アリーナ君と魔法使い・第2章


 ◆◇ 2 ◇◆
 
「………で、そろそろ目的地を明らかにしてもいいのではないか?」

 呆れたように流し目を送りながら、深いため息とともにそう言ったのはリファインだった。黒銀の甲冑を解いて旅装に身を包んだ彼であるが、その引き締まった肢体、鍛えられた筋肉をすべて覆い隠せるものではない。せいぜいが国王より密命を受け、旅人の姿に扮している王宮騎士―――つまり、そのままの彼のイメージからいささかも変わり映えしていないのだ。腰に長剣を佩(お)びていないぶん、いつもの隙ない剛質な雰囲気が心なしか和らいでいるようでもあるが………まあ、それさえ気休めといって過言はない。
 彼、リファインがそうやって変装まがいをしているのも理由がある。
 あるのだが―――と、リファインは首を振った。
「………どうにかならないのか?」
 心底からそう呟く。
 苦虫を数え切れないぐらい噛み潰したような顔をしたリファインの前には、肩でどうにか息を継いでいるアリーナ君と、それだけ過酷なことをさせておいて「呼んだら来る。呼ばなくてもついて来させる。しつけの第1歩ですよねぇ」なんて上機嫌にのたまわっている極悪魔法使いがいたりする。その二人の様子に―――リファインは軽く瞼を閉じで首を左右に振った。
 どうにかならないものか………魔法使いの足元でぐったりとへばったアリーナ君の、その頭にちょこんと立った2つの物体に目をやる。ふさふさとアリーナ君の呼吸に合わせて揺れるそれは、たまにぴくぴく反応していたりする。あちらで鳥が鳴いたらぴくん、そちらで声がしたらぴくん、こちらで魔法使いの笑い声がしたらびっくんという具合である。きちんと機能しているので問題ないといえば問題はないのであろうが………しかし、人間の男の子の頭に、いくら似合っているとはいえネコ耳が生えていては、否がおうでも目立ちまくる。しかもその上、その傍らに常に存在する男というのが、これまた稀に見るほどの美貌なのだ。どんなに心を閉ざしたものですら、彼に見つめられたら心を震わすほどの……それが単純にうっとりと見惚れるばかりでなく、それこそ魔物に魅入られたかのごとき慄きだとしてさえ―――無反応でいられるものなどこの世にはいまいとすら思える。そんな男が、身を空に預けてふわふわ浮いて――空を普通の人間が浮いたりなど出来ない。それなのにこの魔法使いは往来のど真ん中でふわふわと浮きながら、少年のネコ耳をゆさゆさと象牙の艶やかさを持った綺麗な指先で揺らすのだ! もはや、目立つとかそういう状況を遥かに通り越して、見せ付けているのではと勘繰ってしまうリファインである。思わずため息がまた一つこぼれた。
 そんなリファインを上目遣いで流し見て薄ら笑ったのは、某極悪魔法使いことカリ・シェスティンである。あんまり愉快なので、アリーナ君の両のネコ耳を引っ張ってみたりする。と、重たすぎるリュックに押しつぶされそうになりながらも必死に抵抗するアリーナ君。本当にいじらしいが、そんな抵抗はカリにとっては煽りでしかない。簡単にあごを取られると、耳の先端の敏感な内側のラインを舌でなぞられて、細かく震えた。そのありさまを脇を通りすぎる旅人たちが、怪訝というよりも忌避………「触らぬ神に」な心情で一瞬で視線を逸らして早足で通りすぎていくのだ。目立たぬようになんていう、リファインの配慮なんてこれっぽっちの足しにもなっていなかった。
「何が? どんな風にどうにかならないっての?」
 絶対にわかっていて言っているのが見え見えのカリに、リファインは首を振った。
 所詮………
 リファインが秘密裏にコトを進めてやろうとしてやっているのに、当の本人がこの調子なのだ。いづれユーティエの魔法使いの失態話が広まるのは必至であろう。名に泥を塗るとか………そこら辺に気配りがないのだ。それならそれでこだわる必要などないはずだというのに、リファインは苛々とする感情を抑えられなかった。そんな感情に気付いて、小さく舌打ちする。
「………それはお前が構わないのなら、私がとやかく言う気はない。どうせお前の評判など、落ちるところまで落ちているのだから」
 リファインはその綺麗な顔をにやにやと愉しげに笑ませたカリから、すっと視線を逸らした。往来の先に向ける。
「それよりも、だ。日が傾き始めた。先を急がねば、ジエルフェンドの先の町まで辿り着くまい。野宿は貴様の好むところではないだろう」
 突き放すような口調。カリはその横顔にくすりと笑いかけた。
「ジエルフェンド、ね」
 唇はアリーナ君のネコ耳の内側に這わせたまま。カリは囁くように告げた。
「そこが目的地なんだけどね」
 その台詞に眉根を寄せたリファインの気難しげな顔に、ますます愉悦の色を濃くしてカリは笑むのだった。

    ◇  ◆  ◇  ◆
 
 さてさて。
 ジエルフェンドとはどんな町なのか。
 世界中でもけっこう有名なことは間違いなく、といっても「今度の休みには家族みんなで慰安旅行だ!」という対象として有名というわけでは決してなく、つまり温泉が出るわけでも宝石の産地でも花が年中咲いてる南の楽園ってワケでも勿論なく、どちらかというと死んでもあそこにだけは行きたくないと誰しも口をそろえて言うであろう―――悪党の巣窟・吹き溜まりとして、それはそれは悪名世に憚(はばか)りまくった町なのである。
 つまり、リファインとしては旅路を急いで、日が暮れる前にそのジエルフェンドの先の町まで辿り着いておきたく………しかし旅路を急ぐにはその目的地自体知れぬままではそろそろ堪え難い、というそんな心情を抱えての「目的地はどこなんだ?」発言であったのだ。しかもその旅程、目立たぬようにと苦労しているだけなのはリファインだけで、カリはやりたい放題、それに付き合わされるアリーナ君も哀れなのだが、相乗効果で世間の注目を一心に集めている。リファインの我慢もけっこう研ぎ澄まされていたのだ。
 とはいえ、しかし、である。
「ジエルフェンドだ……と?」
 リファインは眉根を一層深く寄せた。アリーナ君を弄りまわしているカリに視線を差し向ける。カリは口先を吊り上げた。
「『聖座の眼』が盗まれて1週間。……そろそろ、おかしいと思いませんか?」
 カリの笑顔がますます邪悪にくゆる。
「おかしい………?」
 リファインは眉根の皺をより深く刻む。
 おかしいのは、貴様のほうだろうという思いは口に出さない。どうせ、いたいけなアリーナ君をこの旅でとことん嬲ってやろうという悪逆な企みでもあるのだろう。だから、このような回りくどいやり方を取っているのだ。カリが本気で「聖座の眼」を取り戻そうと思ったのなら、一瞬で成し遂げているに相違ない。アリーナ君には大変カワイそうであるが、それが真実なのである。
 カリはぐったりと力なくうなだれたアリーナ君を懐に抱えた。邪魔なリュックはあっさり異空間に飛ばしている。荷物運びに便利な魔法なのだが、それをアリーナ君の為に行使するつもりは毛頭ないらしい。当初アリーナ君の荷物を代わりに持ってやろうとしたリファインに、「余計なお世話は双方の身を滅ぼすよ」なんて忠告したカリである。とことん悪人なのだ。
 その悪人は、代名詞にまごうことなき表情を浮かべた。
「魔王を退治するために絶対必要な『聖座の眼』。それ以外に、宝石としての価値も天井知らず。けれどそれを保持しているのは史上最強最高最上の魔法使い。果敢にも挑戦した者は全て撃退されてきた、と。―――そんな代物を盗むのに成功したら、そりゃもう有頂天ですよねぇ、普通」
 体重がない者を抱えたかのように、カリはふんわりとアリーナ君をその両腕に抱き留めた。抵抗しないのは、アリーナ君がすでに意識を失っていたからだ。よほど疲れ切っていたのだろう。本当に可哀相なアリーナ君である。
「けれど、そんな噂はまったく伝わってこない」
 カリはその額に軽く口付けを降らせた。すると、アリーナ君の荒い呼気が幾分か和らいだ。なぜだか得意げにリファインに流し目を送ってくる。
「……私も、あれを見せびらかされたり、得意げに魔王退治とか出掛けられたりとかされるとさすがに気分が悪くなりますねぇ」
 視線がくつくつと笑っている。
 その視線が語る事実に、リファインは額を覆った。
「―――なるほど。そういうことか」
「そういうこと、になるね」
 額から眉の際、目尻を通ってゆるゆるとアリーナ君の頬を滑り落ちていくカリの赤い唇を追う。うっすらと口を開いたまま気を失っているアリーナ君に、リファインは心底同情を寄せた。
「………で、その宝石愛好家の盗賊は一体何者なんだ?」
 さまざまな人々から望まれる「聖座の眼」を盗みながら、それを世に出す事も言い触らす事もしないで、ただ己だけが鑑賞するを愉しでいるのであろう男について訊ねる。心当たりは無きにしもあらず。これほどに腕が確かで、ジエルフェンドが根城で、宝石愛好家としても名が通っている盗賊はただ一人。カリはことさら間を置いて、その名を告げた。

「”ジエルフェンドの赫い旋風”―――赫斗(カクト)ですよ、私の『聖座の眼』を盗んだのは」
 カリは頬から斜めに唇を滑らせて、アリーナ君の口をいとも優雅に覆い尽くしたのだった。
                                

                                (03.01.17)


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