろう。中では火村先生がセクハラ紛いをしているんじゃないかとの問題もあがったが、そういう事実は全く無根だと(本人が何も主張していないのに)火村ファンクラブの女性たちが署名運動を起こし、理事会の補欠案をさっさと流したのは英都大学に残る百一伝説のうちの一つだ。
 伝説を作り続ける男、火村英夫……だ。
 ふっとため息を付き、俺はさっさと書類を火村先生のデスクに置いた。どうしますかね?という視線を向けると、彼は顔に張り付けた営業用(とはいっても殆ど崩れていたが)をすっと剥がし俺を一瞥した。

『今はまだ様子見だ。君なら分かっているだろうが』
『イエッサー、助教授』
『アリスに手を出した奴は――――』

 ふっと強烈な程の美しい笑顔がそこに存在した。後ろでは俺の背中越しにそれを見、女子大生たちが再び悲鳴を上げている。この笑顔の意味も知らないで――――楽しそうに。

『殺れ』
『ラジャー。即殺し(退室)ですね』

 ここ二年でアイコンタクトも可能になってしまった。魔王の手下になった気分だ。
 特に俺なんかは目が悪いので、今はコンタクトをしているが仕事をする時は眼鏡をする。目つきが途端に悪くなるので更にそう見られやすい。決断を下すのは魔王様でも、鉄槌を落とすのは俺様な訳だ。
 『成仏してくれよ、アーメン』なんて胸の中でどれだけ呟いただろう。
(頼むから手はださないでくれよー……)
 俺たちの頃から比べれば、それでもルールは緩くなってきた。前は親しげに肩に触れただけでも、鉄槌が下されたというのに。今ならまだオーケイだ。
 決算した書類を貰い、紙袋に入れて俺は再び自分の仕事を開始した。先生の真横の席に座る。
 質問の応答はアリス先生が来たことで既に行われておらず、ひらすら楽しそうに雑談している。俺の視線はちらちらと集団と火村先生の顔を往復し、時折事務書類に落とされると言うなんともせわしい動きをする事になった。
 忙しい事この上ない。
 と、それまでおとなしくしていた男性の中の一人――――胸の名票(ゼミの時には半強制でつける。何年生かわかりやすくするためだ。通常はもちろんそんなものつけていない)に半田均だとある――――が口を開いた。
「有栖川さんの髪って、綺麗ですねぇ……」
 がたっと俺の手と火村先生の手が同時に物(ペン)を落とした。反応する速度は同時である。これは不味い。少なくとも俺が先に彼を何とか……何とか……。
 ちらり。
 視線を火村先生に向けると。両手を組んで顎を乗せている。熟考しているようだ。まだセーブ。
「そう?」
「ええ。ほら、お前らも見てみぃ。キラキラしとるー。シャンプー何使ってます?」
「へ? いや、もらいモンやけど……」
「えー!? 嘘ぉ。ホンマ!? 有栖川さんホンマに!?」
「羨ましいわー。見て下さいよ、私なんか毛先ぼろぼろー」
 えへへ、と照れる有栖川さん。半田くんは唇に指をやり、まだマジマジと髪を見つめている。
「俺んち美容室やってまして。それで分かりますけど……ホント、綺麗ですねー」
「いややなー。照れるやないか!」
「本当ですって。光翳すと栗色だし……うーん。触ってもいいですか?」
「うん、ええよ」
 ころん、と返事は容易く返されてしまった。
(何ぃぃ――――!!)
 ひくり、と俺の顔が引きつった。はっとして火村先生をみやれば、彼の顔は真っ青、まさに茫然自失状態。
「うん、すべすべ。キスしていいですか?」
「は?」
「髪に。そうすると痛んでるか、一発で分かるんですわ。ちょっと失礼」
 さらり、と半田くんの手のひらの中で泳いだ一房の髪をとると、腰を軽くかがめて――――有栖川さんと数名の女性だけが座っているのだ――――唇を落とした。
(ひぃぃぃぃ!!)
 声にならない悲鳴が俺の喉を突き上げた。完璧に顔が崩れていると自信を持って俺は言う。なんてこと……なんてことをしてくれたんだ半田くん……!!
「うん! 完璧ですわ。パーフェクトなキューティクルヘア! 俺久しぶりに見ましたよー」
「えーホンマ?」
「ええ。自信持っていいです。綺麗です」
「やー。照れるわあ」
(やめろ貴様、その口を閉じろ――――!!)
 ひいいぃ! その火村先生が醸し出す冷気に耐えきれず、俺は頭を抱えた。ここしばらく、こんな無謀な『生け贄』は出なかったというのに!!
「…………」
 火村先生は、いまや凍てつく美しさの笑顔。
(怖い――――! 怖い――――! 怒鳴らないだけに今まで以上に怖い――――!!)
 女性たちが騒ぎだし、私も私もーvと皆が皆、有栖川さんの髪にキスをしだした。
「やあん、みんなちょっと照れるでー! くすぐったいー!!」
 そこまでまだ許容範囲内だった。(いやたぶん駄目だったんだろうけど)しかし最後には、他の男二人も有栖川さんの髪に触りたくなったのか、おそるおそるとキスをしたのだ。
「うあ、ホントすべすべ」
「気持ちいい……」
 その恍惚そうな男たちの声についに……。
「蝶野君」
「………はい」
「分かっていると思うが……」
「…はい、もちろん……」
 おそるおそると顔を向けると、彼はやはり笑顔だった。見たこともないような、極上の笑顔。漆黒の筈の瞳がルビーのように赤く輝いている。そこに艶やかな前髪がさらりと落ち……薄い唇が弧を描く。ふっと、それが歪んで音を生み出した。魔王の奏でる死の序曲だ。


「殺ってくれたまえ」


 はい、と答える以外何が出来ただろう、俺に。たかが助手という地位の俺に。
 うら若き大学生たちの暴挙に耐えきれず、ついに……
 がしゃーん!!と。
 ……火村先生の口から直々に『除名宣言』が下されたのだった。


 一週間後、今年一人もゼミ生が入門できなかったという事態が発生した。問いつめる大学側に「彼らは入門試験に不合格だったんですよ」とひたすら俺が答え続ける。
 間違いはない。
 彼らは火村ゼミに入るのなら、彼の親友有栖川有栖氏には不可侵の条約が存在することを理解し、実行しなければならなかったのだ。


 言うまでもなく、俺に火村先生から特別給料が支払われたのは内緒である。





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……と。いうことで。
しなの様からのリクエスト→「アリスに第三者接近で、火村がハラハラドキドキ嫉妬しちゃうようなお話(ちなみに第三者というのは、警察関係者などの知り合いでも、これから知り合う系でもどっちでもオッケーです)。」を書いてみました…。
ごめんなさい(土下座)
お待たせしたあげくに作品がへたれで!!(涙)
第三者接近というよりも、第三者接近になってしまいました……。
あうー……。
挽回させて下さい!!
リク、マジ受け付けますので!!
次回は早めに!!
リクエスト、ありがとうございました!!(涙)
遊びに来て下さいねー!!

2002/03/29 真皓拝

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