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このサイトについて
このサイトは愛をテーマにしている。 一見そうは見えないかも知れないが、どのコンテンツにも、その底に愛とはなにかという探求が、このサイトを成立させているエネルギーとして流れている。 ではこのサイトで言うところの愛とは何か。 映画『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』に登場する神話を思い起こしていただきたい。愛の起源の神話である。 最初の人間には3種類あり、姿かたちも今の人間と違っていた。その姿は二人の人間が背中合わせにくっついた格好をしており、性別は男と男・女と女・女と男がくっついた3種類がいた。 この時代の人間はまだ愛を知らなかった、従って地上のどこにも愛はなかった。 この神話で重要なのはこの点である。つまり、人間が背中合わせにくっついていたときには愛を持ち合わせていなかったが、神様が人間を引き離し、男と女の区別が生じたとき、同時に愛が生まれたという点である。 愛はその前提として、分離・分裂を必要とするのである。 ただひとつであるもの、分けられていないもの、区別のないもの、それらの間には愛は存在しないし、そもそも必要がない。 男女の愛は男と女が別れているために生じる。 親子の愛は親と子供が別れているために生じる。 隣人への愛は自分と他人が別れているために生じる。 物への愛は我と他が分かれているために生じる。 神の愛は造物主と被造物が別れているために生じる。 まこと愛とは1と1があって成立するものである。 しかしその1と1が合わさり2と成るのが愛ではない。 1と1が合わさり、1に「成ろうとする」のが愛である。 そして、1になってしまえば、愛はそこで消失する。 また、ここから次のことが言える。 憎悪や嫌悪は愛の源である。それらは我と他を区別するところにあるから。 孤独は愛の源である。孤独は他人との一体感を無くすところにあるから。 ひとは憎しみを深めるほど、愛の重要性に気づく。 ひとは孤独を深めるほど、愛の必要性に気づく。 もし世界から憎悪が消え、孤独も消えれば、同時に愛も消えることになる。 したがって人間がこの世界を生きるとは、憎悪や孤独による分離と、愛による融合を同時に生きるということである。また、その哀しみと喜びを引き受けるということである。 しかしこのような形で愛が地上に出現してまだわずか二千数百年である。それはギリシャから、またプラトン以降である。 人類はまだ完成された愛を知らずにいる。 愛のもっとも原始的なかたちは性愛を源としている。このレベルの愛は肉体と本能に大きな制約を受けており、たとえより高次の愛を志向したとしても、軟弱な人類の精神は性欲にごく簡単に屈してしまう。 さらにまた性欲から離れた愛をイメージしにくいこともあり、多くの人間は愛には段階があり、より高次の愛が存在すると思ってもいない。 人類の愛は起源を性欲に持ち、遠い未来には肉体の制約を離れ、純粋に精神的なものとして愛を完成させる。 このサイトでは管理者の予感する、愛の完成へと連なる長い道程を主にテキストによって表現するものである。 リンクについて
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ハンドル corros 活用形(未来形)でcorronuともつづる ひとの皮をかぶったネコ |