勇気をください 前編
それはリーフ王子がダンドラム要塞を通過しようとしていた時の話でした。
トラキア半島北西部の城塞都市ターラはグランベル帝国北トラキア王国軍の重厚な包囲下にあった。
この地はトラキアと当時のグランベル王国フリージ家間の戦争において、グランベル側につく事でその自治と独立を保ってきた。
しかし、前領主であるターラ公爵がなくなった際、帝国は役人を送り込む事でターラの支配を試みた。
赴任してきた役人は悪政を敷き、ターラの民衆を苦しめた。
更に今年になってロプト教団が行っている子供狩りが行われるようになったのである。
今までの不満に加え、子供狩りを行おうとする帝国に我慢できなくなった民衆は前公爵の娘リノアンを役人達の軟禁から救出した後に盟主として帝国に叛旗を翻した。
そしてターラを帝国の支配から取り戻したものの、北トラキア王国の支配者であるフリージ家当主ブルームはそれを許さず、各地からフリージ軍各軍団をターラに向かわせた。
それに対してターラも傭兵や義勇兵を集め対抗しようとしたが、もとより強大なフリージ家の戦力に対抗できる戦力など得られるはずもなかった。
たちまちターラ軍はターラの城内に追い詰められた。
しかし、ターラはトラキア半島でも屈指の城塞都市である。
その見る者を圧倒する城壁はさすがのフリージ軍も一筋縄では行かないと判断した。
そこでフリージ軍は更に戦力の充実を図ると共に、長期包囲戦の構えを取った。
フリージ軍は日に日に陣容を整えていき、城内に孤立したターラ陣営は孤立感を強めていった。
「パウルス将軍!只今、リスト将軍指揮下の第20軍団が到着しました。なお、バルダック将軍の第8軍団は現在、北公路・ノルデン砦を通過したとの事です」
ターラの南西にある小高い丘にいた第5軍団将軍にしてターラ征討軍総司令官であるパウルスの元に続々と味方集結の報が届いていた。
パウルス将軍はフリージ軍屈指の宿将ですでに髪に白い物が混じり始めている細目の男であった。
彼は作戦を確実に遂行する事でその勇名を轟かせてきた武人で、貴族出身というだけで軍高位になっている者達とは性質を異にしていた。
「うむ・・・各包囲部隊に伝令。各軍団が到着するまでみだりに兵を動かす事はならぬ。周囲の警戒を怠らず、現状を維持せよと・・・」
彼は的確に指揮をしていったが、悩みがないわけではない。
いくら戦力を充実させていっても、状況が打開できるわけでもなかった。
戦力を増強して後、総攻撃を掛けると言っても城塞都市ターラ相手ではどれだけの損害が出るか見当もつかなかった。
また、兵糧攻めにしようとも、ターラは交通の要所として物資が大量に行き来する場所であり、その城内には大量の食料が保存してあるために、その城内にいる者達を1年以上養う事が出来ると試算されていた。
むしろ、包囲しているフリージ軍の方が補給線の貧弱さと兵力の増大から先に限界がきてしまうだろう。
全軍の指揮を執るパウルスとしてはあまり良い戦況とはいえなかった。
それに彼自身、非戦闘員を多く抱えるターラを問答無用に攻撃する事に抵抗があったのかも知れない。
彼は立ち上がり、陣幕の外に出てターラを見つめた。
(出来れば、市民が抵抗を辞め、降伏すれば一番良いのだが・・・)
その時、別の兵士からある報告がもたらされた。
ロプト教団北トラキア教区責任者であるベルドの使いであるメルディスという司祭が到着したというのだ。
ロプト教団ごときが何の用か、という疑問があったが、今や帝国全土において圧倒的な発言力をもつ彼らを歓待しない訳にはいかなかった。
パウルスはメルディスを出迎えるべく丘を降りた。
他のロプト教団司祭と同じく薄気味悪い濃紺のローブに身を包んだ男が歩いてきた。
同じ色のフードの奥で鋭い視線をぎらつかせている。
まったく、こんな同じ格好をして、顔を伏せて・・・彼ら同士の見分けはどこでつけるのか?という奇妙な疑問が頭の中に浮かんだ。
パウルスとメルディスは対面し挨拶を交わすと、早速メルディスは本題に切り出した。
「パウルス将軍。ターラ征討・・・なかなか難航しているようですな」
声はあまり年老いている雰囲気ではない、30前後の男であろうか・・・?
「・・・面目ない。だが、ターラは自由都市でありながら大陸でも有数の城塞でもある。無理な攻城戦ではこちらの犠牲も計り知れないものになるだろう。今は戦力の充実を図りつつ、いかなる作戦・状況にも対応できるようにすべきと判断した」
「確かに・・・あの城塞を力で落とすのはそれなりの覚悟をしなくてはならないでしょうな。だが、この教区を統べるベルド様も、そしてこの地の王であるブルーム王もあまり長引かせたくないという事です。ターラの戦いが北トラキアに広まれば各地に潜伏する抵抗勢力も勢いづくでしょうし、トラキアのトラバントもなにを画策するか分かりませんからな・・・」
「・・・・・」
確かに、メルディスの言う事はもっともであった。
事実、レンスター王家の生き残りで聖戦士ノヴァの血を受け継ぐリーフ王子も兵を挙げ、北トラキアもにわかに騒がしくなってきた。
このまま、ターラの跳梁を許せば、事態の収拾はより困難になるだろう。
「そこで、ベルド様はブルーム王に進言し、我がロプト教団の誇る僧兵軍団ベルクローゼンを投入する事になった次第をパウルス将軍に伝えるべくこの地に先行して参ったのです」
「なに!・・・ベルクローゼンを!?」
ロプト教団の誇る黒薔薇ベルクローゼンは残虐無比な恐るべき集団で、既に彼らによって北トラキアでも5つの都市が制裁の名のもとに壊滅させられた。
女子供も皆殺しにするのが彼らの手法である。
その牙が今度はターラに向けられようとしていた。
ターラの中に住む何千何万の市民が一人残らず殺されるであろう。
(・・・そんな事までする必要があるのか?ブルーム王はそれを承知で受け入れたのか・・・?)
「しかし・・・私個人としてはベルクローゼンの投入したくないと思っているのです。将軍・・・」
「なに・・・?」
意外なメルヴィスの発言にパウルスは呆気にとられた。
今まで、ロプト教団の男と言ったら、自分達のやり方に陶酔し、牙の剥く場所を探していた風に見えからだ。
彼が自分達の活躍する場所を否定しようとは思わなかった。
「先ほど言われた通り、ターラは城塞都市です。あのターラを落とすには我がベルクローゼンとは言え相当な被害を覚悟しなくてはならないでしょう。私としてはターラのために無駄な犠牲を増やすべきとはないと考えていますので・・・」
「・・・なるほど・・・」
彼の主張は自分達の損益を計算してのものらしい。
「だが、既にベルクローゼンはこちらに向かって出発しました。この決定を覆す権限は私にはありません。そこで、ベルクローゼンがここに到着する前にターラ攻略が叶えば問題ないでしょう・・・」
「・・・つまり、我々に今から攻撃を仕掛けよと申されるのか・・・?」
彼の発言をパウルスはそう取った。
「いえ、自分達の犠牲を抑えるためにあなた達に犠牲を強いる事は不公平と言うものでしょう。私に策があります。その策でターラを陥落させてみせましょう」
「策・・・?一体なにを・・・?」
「簡単な事ですよ。降伏させるんですよ・・・ふふっ・・・」
フードの奥にある目が妖しく光った。
「帝国軍に包囲されて、もう3ヶ月近くにもなる!我々はどうしたらいいんだ!!」
所変わって、ここはターラの役所にある集会場である。
この場所では今、義勇兵や傭兵団、ターラ現執行部の首脳や各市民団体のリーダーが訪れ会議をしていた。
だが、その内容は会議と言うには程遠いものであった。
市民団体はフリージに包囲されたことに対して恐怖し、自分達の安全ばかりを軍に要求していた。
そして傭兵たちの多くも圧倒的な戦力を誇るフリージ軍に恐れを抱いたのか、「この戦いは契約外だ!」とか言い出したのである。
自分達の言いたい事だけを繰り返す彼らに会議は無秩序の場と化していた。
その場の中心で一人椅子に座りながら俯いている少女の姿があった。
彼女の名はリノアンと言い、前ターラ公爵の一人娘であった。
15歳の少女で、いくらか小柄であろうか?
だが、その年には似合わない美貌を持っている。そして、まだそのあどけなさの残る目が逆に不釣合いにも見えるし、彼女独特の魅力とも言えるのかも知れない。
鮮やかなブロンズレッドの髪は窓から差し込む陽光によって桜色に光り輝いている。
彼女の美しさは見た人々は彼女を「ターラの華」と称えたほどであった。
しかし、今の彼女には美しさに見合った笑顔を見る事ができなかった
彼女の目の前で彼女より年上で経験豊かであるはずの大人たちが醜い姿を晒しているのだ。
自分達の権利ばかりを求めて、右往左往する大人たち。
市民団は帝国の圧制に、子供狩りに反発してリノアンを軟禁下から救出し、自分達の旗頭として祭り上げたはずであった。
だが、いざその試みがフリージの大軍に挫折させられようとすると、今度は自分達の生命と安全ばかりを主張していているのだ。
更に、戦いと契約に対する責任を旨とする傭兵団も口だけ達者で、逃げようとしている。
自分を担ぎ出した大人たちは、自分から逃げ出そうとしているのだ。
もちろん、リノアンも志を持って自分の成すべき責務を果たそうと努力している。
しかし、この醜態を見せられては自分の無力さを思い知るしかなかった。
大騒ぎをしている大人達はリノアンの意見などに歯牙にもかけない。
自分がただの象徴という名の飾りに過ぎない事を思い知っていた。
もちろん、彼女にも味方はいる。
だが、この狂乱と言う言葉を顔面に描いた者たちの耳には彼らの言葉など入らなかった。
リノアンは気分が悪いと言い、一旦会議場を後にした。
本来は自分達の旗頭であるリノアンなしには会議など成り立つはずがないのだが、暴走気味の参加者達にはそこまで頭が回らないらしい・・・
彼女は静かに退室すると、領主館の裏の方にある花畑に向かった。
自分が育ったこの領主館でリノアンはこの場所が一番好きだった。
(父も花が好きだった・・・私の生まれる前からこの花畑を作られ、私もこの花達を見つめて育った・・・)
自分の幼い頃の記憶が甦ってくる。
自分の父や幼馴染で自分につき従ってくれているサフィ、そして自分達を頼って落ち延びてきたリーフとナンナ・・・
彼女の幼い頃の記憶がここにあった。
だが、父がリーフ王子秘匿の帝国から追及されて命を縮め、彼女自身も父の死後に赴任してきた役人達にこの屋敷を追われてしまった。
そして、この5年近く、小さいが高い塀の家に軟禁されていたのだった。
自分が軟禁下から解放されて、この館に帰ってこられたときは嬉しかった。
だが、自分はターラを守らなくてはならないため心休まる時間など殆どなかった。
考えてみたら、自分がこんな風に花を見るのは開放されてから初めてかもしれない。
(でも・・・もうそろそろ秋・・・花たちの季節は終わろうとしているのね・・・)
元気がなくなってきている花たちの姿を見て、リノアンは寂しかった。
「リノアン・・・こんな所で何をしているのだ?」
花壇の前で屈んでいる時に後ろから声を掛けられた。
リノアンが振り向くと、秋の青空を背にした大柄の男が立っていた。
グレーの入った黒髪はまるで手入れをされていないのか、無造作に伸びており、彼に粗野な印象を与える事があるだろう。
だが、太い腕と彫りが深く鋭い顔は見るからに逞しく、彼が勇壮な男に見えた。
彼の名はディーン。
天駆ける竜を操る竜騎士で、このターラの義勇軍に妹のエダと共に参加している。
元はトラキア半島南部のトラキア王国の軍にいたという事なのだが、妹と共に違反を犯したため、罰則を恐れて軍を脱走したとの話だった。
しかし、リノアンはそれを信じてはいない。
彼の義勇軍に参加してからの戦果、態度を見ると、トラキアでも随一の竜騎士であった事が分かるし、彼が軍旗違反を起こして脱走をする人間にも見えなかった。
それに、市民と協力して自分を助け出してくれたのがディーンだったのだ。
何かしらの事情がある事はリノアンにも分かっていた。
だが、彼は多くを語らない寡黙な男であったから、真相は分からない。
ただ、彼が自分達ターラを助けてくれている事だけは確かだった。
今の彼女にはその事実だけで十分だった。
「・・・ディーンですね。少し、気分が悪くて・・・」
「大丈夫か?体の調子には気をつけろ。お前はここの人々の柱なのだからな。今倒れられたら皆が困る」
ディーンは決して失礼な男と言う訳ではないが、口に絹を着せる人間でもなかった。
皆の前では「リノアン公女」と形式的に呼ぶが、一対一で話す時には「リノアン」と呼び捨てにしていた。
小さい事には気にしない性格かもしれないが、時々気弱になるリノアンを叱咤する意味もあるのだろう。
あるいは・・・
「ありがとう、気遣ってくださって・・・でも、今の私には何か出来るか分からなくて・・・」
「リノアン?」
リノアンはディーンには心の内を明かすことが多かった。
彼だけがリノアンに対して飾らなく接してくれるからかもしれない。
「分からないんです。自分に何が出来るのか・・・何をすべきなのか・・・このターラを帝国の、そして子供狩りの手から救わなくてはという目標は分かっているのですが・・・そのためには自分が何をしていいのか分からなくて・・・」
「リノアンはターラの象徴であり、人々に希望を与える光なのだ。何も悩む事はないだろう?リノアンはこのターラの人々の前で毅然としていればいいんだ・・・人々はそれで安心感と勇気が出るのだから・・・」
ある意味、ディーンの言葉は彼女を傷つけるものだと言えるかもしれない。
「ふふっ・・・そうですね。私はこのターラの旗頭として、ただ人々の前にいれば良いのですね・・・」
「すまない・・・言い過ぎたかもしれない」
「いえ、ディーンのそんな率直なところが嫌いじゃないです。それに真実なのですから・・・」
リノアンは自分の非力さと役目を完全に把握していた。
お世辞などリノアンは聞きたくなかったのだ。
ただ、自分の悩み・・・愚痴を言える相手が欲しかった。
「だが、お前がいなくてはターラは一つになれない。そしてお前が盟主である以上、大いなる決断を要求されるかもしれない。決して、お前は飾りなどではない。それだけは分かっていて欲しい・・・」
あまり洗練された言葉でないことは言った本人も分かっていた。
だが、自分がリノアンにある意味、辛い事を言ってしまった事は自覚していた。
そのことに関する反動か、ディーンは自分なりにリノアンを慰める事を言ったつもりなのだろう。
リノアンにはディーンなりの悩みと心遣いが分かっていた。
例え、言葉が無愛想でも、ディーンの気持ちが嬉しかった。
その時、一人の女性がリノアンの名を呼びながら近づいてきた。
「リノアン様!どこにいらっしゃいますか?」
明るく、ハキハキとした声に二人は一斉に振り返った。
「あ、ここにいらっしゃったんですね!」
声の主はリノアンたちの存在に気づいたのか、走ってこちらに向かってきた。
ディーンと同じ髪の色をした女性で、ディーンとは違ってショートに髪を仕上げてある。
あまり身嗜みに気を遣わないように見えるが、素朴さの中にも女性らしい形の良い美顔を持っている。
「エダか・・・どうしたのだ?」
「あ、兄上もいらっしゃったのですか・・・」
エダと呼ばれた女性は兄のディーンと共にトラキア軍を脱走した竜騎士で彼の妹だった。
曇りない真っ直ぐな視線は彼女の実直さを示すものであろう。
「大変です。帝国軍から使者が来たとのことです」
「何ですって!帝国から?」
帝国軍から使者が来訪した事はリノアンとディーンを驚かせた。
だが、驚くと同時に、帝国軍の意図はそれとなく想像がついた。
恐らくは、絶体絶命の状態にあるターラに降伏を勧告してくるつもりなのだろう。
「・・・分かりました・・・今すぐ行きます。ディーン、一緒に来てくださいますか?」
「いや、私は一度、門の修繕具合を見てこなくてはならない・・・先に行っていてくれ」
「分かりました」
リノアンは自分の役目を分かっているため、すぐに体を動かした。
帝国の使者が来たのに、ターラの代表である自分が会わない訳にはいかなかった。
彼女はディーンに一礼すると、小走りで先ほど退出した会議場に向かった。
ディーンとエダはリノアンの背中を見つめながら、彼女を見送った。
「兄上は行かないのですか?会議場に・・・」
「ああ、俺は堅苦しいのが苦手なのだからな・・・」
「ふふ・・・昔からそうでしたからね・・・」
ディーンとエダは会議場とは逆の方向に共に歩いていく。
今までに数回に渡る帝国軍の牽制攻撃で門は傷み切っていた。
その修理の場にディーンたちは向かっていた。
「でも、リノアン様・・・大変そう・・・」
エダは女性と言う事で比較的リノアンの傍にいる事が多かった。
自分よりも若いリノアンが様々な重圧に耐えている姿を何度も見ていたため、他の男達では気づかない部分も知っていた。
「今までリノアン様はちょっとの事では挫けませんでしたけど、最近は人目を避けては花畑などに行って自分の心を癒しているみたいですね・・・」
「仕方ないだろう・・・彼女はこの数年の間、帝国の圧力に耐え続け、今はターラ市民全体に責任を負う立場になってしまったのだ。並みの重圧じゃない。彼女は精一杯それに立ち向かっているさ」
二人はリノアンの頑張りを高く評価していた。
だからこそ、自分達はリノアンを支えるべく努力しているのだ。
「俺達もリノアンには負けていられないな・・・エダ」
「はい、私達も頑張りましょう。アリオーン殿下のためにも・・・」
「・・・そうだな・・・アリオーン殿下のためにもな・・・」
アリオーンはトラキア半島南部のトラキア王国の皇太子である。
実を言うと、彼らはアリオーンの命によってターラを極秘裏に支援するために送られてきたのだった。
一応は帝国の同盟国であるトラキアが叛旗を翻したターラに支援を送ると言うのは妙な話であったが、それには事情があった。
実はターラの公女リノアンと王子アリオーンとは許婚同士であった。
帝国に対抗するために、トラキア半島に残存する勢力との結びつきを計ったトラバントによって前ターラ公爵に申し込み、成立した縁談であった。
政略的縁談であったが、アリオーンもリノアンも互いに好意を持っていた。
それは恋愛感情と言うより敬愛に近いものであったが、それでも互いの事を尊重していた。
だが、今のような状況になってしまっては、トラキア王国皇太子であるアリオーンはリノアンのいるターラ救済のために表立って行動するわけにはいかなかった。
そこで信頼できる部下であったディーンに彼女を助ける役目を託したのだった。
だが、たとえ一介の騎士とは言え、トラキア軍の軍籍のまま戦いに参加する事は出来なかったため、彼は脱走と言う不名誉な事までして主命を果たす道を選んだのだ。
エダもアリオーンと兄の力になりたかった事と、このまま軍に留まっても兄が脱走者では居心地が悪いだろうと言う事で、一緒に脱走をしてきたのだった。
つまり、彼らはアリオーンのためにリノアンとターラに手を貸しているのだった。
「アリオーン殿下を悲しませるわけにはいかないです。頑張りましょう!兄上!」
エダは自分に気合を入れるためなのであろう、声には高揚した成分が含まれていた。
「・・・そうだな・・・アリオーン殿下のために・・・」
だが、ディーンの声は決して気合の入ったものではなかった。
「我々は貴方達に降伏を勧告しに参りました」
再び、場所は会議場に戻る。
今、ここにはリノアンを中心としたターラ側の代表者達と、帝国側の使者として来たロプト教団司祭メルヴィスとその一行が大きな四角形のテーブルを挟んで鎮座していた。
形としては敵の只中に使者が入ってきたのだから、身に危険を感じるのは使者の方多かった。例え、自分達が優勢の立場であっても・・・
だが、今回は圧倒的に使者の側の方が覇気を持っていた。
自分達が圧倒的に有利な立場であるからだろうが、それ以上に底知れぬ笑みを持って、相手を圧倒していた。
「ターラに立て篭もる諸君たちに告げる。諸君達に残された道は二つだけだ。我々、帝国の正義の鉄槌を受けて、この都市もろとも焼き尽くされるか・・・それとも門を開け、跪き、我らの許しを請うか・・・二つに一つです」
メルディスの言葉は強い口調ではなく、むしろ柔和なものであった。
だが、彼の発する言葉は口調とは正反対な過激なものだった。
その言葉に顔が蒼ざめていくターラ側の人間達・・・
「何を・・・お前の言っている事は、ただの降伏勧告じゃないか!!」
「はい、その通りです」
市民グループ代表の内の一人が声を荒げたが、メルヴィスの口調は変わらない。
「降伏さえしていただければ、諸君達の命の保障は致しましょう。ただし、他の事については保障しきれませんが・・・」
彼は、隷属か滅亡か・・・自由に選べと言っているのだ。
リノアンを含め、場にいた全員が恐怖を覚えた。
確かに、自分達が絶体絶命の立場に置かれてはいるが、相手からそれを指摘され、決断を促されると、息が詰まるほどの圧迫感を受けた。
特に、誰もが認めたがらないことだから尚更だろう。
「我々としては、無条件降伏をして頂きたいものです。それこそがお互いにとって最良の選択でしょう。無益で不必要な血を流す事がなくなるのですから・・・」
「ふざけるな!!確かにお前達、帝国の者にとってはそれが最上だろう。だが、我々が降伏すれば、お前達はこのターラに重圧を掛け、人々を奴隷のように隷属させ、そして、子供狩りを行うつもりなのだろう!?それでは、このターラが死んだも同じではないか!ふざけた事を言うな!」
ターラに参加した義勇軍の中核である旧レンスター王国残党を集めた騎士団の指揮官である槍騎士グレイドがメルディスに食って掛かった。
彼はこの場においても場の雰囲気に飲まれてはいなかった。
グレイドは34歳で、トラキア王国のレンスター侵攻の際から、その実力を内外に知らしめていた歴戦の戦士だった。
彼の鋭くい声が石で囲まれた部屋中に鳴り響き、室内の者達の耳を驚かせた。
だが、メルヴィスにはグレイドの声はあまり効果を出さなかったようだ。
彼は一息つけた後、先ほどと同じ口調で語り始める。
「あなたの言うとおりです・・・が、ここであなたたちが私の言葉に耳を傾けず、抵抗を続ければ、間違いなく、この北トラキア有数の商業都市は壊滅し、そして生き返ることは無いでしょう。間違いなく死が待っている未来を選ぶより、とりあえずは命が残る未来を選択する方が、あなた方の未来にとってより良い選択だと思いますが・・・」
「・・・くっ・・・」
現状では勝ち目がない事は誰もが分かっていた。
だからと言って、降伏し、服従し、死よりも辛い未来を甘受した方がいいと言うのか・・・?
今、この会議場にいる誰もが心の中に天秤を置き、その両方の選択を計りに掛けていたことだろう。
もちろん、リノアンも例外ではなかった。
だが、彼女の心の天秤はすぐにある一方向に傾斜していった。
(それでも、帝国に屈するわけには行かない。子供狩り・・・あの忌々しい行為をターラでさせるわけにはいかない。このターラの未来を創り、支えていく子供達をむざむざ奪われる訳にはいかない。このターラの未来の事だけを考えても、受け入れられる選択じゃない・・・)
だが、彼女自身、降伏勧告を拒否した後に予想されるであろう攻撃に対する対策が無いのも、また事実だった。
希望があるとしたら、彼女の信頼する幼馴染のサフィがターラ救出の勢力を求めてトラキア半島を走っている。
彼女の努力が報われ、状況に変化が起こるかもしれないが、今、帝国と戦う事になるような選択をとる勢力があるとは思えなかった。
そうなると、リノアンとしては自分の意見を声を大きくして言うことなどできなかった。
リノアンは俯きながらも周囲を見たが、先ほどのグレイドを以外は誰もが目を開いているが、考え事と打算で心ここにあらず、と言った感じだ。
「さて・・・私達としては、今、この場で決断をしていただければありがたいのですが、あなた達にはあなた達の事情もあるでしょうし、話し合いをする必要もあるでしょう。・・・明日までに返答をして頂きたいものです。それまで私も、このターラに留まりますゆえ・・・」
「・・・分かりました。あなたたち帝国の勧告に対する返答は」
リノアンは一同の代表として答えた
確かに、皆で話し合った上で答え出さなくてはならなかった。
自分は皆の責任者だったか、それでも彼女の独断で答えることはできなかった。
彼女は独裁者ではないのだから・・・
結局、明日の正午までに答えを出すと言う事で、両者はとりあえず合意した。
メルヴィスは領主館5分ほど歩いた位置にある邸宅に案内された。
ここはかつて、帝国の役人が駐在していた場所で、今は無人となっていた。
メルヴィスはここで周囲を自警団に囲まれたまま、勧告の回答期限である明日まで待つことになった。
さて、場所は再び会議場に戻る。
早速、降伏勧告への対応を迫られたターラの指導部。
だが、その答えは容易に出るはずもなかった。
先ほど以上の混乱が議場を支配していた。
皆は徹底抗戦を唱える者と降伏勧告を受け入れよとする者の二派に分かれていた。
リノアンは今度は自分の意見をはっきりと言った。
「彼らは子供狩りを行う事を示しています。それだけは断じて認めることは出来ない事です。私は抵抗を続ける事を主張します。」
だが、その声も、降伏を甘受しようとする人々の「なら、勝ち目はあるのか?」という声の前には閉口。
それでも、「勝ち目のあるないの問題ではない。子供達の命と引き換えに自分達の安全を買おうと言うのか!そんな事が出来るか!」と言う声には反論できなくなってしまう。
こういう感じで、互いに押し問答を繰り返していた。
結局、明日の早朝にもう一度、話し合いの場を持つことで本日の会議は打ち切りとなった。
リノアンが会議場を出た時、既に太陽は赤みを帯びていた。
「・・・もう、夜・・・か・・・」
ターラを夜の闇が包もうとしていた。
続く