碇シンジはジオフロントを螺旋状に降りるモノレールの中にいた。もちろんレイの見舞いに行くためである。

右手にぶら下げる紙袋の中には途中で買ってきた果物の詰め合わせが入っている。

(もうすぐ綾波に会える)

そう思うだけで心が弾む。

がら空きのモノレールの中、思わずシンジは微笑んでいた。

 

第四話、見舞い

 

「綾波の病室はと……確かこっちだったよね」

呟きながら廊下の角を曲がるシンジ。その瞬間彼の目に意外な人物が飛び込んできた。

「と、父さん………」

「…シンジか…」

シンジの目の前には腕を組み、仁王立ちに立つゲンドウの姿があった。

どう見ても「偶然鉢合わせた」というような格好では無いのだが、もちろん我らがシンジ君がそれに気付くはずもなかった。

無言でエレベーターへと向かうゲンドウとそれについてゆくシンジ。

もしこの二人を見て親子だとわかる者がいるとしたらそれは超能力者か何かであろう。

それほどこの二人が歩く姿は違和感に溢れていた。

「と…父さん……あの、綾波の見舞いに来たの…?」

シンジは思い切って口を開いた。その顔には複雑な表情が浮かんでいる。

「そうだ…。」

素っ気なく答えるゲンドウ。それきり会話は無かったが、エレベーターの扉が閉まる寸前にゲンドウは口を開いた。

「シンジ、レイを頼んだぞ……」

「え?」

 ぷしゅっ

シンジはどういう事か聞こうとしたが、もうエレベーターは閉まってしまっていた。

(??どういう事??)

呆然とした表情で立ちつくすシンジ、だがいつまでも突っ立っていても仕方がないので、とりあえず当初の目的通りレイの病室へ向かう事にした。

 

「…失礼します。」

病室に入るシンジとそれをいつもの無表情で見つめるレイ。

「あ、あの…ここに座ってもいいかな?」

そう言ってベッドの横にパイプ椅子を持ってくるシンジ。

(こくん)

レイは無言で頷いた。そんな仕草にも見とれてしまう。

(やっぱり…綾波って綺麗なんだ……)

見つめていると急にレイが俯いてしまった。気のせいか頬がうっすらと桜色に染まっているように見える。

(え…綾波?)

シンジは初めて見るレイの女の子らしい行動に驚いた。同時に、突然自分のしている事が恥ずかしくなってくる。(ただ見ているだけなのだが)

「あ、そうだ。綾波、果物食べる?持ってきたんだ。」

とりあえず場の雰囲気を変えようと果物の詰め合わせを取り出すシンジ。レイはそれを不思議そうに見つめた。

「……それを食べるの…?」

「え、うん。果物嫌いだった?」

「…わからない…」

「わからないって……もしかして食べるの初めてなの?」

頷くレイ。そんな彼女をシンジは信じられない思いで見つめた。

ふとレイがこちらを見ているのに気付く。いつもと同じ無表情だったが、シンジにはそれが悲しそうに見えた。

「あ、綾波、気にしなくていいよ。そういうこともあるかもしれないし……」

本当は色々と聞きたかったのだが、これ以上レイの悲しそうな顔を見たくないシンジはそう言った。

 

「初めて食べるんだったらやっぱりリンゴかな……」

そんな事を呟きながら神技とも言える速さでリンゴの皮をむいていくシンジ。この街に来る以前は「先生」と呼ぶ独身の叔父の所にいた為、料理など家事全般を引き受けていたので、家事関係には少し自信があるシンジであった。

綺麗に一本につながった皮から分離したリンゴを八等分に切り、その内の一つに爪楊枝をぷすりと突き立てる。

シンジはそれをレイに差し出した。

「はい綾波、食べてみて。」

しばらくそれを見つめていたレイだったが、やがておずおずとその3分の1ほどを口に含む。

(……しゃりしゃり……)

「どう、綾波?」

「…おいしい…」

本当においしそうに食べるレイを見て、持ってきて良かったとシンジは思った。

「もっと食べる?綾波?」

(こくん)

 

結局、残ったリンゴも全部シンジが食べさせてあげたのだった。

 

 

「…………碇君……」

リンゴを食べ終わって少したった頃、レイがシンジの名を呼んだ。

(綾波が初めて自分から話しかけてくれてる)

シンジは軽い感動を覚えた。

「何、綾波?」

「…どうして私に構うの……?」

「え……」

「……今まで誰も私を見なかった……あなたはなぜ私に構うの…?」

通常では考えられない言葉を紡いでいくレイ。その表情からは彼女が何を思い、感じているのか全く読み取れない。

だがシンジは理解していた。

この少女には感情が無いわけではなく、それを表す術を持たないのだということを。すなわち、淋しいという感情を。

「綾波!」

気が付くとシンジはレイを抱きしめていた。レイは驚いて目を見開いた。

「そんな事言うなよ、綾波。これからは僕がずっと綾波のこと見てるからさ。多分、いや。僕は・・僕は綾波のコトが好きなんだ!」

「…す……き……?」

「うん、その人の事を凄く大切に思ってるっていう意味だよ。」

「……………」

「わからなくってもいいよ、でも僕は綾波のそばにいたいんだ。ずっと…ずっとそばに…………

綾波に淋しい思いをさせたくないんだ………」

「……………」

レイは無言のまま、シンジの肩に顎を乗せた。

まるで、親に寄り添う子猫のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンジが帰った後の病室。

ベッドに仰向けになったまま、レイは身じろきもしない。

彼女はシンジの仕草、言葉を、一つ一つ思い出していた。

ふと布団をかぶる。

 

(なぜ碇君は私に構うの……?)

(私が大切だから………?)

(………私の事が「好き」だから………?)

 

(………………)

  

(碇君……私を初めて見てくれた人…………)

(碇君……そばにいたいのは私………私……「淋しい」の……)

(碇君……私の一番大切な人…………)

(………そう……私……碇君が「好き」なのね………)

そこまで考えてレイは俯せに枕に頭をのせると、瞼を閉じた。

(明日になれば碇君が来てくれる……早く………明日になれば…いいのに………)

レイの意識はそこで途絶えた。「早く」明日になるように……

 

明日が楽しみ。

 

それはこの少女にとっても、生まれて初めて使う言葉であったに違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーネルフ、総司令室内ー

この部屋の管理者たるネルフ総司令、碇ゲンドウ。

その絶大な権力を手にした男は、今自分が置かれている絶望的状況から何とかして抜け出せないか頭を捻っていた。

「く……」

微かにそう呟くゲンドウ。だが彼に勝ち目が無い事は誰の目にも明らかだった。コトは彼の権力が届く範囲を逸脱した領域で起こっているのだ。

ゲンドウはたまらずに口を開いた。

「……その飛車は待ってくれ、冬月。」

「なんだ、またか碇。これで3度目だぞ。」

せりふとは裏腹に楽しそうな顔をして冬月が答える。もとから勝敗が判っている勝負だ、なにしろこれまでの戦績は冬月の五百連勝。もはやゲンドウが勝つのは確率的には奇跡に近い。

「ところで碇、今日はレイの見舞いに行ってきたのだろう?」

さきの手を打ち直しながら冬月が言う。

もちろん彼はゲンドウが本当はシンジに会いにいったことをわかっていて言っているのだ。

「ああ……シンジにはレイを頼むと伝えてきた。」

盤上から目を離さずに答えるゲンドウ。彼も冬月の質問の真意を理解した上で答えている。

他の人間からすればおかしく思える会話だが、この二人の間ではこれが自然なのである。

「という事はシンジ君にレイが妹だと伝えたのか?」

(なんて事をしてくれるのだ! 碇の奴、せっかくの面白い見せ物を……)

冬月コウゾウ。なかなかの食わせ物である。

「…いや、言うつもりだったのだが……忘れてしまった……」

「そうか」

思わずガッツポーズをキメそうになる自分を抑えながら答える冬月。だが抑えきれずに洩らしてしまった邪悪なにやり笑いとともに彼は思った。

(ふふふ……そうだったな、碇がそんなに長くシンジ君と話せるわけもないか……)

「冬月、おまえの番だぞ…」

「ん?う、うむ」

この日、彼らの戦績表には五百一回目の冬月の勝ちを示すマルが記されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二週間後。

この二週間、シンジはミサトに冷やかされながらも毎日レイの見舞いに来ていた。

シンジがレイに会いたかった事もあるし、なにより一日でもレイに淋しい思いをさせたくなかったのである。

最初の見舞いの日以来、レイの表情が(シンジに対してのみではあったが)増えてきた事もあり、シンジはレイの微妙な表情の変化がわかるようになっていた。

それがシンジが帰る時のレイの悲しそうな表情を発見する事につながり、毎日見舞いに来る直接的な理由になっていた。

シンジは今日も学校が終わるとその足で病院に直行していた。レイの病室の前で、顔見知りになった看護婦に呼び止められる。

「綾波さん、明日はもう退院ですよ。良かったですね。」

 

 

 

はい、口開けて。綾波。」

そう言うと、レイの口元にパイナップルを持っていくシンジ。

心持ち頬を桜色に染めたレイがシンジの言う通りに小さく口を開く。

以前のレイを知る者達、特にネルフ関係者が見れば目を疑いたくなるような光景である。

だがレイの右腕がまだ不自由な事もあり、シンジが食べさせてあげる事が自然になっていた。

(……モグモグ……)

食べながら、レイはちらりとシンジの顔を盗み見る。幸せそうにレイを見つめるシンジの顔。途端に端から見てわかるほど真っ赤になって俯いてしまう。

(……なぜ碇君の顔を見ると鼓動が早くなって顔が熱くなるの? …これが「好き」ということ……?)

「大丈夫?綾波、気分が悪いの?」

そんなレイの様子を心配したのか、シンジはレイを気遣うように声をかける。俯いたままレイはふるふると首を振った。

「そう?それならいいけど……無理しないでね」

言いながらシンジは次のパイナップルにフォークを刺した。

 

レイが満足するまでパイナップルを食べさせた後、レイの口のまわりを拭いてあげながらシンジは口を開いた。

「そういえば綾波、明日退院出来るんだって。良かったね。」

レイはその言葉を聞くとビクンと体を震わせた。そして涙を溜めた瞳でシンジを見上げて言う。

「碇君……明日からもう碇君に会えないの………?」

「え……あ、綾波………?」

(そうだった……。今綾波のこと見てあげられるのは僕しかいないんだ。綾波を守るって誓ったっていうのに……)

初めて目にするレイの涙に戸惑いながらも、シンジは口を開いた。

「大丈夫だよ、綾波。クラスも同じみたいだし、毎日会えるから……だから泣くのはやめて、ね……?」

シンジは無意識のうちにレイの頭を撫でていた。

その言葉とシンジの掌の感覚に落ち着いたのか、レイは俯き、呟いた。

「…ごめんなさい………こういう時どんな顔すればいいか、わからないの…………」

シンジはレイに気取られないようにそっと微笑むと、あの台詞を吐いた。

「……笑えばいいと思うよ……」

ふっと顔を上げるレイ。

確かに不器用な笑みだったかもしれない。けれど、まさしくも純真無垢な天使の微笑みがそこにあった。

 

 

 

 

 

いや、その時のレイは本物の天使をも越えていたかもしれない。

とは後のシンジの言葉である。

 

 

 

 

 

 


2002.3/12 加筆修正(LRSの本領発揮……苦情、いつでも受け付けてます)

 

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