不眠症

眠れないことが、ケイ氏の悩みだった。しばらく前に、ちょっとした事故で、頭をうって
からのことだった。
 不眠症の苦しさは、経験者でないとわからない。眠ろうと努力すればするほど、頭がさえ
てくる。数をかぞえたり、まくらをとりかえてみたり、寝がえりをうったり、便所へ立った
り、ありとあらゆることを試みる。だが、ほとんど役に立たない。
 あげくのはて、眠ろうとするからいけないのだ、とも考えてみる。しかし、いじの悪いこ
とに、頭はさらにさえてきて、やがて夜がしらじらと明けてくる。
 もっとも、大部分の不眠症は、このように「眠れない」といいながらも、けっこう眠って
いるものだそうだ。しかし、ケイ氏の場合は、完全に一睡もできないのだった。
 ラジオの深夜放送を聞きながら、その曲目とコマーシャルの品名を、全部メモに取ること
もできた。それを十日ばかりつづけたが、なんの役にも立たないことを知り、やめてしまっ
た。
 どうしても眠れないのだが、それでいて、少しも疲れないことに気がついた。
 いろいろ考えたあげく、ついにケイ氏は、つまらない努力はしないほうがいいと、決心し
た。波はある日、つとめ先の会社の社長に申し出た。
「社長。わたしをやとってくれませんか」
「これはまた、妙な申し出だな。すでに、きみはわが社の社員だ。それをいまさら、やとう
とは・・・・・」
 と、ふしぎがる社長に、ケイ氏は事情を説明したあと、
「というわけです。自宅に帰りぼんやりしているより、仕事をしていたほうがいいので
す。どうでしょう。夜警として、採用して下さい。ほかの会社でアルバイトするより、この
ほうが気が楽です」
「なるほど。前例のない話だが、たまたま夜警の欠員が一人ある。きみならば、あらため
て身もとを調査する必要もない。採用することにしよう。しっかりたのむ」
 かくして、ケイ氏は採用になり、優秀な夜警として働きを示した。ふつうの者なら、時
たま居眠りぐらいはする。だが、彼には、そんなことがないのだった。
 夜警の勤務が終わって朝になると、洗面所でヒゲをそり、昼間の社員としての仕事に移る。 
それがおろそかになることも、なかった。なにしろ、眠れないのだ。むしろ、ほかの同僚た
ちのほうが、よく居眠りをする。
 すぐにケイ氏は、自宅の不要なことに気がついた。帰宅することがないのだから。彼は自
宅を他人に貸すことにした。
 金銭的な点に関しては、よいことずくめといえる形だった。住居費がいらないどころか、
家賃まで入ってくる。通勤費もいらないし、だいいち満員の社内で、長時間がまんすること
もないではないか。また帰りがけに一杯、というむだな出費もなかった。
 しかも、月給は他人の二倍である。いや、二倍以上だった。遅刻することもなければ、昼
夜における仕事ぶりが群をぬいている。ボーナスの際に、それらが考慮されるからだった。
 しかし、悩みがないわけでもなかった。たまった金を、使うひまのないことだ。まあ、い
ずれ不眠症もなおり、普通の生活に戻れるだろう。その時のために、貯えておくつもりだっ
た。
 ケイ氏はひたすら、それを待ちのぞんだ。だが、いっこうに全快しそうになかった。眠り
の楽しさを失ってから、ずいぶんになる。そのため、あこがれはますます高まってきた。
 あきらめたつもりの眠りが、たとえようもなく、すばらしく思えてきた。いまや、押えき
れない気持ちだった。
 各種の薬や方法が試みられた。しかし、どれも効果をあげなかった。頑固きわまる不眠症
らしい。ケイ氏は、悲しそうな声で言った。
「先生。だめなのでしょうか」
「いや、絶望ではありません。まだ、とっておきの方法が残っています」
「どんなことですか」
「新しく輸入された、高価な薬です。これを使えば、全快は保証します。なおらなければ、
代金はおかえししますよ」
「ぜひ、それをお願いします」
 費用を聞くと、たしかに高価だった。いままで貯えた金額に匹敵する。だが、ケイ氏はそ
れをたのむことにした。ここまできて、いまさら、やめることはない。それに、不成功なら、
代金はかえしてくれる。ここまできて、いまさら、やめることはない。それに、不成功なら、
代金はかえしてくれる。彼は金を払い、医者は注射した。
 やがて、薬がきいてきたのか、頭がぼんやりとし、一瞬、なにかが逆転するような気分に
なった・・・・・・・。



目をあけると、医者がのぞきこみながら、声をかけてきた。
「うまくいったようですね」
ケイ氏は文句を言った。
「ちっとも、きかないじゃありませんか」
「ききましたよ」
「なぜです。まだ、この通り目がさめているでは・・・・・・」
「それでいいわけです、あなたは事故以来、ずっと眠りつづけだったのですよ」
「あ。すると、いままでのは、なにもかも夢だったのか・・・・」
 と驚くケイ氏に、医者は説明してくれた。なんとか目をさませようとして、あらゆる方
法を試みたが、すべてだめ。最後の手段として、高価な輸入薬を使ったのだそうだ。
 その値段を聞き、ケイ氏はがっかりした。これから当分、眠らずに昼夜ぶっ通しで働かな
ければ払えない金額ではないか。 


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