おいおいおいおいおい………だ。
しばらくの自失の後、俺はずどんずどんと内に向けて響く鈍痛にのたうつ自身に鞭打ちながら、部屋の入り口横に作りつけられた全身鏡に全身を晒した。
で。
………
………神様、嘘だと言って下さい。
「あああああああああああああああああああぅうう〜………」
空気の漏れた浮き輪みたいにへなりとしゃがみこんだ俺のその鏡像は、ものの見事に「ヤラレマシタ」な痕が、くっきりはっきりと胸元から脚の付け根付近まで散りばめられていたワケで。
完全、沈没。
撃沈。
だって、痛ェもんよ、確かに。この俺の、アソコが―――アソコなんて抽象的に言ってる場合じゃないぐらい、ケツの穴がイテーイテーって悲鳴上げてんだもんよ!!!!
オブラートに包んでる場合じゃねえっつの!
これは間違いない。間違いたいけど、そんなのは主観が、完全に客観に逆らってるだけ。ようするに、無駄な足掻きだ。蟷螂の斧?
月に吼える犬? ああああ、ワケわかんね。頭ん中にしらみがワきそうだし。二日酔いのクソブルーな脳みそなんか、まったりバター風味だしよ。
「くそっ……」
腹立たしさに任せて、その、事実をありのままに映し出す鏡を足蹴しようとして―――片足を振り上げた途端に下腹に襲い掛かった激痛に、俺は夢オチでもないのかよと、正直、最後の希望すら失ってしまっていたのだった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
まずは――――そうだ、まずは何より、冷静に現状を認識しないといけない。
そうだ、現状だよ現状!!
映画とかでも、溢れ出す激情のままに行動しちまって大失敗するヒーローのなんと多いことよ!
つまりは冷静に、客観的に、事の発端からまとめることが肝要なわけだな。その最初の発端あたりが、いかにも俺がアホっぽいのが癪っちゃぁ癪なんだけども、そこに目をつぶっちまったら、全体があやふやになっちゃうわけだしよ。
「あああああああ……っくそが!」
俺は、がしがしと頭を掻き回した。脳みそがぐてぐてに煮立ってるカンジ。完全に煮詰めて、すべてのことを忘れてしまいたいけど――――もともと記憶なんかハナから飛んじまってて、隠滅しようもない証拠だけが残っちまってるんだよなぁ〜………
………
………はぁ。
ため息って、こういう時に自然にこぼれるんだなぁ。
「…むきゅぅうううううう………」
今更ながら、自分の体に残されたさまざまな残滓に、頬が熱くなってくる。
胸に、鎖骨に、首筋に……視線を落とすと、太ももの内側周辺にも恥ずかしくなるぐらいたくさんの赤い痕―――認識するのすらものすげぇ抵抗あるんだけど………ぅうう、ああ、くそちくしょうなコトに、キスマークなんていうとんでもないモンが、俺の全身に渡って散りばめられてるんだよな。その上、さんざんしぼり出されたせいか、朝だってのに、俺のカワイイ息子はお疲れのご様子だしよ。へなへなに縮んでて、それでさらにブルーになってきちまうじゃねーか。
そのさらに上に。非常に、非常にいかんともしがたく情けないことに。
こ、腰がよ………
擦り擦りしてみるものの、態勢を変えるたびに鈍痛が神経を襲ってる。その痛みは、小腸から大腸を経て、ケツの穴を最大のポイントにして続いてんだよ!
わかるか、この屈辱! ケツの穴がひりひり悲鳴を上げてんだぞ! 見るのはご免だけど、見たら絶対赤く腫れてんだろうな、クソっ!
朝起きて、起きた途端(ケツの穴が痛ェええええ!!!)なんて感じてみろ。嫌だろ?
最悪だろ?どうだ、俺のブルーな、ブルー過ぎる心情の一端でもわかったか!?
しかも、だ。極めつけなことに、それが一番大問題なんだけども―――朝起きて、ケツの穴が痛くて、そりゃもう痛くて、その痛さがゆえに己の体を襲った現実を涙を飲んで受け入れた。ホモでもねーのに、とうとう俺ってばヤられちまったのかと――――俺も男だ、正々堂々と認めてやろうじゃねぇか!!
ああ、そうだよ、上等だ。俺はやられたんだ。ケツの穴に、野郎のナニを突っ込まれたんだよ!!!
認めてやるさ、このケツの穴の痛みに誓って!
でもよ。でも、だ。
ふと、ようやくにして気付いたんだけど―――コレっておかしくねぇか!? ………普通、こんなの自分でしぶしぶ認めるんじゃなくて、朝起きたら、隣に俺をヤった奴がいて、「ごめん」でも「君のことが好きなんだぁあああ!!!!」でもニヒルに笑って「一夜のアバンチュール、楽しかったぜ」でもっっっ、この際何でもイイから、事情説明してくれるのが筋ってモンじゃないのか!?
それとも何か………俺は、この出入りの厳重な晟南学院黒旺寮ニ年棟の自分の部屋の自分のベッドで、身も知らぬ誰かに犯された挙句にほっとかれて、しかもその相手の特徴もなにも全く覚えてないっていうタワケなのか!?
――――そ、そりゃ……昨日、我を忘れるぐらい酒を飲みあおった俺も悪いのかも知れん。しかも、何で飲むことになったのかも記憶の彼方だしよ。
あ〜、くそっ、頭ががんがんする。上も下も、胃も大腸も、喉仏もケツの穴も全部痛ぇよ。
「ちくしょ………」
全然、ちっとも、昨夜のコトなんかミジンコレベルたりとも覚えてない。こんなに体中に痕が残ってんのに、その相手が誰なのか、そいつにどんな風にされたのか、ちゃんと抵抗できたのか……へ、変な反応とかしてないだろうな俺!とか………そういうのが丸々カラッポ。
脳みそがカラカラ空虚な音をたてそうなぐらい、カラッポ。
………くそっ。
ふつふつと湧き上がってくるのは、俺を犯したヤツへの……襟元引っ掴んで振り回して、「オラオラてめェ、千倍返しでぶち込んでやる!!」って責めよりたい欲求で―――い、いや勿論それはことばのアヤで、ぶち込むのは当然俺の心のこもった拳連打なわけなんだが―――でも、それをするにも、そもそもの相手がわかんねェんだよ、ちくしょうっ!!!!!
俺は、ぎゅうううううっと肩を怒らせた。根性で、扉口から部屋の中へ這い進む。
「絶ぇえええええっっ対、見つけてやる!」
頭ん中は、もうそれでいっぱい。
ヤられたっていうことよりも、誰かわかんないっていう、そっちの方が問題は上。俺も男だ、一度の不運なら人生の教訓と無理やりにでも前向きに納得してやろう。そんでもって、酒は飲んでも飲まれるな、だ。
だがしかし!
俺も男なんだ。俺は男なんだ。
………てめぇ、一発殴らせろ!! てか、一発じゃねェ、タコ殴りにしてやる、くそっ。
復讐だ、復讐。
酒に酔わせて俺を襲った罪は海より深い。煮えたぎる復讐の怨念は、ボルケーノから噴き上がる蒸気よりなお熱し!
その底には、熱くどよめくマグマが溜まってる。
覚えとけよ……ああ、そうだ。こういう時こそ、かの、素敵な名台詞を使うんだな。
俺は二日酔いの乾いた喉を震わせて笑った。
「………犯人め、首の根洗って待ってろよ!!!!」
ぐふぐふと地の底から湧き上がったみたいな掠れた声音。
ついでに、ベッドに手をかけてどうにか這い登ってる俺って、どう見ても怪しい人だしよ。顔色なんか、最悪の土気色。一人でホラーごっこしてるのか、俺!
ホント、せいぜいのところ、八方塞がりの切羽詰った悪役か幽霊か亡霊かって趣で―――とてもじゃないけど、真犯人追求の志に目覚めた男を取り巻く雰囲気では、そう、ホント全くないのだった。
(03 02.16)
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