◆◇ 3 ◇◆
「お前は、あの魔法使いの召使なのか?」
銀髪の騎士―――リファインは道案内のため前方を歩くアリーナ君に対して失礼な事を悠然と尋ねた。
「なっ!!!!」
当然な事であるが、アリーナ君は顔を真っ赤にして振りかえった。反駁しようというところであろうが、そんな調子がカリの嗜虐心を煽っているとは全く存じないアリーナ君である。まあ、例え知ったところで、それは根っからの反応であるため改善は難しかろう。やっぱり不幸をしょっている。不幸を運命付けられているアリーナ君なのだ。
「お、俺は全く不承不承のコトながら、………ご主人様の助手であって、召使じゃねー!」
その割に、ご主人様との発言は理解に苦しむであろう。
せめて、カリ様とかご師匠様とかマスターとかではないだろうか。いやいや、アリーナ君の反骨精神から推し量るなら、本人さえいなかったら、奴とかあのバカとか性悪ヤローとか決めたいところである。
リファインもそのように思ったのであろう。納得しきれぬ表情を浮かべる。
それを気配で察したアリーナ君は頭をかきむしりたくなる。
あのバカヤロー、あのバカヤロー、あのバカヤロウ!!!!!
頭の中ではいくらでも罵倒できるのだ。
それが、口に出せない。奴とか、あのバカとか、性悪ヤローとか言おうとすると、憎たらしい事に「ご主人様」に自動変換されてしまうのである。
これは、先日、カリの申し付けた薬草を見事に見誤って別の毒草を取ってきてしまい、しかもそれを本物を詰めた樽に入れてしまったことが原因となっている。気がついたときには後の祭で、本物もすべて全滅させてしまったのだ。怒るどころか、びくついたアリーナ君ににっこり笑顔で微笑みかけたカリは「お仕置きです」と告げて、アリーナ君に期間限定の呪いをかけたのだ。
それが、この、「ご主人様」自動変換である。
最初は猛烈に嫌だったが、どうしようもなくそう口についてしまうし、どうせこいつにしか聞かれないから良いかと諦めていたのだが、こんな落とし穴が待っていたとは!
抜け目のないカリである。期間限定とは言っていたが、おそらく次の訪問者がくる時期を計って、アリーナ君に「ご主人様」発言をさせる嫌がらせだったのだ。今ごろほくそえんでるかもしれないと思うとハラワタが煮えくり返りそうなアリーナ君であった。
◇ ◆ ◇ ◆
さて、単純に館に案内しているのでは、この銀髪の騎士も今までの8人と同じ運命をたどる事は必死である。
アリーナ君だとて、カリの実力は身に沁みて判っているつもりである。
まずはこいつ―――リファインという騎士の力量を知ることからだ。カリはすでに結界への侵入を気づいているであろうし、どんな風に料理しようと舌なめずりして吟味しているところだろう。
「なあ、リファインってさ、やっぱ剣を使うの?」
腰に帯びた長剣を指して聞く。
「ああ。だが、武器なら一通り使える」
「剣かー。そっかー、剣なのかー」
アリーナ君は少しがっかり気味でため息をついた。
今までにカリと決闘になって”いいところ”まで行った奴なんて皆無なのだが、とくに剣を使う奴は遊ばれてる感じで、ちっとも剣の技を披露できずに終わってしまうのだ。それに比べれば、飛び道具やら魔法を使う奴はその技を何回か使えることは出来るのだ。もちろん、いくらかもカリを傷つけることは出来なかったのだが。
「お前はなにか勘違いしている」
リファインは前方を後ろ向きに―――こちらを向きながら歩くアリーナ君を鳶色の瞳で見やった。
その瞳は柔らかく暖かな色合いで、人恋しいアリーナ君の心に染み渡る。
どうやらアリーナ君は、極悪な、かの魔法使いは人間と思っていないらしい。あの黒い、底知れぬ暗闇に見つめられると全身が固まってしまうのだ。情けない事に、びくびくと震え出した事もある。
鳶色の瞳はアリーナ君を映して、少しだけ細く伸びた。
「………そんな顔をするな」
声が、意外にすぐ近くから降ってきた。成長途中のアリーナ君より二回りほど頭上から。何年も聞けなかった、人を思いやる声。
そんな顔って、俺はどんな顔してんだ?
仰いでリファインに問おうとしたアリーナ君は、そこに、鳶色の瞳の中に、今にも泣きそうな、でも涙を必死で堪えている張り詰めた表情をした少年を見つけた。
それは、ひどくつらそうで、手を延べて抱きしめてあげたくて、そう思ったら本当に全身を暖かい腕で包みこまれて、アリーナ君は堪えていたものを吐き出していた。
「………助けて」
騎士リファインの両腕の中で、心細げに呟いた。
◇ ◆ ◇ ◆
二年前の事である。
酒場で漏れ聞いた話を真に受けたアリーナ君は、その町から歩いて一週間ほどのユーティエ湖水地方へ向かった。
さした困難もない、快適な旅。
何でも出来るような気がしていた。
くだんの魔法使い―――その悪名は聞いた事はあるが、どうせ誇張だろうと思っていたし、話半分だった。頼めば、「聖座の眼」を貸してくれるかもしれないし、よしんば拒否されたとしても剣の腕でどうにでもなると計算していた。
それに、もし、「聖座の眼」を手に入れたら俺こそが正統の勇者であるわけだし、勇者だったら世界を救う事………魔王を倒す事も出来るだとか、大それたことまで妄想していた。
だがそれは、魔法使い―――カリの目の前に立った途端、不可能事だと悟ったのだ。
それはアリーナ君の理性ではなく、本能が告げる危機であった。
どうあがいても敵わない相手であると、本能的に感じていた。
カリは終始笑っていたように記憶している。
美の神ですら気後れしそうな、美貌。その笑顔にたゆたう悪意。
微笑ではなくそれは、己の実力もわきまえず挑戦してきた無礼なアリーナ君への侮蔑に満ちた嘲笑であったと思う。
手も足も出なかった。
こてんぱんにやられた。
最後の気力もうせて、地面に蹲っていたらカリが近づいてきた。その歩みは余裕に満ちていて、負けたアリーナ君のプライドをずたずたにするには最高のやり方だった。
そして、カリは告げたのだ。
「気に入ったよ」
と。
もう二年も前のこと。
時々夢に見る。
うなされているのか。
わからないけれど、朝目覚めると顔が涙の痕で張りついている。
「私の領地で何をしてるんですか?」
しゃくりあげる声の切れ間に刺すように投げかけられたのは、この二年、アリーナ君を振りまわしつづけた男のものであった。
(02.08.10)
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