あなたの名は・・・ 第五章

 

 

「おはようございます。イシュタルお姉様。」
「おはよう、ティニー・・・」


次の日。
ティニーが朝日の眩しさに目を覚ました時・・・
既に、ベットの横にはイシュタルの姿はなく、ティニーは起き上がりイシュタルを探しに行った。
そして、昨日食事をとった場所でイシュタルが再び朝食の準備をしているのを見つけたのだった。
焚き火の周りには、付近の川で取ってきたのであろう、串に魚を通し焼かれていた。

「ティニー・・今日は出発よ。たくさん食べて力を・・・・・・!?」

その時、イシュタルは感じたのだった・・・
自分達に向かってくる魔力の存在を!

「ティニー!! 伏せて!」
「えっ?」
焚き火の近くに寄ろうとしていたティニーにイシュタルは飛びついたのだった。
彼女に覆い被さり、ティニーを伏せさせるイシュタル。
地面に倒れこんだ彼女たちのすぐ上を、なにか黒い物が通り去っていった・・・

ドゴ―――ン!!
その何かはティニーの後ろにあった建物の壁に命中し、激しい爆発が起きたのだった
壁は崩れ落ち、激しい噴煙が舞う。

「・・・これは・・・フェンリル!」
イシュタルは、自分達の真上を過ぎ去った黒い三角形のエネルギー体が暗黒魔法フェンリルであることを見切った。
「お姉様! これは・・・」
ティニーの問いに答えるよりも早く、イシュタルはフェンリルが放たれた方角を見た。

そこは森であり、その中に数人の黒きローブに身を包んだ男たちの姿が見えた。
それは、ダークマージだった。
「あれは・・・ベルクローゼン!」

ベルクローゼン・・・
『黒薔薇』という意味のベルクローゼンは、暗黒教団の司祭達を中心にして構成された冷酷無比の魔導軍団だった。
今までに、その恐るべき力で数多の罪もなき者達を血祭りにあげてきた帝国の狂気とも言える存在であった。
一体、どれだけの村・都市が彼らの手によって滅ぼされてきたことか・・・
「なぜ・・・ベルクローゼンが・・・」
「お姉様!」
ティニーも彼らの存在に気づいたのか、体を強ばらせている。
森の中のダークマージがゆっくりと出て来た。
(三人・・・)
咄嗟に彼らの数を見るイシュタル。

「・・・帝国の裏切り者のイシュタルにティニーだな?」
その中の一人が二人に話しかけてきた。
明らかな殺気を彼らは放っていた。

イシュタルとティニーは立ち上がり、身構える。
二人とも歴戦の戦士である。
この状況に体は勝手に動いていた。
「・・・・・・・」
二人はなにも答えなかった。

そんな二人の態度に、彼らは・・・
「ふふふっ・・・答えなければ・・・死んでもらうだけだ。」
今度は三人のダークマージが同時に手で印を結んだ。
(くる!)
ダークマージの手から怨霊が放たれた。
暗黒魔法ヨツムンガントだ。
三人同時にその魔法を放つ。
二人に向かってくる数多の怨霊たち。

(三つ・・・私はともかく、病み上がりのティニーでは避けられない。なら!)
イシュタルは咄嗟に印を結んだ。そして・・・
「トールハンマー!」
瞬間、イシュタル達の目の前に巨大な雷球が現れた。

ビリリリリリリリリイイイイイッ!!!!

現れた雷球はヨツムンガントに対する障壁の役目を果たした。
巨大な雷球に飲み込まれていく怨霊たち。

「なに!?」
驚くダークマージたちを尻目に、イシュタルは第二撃を放っていた。
トールハンマーが暗黒司祭たちに向かって放たれた。
「う、うわああああ!!」
暗黒司祭たちは自分達の危険を察知したが、既に遅かった・・・
密集していた彼らはトールハンマーの直撃を受けることになる。

現れた雷球は真ん中の一人を完全に飲み込み、その体を黒焦げにした。
即死だった。
左右の二人もトールーハンマーに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
「ぐげ!」
断末魔をあげ、絶命するダークマージたち。

彼らが倒れたのを見たイシュタルは、瞬時に周りの気配を探る。
どうやら他には敵はいないみたいだった。
「お姉様・・・」
後ろからイシュタルの戦い振りを見せられたティニーは声を掛けた。
「・・・・・・」
イシュタルはベルクローゼンの出現に驚いた。
(まさか・・・ベルクローゼンが現れるなんて・・・)
イシュタルは敵の追撃を予想はしていた。
だが、暗黒教団の魔導軍団が動員されてくるとは考えていなかった。
追撃してくるならヒルダ配下の部隊だと考えていたからだ。
しかし、その代わりにベルクローゼンが現れたということは・・・
(私達の捜索はお母様ではなく、暗黒教団の手に委ねられたという事?)
そう結論せざる得なかった。
暗黒教団の意思は分からなかったが・・・

だが、冷酷無比で恐るべき力をベルクローゼンが現れた以上・・・
早く出発しなければ、危険だった。
「ティニー! 準備をして! 出発するわよ。」






「ふふふっ・・・見つけたぞ・・・」
マンフロイがトールハンマーにやられたダークマージたちの死骸を見やりながら呟いた。

彼がベルクローゼンを率いてイシュタル達が隠れていたこの場所に辿り着いたのは、彼女たちが発ってからほんの30分後ぐらいだった。
まだトールハンマーによって焼かれた地面が熱を保っており、ほんの少し前にここで戦いが起きた事を物語っていた。

「さあて・・・狩りを始めるとするか・・・」






一方、その頃・・・
ついに・・・最後の聖戦が始まろうとしていた・・・
エッダのエッダ軍がシアルフィに向けて攻撃を開始したのだ。
騎兵によって構成された混成騎士団がシアルフィに向けて出撃した。
更にその後方、エッダ城前面には傭兵部隊とエッダの僧兵集団が展開した。
そして、シアルフィの北・・・
ドズルには、帝国軍屈指のブリアン公子率いる斧騎士団グラオリッターが待機していた。
帝国軍の作戦はこうである・・・
混成騎士団をもって敵に攻撃をかけ、敵をシアルフィから引きずり出す。
そのまま解放軍をエッダまでおびき寄せた後に、手薄になったシアルフィをグラオリッターが攻撃し、一気に解放軍を殲滅する。
それが帝国軍の作戦だった。

この帝国軍の攻撃に解放軍の対応は早かった。
解放軍は二手に兵を分けた。
エッダ方面にはセリスが騎兵を率いて進撃し、残る歩兵部隊はシアルフィに残留した。
解放軍は騎兵のみでエッダを攻略し、その間にシアルフィに襲い掛かる敵を歩兵で防ぎとめようとするのだ。
敵の出撃の報に、ただちに出撃するセリス率いる騎兵隊。
それと同時に・・・歩兵隊も出撃した。
ドズルへ続く峡谷の入り口を先に抑えておくためだ。
ドズルの敵を防ぐ間に、主力がエッダを攻略する・・・
それが解放軍の作戦であった。

そして最後の聖戦が始まった・・・

エッダから出撃した混成騎士団とシアルフィから出撃したセリス隊は、互いの拠点の中間地点で会敵した。
混成騎士団の隊長ロベルトは敵が出撃したことに驚きはしたが、それは彼に課せられた「敵を引きずり出す」という目的には添うことだったので、彼は嬉々として突撃を仕掛けた。
真っ向から衝突するセリス隊とロベルト隊・・・
だが、最初の激突で、一気にロベルト隊はその半数に数を減らした。
次々と落馬する帝国兵たち・・・
呆然とする残兵を尻目に、既に解放軍は第二撃のための体勢を整えていた。
その素早い動き、展開にロベルトは戦慄した。
兵力的には互角だったが、あまりの兵の質の違いを痛感させられた。
解放軍は強かった。
セリス、アレス、リーフ、オイフェ、レスター、アーサー、デルムッド、フィン、ナンナ・・・
皆、これまでの戦いで一騎当千の勇者に成長していた。
彼らにかなう相手ではなかった。

ロベルトは彼らの実力を見て、帝国軍の戦略はこの反乱軍には通用しないことを悟った。
これだけの敵に、分散して挑みかかっても・・・各個撃破されるだけであったからだ。
彼は戦局の不利を悟り、撤退を開始した。
だが、既に彼の部隊は壊滅寸前まで追い詰められていた。
そして、ロベルトも程なくして部下のあとを追うことになる・・・
彼は馬を返して来た道を引き返そうとしたが、一気に彼の近くまで駆け抜けてきたフィンの勇者の槍に串刺しにされてしまったのだ。
隊長が死んだことを確認した兵たちは、四散して逃げていった。
「逃げた敵兵に構うな! このまま一気にエッダを落とす!」
セリスの叫びに、解放軍はエッダに向けて走り抜けていった。

エッダでは、前面に傭兵隊、左右後方には僧兵隊が展開し反乱軍を待ち受けていた。
傭兵隊が敵と直接戦闘し、僧兵隊がそれを援護するという戦法だ。
だが、解放軍の攻勢は凄まじかった。
セリス、アレスが一気に魔法の飛び交う中を走りぬけ、傭兵隊に襲い掛かった。
傭兵隊の長ボイスはそれを防ぎとめようと挑みかかったが、アレスのミストルティンの必殺の一撃の前に、一回も剣を打ち合うこともなく首をはねられた。
その間にセリスは、一気に傭兵隊を抜け、後方の僧兵隊の本陣に突撃していた。
その勇姿に、実戦経験もろくにない僧兵隊は恐れおののいた。
彼はまともな抵抗を受けないまま、エッダの指揮官ロダン司祭まで辿り着いた。
ロダン司祭は恐怖を感じながらも、苦し紛れにエルサンダーをセリスに向かって放った。
だが、セリスは聖剣ティルフィングを掲げると、そのティルフィングにエルサンダーは吸収されてしまった。
その様に愕然とするロダン司祭・・・
(これが・・・ティルフィングの力というのか・・・)
ロダンはこの青年の前には自分の力など無力であると知った。
セリスは彼に近づいていって、彼に剣を突きつけながら宣告した。
「あなた方の負けです。我々もこれ以上無駄な血は流したくはない。降伏しなさい。」
その言葉にロダンは救われたような気持ちになった。
この解放軍に刃向かっても、いたずらに死人を増やすことであることが分かったから・・・

エッダ城は解放軍によって制圧された・・・







「はあ・・・はあ・・・」
走るティニーの息があがる。
「ティニー! 頑張って!」
そのティニーをイシュタルが励ます。

二人は森の中を走っていた。
イシュタルがティニーの横で並走していた
追っ手が迫っている以上、少しでも距離を稼ぐ必要があったからだ。
もちろん、ティニーもそのことは重々承知している。
だが病み上がりの彼女にとって、走る続けることは酷なことだった。
「ティニー・・・辛いだろうけど頑張って!」
「はあ・・・はあ・・・はい!」
息はあがっていたが、それでもティニーは力強く返事をした。


深い森だった。
高い木々が生い茂り、地面にはあまり太陽の光は届いていなかった。
また、その地面には草も生い茂っていた。
そんな中を、イシュタルとティニーは走り続けた。
足場も悪いため、走るたびに体力を消耗した。


どのくらい走った頃だろう・・・
突然、目の前から・・・
ヒュ! 
空気を裂く音がした。
「!? ティニー!」
イシュタルが突然、ティニーを突き飛ばした。
「きゃ!」
そのことによって、二人の間に空間ができた。
そこを一本の矢が通り抜けていった。
「矢!」
ティニーは、自分が狙撃された事を知った。
二人はそれぞれ、傍にあった木の陰に身を隠した。

(・・・恐らく・・・スナイパー・・・)
この木々の中で、的確に自分達に矢を放った敵・・・
相当な腕前の持ち主であることは、すぐに分かった。
イシュタルは木の陰から、敵の位置を知ろうとした、
だが、矢が飛んできた方向は、特に木々が乱立しており、その木々の枝と葉が太陽の光を一層遮り、暗闇を作っていた。
その中に敵は潜んでいたのだ。
(木の陰かも知れないし・・・幹の上かも知れない。)
相手がその暗闇の中に潜んでいるのは分かったが、その位置と人数を把握することはできなかった。
無論、敵はその地の利を生かすために、この場所で待ち伏せしていたのだろうが・・・
(迂闊に・・・動けないな・・・)
相手の位置も人数も分からずに近づいても、その矢に射られてしまうだろうし・・・
それらの情報を知るために近づいても、同じ結果になるだろう。
(何とかして・・・敵の位置と人数を知らないと・・・)

イシュタルは木の陰からいきなり飛び出して、ティニーの隠れる木に向かっててジャンプした。
その瞬間、そのイシュタルの向かって矢が飛んできた。
しかし、その矢はイシュタルを捉える事はできず、背後の木に突き刺さった。
「お姉様!」
自分の隠れる木に飛び込んできたイシュタルに声を掛けるティニー。
イシュタルは自分に向かって放たれ、背後に突き刺さった矢の数を瞬時に数えた。
「・・・2本・・・2人か・・・」
その矢の数から敵の人数を割り出した。
「敵は2人みたいね、ティニー・・・」
その言葉にティニーも放たれ、木に刺さった矢を見た。
「でも・・・あれだけじゃ・・・」
「いえ、2人よ・・・あれだけの腕を持つ弓兵ですもの・・・私があれだけ無防備を晒した好機を見逃すはずないわ。あの時に放たれた矢の数が、敵の数よ」
その言にティニーは納得した。
「あとは・・・敵の位置ね。恐らく一本射る度に動き回っているはず・・・何とかして射る瞬間の位置を・・」
イシュタルは悩んだ。

ヒュ! ヒュン!
次々と射られてくる矢の前に、イシュタルの言葉は中断させられる。
2人の隠れている木が盾になってくれているが、それでも心理的に2人を追い詰めていく。

「・・・・・・・ティニー?」
しばらく考え込んでいたイシュタルが口を開いた。
「?・・・はい」
「あなたの力を信じて、お願いがあるわ」
イシュタルはその神経を見えない敵に注意を向けながら、言葉を続けた。
「私が囮となって表に出るわ。そうすれば敵は私を狙って弓を放つはず。なんとか避けてみせるから、あなたはその時放たれた矢の位置を見定めて攻撃して・・」
「き、危険です。 囮になら私がなります。」
(そんな危険なこと・・・お姉さまにやらせるわけにいかない。)
「落ち着いてティニー。今のあなたの動きでは敵の矢を避け切ることはできないわ。だから、あなたは敵の位置を見定めて・・・ 」
ティニーの現在の動きでは敵の攻撃は避けられない・・・
そのため、イシュタルは自分が囮になるというのだ。
現在の自分の動きの事を考えれば、否定できなかった。 
「・・・分かりました。お姉様、気をつけてください。」
ティニーの言葉にイシュタルは笑顔で頷いた。

イシュタルは飛び出した。
途端に、矢が飛んできた。
その攻撃を身を逸らし、飛ぶことによってかわしていく。
イシュタルに攻撃が集中している間、ティニーは敵の位置を知ろうと目を凝らした。
そしてついに、矢の放たれる位置をティニーは見切った。

(そこっ!)
ティニーも飛び出して、攻撃を仕掛けた。
「トローン!」
彼女は電撃の上級魔法トロンを放った。
収束した電撃が森の中を走る・・・
その電撃は幹の上でイシュタルを狙撃していたスナイパーを直撃した。
幹ごと吹き飛ばされ、落下するスナイパー・・・

そして、もう一人の大木の陰に隠れていたスナイパーに目標を変え、再びトロンを放つ。
しかし、敵が攻撃に移った事を知ったスナイパーは身の危険を察し、回避行動に移った。
そのためティニーの放ったトロンは、僅かな差でスナイパーに命中することはなかった。
「しまっ・・・」
ティニーはもう一人のスナイパーを仕留め損なった事を知った。
攻撃を回避したスナイパーはティニーに向かって攻撃をかけようとした。
だが、それを行うことはできなかった。

ビリリリリリリリリイイイイイッ!!!!
トールハンマーが矢を放つ直前のスナイパーに炸裂した。
断末魔を上げるまもなく、雷球に包まれるスナイパー・・・
「・・・ふう・・・」
ティニーを救ったイシュタルは息を吐いた。

ティニーの電撃攻撃の際に発した光によって、森の暗闇が一瞬照らされた。
一瞬、光を闇を払い、暗闇の中では見えなかった敵の姿を浮き彫りにしたのだった。
そのためイシュタルは見えなかった敵の姿を、ほんの数瞬の間、捉えることができたのだ。
その一瞬を見逃さなかったのだ。

「ティニー! 大丈夫?」
ティニーのピンチを救ったイシュタルは彼女の元に駆け寄った。
「私は大丈夫です。イシュタルお姉様の方こそ大丈夫でしたか?」
「私も大丈夫よ・・・それより・・・!?」
刹那、イシュタルは背後に殺気を感じた。
体はその背後の殺気に相対そうとしたが、既に矢は放たれていた。

・・・グサッ! 
「!! グハッ!」
放たれた矢は、イシュタルの左腕に命中した。
イシュタルの細い二の腕を貫いた矢・・
イシュタルの腕から鮮血が滴れ落ちる。
「おのれ!」
イシュタルは激痛に見舞われながらも、矢が飛んできた方向と敵の位置をちゃんと見切っていた。
そしてその場所にトールハンマーを叩きつけた。
雷球が炸裂し、イシュタルを傷つけたスナイパーは倒された。

「イシュタルお姉さまあぁ!!」
傷ついたイシュタルを見て絶叫するティニー。
すぐに彼女の元に駆け寄る。
「うっ・・・どうやら・・・背後に回りこんでいた敵がいたみたいね・・・」
「お姉様!」
イシュタルは腕に刺さっている矢に手をかけた。
そして痛みに耐えながらも・・・
「くっ!・・・はあああ!」
腕に刺さった矢を引き抜いたのだった。
引き抜かれると同時に大量の血が飛び散った。

「酷い・・・傷・・・」
矢を捨てながらも、ティニーに笑顔で答えるイシュタルであったが・・・
「大丈夫よ・・・これぐらいの傷は魔法で・・・うっ!?」
途端にイシュタルの顔が激しく歪んだ。と同時に膝を折り倒れこむイシュタル。
そのイシュタルをティニーは支えた。
「どうしたのですか!?お姉様!」
凄まじい汗を流しながらイシュタルは口を開く。
「・・・毒が仕込んであったのね・・・」
イシュタルを射抜いた矢は毒が塗られていたのだ。
その毒が体の中に入り、燃えるような熱さと激痛をもたらした。
苦痛に歪むイシュタルの美しい顔。
イシュタルを支えていたティニーはイシュタルの体が燃えるように熱くなっていくのを感じた。
(凄い熱と・・・汗・・・)
ティニーはとりあえずイシュタルを木の根元にイシュタルを座らせた。

(毒を・・・なんとかしないと・・・)
ティニーはイシュタルの体から毒を抜くために、口で吸い出すことに決めた。
イシュタルの傷口に顔を近づけ、その場所を口で覆った。
「はあ・・・はあ・・・ティニー・・・」
イシュタルの意識が朦朧としているみたいだ。
(急がないと・・・)
ティニーは傷口から毒を吸い始めた。
血と一緒吸い出されていく毒・・・
ある程度吸い出すと、口に溜まったそれらを外に吐き出す。
そして、再び毒を吸い出すティニー。
それらの行動を何度も繰り返した。

まだ、あまり毒は回っていなかったのだろう・・・
いくらか毒を吸い出したら、イシュタルの顔が落ち着きを取り戻してきた。
「これぐらいかしら・・・」
口を離し、ティニーは傷薬を取り出して傷口に塗り、布でしっかりと傷口を塞いだのであった。
「今のところ・・・これぐらいしかできません」
「ありがとう・・・ティニー・・・」
ティニーの応急手当が終わった。しかし、まだイシュタルの顔には少し苦痛の色があった。
「まだ、痛みますか?」
ティニーは心配そうにイシュタルを覗き込んだ。
しかし、イシュタルは笑顔でそれに答えた。
「大丈夫・・・少し痛むだけよ・・・」
そう言ってイシュタルは立ち上がった。
「さあ、長居はできないわ・・・早く発たないと・・・」
イシュタルは先ほどの傷などものにはしてない・・・ように見えた。
ティニーも立ち上がるのを待って、イシュタルは歩き出した。
「あっ・・・お姉様!」
ティニーもそれにならって歩き始めた。


しかし、イシュタルは内心汗をかいていた。
自分の体の変調に・・・
(やぱり・・・少しは回ってしまったみたい・・・)
ティニーの応急処置によって毒の殆どは外に出されたが、それでも矢が刺さった瞬間にすでに毒は少量、体の中を回っていたのだ。
ティニーの処置のおかげで致死量まで流出することはなかったが、それでも体に発熱と痛みを徐々に蔓延させていった。
(汗が止まらない・・・体の節々が痛み始めてくる・・・)
イシュタルには自覚症状が大きくなっていくことがわかった。
(毒になんて・・・負けられない・・・私が毒に負けたら、誰がティニーを守るの・・・まだ、まともに動けないティニーを・・・)
イシュタルは気力を振り絞って、毒に抗おうとした。
(ティニーの安全を・・・保障できる所までは・・・倒れるわけにはいかない・・・)
毒の傷みと熱さ・・・
それらのために、ティニーを危険に晒すわけにはいかなかった。

(お願い・・・せめて山を越えるまではもって・・・私の体・・・)






「全軍、出撃体制が整いました。」
「よし、出撃するぞ!!」
ウオオオオオ!
出撃の下知に城の中で雄叫びがおきた。

シアルフィを監視していたドズル軍は解放軍の約半数がエッダに向けて出撃したのを確認した。
その報に、ドズルのブリアン公子は自らグラオリッターを率いて出撃しようとしていた。

斧騎士団グラオリッターは現在、帝国軍の各精鋭騎士団の中で最大規模を誇る騎士団である。
他の騎士団として、フリージの雷騎士団ゲルプリッター、ユングヴィの弓騎士団バイゲリッターが存在する。
だが、ユングヴィのバイゲリッターはグラン暦760年の一連の戦いにおいて一度壊滅しており、再建しようにも壊滅したため指導者層の量的な欠乏に見舞われた。
そのため、この17年間は主にバイゲリッターの再建に追われ、その規模をあまり拡大させることはできなかった。
もう一つのフリージのゲルプリッターはグラン暦776年時においてはグラオリッターに匹敵する規模と戦力を保有していた。
だが、フリージ家の支配するマンスター地方における動乱に投入され、度重なる戦いのため戦力が消耗していたのだ。
ドズルの支配するイザークでも同じ状況だったが、ドズル当主ダナンは帝国本国におけるドズルの地位を揺るぎないものにするために、虎の子のグラオリッターをブリアン公子に任せ帝国本国に送り、帝国内の各勢力に対して示威を行っていたのだ。
そのため一連の戦いでも温存され、戦力を消耗することはなかったのである。

今、戦力が温存されていたグラオリッターが、その持てる力の全てを解放軍に向けようとしていたのだ。


「フィッシャー! お前はエッダに向かいエッダ軍と協力して反乱軍のエッダ攻略隊を足止めせよ。その間に私はグラオリッター率いてシアルフィを落とす。」
ブリアンはフィッシャー率いる部隊をエッダに差し向けた。
エッダだけでは解放軍の鋭鋒を支え切れないと判断したからだ。
解放軍が合流する前にシアルフィを落とすという戦略の以上、エッダにはなんとしても支えてもらわなければならなかったからだ。
ブリアンの判断は正しかった。
エッダ軍だけでは解放軍に対抗できなかった。
彼の予想を遥かに越えて・・・

ブリアンは自らグラオリッターを率いて出撃した。
解放軍全軍の数に匹敵する騎士団が、手薄になったシアルフィに向けて出撃した。
シアルフィとドズルまでの距離はそれほど離れていない。
だが、お互いの間には高い山がそびえており、その街道は細い回廊のようになっていた。
その回廊を走り抜けていくグラオリッター。
しばらく走った後に、先行していた斥候が戻ってきた。
彼らの報によると、反乱軍は回廊を出てすぐの平野に陣を敷いているとのこと。
回廊から出てくるグラオリッターを、先鋒から順に三方から囲んで迎撃するつもりらしい。
(面白い! このグラオリッターの突撃がどれほどのものか・・・身をもって味わうが良い!)
彼は全軍に突撃を命じた。
「突撃だ! 反乱軍の別働隊が戻らぬうちにシアルフィを落とすのだ!」


解放軍のシアルフィ残留軍は野戦に討って出た。
篭城するよりも、狭い峡谷で迎撃する方が防ぎ止められると判断したからだ。
あらかじめ騎兵隊と時を同じくして出立し、峡谷の入り口を押さえた。

解放軍の布陣は・・・
正面に残留軍の指揮をとる「トラキアの盾」こと、ハンニバル将軍の重装歩兵部隊が展開した。
その左には、シャナン・スカサハの指揮する部隊が、右にはヨハルヴァ・ラクチェの部隊がそれぞれ展開し・・・
シャナン隊の後方にある小高い丘にはファバルの弓兵部隊が援護射撃のために存在し、ハンニバルの後方にはラナ・コープルの支援部隊が控えていた。
さらにパティは予備戦力として控えていた。
場合によっては戦線投入もありうるが、いまや彼女は一流のシーフファイターとしての名声を手に入れていた。実力的にはなんら心配はなかった。
この布陣で解放軍はグラオリッターを迎撃しようとした。

やがて、峡谷入り口からグラオリッターの先兵が飛び出してきた。
次々と飛び出してくる敵兵。


「すげえ数だぜ、さすがと言ったところだな・・・」
次々と出てくるグラオリッターを見ながらヨハルヴァは呟いた。
「いいのヨハルヴァ? 実の兄と戦うことになるのよ?」
となりのラクチェがヨハルヴァを見つめながら言った。
口調も表情もいつもと変わらない。だが、これがラクチェであって、これが彼女なりの心配の仕方でもあった。
「・・・ブリアン兄貴は帝国に加担している・・・聖戦士ネールの直系である事を忘れて・・・そんな兄貴を目覚めさせることは今となっては出来ないからな。だから俺が兄貴を殺す。せめて死に方ぐらい聖戦士らしく・・・男らしく・・・」
ヨハルヴァは豪放で気骨に溢れる男である。
そのヨハルヴァが無表情な、しかもどこか寂しげな表情をしていた。
ラクチェにはヨハルヴァの決意が痛いほど伝わってきた。
だから・・・
「分かったわ。ヨハルヴァの覚悟のほどは・・・だからヨハルヴァ、私はお前に付き合う・・・お前の兄殺しの罪を半分背負おうから・・・」
ラクチェも無表情のまま自分の意思を伝えた。
言葉も表情も殺伐としたものだったが、ヨハルヴァには分かった。
ラクチェの不器用な優しさを・・・彼女なりの愛情を・・・
「ありがとよ・・・じゃ、行くか・・・」
「ああ・・・」
2人は共に歩き出した・・・戦いに向かって・・・


ついに戦闘が始まった。
敵の姿を確認したファバルがイチイバルをたて続けに放ち、先頭の2人のグレードナイトが落馬する。
だが、次々と新手が現れる。
ついに直接的な肉弾戦が始まった。
「密集しろ! 隊列に穴を作るな! 陣から一歩の出ずに守りに徹しよ!」
正面から敵の攻勢を受け止めることになったハンニバルは自ら陣頭に立って指示を出していく。
密集した重装歩兵の壁に襲い掛かるグラオリッター。
槍を突き出す重装歩兵、落馬する騎士、振るわれる斧・・・
たちまち激戦が展開する。
しかし、敵の圧倒的な戦力のために、すぐに劣勢に立たされるハンニバル隊。
だが、左右からシャナン、スカサハ、ラクチェ、ヨハルヴァが殺到しハンニバルを援護する。
乱戦に戦況は推移していく・・・

ブリアンは次々と戦力を投入した。
一気に反乱軍の戦線を突破するためだ。
そのため戦力を集中させ、一気に敵陣を強行突破しようとした。

だが、その時山の陰から何かが飛び出してきた。
それはアルテナ、フィーを中心とする天馬・竜の混成航空部隊だった。
急降下して峡谷の間に展開しているグラオリッターに襲い掛かった。
急降下し、グラオリッターの頭上に攻撃を加えて離脱していく空の戦士たち。
一撃を加えた後、再び山の上に飛び去る・・・
そしてまた急降下し、再び一撃を加えていく。
そんな一撃離脱戦法を繰り返した。

反撃不可能のまま、上空からの攻撃の前に数を減らしていくクラオリッター。
「上空から攻撃に構うな! 前面の敵を突破することだけに専念せよ!」
しかし、ブリアンはその攻撃を物ともせず、突撃を繰り返した。
数に頼んだ力押しである。
しかし、この時間との勝負である戦いにおいては有効であっただろう。
圧倒的な数、圧倒的な破壊力のまえに追い詰められていく解放軍。
6大公爵家時代から、その突撃の衝撃力はシアルフィのグリューンリッターを上回ると謳われたグラオリッターである。
乱戦で斧を振り回し、次々と敵をなぎ倒していく・・・
さしものハンニバルも、その力の前に押されまくっていた。
左右の部隊も圧倒的なグラオリッターの攻撃の前に数を減らしていった。
既に予備として控えていたパティも戦線参加していたが、劣勢は免れなかった。
圧倒的な攻勢の前に死傷者は増え、ラナ・コープルの力をもってしても処理できなくなっていた。
「勝てるぞ! 残った敵の数、決して多くはない!」
ブリアンはこの戦いの勝利を確信した。


だが、そんな彼の確信を砕く報がもたらされたのは・・・そのしばらく後であった。
一騎の兵がドズルからブリアンのもとにきて報告した。
「ブリアン様! エッダ城を攻略した敵の別働隊がドズルに向かっております!」
ブリアンは驚愕した。
「何だと・・・エッダは既に落ちたと言うのか!? そしてドズルにだと!? シアルフィに戻らぬのか!? フィッシャー隊はなにをしていたのだ!?」
立て続けに質問を投げつけるブリアン・・・彼の狼狽ぶりは激しいものがあった。
「・・・エッダ城はフィッシャー隊が到着する前に陥落・・・エッダ城を攻略した反乱軍はそのままドズルに転進しました。その途中でフィッシャー隊が会戦しましたが敗北・・・今、ドズル城に向かって進撃中とのことです。」

解放軍の行動・力はブリアンの予想を遥かに越えていた。
エッダ城の力不足は分かっていた。だからこそフィッシャーを差し向けた。
だが、解放軍の攻勢は彼らが合流する前にエッダを落とす結果となった。
そのため各個撃破されるという最悪な結果となったのだ。
そして彼らはシアルフィには向かわず、ドズルに向かった。
自分達の根拠が危険に晒されているのに、逆にその危機を逆用して一気にドズルを攻略しようとするのだ。
ブリアンは解放軍の士気の高さに驚いた。
彼らには防御姿勢などまったくなかったのだ。
「全軍!直ちにドズルへ引き返せ!」
ブリアンはグラオリッターに撤退を命じた。
このままでは敵の本拠を落とす前に、自分達が挟み撃ちを受けるからだ。
撤退を開始するグラオリッター・・・
だが、同じ報がシアルフィ残留軍に届いたのであろう、一転して攻撃を仕掛けてきたのだ。
「全軍、反撃に移る!・・・討って出ろ!」
ハンニバルの命令に、今まで受身だった解放軍の兵士の士気が上がった。
嬉々として攻撃に移る解放軍の諸隊・・・
「引け! ドズルまで引いて体勢を立て直すのだ!」
グラオリッターはかなりの被害を出しながらも、後退を続けた。

しかし、彼らを待っていたのは・・・
既に陥落したドズル城と、待ち受けていた解放軍の本隊であった。
「バカな・・・」
ブリアンの頭の中は真っ白になった。
そしてそれは兵士達とて同じであろう。

そして、今彼らは危機に陥ったのだ。
前面にはドズル城を攻略した部隊が・・・後背には先ほど刃を交えた敵が迫っていたからだ。
敵に挟撃されるグラオリッター。

いまだに解放軍を凌駕する戦力であったものの、森と山の狭い地域に挟まれて行動を制限されていたし、何より根拠を攻略されたことにより士気が著しく低下していた。
前方からは騎馬の突撃を受け、後方から歩兵部隊が追い付き追撃を開始していた。
前後からの攻撃にグラオリッターは殲滅されていった。
「ひるむな! 我等の方が兵力的には優勢なのだ! 」
ブリアンは激を飛ばすが、とき既に遅く崩れ始めた軍勢を立て直すことは叶わなかった。

「・・・ブリアン兄貴・・・」
激戦のなか、突如ブリアンは後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには、数年間会っていなかった腹違いの弟がいた。
「ヨハルヴァか!」
斧を携えたヨハルヴァが決意に満ちた顔で立っていた。
ドズルを裏切った弟の姿を見た途端、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「このバカ弟! ドズル家を潰すつもりか!」
「兄貴こそ、聖戦士の末裔のくせにロプトの連中に加担しやがって・・・兄貴こそネールの血筋、ドズル家の恥さらしだ。」
「う、うるさい! 黙れ!」
聖戦士の名を出され、ブリアンはうろたえた。
「せめて、同じ聖戦士ネールの血を引くものとして・・・俺が兄貴を討ち取ってやろう・・・」
「図に乗るな!!」
2人は互いに駆け出し、距離が縮まっていった。

ヨハルヴァはブリアンに挑みかかった。
勇者の斧を振るい連続攻撃するが、ブリアンのスワンチカはそれを物ともせず受け止める。
何度も何度も勇者の斧を振るっても同じことだった。
「どうした、どうした!? 私を倒すのではなかったのか?」
「・・・くそ!」
聖武器を継承する実力は伊達ではなかった。
ヨハルヴァの猛攻撃にも、ブリアンはまったく傷ついていなかった。

「では、今度はこちらからだ!」
ブリアンはスワンチカを横に一閃した。
その攻撃は鋭く、ヨハルヴァの体を捉えた。
ヨハルヴァは勇者の斧で一撃を受け止めたが、あまりの力の前に吹き飛ばされる。
「うわ!」
吹き飛ばされ、地面に転がり落ちるヨハルヴァ。
「とどめだ!」
ブリアンが倒れているヨハルヴァにスワンチカを振り下ろそうとした時・・・

「させるか!」
ラクチェが飛び出してきた。
ヨハルヴァの危機を助けるため、走りよってきた。
ブリアンはその新たなる敵の出現に、ヨハルヴァのとどめを刺すことが出来なかった。
目標を黒髪の美剣士に変え、挑みかかる。
ラクチェがブリアンに必殺の攻撃を出した。
「食らえ! 流星剣!」
ラクチェはイザーク王家秘伝の流星剣をブリアンに放った。
ブリアンの体を何本もの剣閃が襲い掛かる。
しかし、ブリアンのスワンチカが光を放ち始め、それと同時にブリアンの体が光に包まれた。
その光がラクチェの放った流星剣を全て受け止めてしまった。
ブリアンの体に命中するはずだった流星剣は、柔らかい光の前にその奥にある体を傷つけることはできなかった。
「なに!?」
驚愕するラクチェ。
(これが・・・スワンチカの力・・・)

「見たか! 我が聖斧スワンチカの真の力を!」
勝ち誇るブリアン。
呆然とするラクチェにスワンチカを振り下ろすが、ラクチェは寸前のところで後ろに飛び、距離を稼ぐ。
しかし、それでも危機が去ったわけではなかった。
ブリアンはスワンチカを手斧のように投げたのだった。
ブーメランのような軌道をとりながら、ラクチェに襲い掛かるスワンチカ。
後方へ飛んで、着地した瞬間を狙われたラクチェには避けられなかった。

ザシュ!
「きゃあああ!」
ラクチェの肩から血飛沫が舞った。
僅かに体を逸らすことに直撃は避けられたが、それでも肩をスワンチカがかすめた為、肉が裂けたのであった。
ラクチェを傷つけブリアンの手に戻っていくスワンチカ・・・激痛のため崩れ落ちるラクチェ・・・
それをヨハルヴァは眺めていた。
「ラクチェ――――――――――!!」
雄叫びを上げるヨハルヴァ。
そして、ヨハルヴァの目には、再びラクチェにスワンチカを投げつけようとするブリアンの姿が見えた。
その光景が目の中に入った途端、ヨハルヴァの体が動いていた。

「ウオオオオオォォォォ!!」
猛然とブリアンに向かっていくヨハルヴァ。
ラクチェを傷つけられる瞬間を見た彼の中で、なにかが切れていた。
「無駄だと言うのか分からんのか!!」
ブリアンはヨハルヴァに体を向けた。

(連続の攻撃では、あのスワンチカを破ることは出来ない・・・渾身の力の一撃で攻撃しないと・・・)
ラクチェの流星剣すら通用しなかったのだ。
スワンチカの力を破るには、必殺の一撃をもってするしかないと考えたからだ。

(負けられない・・・俺は・・・俺は・・・)
ヨハルヴァは負けられなかった・・・
いま、自分が負けということは、傷ついたラクチェを守れる存在がなくなるということ・・
それはラクチェの死を意味しているからだ。
(俺は負けられないんだ! 聖戦士ネールよ! 俺にあなたのスワンチカを破る力を!!)
今まで、自分の体に流れる血を信じようとはしなかった。
彼の先祖から受け継がれた力を信じようとはしなかった。
聖戦士の血脈など、争いの元になるだけのものだと思っていたから・・・
でも、今は欲しかった・・・
力を・・・愛する人を守る力を・・・

「食らえぇぇ!!!!!!」
ヨハルヴァは飛んだ。
ブリアンの背を遥かに超える位置まで飛び上がった彼は渾身の力を込めた一撃を振り下ろした。
「くっ・・・」
ブリアンはスワンチカでそれを受け止めようと、ヨハルヴァに向けて突き出した。
そして・・・

カキ――――――ン!

激しい金属音があたりに鳴り響き・・・
その数瞬後・・・スワンチカが地面に落ちた。
そして、血も滴り落ちていた。
「・・・俺の勝ちだ・・・兄貴・・・」
地面に降り立ったヨハルヴァが静かに言った。
ブリアンは初めて、自分が斬られた事を知った。
肩口から胸元まで、ヨハルヴァの勇者の斧に斬られたのだった。

ヨハルヴァの力はスワンチカに勝ったのだ。
突き出されたスワンチカを弾き飛ばし、そのままブリアンに斧を振り下ろしたのだった。
スワンチカの力も、彼の一撃を防ぐことは出来なかった。
「・・・・・・」
ブリアンは何も喋らないまま、後ろに倒れていった。
自分の敗北を悟りながら・・・
その様子をヨハルヴァはずっと見ていた。
実の兄が倒れていく様子を・・・

「ヨハルヴァ・・・」
いつのまにか、ラクチェがヨハルヴァのすぐ後ろまできていた。
肩の傷を抑えながら・・・
ヨハルヴァは首だけ振り返った
「ラクチェ・・・大丈夫なのか・・・?」
ラクチェはいつもとあまり表情は変わらなかった。
「ただのかすり傷よ。心配ないわ・・・それより・・・」
ラクチェはヨハルヴァの顔を見た。
なにか、翳りの入った顔を・・・
「大丈夫なの?ヨハルヴァの方こそ・・・」
「俺は・・・大丈夫だぜ・・・」
「・・・そうは見えない・・・」
ラクチェの表情がヨハルヴァを心配するものに変わった。
「・・・見えない・・・あなたがが大丈夫には・・・分かる、あなたの心が悲鳴をあげていることが・・・」
「ラクチェ・・・」
「たとえ・・・悪に染まった兄であろうとも、ヨハルヴァにとっては最後の肉親であったのだから・・・辛くないはずない・・・」
(そうだった・・・もう俺一人なのか・・・)
現在、ドズル家の生き残りは彼しかいなかった。
彼の父ダナンも、その次男ヨハンは既にイザーク解放戦で死に、また今、長兄のブリアンも自分が殺した。
ドズル家最後の一人になってしまったヨハルヴァ。
親や兄弟たちの屍の上に立っているヨハルヴァ。
そんな自分を見つけてしまったのであろう。
こうなると・・・後悔すると分かってはいたのに・・・
「やっぱり・・・あんな兄貴でも、俺の兄貴だったからな・・・その男を俺は手にかけたんだ。ははっ、やっぱ救われないよな・・・俺・・・」
ラクチェに背を向け自嘲するヨハルヴァ。そんなヨハルヴァに・・・
「?・・・ラクチェ・・・」
ヨハルヴァを後ろから手をまわして、抱きしめた。
いつになく優しい笑顔でラクチェはヨハルヴァに語りかける。
「言ったはずよ・・・あなたの罪を半分背負うと・・・一人で全て背負おうとしないで。私がついている。ずっとあなたと一緒にいる。だから・・・あなたの罪を償う方法を考えていこう・・・一緒に・・・」
ラクチェの気持ちが・・・ヨハルヴァには嬉しかった。
(相変わらず不器用だな、ラクチェ・・・でも、嬉しいぜ・・・)
ヨハルヴァは振り返ってラクチェを抱きしめた。
強く・・・そして優しく・・・


ブリアンを失ったグラオリッターは、抵抗が無駄だと判断し降伏した。
ドズルの敗北だった。
ここに帝国軍の反乱軍に対する軍事行動は完全な失敗に終わったのだ。







イシュタル達はようやく森を抜けた。
そしてついに山を越え始めた。
今までの木々に囲まれた場所とは違い、岩と枯れた土に覆われた地面に変わる。
足場も悪く、風も強かったが、それでもこの山を越えなくてはならなかった。

2人は過酷な環境の中を歩いていく・・・
しかし、2人の体力は、着実に限界へと近づいていた。
特に、イシュタルは先ほど受けた毒矢のために体力の消耗が著しかった。
発熱や痛みがさらに激しくなり、既に足取りも頼りないものに変わっていた。
いまや、病み上がりのティニー以上に弱っていたのだ。
顔色が悪くなっていくイシュタルにティニーは思わず声を掛けてしまう。
「お姉様! 大丈夫ですか!?凄い汗ですよ」
「だ・・・いじょうぶ・・・」
口調も弱々しくなっていた。
ティニーはイシュタルの体が明らかに変調しているのが分かった。
原因はティニーにも分かった。
先ほどの毒が回ってしまったのだ。
「毒ですね!?先ほどの毒が残っていたのですね・・・すいません! 私の処置が下手だったばかりに・・・」
自分の処置に落ち度があったと考えたティニー。
「違うわよ・・・ティニーのせいじゃないわ・・・矢が刺さった瞬間に既に毒が流れ出していたのよ・・・そのせい・・・」
「で、でも・・・」
「それに・・・ティニーが助けてくれなかったら、もっと毒が流れ出して命はなかったわ・・・だから・・・ありがとう・・・」
そう言うとイシュタルはさらに歩みを速める。
「私のことはいいから・・・とにかく少しでも早くこの山を越えましょう・・・じゃないと・・・また襲われてしまうから・・・」
イシュタルは力を振り絞って歩く・・・
(お姉様は本当に強い・・・毒にもめげないなんて・・・)
イシュタルの精神的な強さにティニーは改めて感心した。


そんな時であった。
空から黒いエネルギー体が多数飛来した。
最初に気づいたのはティニーの方だった。
「お姉様!」
ティニーの叫びにイシュタルは危機を察した。
途端にティニーの手をとり、走り出した。
「ティニー! 走るわよ!」
2人は走りだした。
そして彼女たちが走り去った直後、今まで彼女たちがいた地点にエネルギー体が振り注いだ。
激しい爆発が起きる。
「また、フェンリル・・・」
ティニーは暗黒魔法で攻撃された事を知った。
敵の位置は・・・分からない・・・
恐らく、とても離れたところから攻撃したに違いなかった。
「まずいわ! ここには遮蔽物はない・・・身を隠す場所もフェンリルへの盾となるものもないわ!」
ここにあるのは小さな岩ぐらいで、とても身を隠せるものではなかった。
(まずい・・・このままじゃ狙い撃ちにされる・・・)
射程の長いフェンリルでは反撃はできない。
それに今の2人は満足に動けないというとても危険な状況だった。
「ティニー!今は走って!辛いだろうけど頑張って・・・」
「あっ・・・はい・・・」
2人は走った。
その2人に容赦なく振り注ぐフェンリル。
(このままじゃ・・・いつか命中してしまう・・・)
2人の体力を考えると、とても避けきれないとイシュタルは考えた。
(はやく・・・なにか考えないと・・・)

しばらく走った時だった。
左手に切通しみたいなものが見えてきた。
少し下り坂になっているその切通しはどこへ通じているか分からなかったが、それでもそこに逃げ込めば何とかなるかもしれなかった。
「ティニー! こっちよ!」
イシュタルは決心し、ティニーの手をとってその切通しに向かった。
フェンリルの攻撃を掻い潜り、2人は切通しの中に入っていった・・・


「これでいいのですか?」
イシュタル達の遥か後方からフェンリルを放っていたダークマージの一人が自分達のリーダーに尋ねた。
その問いに、リーダーと呼ばれた男は薄ら笑いを浮かべながら答えた。
「これで良いのだ。奴らは自分達から死地に入り込んだのだからな・・・」



切通しを抜けたあと、周りの風景は一変した。
高い崖と谷に囲まれた場所に出たのだ。
左手には谷があり、その下を川が流れていた。
かなりの速さの激流で、落ちたらまず助からないと思われた。
そして右手には高い崖が聳え立っていた。
その崖と谷の間を一本の細い道が先へと伸びていたのだ。
「この先を抜ければ・・・山を越えられるかもしれませんね・・・」
ティニーはイシュタルに向かって喋ったつもりであったが・・・
「・・・・・・」
イシュタルからの答えはなかった。
ティニーはいつも間にか隣りにいたはずのイシュタルがいないことに気づいた。
後ろを振り返るとイシュタルが膝をつき、蹲っているのが見えた。
「お姉様!」
ティニーはイシュタルに駆け寄った。
イシュタルの体は限界だった。
先ほどの無理がたたり、毒は彼女の体を着実に蝕んでいた。
息もあがり、意識も不鮮明になってきているみたいである。
「はぁ・・・はぁ・・・うっ・・・は・・・」
「お姉様! しっかりして!」
ティニーはイシュタルの肩を揺すり、呼びかける。
「だ・・・大丈夫よ・・・」
何とか声を上げるイシュタル。
しかし、言葉そのものにも生気がなくなっていることが分かった。
力なく倒れこむイシュタルをティニーは支えた。
「そんな・・・もう体も動かせないぐらい弱っているじゃないですか・・・どこかで休まないと・・・」
「彼らが迫っているのに・・・休めるわけ・・・ない・・・」
イシュタルはティニーの手を振り解き、立ち上がった。
だが、彼女の体は立ち上がっても痛みと発熱で揺れていた。
「で、でも・・・」
「わ・・・たしは・・・」
イシュタルはボソッ、と呟いた。
焦点の合わない目で正面を見すえ、なにかを口走る・・・
「負けられ・・・ない・・・こんな毒に・・・せめて・・・せめてティニーを・・・安全なところまで・・・連れて行くまでは・・・」
それはティニーに対してではなく、自分に言い聞かせるためであったのだろう。
自分の心の中で言い聞かせていた言葉が、意識の混濁のため思わずくちずさんでしまったらしい。
(お姉様・・・そんな・・・)
ティニーの中をイシュタルが口走った言葉が駆け巡っていた。
(イシュタルお姉様・・・そこまで私を守ってくださると言うのですか・・・)
イシュタルの気持ちは嬉しかった。でも・・・
(私が不甲斐ないから・・・弱すぎるから・・・イシュタルお姉様に迷惑をかけてしまっている・・・私って、なんて弱い存在なの・・・ここまでイシュタルお姉様に守っていただけなくてはダメだなんて・・・)
自分の無力さを痛感するティニー。
(私も、イシュタルお姉様のように強くなりたい・・・そして自分の身を・・・大切な人たちを守れるだけ・・・強くなりたい・・・)
弱い自分を捨て去りたかった・・・誰かを守れる力が欲しかった・・・


ヒュ! ヒュン! 
イシュタル達の足元に矢が刺さった。
「!!」
「!?・・・な、なに?」
イシュタル達は突然の攻撃に驚いた。
周りを見たとき2人は知った・・・
自分達が囲まれていることに・・・

崖の上には、弓兵と魔道士たちが現れていた。
そして弓と魔法でイシュタル達を狙っていた。
道の先と、今まで来た道には剣を持った剣士やら魔道士たちが現れて、道を塞いでいた。
敵はイシュタル達を包囲したのだ。
道の入り口と出口には敵がおり、左右は崖と谷があり逃げ道はなかった。
しかも、敵の数はざっと見ても50人以上はいた。
「イ、イシュタルお姉様・・・」
イシュタルの名を呼ぶティニーの声が上ずる。
あまりの窮地に追い込まれたためだ。

しかし、イシュタルは別段うろたえてはいなかった。
「・・・私は・・・」
敵の姿を見据えながら、イシュタルは言葉を出す。
「お姉様?」
ティニーはイシュタルの顔を見た。
いつもの、戦う時のイシュタルの表情に変わっていた。
「・・・私は・・・ティニーを守るわ・・・」
自分に言い聞かせるようにイシュタルは呟いた。

「ティニー・・・止まらないでね・・・突破するわよ・・・」
「えっ?」
ティニーがイシュタルの言葉を理解しないうちに、既にイシュタルは走り出していた。
前方の自分達の行き先を封じている敵に向かって・・・
「お姉様!」
ティニーもそれを見て走り出した。

彼女達の動きに、崖の上の敵は攻撃を開始した。
矢や暗黒魔法を放ちまくる。
それは先行するイシュタルに集中した。
しかし、イシュタルの動きは素早く、なかなか捉えることが出来ない。
その間にもイシュタルは、彼らの行方を塞ぐ敵に肉薄した。
剣士や魔道士たちが挑みかかってくる。
彼らに向かって、イシュタルはトールハンマーを乱射した。
「トールハンマー!」
イシュタルは立て続けにトールハンマーを三度放った。
集団で挑みかかろうとした敵の集団の中に、三つの雷球が現れる。

ビリリリリリリリリイイイイイッ!!!!

「うぎゃああああ!!」
「うわ!」
ある者は雷球に全身を黒焦げにされ、ある者は弾き飛ばされて谷の下の川に落ちていった。
一気に20人ぐらいいた敵の数が半数にまで減少した。
残った敵はそれでもイシュタル達に襲い掛かった。
剣士の一人がイシュタルに剣を振るった。
しかし、イシュタルはその攻撃を避けると、剣士の首の裏に手刀を叩き込んだ。
剣士が白目をむいて倒れる。
その動きにティニーは驚いていた。
(お姉様・・・どこにそんは力が・・・)
先ほどまでの衰弱振りが嘘のように思えた。
恐らく既に気を失ってしまうほどの状態なのに・・・
なぜ、そこまで戦えるのであろうか・・・
そう考えながらも、ティニーはその身を守るために魔法を放ち続けた

崖の上の敵は攻撃できなかった。
2人が味方の只中に入り込んだため、崖の上からの攻撃が出来なかったのだ。
うかつに攻撃すれば、味方に矢や魔法が命中してしまう・・・
それが恐れて攻撃できない崖の上の敵。
イシュタルはそれを狙って、敵の中に突入したのだ。
もちろん、敵の只中にあってはとても危険だが・・・
崖の上から狙い撃ちにされるよりか遥かにマシだった。
また、後ろの敵もイシュタルたちを追ってくる。
彼らが自分達に追いつくより早く、敵を突破しなくてはならなかった。

再び、トールハンマーを放った。
前方の2人の剣士が光に包まれた。
この瞬間、前方への道が開いたのだ。
後ろのティニーもしっかりと続いていた。
(いける・・・逃げ切れる・・・)
イシュタルは何とか逃げ切れると思った。
敵の只中を走りぬける二人。
しかし、敵を突破した途端、崖の上の敵が攻撃を仕掛けてきた。
味方を突破されたので同士討ちの心配がなくなったからだ。

矢や魔法の雨を掻い潜る2人・・・
そして一気に敵を振り切ろうとした時・・・
「・・・うっ!」
イシュタルがよろめいたのだった。
今まで毒を抑えてきた気力が、敵を突破できると考えて途端に緩んでしまったのだ。
今まで我慢してきた苦痛や発熱が蘇ってくる・・・
自分の体が支えられなくなり、膝をつくイシュタル。
後ろからついて来ていたティニーは思わずイシュタルを追い越してしまった。
「お姉様!」
追い越してしまったイシュタルに振り返るティニー。
しかし、その時に膝をつき崩れたイシュタルに敵の放ったフェンリルが飛んでくるのが見えたのだ。
(!?)
イシュタルは崩れたままだ。フェンリルを避けようがなかった。
このままではイシュタルはフェンリルの直撃を受けるであろう。

(ダメ! お姉様!!)
その時・・・ティニーは蹲るイシュタルに向かって飛んだ。
そして、彼女の体を突き飛ばしたのだった。
自分の身も省みず・・・
イシュタルの体は突き飛ばされ、転がった。
フェンリルの直撃のコースから外れたのだ。
だが・・・逆に・・・


グワ―――ン!
激しい土埃が舞った。
「・・・えっ・・・」
突き飛ばされ、倒れたイシュタルは顔を上げた。
毒による発熱のため、視界はぼんやりとしていた。
だが、ハッキリと見えた。
起きた爆発の中から、ティニーの体が吹き飛ばされるのを・・・

その光景を見た途端・・・イシュタルの頭の中は真っ白になった・・・
「ティニー・・・?・・・ティニ―――――――!!」
イシュタルは絶叫を上げた・・・
なにが起きたのか、やっと分かったのだ。
ティニーの体が宙を舞う。
イシュタルの目にはその光景がとてもゆっくりに見えた。

吹き飛ばされたティニーの体が、勢いをつけて地面に落ちた。
そして、何度か跳ねながら・・・谷の方に転がっていった。

(いけない!!)
このままでは、谷に落ちてしまう・・・
「ティニー!!」
イシュタルは体の痛みも気にせず駆け出した。
ティニーを助けるために・・・
しかし、ティニーの体の勢いは止まらず、谷に向かって非情にも進んでいった。

そして・・・
彼女の体は落ちていった・・・

イシュタルは最後、彼女に向かって跳躍したが・・・間一髪間に合わなかった。
落ちていくティニーの姿を見定めることしか出来なかった。


「ティニィィ―――――――ッ!!!」


ティニーの体は谷の下の川に落下し、激流に飲まれていった・・・

 

 

あなたの名は・・・ 第六章へ

 

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