アリティアの夜に… 中編

 

 

「すいません…妹を…カチュアを見かけませんでしたか?」
パオラが城内の夜警をしていたセシルに尋ねた。
「カチュアさん?いいえ、見てはいませんが…」
セシルは首を横に振った。
「そうですか…すいません…」
「一体どうしたんですか?」
「いえ…ただ、部屋にいなかったから…」
そう言って、パオラは再び、妹を探し始めた…


パオラは、先刻のカチュアの泣き顔が脳裏から離れなかったのである。
パオラはカチュアの泣き顔を久しぶりに見たのである。
小さい頃はカチュアもよく泣き、姉の後ろに隠れてしまう事も多かった。
でも、三女のエストの面倒や、パオラの足らないところを助けたりする内に、とてもしっかりとした少女に成長したのであった。
軍に入り、天魔騎士となってからは、その真面目さ、しっかりさに磨きがかかっていった…
成長してからのカチュアは、ほとんど人の前で弱音を吐くことなく、また辛い時も顔に出すことはなかったのに…
そんなカチュアが…泣くなんて…
ただ事ではないと思った。

(いや…でも…もしかしたら…)
パオラに心当りがあった…
しかし、それが今回のカチュアの悲しみと繋がるかどうかは分からなかったが…
だから、カチュアの様子を見ようと、彼女を探しているのだが…
部屋を訪れてみたがいなかった。
だから、今、城内を探しているのだが…

「何処に行ったのかしら…あの子…」
見つからない分、不安が強くなってくる…
(…もしかして…何かあったのかしら…)
押し潰されそうな感覚に襲われる。
(どこに行ったのよ…はやく…はやく帰ってきなさいよ…カチュア…)
今のパオラは、天馬騎士としてではなく、二人の妹を持つ姉として妹のカチュアの事を心配していた。

他の皆にも知らせて、探してもらおうかと考えていた。
でも、妹のために、周囲に迷惑はかけられないとも思っている。
でも、本当に取り返しのつかない事態に巻きこまれているとしたら…
ジレンマに襲われるパオラだった…


しかし結局、彼女の心配は杞憂に終わる…
パオラが城門にさしかかった時、城門の外に自分の妹の姿を見つけたのである。
「カチュア!」
パオラはカチュアに駆け寄る。
「こんな時間に、一体どこへ行っていたの?心配したじゃない!」
姉の口調でカチュアに尋ねるパオラ…
「……ごめんなさい…姉さん…心配かけて…」
カチュアから反応が返ってきた。

(…?)
パオラは何か違和感のような物を感じた…
別にどこが?…というわけではないが…

「さっきはどうしたの?…泣いたりなんかして…」
先ほどの疑問を聞いてみる…
「……」
カチュアは下を向き、口をつぐむ。
「どうしたの?カチュア…」
(何か…変…)

「…いえ、あの時はちょっと辛い事があって…」
カチュアは顔を上げ、答えた…
その表情は笑っていたが、ちょっと無機質な成分が含まれていた。
今まで…小さい頃から共に育ったパオラにとって、見た事がないカチュアに表情だった。
「…そう…分かったわ…」
パオラは、あまり深く追求しようとはしなかった…なぜか、深く聞ける雰囲気ではなかったのである…
(一体…なんなんだろう…この感覚…)
自分を取り巻く、今まで感じた事がない、この感覚…なんなのだろう…
「ごめん…姉さん…疲れたから、もう…」
「あっ…ごめん。」
パオラはカチュアに道を開ける…
「では…おやすみなさい…」
「おやすみ…カチュア…」
カチュアがパオラの横を通り過ぎていく…そのカチュアを横目で追うパオラは、底知れぬ不安を感じていた…
(なんで…なんなの…この不安は…)
カチュアの後姿を眺めながら、パオラは悪寒に襲われていた。


パオラはこの時、これから起こる悲劇の予兆を感じていたのかも知れなかった…



既に、暗く、静まり返った廊下をカチュアが歩いていく…
その腰には、しっかりと剣が吊り下げられていた…
彼女は今、ある目的のためにマルスの部屋に向かっていた…
その瞳は、赤い光を妖しく放っており、その表情も狂気の色を含んでいるようにも見える。
今のカチュアは明らかに狂気の感情に支配されていたのだから…
(…マルス王子を…殺す…マルス王子を…殺す…)
その言葉を心で繰り返しながら、ひたすらマルスの休んでいる部屋に向かって歩いていく…


ついに、マルスの部屋に辿り着いた…
普通、皇太子の部屋なら、皇太子付の者が警護しているものだが、マルス王子は「みんな、疲れているから、今日は休んでくれ」と言って皆を休ませたらしい…
単純に不用心なのか、度胸が据わっているのか…
それでも、部下に対する思いやりを持った王子だった。

カチュアはドアノブに手を延ばす…震える手で…
なぜか、カチュアは開ける事を躊躇っていた。
そう…このドアを開けて、中に進入して…そして…カチュアは自分の想う相手を手にかけようとしているのだ。
まだ、自分の中に、それに抵抗している部分があるのかも知れなかった…
しかし…カチュアは何かに押されるように、そのドアノブを回そうとする…
その時…

「誰かいるの?」
中からマルスの声が聞こえてきた。まだマルスは起きていたらしい…
ドアの外の気配を感じて、声を上げたらしい。
「…すいません、カチュアです。夜分遅くにすいません…」
カチュアは気持ちを落ち着かせながら、平然とした口調で答える。
「カチュアか…こんな夜にどうしたの?」
「…少し相談があるのですけど…良いでしょうか?」
カチュアが中に入るための口実を口にする…殺意を隠しながら…
「入っていいよ…でも静かにね…」
「…?」
マルスの最後の言葉が気になりながらも、彼女は部屋へと入っていく…


飾り気のない部屋だった。さして大きな部屋ではなく、過度の装飾品も置かれていなかった。あまりマルスは、派手な個室を好む事はなかったのである…

入室したカチュアは、すぐにマルスの姿を見つけた…ベットの横の椅子に座っていた…
カチュアに緊張が走る…
「マルス王子…」
「しっ…」
カチュアがマルスに声をかけると、マルスは口に人差し指を当て、カチュアを制する…
「…?」
カチュアはベットに目を向けた…そこには一人の小さな少女がマルスの方に体を向けて眠っていた…
「…クゥ……クゥ…」
その少女は、マムクートのチキだった…
新竜族ナーガ一族の最後の一人…滅び行くマムクートの王女…
しかし、その心身は無邪気な子供そのものだった。
マルスは椅子に座りながら、彼女の手に自分の手を添えていた…

カチュアは、自分からマルスのもとに近づいていく…
腰に下げられた剣を意識しながら…
そして、椅子に座りながら、チキに体を向けているマルスの斜め後ろに立つ。
「今…やっと眠ったところなんだ…」
「どうして、マルス王子の部屋に、チキ様が…」
カチュアが、目の前の光景を見ながら尋ねた。
「まだ、悪い夢を見てしまっているみたいなんだ。怖くて、一人では眠れなかったみたいなんだ。だから僕の部屋で一緒に寝させて欲しいって…さっき一人で来たんだ…」
チキを優しい目で見ながら、マルスは小さな声で喋る。
カチュアはチキの寝顔に目をやった…
本当に安心しきった、安らかな寝顔で眠っているチキ…どこか笑みを含んだ寝顔だった…
(本当に…安心して寝ている…マルス王子を信頼しきっているから…なんだろうな…)
チキはマルスを信頼している…その事はカチュアも知っていたが、この寝顔を見ると、その信頼の強さを納得する事ができた。
そんな…チキの感じているであろう安らぎが、今のカチュアには不快なものだった…
マルスを誰にも渡さないために…彼を殺そうとしているカチュアにとっては…
その男に絶対の信頼を寄せているチキが憎らしかった…

でも…
(…その安らかなになれる信頼が…羨ましい…)
とカチュアは思ってもいた…

「…むにゃ…おにい…ちゃん…」
チキが寝ぼけてマルスの名を呼ぶ…
「ふふっ…チキ…寝ぼけているのかい?…」
優しく囁きかけるマルス…その様子を冷ややかな目で見つめるカチュア…

やがて、マルスはチキの傍らから立ちあがった。
そして、カチュアを連れて、部屋の外のベランダに出た。

「やっぱりチキは…まだ悪夢にうなされている時が多いみたいなんだ…」
ベランダの手すりに身を委ね、マルスが喋りだした…
「チキも、とても不安なんだと思う…今まで、氷竜神殿で寂しい思いをして…再び、戦いに身を置く事になって…本当は、ただ幸せに暮らしたいだけなのに…」
カチュアはマルスの脇に立ちながら、黙ってマルスの話を聞く…
「チキだけじゃない…他のみんなも…僕についてきてくれた仲間や、今は敵になっている人々、この世界に住む全ての人々が幸せに暮らせるようになること望んでいるんだ…みんな思いは一緒なのに…なんで人は戦い続けてしまうんだろう…あははっ…おかしいよね、今まで散々人の命を奪ってきたのは自分なのに…」
思いを口にしながらも、自分の今までの行いを悔いるマルス…
「でも、戦わなくちゃいけない…このままでは、もっと悲しみが増えてしまうから…これから先の未来に生きる人たちには幸せに暮らして欲しいから…だから…だから…今は、戦わなくちゃいけないんだ…」
胸にある決意を口にするマルス…

(マルス王子…あなたはお優しい方です…そんな優しさに…私は惹かれてきました…)
マルスの話を聞きながら、カチュアはマルスの人柄を改めて認識した…
マルスは…戦いなど望まず、ただ平和の事だけを考えている心優しい王子…
この優しさが、カチュアがマルスを好きになった理由の一つかもしれない。

でも…
(…この優しさを…他の人の物にしたくない…誰にも、渡したくない!)
カチュアの心を、黒き感情が支配していく…
彼女の胸にかけられている闇のオーブが、黒く輝きだした…
今のカチュアにとって、マルスの優しさは殺意への引き金になっていた。
(マルス王子…私は…)
腰の剣に手を伸ばしていくカチュア…
(…私は…貴方を…)

その時、マルスは一言が耳に入った…
「でも、カチュアがいてくれて良かったよ…」
夜空に視線を向けたまま、マルスはその言葉を言った…

カチュアの手が剣を掴む直前で止まる
(…マルス王子?)

「カチュアには、いつも本当に助けてもらっているよ。君は常に物怖じしない意見を言ってくれるし、常に正しい事を導き出す事ができる。それに戦いでも、素晴らしい判断力とその機敏さで、いつも僕やみんなを助けてくれるし…この苦しい戦いを乗り切って来られたのは、君が色々と助けてくれたからだよ…だから…」
マルスが、夜空から目をカチュアに向ける…そして…

「だから…いつも本当にありがとう、カチュア」
カチュアに満面の笑顔と感謝を送るマルス。

(!?)
その笑顔と感謝に…胸の鼓動が激しくなる…
今まで…こんな近くで、マルス王子の笑顔を見た事があっただろうか…
あまりにも…眩しく…そして…柔らかな笑顔…

それに…マルス王子に感謝されるなんて…
(私…私…)
熱き想いが…彼女を覆い始めていた…

「あっ…ごめん、いきなり変な事を言って…」
顔を赤くしながら、照れるマルス…
「でも、一度言っておきたかったんだ…この感謝の気持ちを…本当にいつも助けてもらってるから…」

カチュアは、マルスを正視できなくなっていた…
赤くなった顔を下に向けるカチュア。

マルス王子が…自分に対して、そこまで信頼を置いていてくれたなんて…
すごく…嬉しかった…とても…心が熱くなった…

(…ダメッ!…胸が…苦しい…)

「ごめんね…僕ばっかり喋ってしまって…そう言えば、カチュアの相談って何?」
マルスはカチュアの用件を思い出したのか、カチュアに相談の内容について尋ねてみる…

「えっ!…あっ…」
カチュアは、マルスの呼びかけに我に返る…顔を上げたカチュアは、真っ赤な顔をしていた…

「どうしたの!調子でも悪いの?カチュア…」
マルスが、カチュアの気分が悪いと思ったのか、カチュアを介抱しようとする…

「いえ!なんでもないんです…ごめんなさい!」
肩にマルスの手が置かれる前に、カチュアは後ずさり、その手から逃れる…
今、マルスに優しくされたら…おかしくなってしまいそうだから…

「でも…様子が変だよ…」
「なんでもないんです!!…ごめんなさい、失礼します。」
カチュアは、顔を真っ赤にさせて…マルスの部屋から出ていってしまった…

「カチュア?」
呆然としたマルスが取り残された…
「……」
何かが…違う…
カチュアが、いつもと何かが違うと感じるマルスだった…




「ハァー…ハア―…うっ…」
大広間の窓に手を当てながら、自分の抑えようとするカチュア…
(胸が苦しい…熱い…)
マルスの笑顔を間近で見た時…自分の頭の中が真っ白になってしまった…
今まで、自分ののなかに存在していた、黒い感情も、憎しみも、そして…殺意も…全て、あの時は消えてしまった…
(私は…殺せなかった…マルス王子を…決意したのに…)
そう…今のカチュアは、彼を殺す事に抵抗したもう一人の自分を抑えてまで、彼を殺す事を決意したのに…
不思議だった…あの、彼の笑顔を見るまでは彼への殺意でいっぱいだったのに…
ここで彼を殺さなかったら…彼は他の女性の物になってしまうのに…
(渡したくは…ない…でも…)
彼を殺す事に躊躇いを覚えたカチュアは、どうして良いのか分からなくなってしまった…
(マルス王子を…殺したくはないの…だけど、カチュア…殺さないと、彼は自分のもとにはこないのよ…)
顔を上げ、窓に浮かんだ自分の顔を見ながら…
「…あなたは…どうしたいのよ…カチュア…」
窓に浮かんだ自分に問い掛けるカチュア…


「何をしているのだ?」
「!?」
大広間に、声が響き渡る…
ガーネフの声だった…
「なぜ、逃げた…お前は、マルスを殺すと決意したのではなかったのか?殺して、あやつを自分の物にするのではなかったのか?」
ガーネフは、カチュアがマルスの部屋から逃げ出した事を批難する。
「お前は…マルスが他の女の物になっても良いというのだな…」
「そんな…私は…でも…」
殺意を抱きながらも、マルスを殺す事に躊躇いを覚えたカチュア…
他の女性に渡さないために…彼を殺そうと思っていた…決意していた…
でも、あのマルスの笑顔を見た時に、自分の頭が、真っ白になってしまった。
彼を殺せなかった…逃げ出してしまった…何もできなかった…
ただ…
(マルス王子を…殺せなかった…いや、殺したくなかったのかもしれない…)
カチュアは、自分の決意を疑いだしていた…
そのカチュアの心理を見て取ったのか…ガーネフは彼女語りかける…
「…なるほど…お前は、実はマルスの事など、なんとも思っていないのだな…」
「なっ…何を!…私は…マルス王子を…」
「なら、なぜ自分の物にするために殺さない!このままでは、マルスが他の女の物になってしまう事は分かっておるのだろう?」
「それは…」
そうだった…このままでは…マルス王子は、別の女性のもとへ…シーダ様のところへ…
「奴を殺さないと言うことは、奴の事を愛しておらぬということじゃ!違うか?お前が、自分の想いを叶えようとしないという事は、その想いが偽りのものである事の証明になるのだぞ。」
(そうかも…しれない…)
そうだ…私は…マルス王子の事を好きなのだ。でも、今のままでは…殺さなければ…マルス王子に対する自分の気持ちを裏切る事になる…

彼女の胸にしまわれた闇のオーブが輝き出す…

「殺すのだ…マルスを…やつを誰にも渡さないために…お前の想いを叶えるために…」
黒き感情が、彼女を支配していく…
かつて、殺すのを躊躇った自分を抑えこんだ時のように…

「…そう…私は…マルス王子を…殺す…」

再び…カチュアの目に赤き光が宿った…






マルスは、チキにベットを渡していたので、傍らにあるソファーで、もうそろそろ寝ようとしていた…
その時、ドアの向こうで、コトッ という音がした。
「…?誰かいるの?」
…しかし、返事はない…
マルスは、椅子から立ちあがり、ドアに近づく…確認のために…
そしてドアを開けてみた…
しかし…そこには誰もいなかった…

マルスは部屋に引き返そうとしたが、何か、廊下の奥の方から呼ばれているような気配がした。
声でもなく、音でもなく、ただ感性に働き掛けてくる…といった感じだろうか…
(何かが…廊下の先にある…)
彼は、その不思議な気配の正体を確かめるために、廊下を進む…

彼は、廊下を歩いていった。
彼を呼ぶ何かが大きくなってくる…
そして…それは大広間に続くドアの向こうから来ているように感じた。
(一体…なんなのだろう…)
彼は、大広間へのドアを開けた…


大広間は静まり返っていた…
蝋燭などの明かりもなく、ただ窓から指しこむ月の光が、部屋の中の光景を不気味に映し出していた…
先ほどと…何も変わっていない光景…
ただ、何かが違う光景でもあった。
大広間の中を歩いていくマルス。
その大広間の中央に指しかかった時…

「…お待ちしておりました…マルス王子…」
彼に呼びかける声があった…
「!?」
マルスは声のした方向に顔を向けた。

大広間の一番大きな窓に、満月が浮かんでいた…
その月を背後にして、窓の前に一つの人影が立っていた…
「誰だ?」
マルスが人影に呼びかける
その人影が、前に足を踏み出す…一歩、一歩…
その人影の正体が分かるところまで近づいた時、マルスは声を上げていた…

「!?…カチュア!!」
マルスが人影の正体を確認し、その名を呼ぶ。

カチュアだった…
暗き大広間に、月の光を背にしながら歩いてくるカチュア…

(…何か…変だ…)
先ほど会った時も、いつものカチュアとは違った感じを受けた。
でも…今、自分の前にいるカチュアは明らかに違っていた…
その全身に帯びた圧迫感を発するオーラみたいなものを纏っていた…
「カチュア…どうしたんだ?僕を待っていたなんて…」
マルスがカチュアに問いただす。

「…マルス王子…私は…貴方を…」
近づき…マルスに話しかけながら、腰の剣の柄を握るカチュア…


「…貴方を…殺します…」


そう言って、剣を放った瞬間、カチュアの姿が消えた。
(!?)
マルスは、いきなり消えたカチュアの姿に驚いた。しかし、彼は危険を察し、横に飛んだ。

ガシッ!

マルスが、今、立っていたところの床にカチュアの剣が減り込む。
カチュアは、横に飛んだマルスに顔を向ける…
その目は、真っ赤な光を宿っていた。

「カチュア!一体どうしたんだ!僕を殺すって…それに、その目は…」
体勢を立て直しながら、カチュアに問いかけるマルス…

「問答無用!」
しかし、カチュアはその問いに答えず、さらなる攻撃を仕掛けてきた。
一直線にマルスに向かって突進してくるカチュア。
あまりの素早さに、マルスは驚いた。
(!?…速い!)
彼は、今度はカチュアの姿をなんとか捉える事ができた。しかし、その速さに戦慄する。
彼に接近し、今度は横に剣を出してくるカチュア…
その剣の下をすり抜けて、カチュアの後方に飛びこむマルス。
回転しながら、カチュアの後ろに避けたマルス…

(なんて…速さだ…それに…)
それに、その人間離れした運動能力…
カチュアがこれだけの動きをしたことは見た事がなかった…
いや…人間では無理な動きのように思えた。

「カチュア!やめろ!どうして…僕を…」
さらに、呼びかけるマルス…しかしカチュアは耳には入っていないようだった…

次々と繰り出される攻撃に、次第に避けるのが困難になってくるマルス…
彼は、今、武器を持っていなかったので、攻撃を避けるだけしか手段はなかった。
しかし、ついに壁際に追い詰められるマルス…

「…カチュア…」
壁際に追い詰められながら…彼は今、自分の命の危険よりも、なぜカチュアがこのような事をするのかについて考えていた…
(どうしてだ…カチュア…君は一体どうしてしまったんだ?…)
彼女がこのような行為をする理由が分からなかった。そして、なぜ自分に襲いかかってくるのかを…
(なぜ…僕を…殺そうとするんだ…カチュア…)

マルスに一撃を浴びせようと、カチュアがマルスに飛びかかろうとした。
その時…

彼女の足元に、短剣が突き刺さった。
飛びかかろうとしていたカチュアは、思わず、動きを止めた…

「…何者!」
カチュアが、短剣が飛んできた方向を見た。
そこに立っていた人物は…
「…カチュア…」
それはカチュアの姉、パオラだった…

「カチュア!一体何をしているの!バカな真似は止めなさい!」
パオラが、マルスとカチュアの間に入り、剣を構える。

「…ごめん…姉さん…邪魔しないで…」
彼女は、無表情で言い放つ。しかしパオラも…
「そんなわけにはいかない!…あなた…マルス王子を手にかけると言う事は、どう言う事かしっているの?」
「…分かっているわ…それを承知で…マルス王子を…」
剣を両手で握り直すカチュア…
「…殺します」
マルスに向かって、突進してくるカチュア…
(あなた…一体何を考えているの…)
パオラは、先刻泣いていたカチュアの顔を思い出し、そして今のカチュアの顔に重ね合わせた…
(この短い時間の間に、何があったのよ…いや、それ以前に、何であなたがマルス王子を襲うのよ…カチュア…あなた…マルス王子のことを…)
彼女の事を分からなかったが、それでも、今は戦うしかない事を悟った。

パオラもカチュアに向かっていく。お互いに急激に距離が縮まっていった…
そして、姉妹である二人の戦いが始まった。

激しく打ち合うお互いの剣…
しかし、パワー・スピードともにカチュアの方が上回っていた。
最初の一撃を剣で防いだものの、その衝撃で吹き飛ばされそうになった。
(…違う!カチュアじゃない!)
パオラは咄嗟にカチュアの力に疑問を持った。ずっと一緒に育ち、ともに戦ってきたパオラにとって、今のカチュアの動き、力は明らかに別人の物に思えた。
(今の…私では勝てないかもしれない…)
明らかに、常人離れしたカチュアに不利を悟るパオラ…
(でも…負けられない!)
パオラは負ける訳にはいかなかった。彼女が正気を失っている事は確かだったから…
姉として…今まで苦難を共に乗り越えてきた戦友として…正気を失い、暴走するカチュアに負ける訳にはいかなかった。


「…なんで…君達二人が戦わなくちゃいけないんだ…」
二人の姉妹が相打つ姿を見ながら…マルスは呟いた…
どうして、こんな事になってしまったのか…
(…僕は、カチュアに何をしてしまったのだろう…)
自問するマルス…
(…カチュアは、真面目で、しっかりとした子だ…こんなひどい事をする子ではない…でも…ここまで彼女を追い詰めてしまう事を…僕は、カチュアにしてしまったのだろうか…)

パオラとカチュアの戦いは激しさを増す…
しかし、カチュアの方がパオラを圧倒していた。しかし、パオラもうまくカチュアの鋭鋒を避け、経験が上回っている事を生かし、カチュアの攻撃を読む事でなんとか渡り合っていた。

しかし…
「ハアアアアッ!!」
カチュアは、パオラに対して、横から必殺の一撃を繰り出した。
「!!!」
しかし、カチュアが繰り出した攻撃を、しゃがんで避けたパオラは、一撃を出し、無防備になったカチュアを逃さなかった。
「もらった!」
真下から剣を振り上げるパオラ。しかし、カチュアは素早い動きで半歩後退し、その刃を避けた。
しかし、切っ先がカチュアの胸元を切り裂き、彼女の胸元のアンダーシャツが露になる。
そこには、黒く光るオーブが首から下げてあった。
(何?…そのオーブ…)
パオラはカチュアがこんなオーブを身につけていた記憶はなかった…

いきなりそのオーブが輝きだした…
その瞬間…
「!?…きゃあああぁっ!!!」
パオラの体は、宙を舞っていた。吹き飛ばされたのだ。
壁にものすごいスピードで叩きつけられるパオラ。
「!!!…ぐはあっ!!」
大の字で、壁に叩きつけられたパオラ…
そして数瞬後、地面に、ボトッ、とその体は落ちる。
「…ゴホッ!…ガハッ!!」
地面に倒れ伏したまま、口から血を吐き出すパオラ…
気力を振り絞り、立とうとするが、手に力が入らず、上半身を上げる事すらできない…
「…ううっ…クッ!…」
立ちあがろうにも、体に走る激痛がそれを妨げていた。

「…姉さん…少し…じっとしていて…」
カチュアはマルスを振り返り、再び、彼に目標を合わせた…


「…やめな…さい…カチュア…」
苦しみながらも、カチュアに声を掛けるパオラ…
「あなた…本当に…マルス王子を、手にかけるつもりなの?」
パオラはカチュアの意思が知りたかった。
「…そうよ…」
「なんで!…どうしてなの?…カチュア!…私には分からないわ…」
カチュアがなんでマルス王子を殺そうとしているのか…どうしても分からなかった…
「私は…マルス王子を…殺します…」
「…本気で…言っているの?」
「…本気です…姉さん…」
「うそつき!!あなたがマルス王子を殺そうなんて思わないはずよ!」
「なんで…そんなことが言えるの?」
カチュアはパオラに問いかける…


「…だって…あなたはマルス王子の事が好きなんでしょう…」

「!!」「!?」
その言葉が耳に入ってきた時、カチュアは凍りつき、マルスは耳を疑った…
「…何だって…」
(カチュアが…僕の事を…好き?)
マルスにとって、思いも寄らない事だった。

「…あなたは…マルス王子の事を想っているのでしょう…あなたがマルス王子を見つめる瞳を見た時…王子を尊敬以上の眼差しで見つめているのに気づいた時…私は、あなたがマルス王子に抱いている想いに気づいたわ…」
「…やめ…て…姉さん…」
「どうして!なんでなのカチュア!!どうして好きな人を殺そうとするのよ!!」
叫ぶパオラ…

「やめて!!姉さん!!」
カチュアも声を荒げた。

「そうよ!!私はマルス王子の事が好きよ!愛しているわ!でも…でも!…私じゃ…マルス王子の心を受けとめる事はできない…だって、マルス王子には本当に愛していらっしゃる方がいるから…」
カチュアの瞳から、涙が流れ始めた…だんだん声が嗚咽に変わってくる…
「でも…私は、マルス王子を誰にも渡したくない!…他の人に渡したくなんかない!!だから…だから殺すの…殺せば、他の誰にも渡す事はなくなる…そして、私も死ぬ。そうしなきゃ…私はマルス王子と結ばれる事はないから…」
「……カチュア…あなた…」
パオラは何も言えなかった…
あの妹が…これほどの感情を持っていたなんて…

そして…マルスもカチュアの告白に愕然としていた…
(…カチュア…君は…僕のことをそこまで…)
マルスは…自分が憎たらしかった…
あの真面目で、しっかりとして…時折見せる笑顔の可愛かったカチュアを、ここまで追い詰めたのは自分なのだ…
カチュアの気持ちを、今、知ったとはいえ…それまで彼女を苦しめていた自分が嫌だった…

「だから…だから、私は殺すんです!!マルス王子を!」
彼女はマルスに向かっていった…


ドカーーーーン!
大広間に激震と、轟音が発生した。
カチュアとマルスの間に火柱が発生したのだ。
「マルス様!」「マルス様ぁ!」
マリクとリンダが室内に突入してきた。
彼ら二人だけではない…異変に気づき、多くの仲間たちが大広間に集まってきていた。
「マルス様!これは一体…」
マリクがマルスに駆け寄る。
「カチュアさん!これは一体どういうことなのですか?」
リンダが、カチュアに問いただす。
「…カチュアが…マルス王子を襲っているのか…」
オグマが現在の状況を考察し、その答えを導き出す…
大広間に集まった仲間たちに動揺が走る…
あのカチュアが…なぜ…

「…皆さん…邪魔しないでください…私は…マルス王子を…」
マルスに向かって突進してくるカチュア。
「クッ!!」
マリクが、カチュアに向かってウインドを放った。まずはカチュアを止めなくてはならないと判断したからだ…

しかし…
彼女は避ける素振りを見せなかった…いや、避ける必要がなかった…
闇のオーブが輝き、彼女の周りに黒い色がかかった半透明のバリアを展開する。
ウインドは、そのバリアの前に四散した。

「何!?」
マリクは愕然とした。こんなバリアを見た事がない…が…
(…いや…一度だけある…でも、あれは…)

マルスとの距離を詰めるカチュア…しかし、彼に到達する直前、オグマとナバールが彼女らの前に、立ち塞がる。
二人を相手にする事になるカチュア…でも、彼女はパオラの時に見せた圧倒的な強さを見せた…
二人を相手にしながら、有利に戦いを進めるカチュアであった。
しかし、他の仲間も、彼女を止めようと殺到してきたので、いったん窓際まで後退するカチュア…

「なんなんだ…あの力…あの動き…」
オグマがカチュアの異常な強さに驚嘆する…
「それだけじゃない…あのバリア…あれは…もしかしたら…」
リンダも、マリクと一緒で、カチュアのバリアについて見覚えというか、近いものを見た事がある。
(そう…あれは、まるで…)


「ふふふっ…情けないものだな…同盟軍の諸君よ…」
彼らを嘲り笑う声が、広間に響き渡った…
「!!…その声は!」
リンダが叫ぶ。

カチュアの後ろに、靄のようなものが浮かび上がった…
「このカチュアの前に、手もだせんとは…大した事ないのだな…」
それは、ガーネフの幻影だった。

「!?ガーネフ!!これは貴様の仕業なのか?」
マルスがガーネフに質す。
「そうだ…貴様を殺すために、この女の心を利用させてもらった。貴様を愛する心をな…」
「!?…なんだって…」
「この女は、貴様とシーダが愛し合っているところを見て、傷ついておったからな…」
「僕と…シーダが愛し合ってたところを見て…」
(…あの時だ…バルコニーでシーダとキスをした時だ…あの時、カチュアはみてしまったのか…)

「だからワシの闇のオーブに簡単に心を奪われおったわ…」
「闇のオーブだと…それはハーディンの…」
「あれをもとに、ワシが作り上げたものじゃ…人の心の負の部分にとりつき、その部分を支配する事ができる…まっ、その他にも体の能力の限界を引き出したり、ワシのマフーを元にしたバリアも張ることができるからな…ふふふっ…我ながら大した物を作ったものじゃ…」
「なんて事を…よくも…よくもカチュアを!!」
まだ、立ちあがれないものの、ガーネフを睨み付けるパオラ。
「勘違いしないでもらいたいな…この女自身がマルスの事を渡したくないと思ったことは、事実なのだ…すなわち、闇のオーブはカチュアの希望の助けをしているに過ぎない…」
「ふざけるな!妹のマルス王子を想う心を捻じ曲げて、そう思い込ませただけだろ!」
パオラには分かっていた…カチュアがマルス王子の死を望むはずが無い事を…
マルス王子とシーダ様の一時を見てしまい、僅かに生じた嫉妬の感情をガーネフに利用されたに違い無い事を…

「まっ…ワシにとっては、どうでもよいことじゃがな…」
「くそ!なんとか闇のオーブをカチュアから奪わないと…」
マリクがそう言う…
「…クククッ…ハッハッハッハッ!!」
「何がおかしい!」


「…そんな事をしてもよいのかな?闇のオーブを彼女から引き剥がせば、彼女の心は死ぬのだぞ…」


「…なんだって…」
「オーブは、今、完全にこの女の心の負の部分を支配しておる…言い方を換えれば、同化しておるのじゃ…つまり、オーブを引き剥がす事は、彼女の心の負の面も引き剥がすという事じゃ。だがな、人の心にとって心の正と負の部分は表裏一体だ。負の部分が無くなれば、正の部分も存在できなくなる。そう…闇のない光が輝けないのと同じように…この女精神崩壊を起こすであろう…」
「そんな…それじゃ…カチュアは…」
マルスの顔が青ざめていく…
「さあ、どうする?…このままでは、カチュアはずっとマルス王子を襲い続ける…しかし、それを止めるために、この女から闇のオーブを奪えば、こやつが廃人となるのじゃぞ…」
「…ガーネフ…貴様っ!!」
マルスに怒りの心が沸いてくる…非道なガーネフに対して…どうすれば良いのか分からない自分に対して…

「さあ…カチュア…マルスを殺せ!」
カチュアが頷き、マルスに向かおうとした時だった…

「マルス様!!」
大広間に入ってくる人物がいた。
…シーダだった…
騒ぎを聞きつけ、マルスの事が心配になって走ってきたのだった…

(…シーダ…様)
カチュアも彼女の姿を確認する。

この方が…マルス王子の愛される方…マルス王子を愛している方…マルス王子と愛し合っている方…

途端に、彼女に対して怒りが沸いてきた…

(この人さえいなければ…この人さえマルス王子の前からいなくなれば…)
新たに発生した黒き感情を、闇のオーブが増幅する…

カチュアの新たな願いをガーネフは読み取った。
(なるほど…それもよいかも知れぬな…シーダが死ねば、マルスの心は、癒えることのない傷を背負うことになるだろう…そうすれば、今度はマルスを支配する事も簡単じゃ…)
瞬時に打算をしたガーネフ…
(マルスを殺すのも良し…シーダを殺すのも良し…二人とも死ねば、なおのことじゃ…)


…憎い…殺したい…
カチュアはシーダへの殺意を膨らませていた。
シーダを殺せば、マルスが自分の所にくるとは思ってもいない…
でも、マルス王子と愛し合う存在は許せなかった。
シーダを殺し…マルスも殺し…自分も死ね…
これが、今のカチュアにとって、最上の選択であり、望む最高の結果でもあった…

シーダに向かって走っていくカチュア…
「!?…逃げて!シーダ様!」
パオラは、自分の妹が何をしようとしているのかを悟り、シーダに叫ぶ。
「えっ?…あっ…」
しかし、状況が飲みこめていない彼女は、反応できなかった…

(殺す…殺す!!)

彼女は跳躍し、シーダに剣を振り下ろした…



…ザシュッ!!!

大広間の床に鮮血が飛び散る…
カチュアの剣が…シーダを切り裂いた…はずだった…
しかし…その剣は別の人物を切り裂いていた…

「!?…そんな…」
顔に、体に返り血を浴びたカチュアが慄く…
顔に浴びた生暖かい血…
それは、彼女の愛する男の血だった…

マルスは…シーダを庇った。
その剣を、左の肩口に受けたのだ。
「…クッ…カハッ!!」
彼は崩れ、片足の膝を床につける。
「マルスさまああぁぁぁっ!!」
シーダはようやく状況を飲みこみ、マルスを支える。
「…大丈夫だよ…シーダ…それほど、深くない傷だから…」
マルスの傷は、思ったより深い物ではなかった。
僅かだが、剣閃の内側に入ったため、威力が弱まったようだった…


(…私は…マルス王子を…)
…カチュアは、マルスを傷づけた…
(…なんなの…この感覚…このとても嫌な不快感は…)

元々、カチュアはマルスを殺すつもりだった…
彼女は、それが自分の望みだと思いこんでいたから…
でも…実際に彼を切り、その血を浴びた時…彼女は、凄まじい罪悪感と焦燥感に襲われた。
(私は…これが望みだったのに…それなのに、なんで私…後悔しているの…なんで、こんなに悲しいの…)
カチュアの赤き光が宿る瞳から、止めど無い涙が流れる…


マルスがカチュアに向かって歩いてくる…
左肩を抑えながら…
大量の出血をしていた…彼の青き服が、真っ赤の染まっていく…

「!?」
カチュアは構える…
「…カチュア…ごめん…僕は君を傷づけていたんだね…」
その顔には怒りの色はなく、ただ悲しみの表情をたたえていた。
「…何も知らなかった…何も気づかなかった…カチュアの事を…何にも…僕がもっと君に接していれば、こんな事にはならなかったんだ…」
ゆっくり…ゆっくり…床を血の色に染めながら…歩いていくマルス…
「だから…憎むのは僕だけでいいんだ…カチュア、お願いだ…その悲しみをぶつけるのは僕だけにしてくれ…パオラやシーダ…それに他の仲間たちを傷つけないでくれ…頼む・・」
フラフラしながらも、カチュアの目の前にきて、両手を広げて無防備を晒すマルス…

(…やめて…やめて!…マルス王子…)
首をフルフル振りながら、マルスの姿に押される形で後退するカチュア…
(なんで?…どうして?…私は、あなたの最愛な方を殺そうとし、そしてあなたを傷つけたのですよ…)
カチュアに不思議であり、またやるせない気持ちだった…
(どうして!私を責めないの!!あなたを苦しめた私を…最愛の人を手にかけようとした私を!…どうして…そんなに…優しいの…)
部屋を訪れた時に、カチュアに向けられた笑顔…そして、自分を苦しめたと思い、苦悩するマルス王子…
ここまで…自分の事を考えてくださる方なのに…自分は…自分は…


「ふふふっ…カチュアよ。望み通り、マルスを殺してやれ…」
ガーネフがカチュアに促した…
「……」
「どうしたのだ?今こそ、お前の望みを叶える時…マルスを殺せる時なのだぞ…さあ、殺せ!…マルスを殺せ!!」


「…いや…です…」

「…なに?」

「…もう…いやです…」

短く…カチュアは拒絶の言葉を出した…
「何を言っておるのじゃ!!貴様、マルスを殺すのではなかったのか!?」
ガーネフが怒りの言葉を叩きつける。
「…確かに…私は…マルス王子を、誰にも渡したくない…でも…私は…もう一度マルス王子を傷つけてしまった…マルス王子の大切な人を殺そうとしてしまった!…」
「それを望んでいたのではなかったのか?」
「望んではいたわ!…でも、マルス王子を傷つけた時…分かったの…自分は取り返しのつかないことをしているのだって…もう、二度と自分の愛する人を自分自身で傷つけたくない!! それに…このマルス王子の優しさ…笑顔を…私が奪う事なんてできるはずがない…だって…私は…マルス王子のそんなところを…好きになったのだから…」

カチュアは自分の過ちに気づいた…
そして…自分の本当の気持ちを…

(そう…私は…マルス様が好き…ただ…それだけだった…)

そう…自分は、マルス王子の笑顔を…優しさを…何よりも大事に思っていたのだ…
なぜ…その大事なものを…無理やり奪おうとしたのだろう…
自分がマルス王子を殺して…その笑顔や優しさが…自分の物になるわけではないのに…
彼を殺すことで、確かに他の女性にマルス王子を渡す事はなくなる…
でも、そんな事に…なんの意味があるのだろう…
マルス王子の笑顔も優しさも…消しさって…それが自分の望みだったのでも言うのだろうか…
(…違う…絶対に違う!私は…マルス王子の笑顔を見ていたかった…それだけだった…)
今、カチュアは自分を取り戻していた…
あの時…殺すのを躊躇った自分を封じこめた…
でも…結局…封じこめてなどいなかったのだ…
自分が…マルス王子を好きな事には変わらないのだから…


「なら…お前はマルスを殺さぬと言うのだな…」
「そうよ…もう…わたしは…」

「なら…もうお前に用はないな…」

グワーーーーーン!!
突如、爆音が鳴り響いた。
その瞬間、彼女の体が宙を舞っていた…
そして、地面に叩きつけられるカチュア。
「カチュア!!」
マルスが絶叫する。
あっという間の出来事だった。

「役に立たぬもの女じゃ…こうなったら、ワシが自らお前の愛する男を殺してやろう…」
いつのまにか、ガーネフの幻影は実体化しており、当人が浮かんでいた。
ガーネフがついに、自らマルスを殺すために乗り込んできたのだ。
「ワシ自ら…お前達に引導を渡してやろう…」
「ふざけないで!!こんな事をして…許せない!!」
親の仇を目の前にして、リンダが叫ぶ。
「人の心を弄ぶあなたを…人の命を蔑むあなたを…私は許さない!!」
リンダは激しい怒りをもって、ガーネフに睨みつけた
「貴様らごときが…ワシに勝てると思っているのか?」
「そんなの…やってみなくちゃ、分からないでしょう!!」
リンダが印を組む。そして…
「くらえ!!オーラ!!」
リンダが光の超破壊魔法オーラを放った。
ガーネフに光の柱に呑み込まれる。
フフィ――――――――ン!!
最強の破壊魔法がガーネフを襲う…しかし…
「バカめ…ワシにはそんなものなど通用しない事を忘れたか…」
ガーネフは平然としていた…
「ワシにはマフーがある。貴様らの攻撃はワシには届かぬ…」
「くっ!」
リンダが悔しがる…これだけの攻撃魔法が通用しないなんて…

「リンダさん!我々も手伝います!攻撃を集中させましょう!」
マリクとエルレーンがリンダに協力する。
「分かりました!一緒に…」
今度は、同盟軍の誇る三大魔道士の攻撃魔法が同時に放たれた。
リンダがオーラを…マリクがエクスカリバーを…エルレーンがトロンを…
ガーネフに光・風・雷の超エネルギーが集中する。
激しい爆発と衝撃波が起きる。
大広間の家具が吹き飛び、壁が大きく崩れる。
この小さな空間に強大な魔法が飛び交っているのだから仕方が無い…

しかし…それでも…
「はははっ…無駄無駄…」
何もなかったかのように笑うガーネフ…それはマフーの強大さを物語っていた…
「そんなバカな!これだけの魔法を集中させても…ダメなのか」
エルレーンは恐怖した…マフーのことは噂には聞いていたが…これほどの力とは…

「俺達もいるぞ!」
オグマとナバールが、ガーネフに肉薄した。
左右から接近していく二人…
その二人を、ジュルジュとゴードンが弓を放ち、援護する…
でも、その矢もガーネフには届かず…黒き壁の前に止められる。
オグマとナバールもガーネフに襲いかかったが…
その壁の前に弾き飛ばされた…
「くそっ!」「……」
弾き飛ばされながらも、うまく着地した二人は唇を噛む…

「貴様らごときでは…ワシのは勝てぬのじゃ…」
勝ち誇るガーネフ…
「さて…ではマルスよ…お前には死んでもらおう…」

ガーネフが、傷つき動けないマルスと、彼を支えているシーダに目標を定め、マフーを放とうとする
「シーダ!逃げろ!!」
「そんなこと…できません!」
マルスはシーダを逃がそうとするが、シーダはマルスを置いて逃げる事はできなかった…

「…死ね…」
ガーネフの周りに漂っていた黒き靄がたくさんの怨霊の形をとり、マルス達に向かっていった…
「マルス!!お逃げを!」
マリクが叫ぶ。
でも、二人が避けられるはずがなかった…・
怨霊たちは、マルス達に一直線に向かっていった。
マルスも…シーダも…この時、死を覚悟した…
目を閉じるマルス…


ドゴォ――――――ン!!
マフーが命中し、大爆発が起きる…
しかし…それはマルス達に命中したからではなかった…

「…?」
マルスが…ゆっくりと目を開けた…
彼の目の前に…一人の少女が立っていた…
「……カチュア?」

カチュアだった…
彼女が立ち塞がったおかげで、マルス達にマフーが命中することはなかったのである。
「カチュア!…大丈夫か!!」
カチュアが自分達を庇った事を知り、彼女を気遣うマルス…
しかし、カチュアに外傷らしきものはなかった。

「…貴様…」
ガーネフが舌打ちをする。

カチュアが静かに…口を開く…
「…私は…マルス王子を守ります…守ってみせます…」
カチュアは決意した…大切な人を守る事を…

「…カチュア…あなた大丈夫なの?」
パオラがカチュアに尋ねる…
彼女は、マフーの直撃を受けたのだ…
無事で済んでるはずがないのだ。
「大丈夫です…姉さん…今の私には…」
彼女の胸元には闇のオーブが輝いていた…
「…まさか…闇のオーブに守られたのか…」
マルスは…オーブを眺めながら言った。
「はい…このオーブが私の周りにバリアを張っています…マフーのバリアと同質の…」
そうだった…さっきガーネフは言っていた…この闇のオーブはガーネフが作ったもので
『ワシのマフーを元にしたバリアも張ることができるからな』と言っていた…マフーのバリアと同じだったら、マフーも防げるのかも…

「…おのれ…役に立たぬだけではなく…我の邪魔をするのか…」
ガーネフの怒りが増幅する…
「ガーネフ!あなたのすきにはさせない!」
ガーネフに向かっていくカチュア。
「勝てると思うなよ!女!」
がーネフは印を組み、周りに今までとは比べ物にならない数の怨霊を呼び寄せた。
今までの中で、最大のマフーを放とうとしているガーネフ…
「死ね!!カチュア!!」
部屋の中が覆い尽くすぐらいの怨霊がカチュアに向かっていった…
それが全て命中していたら、カチュアのバリアも抜かれていただろう…
しかし…ガーネフは忘れていた…自分の作ったオーブの力を…

「何!?」
マフーが命中する直前…カチュアが消えたのだった…
誰もいない床に命中し、爆発を起こすマフー…
「…しまった!!」
ガーネフは自分の過ちに気づき、上を見上げた。
カチュアが飛んでいた…
ガーネフの作った闇のオーブの力…その一つである運動能力を極限まで高めること…
それが頭の中から欠如していたのだ。

カチュアは、直撃する直前に、その力を借りて…ハイジャンプをしたのだった…
避けると同時に…ガーネフに辿り着くために…
落下しながら、ガーネフに一撃を加えようとするカチュア…
しかし、ガーネフの周りにはバリアが展開していた。
そのバリアに剣を突き立てるカチュア…

バリバリバリバリバリバリッ!!!
バリアが激しい咆哮を上げる。
しかし、バリアは、自分を守ろうと剣に激しいエネルギーを送りこんだ!
そのエネルギーは、剣を通して、カチュアに伝わる…
「クウゥゥゥ!!ああぁぁぁっ!!」
激しい激痛に晒されるカチュア…でも…
(…負けられない…ここで…負けられない!!)
カチュアはなんとしてもガーネフを倒そうとする…愛する人を守るために…
破ろうとする剣…それを防ごうとするバリア…
その激突は…長く続いた…
しかし…

…ピシッ…
バリアに亀裂が入る…徐々にその亀裂は広がっていった…
「バカな…ワシのマフーが…そんな…」
ガーネフは信じられなかった…こんな小娘に…マフーを破る力が…
「うおおおおおぉぉぉ!!」
カチュアが全身の力を振り絞る。
そして…

パリン!!
陶器が割れるような音がした。
マフーのバリアが破られたのだ…
そして…

ザシュ!!!
そのままガーネフに落ちていったカチュアの剣は…ガーネフの脇腹に突き刺さった…
「うがああぁぁぁぁ!!!」
絶叫するガーネフ…
「くそっ!!おのれ!」
最後の力を振り絞り、剣を突き立てているカチュアを素手で殴り飛ばすガーネフ…
「きゃ!!」
腹部にパンチを受け、剣を持ったまま吹き飛ばされ、床に落ちるカチュア…

「まさかな…このワシが…こんな小娘に後れを取るとは…」
脇腹を押さえながら、苦しい表情を浮かべながらガーネフは言った。
「ここは…引かせてもらおう…だがな!覚えておけよ。この娘は、今だ闇のオーブに心を支配されたままなのだということを…今はなんとか抑えているとはいえ、すぐに闇のオーブがまた心の闇を支配する…そうすれば、またマルスの命を狙うのだと言う事をな!」
「なんだと…」
マルスがガーネフを睨み付ける。
「お前が殺されるか…またはこの女の心を壊すか…好きな方を選ぶが良い…ハッハッハッ!!」
「待て!!」
リンダが傷を負ったガーネフに向かってオーラを放とうとしたが、既にガーネフは転移した後だった…

「みんな…大丈夫ですか…」
傷を負ったマルスやパオラのもとに仲間達が駆け寄る…
「私は、大丈夫だ…それよりカチュアを…」
マルスは自分で立ちあがり、カチュアに向かっていく…
「マルス様!!カチュアの意識がありません…」
カチュアに駆け寄っていたカインがマルスに言った。
マルスも…血を流しながらカチュアに駆け寄った…
「カチュア…しっかりしろ…カチュア!」
マルスは懸命にカチュアの名を呼び続けた…
そのカチュアの顔は…どこか…満足げな表情をしていた…

 

 

アリティアの夜に… 後編へ

 

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