Vague 20 themes ”道 ”より/11 朝稽古



朝露が、葉先から零れて地に落ちるよりも速く。


 ジャッ! A・T(エアトリック)の滑る音が、しんとした学校の校庭内に響く。ただし、地面の上ではなく校門から少し離れたフェンスの上からだ。幅三センチに満たない細い線上を、一つの影が走っている。まだ日が昇り夜が明けきらない午前四時───美鞍葛馬がそこにいた。目深くかぶった白いニットを無造作にほうりなげ、額から滴り落ちる汗を腕でぬぐう。高ぶりきった体温の所為で、白いシャツも濡れている。うっすらとした朝日の中、目を細めればかすかに体から湯気も立ち上るのが目に見えてくるだろう。
「っかー……全っ然速くならねぇ……!」
 いくら走っても走っても、あの夜に現れたクロワッサン仮面のスピードには及ばない。
 はぁ、っと。フェンスの上で軽く飛んで腰を落とす。がしゃんっという音がして、かすかに軋むけれどもフェンスは難なく葛馬の体重を支えた。棒のようになった足を休ませる。膝から下の感覚が全くなかった。明日は酷い筋肉痛だろう。
「あー……もうこんな時間かぁ……」
 一度家に帰り、シャワーを浴びなければならない。皆との合同練習までにあわせて、一時間ほどの睡眠もとらなければならないし。
「はぁー……」
 一度は舞い上がった。イッキのようには走れない───飛べないけれども。自分だって自分の走り方があるのだと。クロワッサン仮面には敵わないが、それでも。
 それでも、努力すればもっと速くなれると思っていた。
(現実は甘いくないってことか……)
 それとも才能か。
「……才能なんて言葉に甘えるほど、俺まだ必死じゃねぇや……」
 どっかの誰かが言っていた。
 どこかの本で見たのかもしれないし、テレビで聞いたのかもしれない。曖昧な記憶だが、どこかの誰かが言ったのは確かだ。
 ───才能=全能ではない、と。
 手を伸ばして、手に入るものなんてきっと少ない。イッキに出来て、俺に出来ないもんはたくさんある。
(……俺は誰に勝たなくたっていい。速く走れれば、それでいい)
 目標が低いと思われるかもしれないが。まだ自分は初心者だ。技なんて大したもんは、まだまだ会得できていない。ただ、俺が心地いいと感じるのは、誰よりも速く走れた時───。
 自分が自分を誇れる瞬間!
 それが、こんなにも嬉しいことだなんて、エア・トリックを始めて初めて知った。
 体じゅうからあふれ出していく恍惚感。指先まで。髪の毛の先まで神経が通って満たされていく充足感。気に食わない連中を力でねじ伏せていた頃とは、まるで比べ物にならない。

 他人を否定することで自分を肯定するんじゃない。

 自分を高めて、自分に自分を肯定させる。
 イッキに頼り切っていた自分が、すっかり変わったとはいえないけれども。でも、少しずつ自分というものが分かってきたような気がする。イッキよりも目立ちたいという願望はある。男として、やはり女の子にもてたい気持ちもある。英雄願望は誰にだってあるはずだ。
「…………」
 段々と上り始めた太陽を眺めながら、葛馬はまた一つため息をついた。
(でも、俺はそういう性分じゃねぇんだな……)
 影にいたほうが、ほっとできる瞬間は否めないのだから。
「……こんなとこで何やってる」
 聞き知った声に、俺はくるりと肩越しに振り返った。片目を眼帯で隠した、美少女───ではない。新しく結成されたエア・トリックのチーム……小烏丸のチームメイトの一人。「牙の王」である鰐島咢がそこにいた。天使の輪をしっかりと頭上に煌かせて。
「集合時間は十時だ。まだ六時間も前だぞ」
 眼帯は今左目に当てられている。亜紀人は眠っているのだろう。
「……そういう咢はなんでここにいるんだよ」
「別に。散歩だ」
 に、と笑う白い頬に赤い血がついていた。ふぅ、と葛馬は幾度目かのため息をつく。それは、今までのものとは一線を画すけれども。
「……となりに来いよ。少しぐらい話たっていいだろ」
「影がウスィー奴の傍には行きたくないね、うつる」
「……いいから来いってんだ」
 はっきり言って、葛馬はこのとき期待していたわけではなかった。何しろ「血痕の道」の称号を持つ咢だ。亜紀人ならまだしも俺様な彼が自分の言うことなんて、聞くはずがないと思っていたのだ。
 がしゃんっ。
 ぶすくれたように、咢が葛馬の隣に腰を下ろした。
「……」
「……なんだ、来てやったんだぞ!」
「ああ、いや……どうも」
「……ぶっ殺す」
 低い声でドスをきかされながらも、その言葉を葛馬はあまり聴いていなかった。徹夜で特訓をしていて、思考回路もまともに機能していなかった所為もある。
 そ、と。
 咢の頬に散っていた血を手のひらでぬぐう。
「!」
 何の前触れもなく熱い手に触れられて、不覚にも咢は驚愕するしかなかった。反論も怒声も、葛馬の手のひらの前では息を潜めたのだ。
「お前さー、また何かやってんのか。まあ、それがお前の道なんだからしょーがねぇんだろうけどさ」
 そんな咢の様子に気づく気配もみせず、葛馬は咢から視線を外し校舎を眺めた。空が白くなっていく───黒が青に染められていく刹那の連続を、今葛馬は見つめている。
 そんな葛馬を見つめている咢。二人の間に、しばし沈黙が訪れた。
「ただ、闇雲にやっても速くなるわけじゃない」
「え……」
「トップスピードを上げるには、いくつかのポイントがある。お前は全体的には外してない」
「……」
「力を入れる場所と、抜く場所があるんだ。体が強張りすぎてる」
「……お前、見てたのか」
「ふん」
 視線が自分に向けられると同時に、咢は顔を逸らす。別に、見ていたわけじゃないと小さく咢は一人ごちた。そう、別に見ていたわけじゃない。視界の中に入ってしまっただけだ。夜の遊びの帰り道、細く感覚の中にひっかかる「道」を感じたから。
 それは未熟で、ほとほと「道」にはほど遠い「線」だったけれど。
 ───荒削りで。でも、見過ごせない。
 煌く線を描く奴。
 綺麗だ、とは。死んでも口に出来る言葉じゃなかった。八人の王のうち、数人の”走り”をこの目で見ている以上、葛馬は比べ物にはならない。
「ならねぇ……が」
 走ったあとの軌跡を、追う自分がいる。
「ん?」
「なんでもねぇ、ウスィー男は黙ってろ」
「…………」
 言い返す気力もない葛馬は、疲れきったようにそのまま黙り込んだ。その反応に驚いて、咢はわずかに眼を見開く。いつもなら、彼は怒鳴り返してくると思っていたのに。
「……認めンのか、影ウスィって」
「認めるもなにも、事実だろ」
「あ?!」
「否定して前に出て、俺が早くなンならするけどよ」
 諦めとも違う、落ち着いたような色を浮かべて。葛馬は微笑んだ。
 
「俺は期待されてねぇほうが、気楽に走れていいよ」

 その言葉を聴いた瞬間、なぜか咢の右足が葛馬の背中に叩き込まれる。ぎゃあ!と叫んで葛馬は地面に落っこちた。咢は遅れて「……あ?」と不自然な声を上げてしまう。
「いきなり何すンだよてめぇ!!」
「知るか!」
「ああ!? ケンカ売ってンのか!!」
「うるせぇ!」
 本当に煩いと思った。何故あの瞬間に右足が振り上げられたのか、自分でも咢は分からないのだ。
「〜〜〜ったく!」
 落ちたついでに、葛馬は自分のニットを拾い、埃を払う。深くかぶった。片手でフェンスをつかみ、そのままひょいっと乗る。咢はぶすくれた顔をして、葛馬を睨んでいた。
「俺が何したってんだよ」
「……ムカつくんだよてめぇ」
「はい、そーでスか……ですむなら警察いらねぇんだよ!」
 はーっと、体全体で葛馬はため息をつく。たてつく気にもならない。咢を相手にケンカを出来るほど体力は残っていないし、ましてやエア・トリックでは相手にもならないほど自分は弱いのだ。
 がしゃ、がしゃりと音をたてて葛馬はフェンスの上に立つ。最後の仕上げに、もう一度だけ走ろうと思ったのだ。ああ、とこんなときにまざまざと実感する。速く走りたくて走るのか、それとも走りたくて速くなろうとするのか───と。走ることに固執して、こんなにも疲れきっているというのに。
(まだ俺は走りたいのか……)
 麻薬みたいだな、と。
「おい、どこへいく」
 早くも走ることへ意識を飛ばしていた葛馬を、強引に引き寄せたのは咢だった。ズボンの裾を小さく掴んで引っ張っている。
「……離せよ、最後に一回走るんだよ」
「……どこで」
「あっち」
 一度五十メートル先で曲がっているフェンス。校舎の裏側へ続く五百メートルの直線を指す。
「───ここで走れよ」
「お前がいんだろーが」
「……降りる。走れ」
「……? ……ならいーけどよ」
 とん、と。音もなく咢は下へ降りる。葛馬は軽く体をのばし、ゆっくりとクラウチング・スタートの構えをとった。とはいっても、ここには体を支える地面はない。その代わり出来うる限り腰を低くし、膝に力を入れる。
 ゆっくりと空気が流れる。目覚めの朝に、鳥の鳴き声が奏でられていく。ワンワン、と遠く犬の叫び。
 朝露が木々の葉にたまり始め、日の光に煌いて反射する。眩しさに目を細めて呼吸を整えた。
 と、右下にいたはずの咢がいない。視線をめぐらせて見れば、自分の向かうゴールの先に咢が佇んでいる。手に持っているのは、道端に咲いていた小さな花。葉をぷちりと一枚はぎとると、朝露がその振動で先に集まり滴り落ちる。ぴちゃん、と。聞こえるはずもないだろうに、そんなかすかな振動が伝わるような気がした。
「……できるか?」
 問いかけは短く。艶やかで有無を言わさぬほど圧倒的に、従わせる声。
 ぴちゃん、挑発するようにもう一度。葉を摘み取り雫を落とす。
 できるか?と。
(……その水滴が落ちる前に?)
 お前の元へ、たどり着けと?
 ふ、と。葛馬は無意識に微笑んでいた。それを了解とみなしたのか、咢はそっと、つんだ一枚の葉を高く掲げる。
 ふるりっ、指先が微かに震えた。

 ──────行け!

 ギィ!
 甲高く、金属音が鼓膜を突き刺す。と同時に、咢の視界は上と下が逆になる。声は上から落ちてきた。
「……わりぃ、止まんなかった」
 葛馬の腕が、自分の背中に回されているのだと自覚するのに一秒。
「…………」
 かくんとしていた自分の頭を、ひっぱりあげて葛馬の顔を見るのに一秒。
「ぶつかるつもりなかったんだけど……その……」
 申し訳なさそうに、唇を噤む葛馬を見つめて一秒。
 咢はようやく理解した。いや、通常で考えれば、断然早い理解力であっただろう。だが、「牙」の王たる彼にはそれなりの自負があった。エア・トリックに関するものならば、尚更。
「…………」
 突き飛ばされたのか? 俺さまが? 言葉を口にはしなかった。だが、心の中で呟いた。
 そう、咢はそれと自覚する間もなく、走ってきた葛馬にぶつかったのだ。そしてそのまま、不覚にも───。
 抱きとめられた。
 落ちることさえ、葛馬の手によって止められた。
「よぅ、何とか言えよ」
「───水滴は」
 不機嫌になる自分の顔を見られたくなくて、咢は思い切り下を向いたまま吐き捨てる。いくら速くとも、水滴がみつからなければそれは証明には───……。
「ほれ、どうだ?」
 にし、と。手のひらを大きく広げて葛馬は差し出した。俯いた咢の前に。
 一滴、宝石のように葛馬の手のひらで光っているのは確かに水滴だ。
「お前やっぱすげーなぁ」
「……は?」
「お前のおかげで、俺また少し速くなったみてーだ」
 さんきゅーな、と。その手のひらの雫をいとおしそうに葛馬は唇に引き寄せる。そっと瞼を伏せて───こくり、と。葛馬の喉が動いた。飲んだのだ、と理解した時。

「あ」

 思わず咢は呻いた。その、葛馬の仕草に。
「あ?」
「……んでもねぇ! どーでもいいが薄汚ぇ手で俺様に触るな! クズが!」
 怒りとともに、咢は葛馬の足を蹴り上げる。みっともなく、油断していた葛馬は地面に崩れ落ちた。
 美鞍葛馬をより速くした、その奇跡の一滴に。自分が祝福の口付けを与えたかったなどと、一瞬でも考えたことがいらだたしかったのだ。
「ガキは早く家に帰ってクソして寝ろ!!」
「お前が言うな───!」
 完全に空に上った朝日が、校庭を走り回る二人の影をよりいっそう長く、濃く落としていた。



 
君の心よりも速く!




初めてのエア・ギア小説……。
あちしのイメージ、カズアギ……自覚編??
お礼になれば……(いそいそ)

2004/06/12 真皓


□ ブラウザのバックでお戻り下さい。 □

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!