あなたの名は・・・ 第六章

 

 

「ティニー・・・ティニー!!」
激流にティニーが飲まれていく様子をイシュタルはただ見つめるしかなかった、ただ叫ぶしかできなかった。
(そんな・・・ティニーが・・・)
自分のせいだ・・・
自分をかばって、ティニーはフェンリルをその身に受けてしまったのだ。
自分が毒に負けてしまったために・・・自分が動きを止めてしまったばかりに・・・
(なにをしてるのよ! ティニーを守ると、守りきると言ったのはあなたでしょう? イシュタル・・・あなたがティニーに守られてどうするのよ・・・)
イシュタルはほんの一瞬、自分が毒に負けたことを後悔した。
(守ってあげるって・・・心に決めたのに・・・誓ったのに・・・私は・・・私は・・・!)

「ほほほっ・・・残るはイシュタルのみ・・・」
イシュタルはその声に後ろを振り返った。
20人以上の魔道士や剣士たちがイシュタルを包囲していたのだ。
皆、薄ら笑いを浮かべてイシュタルを見ていた
「がはっはっは・・・まさかあの雷神をこの手で仕留めることになろうとは・・・」
「にして、見れば見るほどいい女だぜ・・・へへっ、犯したいぜ・・・」
「ああ! できれば捕らえて、たっぷりと楽しみたいぜ!」
「もう一人の女もヤリたかったが・・・まあ、ああなっちゃ仕方ないな・・・」
彼らは、思い思いの事を口にする。
だが、最先頭の魔道士風の男が前に出てきて宣告する。
「とにかく・・・あなたには死んでもらいますよ。ふふっ・・・すぐに、あの女と一緒にしてあげますよ。」

そんな言葉を浴びせてくる彼らに対して、イシュタルは・・・
「・・・許せない・・・」
ボソッ、と言葉出した。
あまりに小さな声だったので、本人以外は誰もその言葉を聞き取れなかった。
顔を俯かせながら、ゆっくりと立ち上がっていくイシュタル・・・
「私は・・・自分が許せない・・・ティニーを守れなかった自分が・・・そして・・・」
今度は、ハッキリと対峙する彼らにもイシュタルの言葉が聞こえた。
「な、なんだ?」

「・・・そして・・・あなたたちが許せない!! ティニ−を傷つけたあなたたちを!!」
バリバリバリバリバリ・・・・!!!
イシュタルの体から激しい電流が放出される。
あまりの激しい電流に、彼女の体が発光して見えた。
彼女の高まった魔力が電流を帯びて放出されているのだ。
さらに魔力の放出で、まわりに衝撃波が広がっていく・・・
彼女の美しい髪がまるで重力に逆らうかのように、逆立った。
「うっ・・・・うわああぁ!!」
あまりの光景と威圧感に、イシュタルを囲んでいた敵は思わず引いてしまった。

光と電流の中にいたイシュタルは黙って顔を上げた。
その顔は・・・まさに雷神イシュタルのものだった。

「・・・絶対に・・・許さない・・・」

イシュタルの鋭すぎる眼光が、彼らを直撃した。
そして、今までイシュタルを見下していた男たちは地獄を見ることになった・・・





(苦しい・・・助けて!!)
激流に身を飲まれながら、ティニーは苦しんでいた。
(だれか・・・だれか!!)
息もできなかった・・・泳ぐこともできなかった。
流れのためかもしれないし、先ほど魔法の直撃のためかもしれなかった。
体は動かなかった。
ティニーは、自分の力ではこの状況を脱することはできないと思っていた。

(く・・・る・・・しい・・・だれ・・・か・・・)
ティニーは心の中で助けを呼んだ。
誰もこないとは分かってはいたが・・・
(もう・・・わたし・・・)
徐々に意識も失っていった・・・

しかし、そんな時だった。
(・・・だれ?・・・)
薄れていく意識の中で・・・ティニーの脳裏に誰かの面影が写ったような気がした。
靄がかかったような感じであったため、誰かは分からなかった。
見た事があるような気もしたし、見たことがないような気もした。
しかし、その浮かんだ影が誰だったのか・・・結局分からなかった。
彼女の意識が暗闇に落ちたからだった。
最後に・・・自分の手に僅かな温もりを感じて・・・





「はあ・・・はあ・・・」
イシュタルは息を切らして立っていた。
全身血と傷にまみれながら・・・

彼女の周りには、先ほどまで自分達に襲いかかってきた者たちの変わり果てた姿があった。
全身を雷撃で焼かれ、爆風で地面に叩きつけられた者達の屍が・・・
彼女の怒りに晒された者達の無残な最期であった。

その屍のなかに立っていたイシュタルは、ゆっくりと歩き始めた・・・
屍には目もくれず、ゆっくりと・・・

「ティニーを・・・ティニーを・・・」
彼らと戦って傷ついた体・・・毒に冒された体を引きずりながら、イシュタルは前に進み始めた。
(ティニーを・・・助けないと・・・)
今、彼女を動かしていたのは、ティニーに対する想いだけだった。


そんなイシュタルの姿を、遠くで眺める者がいた。
「さすが・・・雷神といわれた者だな・・・」
マンフロイだった。
彼は部下を引き連れて、崖の上からイシュタルの戦い振りを督戦していたのだ。
部下のダークマージの一人がマンフロイに話しかける。
「しかし、味方も不甲斐ないです。たった2人にあそこまで苦戦するようでは・・・」
確かに、あれだけの人数でティニー1人しか倒せなかったのだ。
計算違いではあろう。
「ふふっ・・・しかし、ティニーは倒れ、もう一人のイシュタルは既にまともに戦うことはできまい。我らの勝利は見えておる。」
「では、一気に全部隊を投入して、イシュタルを抹殺しましょう。」
「その必要はない。」
「はあ?」
マンフロイの言葉に部下は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「あの女の体力は既に底をついている。今の奴は気力だけで持っているだけだ。すぐに限界がくる・・・その限界が来た時に討ち果たせばよい。なにも、まだ動ける時に襲い掛かって、いたずらに犠牲を大きくすることはあるまい・・・」
あれほどの戦い振りを見せられたのだ。
マンフロイはイシュタルが力尽きるのを待つことにした。










・・・死にたくはなかった・・・
この暗闇の中で永久の眠りにつきたくなかった。
一人だけは・・・いやだった・・・
やっと・・・手に入れたのに・・・
笑い合える仲間・・・自分を慈しんでくれた人・・・そして・・・愛する人を・・・

これからだと思っていたのに・・・
皆が幸せに暮らせる時がくるのに・・・
皆と笑って過ごせると思ったのに・・・
それなのに・・・自分がここで暗闇に囚われるのは嫌だった。
でも・・・ある意味良かったのかもしれない・・・
自分はここで最後を遂げる・・・
大切な人の命を守って・・・死ねるのなら・・・
私は・・・それだけで・・・


(ティニー! 死ぬな!!)
・・・?
誰かの呼ぶ声がする・・・
誰・・・なのだろうか・・・?
聞いたことがある声だった・・・
(しっかりしろ! 君はこんなとことで死んではいけない。いけないんだ!)
誰かが・・・私を呼んでくれている・・・
それとも、これは・・・死を迎える者が誰でも経験することなのだろうか・・・
死に行く者の・・・幻聴なのだろうか・・・

(頼む! 死なないでくれ! 俺を一人にでないでくれ・・・また、君の歌を聞かせてくれ!)
・・・あなたは・・・一体・・・




(ティニイイィィィィ――――――!!)
「ティニイイィィィィ――――――!!」


彼はひたすらティニーの体を揺すっていた。
彼女の体はびしょ濡れだった。
それは彼女を川の中から救い出した彼も同じだった。
「ティニー・・・しっかりしてくれ・・・」
しかし、彼女は意識を回復させなかった。
むしろ息がか細くなっていた。

「どうすればいいんだ・・・」
(助けなければならない・・・いや、絶対助けるんだ。)

彼女を激流の中から救い出したのは・・・
緑髪の髪をなびかせた青年・・・セティだった。





セティはバーハラに潜入するために、この山脈を抜けようとしていた。
一泊した村からここまで、敵の巡回などがあり、それをやり過ごすために迂回などをしてきたため予想以上に時間がかかってしまった。
結局、山に差し掛かったところで野営して、今日本格的に山越えにかかることになった。
ドズル側から山越えはそれほどきつい物ではなかった。
深い森を抜けることもなく、山の傾斜も緩やかだったからだ。
山越えを始めてしばらく、セティは川に差し掛かった。
流れの速い川だった。
セティはこの川にさかのぼって行った。そうすればバーハラ側に抜けることができると判断したからだ。

どれほど歩いた頃だろう・・・
セティは川の上流からなにかが流れてくるのが見えた。
目を凝らしてみると、誰か人のような形をしていた。
セティはとりあえず川の脇まで降りてみて、何かを確認しようとした。
どんどん流れてくるそれを見ているうちに、セティの背筋が急激に冷えていった。
薄い紫が入ったシルバーブロンド、二つに分けた髪・・・
それはセティが探している人の特徴をくっきりと表していた。
「・・・まさか・・・まさか!」
それはティニーだった。
ボロボロの姿で流されていた。
「ティニー!!」
セティはティニーと分かった瞬間、川に飛び込んでいた。
このあたりに流れはいくらか緩やかだったが、それでも水量と多く、流れも速かった。
それでもセティは恐れずに飛び込んで、ひたすら流されるティニーに向かって泳いだ。
そして、彼女に辿り着き、なんとか岸まで運んできたのだった。



「ティニー! しっかりしろ!」
岸に辿り着いたセティは、ティニーに必死に呼びかけた。

彼女の体は酷い有様だった。
全身・・・切り傷や青く変色しているところが多かった。
それだけではなく、火傷をしたような痕があり、何かの魔法の攻撃を受けた感じだった。
直撃を受けたわけではまかったみたいだが・・・
服はボロボロで、彼女の白い肌を露出させている。

セティは懸命にティニーに呼びかけたが、目覚めなかった。
それどころが、彼女は既に呼吸すら殆どしてなかった。
まさに・・・風前の灯というような感じだった。
(このままでは・・・ティニーは・・・)
考えたくなかった。
この愛しい彼女が、死んでしまう事なんて・・・
だから、なんとしても助けたかった。
(溺れてしまったんだ。それを何とかしないと・・・)
傷などは恐らく回復魔法で治せる。
まず、息を吹き返させないと・・・

「ティニー・・・ごめん。」
セティはティニーを川原の砂の上に寝かせた。
寝かせた彼女の首を少し持ち上げ、気道を確保すると・・・
「・・・ごめん・・・」
ティニーに何度も謝りながら・・・
セティは息を吸い込んで、ティニーの口に自分の口を合わせた。
そして・・・息を吹き込んでいく・・・
(ティニー・・・お願いだ・・・息を吹き返してくれ。)
自分の中の空気を全てティニーに注いだセティは、一旦口を離して空気を吸い込む。
そして、再び口と口を合わせて息を吹き込んだ。
(何度でも・・・何度でも続けてやる。ティニーが息を吹き返すまで何度も・・・)
セティは何度も続けた。
なにが何でもティニーを助けたかったから。
(ティニー・・・お願いだ・・・また、私に君の笑顔を見せてくれ・・・君の歌を聞かせてくれ・・・頼む・・・)


・・・ピクッ
(・・・?)
今、一瞬ティニーの指が動いたような・・・

・・・ピクッ・・・
(ティニー!!)
セティは口を離した。
静かに彼女の口に視線を合わせた。
僅かだが、口が動いていた。
呼吸も再開していた。
「ティニー!・・・良かった・・・良かった!」
セティの目から思わず涙が零れた。
この大切な少女の命が助かったのだから。
見る見るうちに彼女の顔色が良くなっていく・・・
その様子にセティは安堵した。

セティは次に回復魔法で彼女の体を治した。
完治とまではいかなかったが、それでも命に別状がないほどまで回復した。
彼は自分のマントを横たわるティニーにかけてあげた。
ティニーの顔は既に穏やかな色に変化していた。

「良かった・・・本当に・・・」
一通りの処置を終え、セティは近くの岩に腰をかけた。
そして一息をついたのである。
(しかし・・・なんでティニーはこんなところに・・・それに、この傷は・・・)
セティはティニーのことについて疑問が沸いて来た。
彼女が帝国に囚われていたのに・・・
なぜ、こんな場所に、こんな姿で・・・



「貴様・・・誰だ?」
セティはいきなり後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには黒いローブに身を包んだ男が5人立っていた
「なにをしているのだ? こんなところで・・・」
先頭のリーダー格の魔道士が詰問してくる。
「あなたたちは・・・暗黒教団の・・」
セティは彼らが暗黒教団の魔道士・・・ダークマージであることが分かった。

「隊長! あれを!」
脇に控えていた一人がティニーを指差した。
「あれは・・・もしかしたらティニーでは?」
「なに!?・・・ふむ・・・確かに言われている容姿にピッタリだ。」
男たちはなにやらティニーを見ながら、ぶつぶつと話をしていた。
「なぜ、ここにあの女がいるのだ?」
「確か・・・上流に大規模な警戒線を引いていたはず・・・そこでの戦いで川に落ちてここまで流れてきたのかもしれないな・・・」
「となると・・・我々の手でこの女を仕留めたことにすれば・・・手柄を立てたことになるのでは?」
「その通りだ。こんな下流に配備されて、手柄を上の連中に全て取られてしまうと思っていたからな・・・これは好都合だ・・・」

彼らは・・・セティが震えているのに気づかなかった。
(そうか・・・お前たちが・・・お前たち暗黒教団がティニーを・・・)
彼らがティニーをここまで傷つけたことをセティは理解した。
そして、湧き上がってくる悲しみと怒り・・・
(お前たちが・・・よくも・・・よくもティニーを!!)
彼らは、自分達がセティの怒りに火をつけたことを分かっていなかった。

「よし! では、この女を頂いていくとするか・・・おい、お前! その女をこっちに渡せ!」
「・・・・・・」
「おい、なにをしてるんだ? こっちに渡せ。さもないと貴様の命はないぞ!」
「へへへっ・・・その女はまだ息があるのか? なら連れて行く前に楽しませてもらうのもいいかもな。」
彼らはセティの怒りの火に油を注ぎ続けた。
「・・・許さん・・・」
「・・・なに?」
セティは彼らを睨みつけた。
怒りに満ちた目で・・・
「許さないと言ったんだ! 貴様らが・・・貴様らがティニーを!」
・・・風がセティの周りに集まってくる。
それが渦となり、セティの周りを回り始める。
急速の増大する風の魔力の存在に、彼らは警戒する。
「貴様、魔道士か!? 我らに盾突くのか? 我らベルクローゼンに・・・」
 ダークマージたちも印を組み、臨戦態勢に入る。

収束した風の中で、セティは静かに・・・
「・・・殺す。」
男たちに宣告した。

その途端、セティの姿は風とともに消えた。
「!?・・・なに?」
驚くダークマージたち。
その時、彼らの一番右端にいたダークマージが標的になった。
彼は、横から何かが自分に向かってくるのが目に入った。
それが、彼が見た最後の光景だった。

グワアアアアア――――――・・・スガ―――――――ン!!!
狙われたダークマージの体は何かの直撃を受け、四散した。
周りのダークマージたちにもその衝撃波がくる。
「うあわ!! な、なんだ!!」
ダークマージ達は一瞬、なにが起きたのか理解できなかった。
見ると、自分達の仲間の一人が粉々になっていた。
明らかに、通常の魔法のなせる業ではなかった。
「くそ!」
ダークマージ達は謎の魔法が飛んできた方向に向けて構えたが、そこにも誰もいなかった。
「どこから攻撃してるのだ!?」
次の攻撃は彼らの注意を向けている方向とは逆の方学から来た。
また、先ほどの激しいうねりの音と、爆音が響き渡り、今度は彼らの左端のダークマージが四散した。
引き飛ばされた仲間を見た残りの3人は、その光景の先にセティがいるのをやっと確認できた。
「な・・・なんて速さだ・・・それにあの魔法の威力・・・」
一撃目の時は彼らの右横に回りこみ、二撃目の時はその逆の左横から攻撃してきたのだ。
彼らに動きを見切られることなく、である。
しかも、彼の魔法は、凄まじい威力であった。
普通の魔法では、ここまで人体を傷つけることはできない。
よしんば、傷つけられたとしても、魔道士は基本的に対魔法防御を周囲に展開させている。
よほどの威力、魔力の持ち主でなければ、ここまで傷つけることはできない・・・
そう・・・聖戦士の血を受け継ぎし者達なみの・・・

「まさか・・・貴様・・・聖戦士の血を受け継いでいるというのか・・・」
恐る恐る声を出すリーダー。
その問いにセティは答えた。

「私の名はセティ。 解放軍の一員だ。」
毅然と言い放った。

「セティだと!?」
その名に、彼らは驚愕した。
セティの名を知らぬものは帝国軍にはいなかった。
シレジアの王子、マンスターの勇者、聖武器の一つ・風の超魔法フォルセティの継承者・・・
その力・勇名は、精鋭揃いの解放軍の中でも群を抜いており、セリス・シャナン・アレスらに匹敵する解放軍最強の戦士の一人だった。
恐らく・・・帝国軍においても、彼に勝ちうる戦士といえば・・・ユリウスを抜かせば、スワンチカのブリアン、ユリウス直属の十二魔将・・・あと、離反した雷神イシュタルぐらいであろう。
風の超魔法フォルセティは、極限まで圧縮した空気を敵に放つ魔法である。
それが敵に命中すると同時に、もの凄い勢いで膨張するのである。
その膨張の際の強大なエネルギーで相手を吹き飛ばす魔法ある。
また、自分の体を風に乗せることによって、驚異的な素早さを手に入れることができるという恐るべき力を持った魔法だった。

(なぜ・・・こんなところに・・・あのセティが・・・)
彼らはなぜそれほどの戦士が、このような場所にいるのか理解できなかった。
だが、現実にそれほどの戦士が目の前にいるのだ。
彼らは決断を迫られた。
このまま戦うか・・・逃げ去るかという・・・
だが・・・
「あのセティなら、討ち取れば一気に高司祭まで出世できるぜ!!」
部下の一人が、目の前の敵を出世の好材料と見て、突撃していった。
「ああっ! そうだ! 勇者だが、なんだが知らねえが、二人掛かりなら!」
もう一人の部下も暴発する。
二人でセティに向かって行った。
「よせ! お前たち!」
リーダーが静止した時には、既に遅かった。
次の瞬間、二人同時にフォルセティの直撃を受け、無謀の代償を払うことになった。

「あ・・・あわあ・・・」
リーダーは直感した。
この相手には絶対勝てないと・・・
セティがこっちに向かって歩いてきた。
その圧迫感と恐怖に彼はあとずさる。

(くそ! なにか・・・何かないのか! この化け物に勝つ方法は・・・)
リーダーは思考を巡らした。
なにか、弱点らしきものはないか? なにか利用できるものはないか?
(・・・!? そうだ・・・そうだ・・・一つだけあった・・・)
彼はこの苦境を脱する方法を思いついた。
(見ておれ・・・この野郎!)

リーダーはいきなり駆け出した。
セティは彼にフォルセティを放とうとした。
しかし・・・
(!!・・・何!)
彼は放てなかった。
なぜなら、リーダーの男はセティとティニーの直線で結ぶ線に入り、彼女に向かって走っていったからだ。
これでは、万が一フォルセティが外れたらティニーに命中してしまう。
それがあって、セティは攻撃できなかった。
(やはり、この男・・・くくくっ・・・甘い・・・甘いわ!)
心の中でセティを笑いながら、リーダーはティニーに駆け寄った。
そして、横になっているティニーの脇に屈み、その彼女の白い首筋に懐から出した短剣を突き立てた。
「動くな!! 動くなよ・・・さもないとこの女の命はないぞ・・・」
「・・・貴様・・・」
男はティニーを人質にとった。
意識がない彼女はなにもできなかった。
「さて・・・聖戦士さん、どうする? さすがのフォルセティの後継者とは言え、この状況ではなにもできまい?」
「・・・・・・」
セティは何も言わなかった。
だが、それは追い詰められたからではない。
冷静な目つきで、事態をどう好転させるか考えていた。
動揺も怒りも出さないセティの態度がリーダーには腹立たしかった。
(この男・・・なぜ慌てない・・・なぜもっと動揺しないのだ!)
自分がこの男を追い詰めたはずなのに、自分が追い詰められているような感覚に襲われる。

実際、セティはあまり慌ててはいなかった。
彼の神速に匹敵する素早さを持ってすれば、彼女を助け出すことは可能であっただろう。
だが、確実性は低かったため、他の手段を考えていたのだ。
もっと、確実にティニーを傷つけないで助ける方法を・・・


その時、セティの目にあるものが映った。
それを見たとき、セティは安堵した。
ティニーを傷つけずに助けられると確信したからだ。

「どうした! なにもできないだろう? ふふふっ、そこから動くなよ・・・今からお前に、我が暗黒魔法をくれてやるからな・・・」
リーダーは左手に短剣を持ち返ると、それをティニーに向けたまま、右手で印を組む。
セティに向かって、暗黒魔法を放とうとする。

だが、それを行うことはできなかった。

ザシュ!!

突然、短剣を持つ左肩に激痛が走った。
「うぎゃあああああ――――!!」
何かによって、短剣ごと左腕が切り落とされたのだ。
しばらく宙を舞い、地に落ちる左腕・・・
絶叫をあげ、切り落とされた傷口を抑えながら、ダークマージは地面を転がった。
転がる彼の目に、舞い上がっていく天馬の姿が見えた。

その天馬の姿を見ながらセティは呟いた。
「・・・まったく・・・フィーは無茶をするな。」
一旦、上空に上がった天馬は、再び地上に近づいてきた。
「セティお兄ちゃ〜ん!」
天馬の上からセティに向かって手を振る少女・・・
セティの妹フィーだった。

セティはティニーを人質にとられているときに、上空にフィーの姿を見つけたのだった。
何でフィーがこの様なところを飛行しているのかは分からなかったが、それでもこの状況では好ましいことであった。
彼女なら、ここでの戦いをちゃんと見つけてくれると思ったからだ。
案の定、彼女はここでの戦いを見つけ、すぐにどの様な状況なのか分かったのだろう・・・
フィーは即座に行動を開始した。
ダークマージの背後に回り込み、そこから攻撃を仕掛けたのだ。
セティに注意を向きすぎていたダークマージには、背後からの彼女の奇襲を避ける術はなかった。
フィーの風の剣が彼の左腕を切り裂いて、フィーの奇襲は完璧な形で成功した。
セティは、痛みに転がりまくる男に一気に接近し、彼に蹴りを食らわして、ティニーから離した。
彼はそのまま転がっていく・・・

セティはティニーに外傷が無いかどうか確認する。
いくらかダークマージの血が彼女の体を汚していたが、無事だった。
「お兄ちゃん! ティニーが!」
フィーが愛馬マーニャから降りてきて、二人に駆け寄った。
「ティニーが! 大丈夫なの? 生きてるの!?」
捲くし立てて、二人に詰め寄っていった。
「ああ・・・大丈夫だ、命に別状はない。」
その言葉にフィーは安堵した。
「良かった・・・ティニー・・・本当に・・・」
フィーはティニーに抱え、そして抱きしめた・・・
(また・・・会えたねティニー・・・本当に良かった)
大切な親友で、兄の大切な人と再びめぐり合えたことに、フィーは素直に喜んだ。
(また・・・色々お話しようね・・・)


(許さん・・・許さんぞぉ!)
片腕を切り落とされたダークマージは、気絶した振りをしながら、彼らを睨みつけた。
(よくも・・・我が腕を・・・よくも我が人生を!)
彼は全てを失った。
腕だけではなく、彼は未来も失ったのだ。
たとえ生き残っても、暗黒教団は失敗を許しはしないだろう。
特に、部下を全滅させられてはなおさらだろう・・・
(せめて・・・せめてあの女だけでも・・・頂いていくぞ・・・)
彼は右手で印を組み、ティニーと彼女を抱えるフィーの二人に魔法を放とうとした。

だが、魔法を放とうと一瞬、魔力を集中させたのをセティに感じとられた。
セティは彼が魔法を放つ数瞬前に、ウインドを放った。
風で作られた刃が、魔法を放とうとし、印を組んでいた右手首を切り落とした。

「ギャアアアアアァァ!!!」
左腕に続き、右手首まで切り落とされたダークマージは絶叫は上げたが、暴れることはしなかった。
たて続く激痛に、今度こそ本当に悶絶したからだ。
大量に出血しているため、長くは持たないだろう・・

「・・・・・・」
「お兄ちゃん・・・」
セティは彼が完全に動きを止めたのを確認すると、フィーを振り返った。
質問があったからだ。
「ところで・・・フィーはどうしてここに?」
「えっ?・・・あ、そうか・・・お兄ちゃんはまだ知らないんだ。ドズルが落ちたことを・・・」
「なに? ドズルが陥落したのか?」
「うん! ついさっきね。エッダ、ドズルの攻撃を防いで、逆にドズルまで進撃したの・・・」
「そうか・・・さすが解放軍だな。」
改めて、自らの参加する解放軍の強さを思い知るセティだった。
「それで、私やアルテナさんの部隊がドズル周辺の哨戒に当たっていたの。まだ、残兵やら伏兵がいるかもしれないから・・・」
「そうか、それでこのあたりに出向いてきたのか・・・」
フィーが現れた理由に納得するセティ。
「ところで、ティニーはどうやって助け出したの? どうしてこんな場所にいるの?」
フィーもティニーのことについて質問をした。
だが、それはセティも知りたい内容のものだった。
「分からない・・・私がバーハラに向かおうと、この道を登っていったら・・・ティニーが上流から流れてきたんだ。どうやら、暗黒教団のベルクローゼンに襲われたらしい。」
「なによ・・・それ・・」
あまりに不可解なことに、フィーは声を上げた。
「なんで、こんなところで襲われたの?捕まっていたんじゃ・・・」
「そうなんだ・・・だが、そのことについてはティニーの意識が回復したら分かるだろう・・・それよりも、ティニーを早くラナやコープルのところに連れて行きたいんだ。フィー、彼女をマーニャに乗せて行ってくれないか?」
ティニーは命を取り留めたとは言え、まだ傷が酷かった。
セティは早く、彼女を解放軍の本隊に連れ帰りたかったのだ。
「分かったわ! それじゃ、マーニャに乗せるの手伝って・・・」
セティはティニーの体を抱きかかえると、マーニャの上に乗せた。
落下しないように、フィーが紐で彼女の体を固定する。
「ごめんね、少し痛いだろうけど、我慢して」
フィーは意識がないティニーに断わりながら、彼女を結わいでいった。
そして、ティニーをマーニャに乗せてあと。フィーも騎乗する。
「お兄ちゃん! 二人だとさすがのマーニャも高くは飛べない。それに動きも遅くなちゃうから、敵に攻撃されたら危険なの。ちゃんと護衛してね!」
「分かった。それじゃ、ティニーのことは任せた。敵が現れたら私が対処するから、あまり私の傍から離れるなよ。」
そう言うと、セティは今まで来た道を戻り始めた。
ティニーを乗せたフィーもそれに続いた・・・

(でも・・・本当に良かった。ティニーと再び会うことができて・・・)
チラッと、フィーの後ろに乗っているティニーを見ながら、セティはこの大切な少女と再び出会えた事を本当に喜んだ。
(帰って・・・傷が癒えたら・・・また笑顔を見せてくれ・・・ティニー・・・)






そんな彼らの去っていく姿を、離れた木陰から見つめる人影があった。
「ティニー・・・良かったね・・・仲間達と再び巡りあえて・・・」
他の誰でもない・・・イシュタルだった。

彼女は傷ついた体を引きずって、ひたすら川に沿って下ってきたのだ。
ただ、ティニーを救うために・・・
本当はあの時・・・
自分をかばって魔法の直撃を受け、川に転落した時・・・
ティニーの命は絶望的だと、イシュタルの理性は考えていた。
ただせさえ、病み上がりで傷ついていたティニーである。
それが、魔法の直撃を受け、激流に飲まれていったのだ・・・
助からないと・・・常識的には考えてしまう状況だった。

でも、イシュタルは諦めなかった。
いや、諦めることはできなかった。
もしかしたら・・・どこかで助かっているかもしれない・・・
川原に打ち上げられているかも知れない・・・
何か、奇跡が起きてくれるかもしれない・・・
その可能性が・・・例えどんなに低くても生きてる可能性があるなら・・・
それを信じたかった・・・信じ込みたかった。
そしてイシュタルはティニーを探して進んだのだった。
自分の体が極限まで傷ついていたのに・・・
全力で走っていった。

そして・・・イシュタルの願いは届いた。
ティニーは助かっていた。
彼女の仲間・・・解放軍の仲間に助けられたのだった。
イシュタルがこの場所に到着した時、一人の青年がティニーを救おうと懸命に処置をしているときだった。
彼女に呼びかけ、揺すり、そして・・・息を吹き返させるために人工呼吸をしていた。
あまりに懸命な彼の姿に、イシュタルは心打たれた。
そして、この青年のティニーに対する視線、呼びかけから、この青年がティニーに少なからず特別な想いを抱いていることが分かった。

そして、ダークマージたちとの戦い・・・
この青年の力を見せ付けられた。
彼の使った魔法はフォルセティだった。
そのことから彼が勇者セティであるとが、このとき初めて分かった。
(噂に聞く勇者セティがこの人なのか・・・この人が・・・ティニーを想ってくれているのか・・・)
彼の人柄はイシュタルも聞いていた。
優しく、正義感が強く・・・どんな苦境にも立ち向かっていく強さを持った青年とのことだった。
これだけの人がティニーを助けてくれたのだった。
ティニーのことは心配なくなった。

(良かった・・・本当に・・・)
途端にイシュタルは崩れ落ちた。
木の陰で、うつ伏せになって倒れこんだのだ。
全ての心配が無くなた瞬間、彼女を支えていた気力が尽きたのだった。
彼女は残った力を振り絞って体を動かし、目の前の木を背もたれにして、寄りかかった。
(ふふっ・・よかった・・・ティニーが無事に仲間達に救われて・・・もう・・・なにも心残りはない・・・)
これまでの戦いで、イシュタルの体は傷ついていた。毒に冒されていた。
そんな彼女の体を今まで支えていたのは、ティニーに助けたい気持ちだった。
そして、それは果たされた・・・
ティニーは助かったのだ。
彼女はついに、彼女にとって安全な場所・・・解放軍の仲間達のところまで行くことができたのだ。
イシュタルの想い・・・ティニーを守る、ティニーを助けるという思いは達せられたのだ。
(あとは・・・あの人たちがティニーを守ってくれる・・・私の役目はここまで・・・)
イシュタルは、自分に課した使命を果たす事ができたのだ。
ティニーを守り抜くことができたのだ。
あとは、あの人たちが私の代わりにティニーを守ってくれる。
だから・・・自分は必要ないのだ。
自分がティニーの傍にいる必要はないのだ。

(もう・・・私はここまででいい・・・あとは彼らがティニーを守ってくれるから・・・だから・・・だから私はここまでで・・・いい)

イシュタルはここに残ることを決めた
もう、イシュタルは自分など、どうなってもいいと考えていた。
一番大切なことは・・・果たせたから。
帰る場所がない自分には、ここで最後を遂げるのが一番いいと考えたのだ。
帝国には戻れない・・・彼女は裏切り者なのだから・・・
解放軍にも逃げ込めない・・・なぜなら・・・
(今、あの人たちに助けを求めば、彼らは助けてくれるかもしれない。だけど、それはできない。あの人たちはティニー一人をこの危険な場所から連れて脱するだけで精一杯だろうから・・・今の体もまともに動かせない私が彼らに助けを求めても、彼らにとって重荷を増やすだけ・・・それはできない)
仮に、イシュタルが助けを求めれば、セティたちは応じたであろう。
だが、ティニーだけならまだしも、イシュタルまで連れて行くことは危険だった。
いくらセティとは言え、二人も戦えない女性を引き連れながら、敵の攻撃を切る抜けることはできないだろう。
自分が助けを求めることで、そんな状態を作るわけにはいかなかった。
せっかく助けられたティニーが、自分のせいで再び危険な目にあう可能性が出てきてしまうかもしれなかった。
それだけはできなかった。

(だから・・・私はここに残るしかない・・・)
それがイシュタルの決心であった。
(ティニー・・・ごめんね、私・・・あなたとはここでお別れみたい。)
イシュタルは心の中で、彼らに守られながら去っていくティニーに別れを告げる。
(絶対・・・あなたは幸せになってね・・・お願いよ・・・)
ティニーの幸せを願うイシュタル。
自分が、ここまで守り抜いたのだ。
絶対、幸せを掴んでほしかった。

(ティニー・・・お願いよ・・・しあ・・・わせに・・・)
イシュタルは自分の意識が遠のいていくことが分かった。
激痛と発熱と蓄積した疲労が原因だった。
しかし、今のイシュタルには、あまりそれらの痛み、苦しみを感じることはなかった。


「私・・・少し・・・つかれ・・・た・・・」











夢を見ていた・・・
昔の夢を・・・




バーハラ王宮を訪ねたのは、今回が二回目だった。
だが、最初に訪れた時の記憶はない。
なぜなら、その時、私はまだこの世に生を受けたばかりだったから。
フリージ家本家の女子誕生を祝うために、私は赤ん坊の時にここにはじめてきたらしい。
でも、赤ん坊の時の記憶などなかった。
だから、今回が私にとって初めて訪れたバーハラ王宮と言えるだろう。

「イシュタル、今日は皇帝陛下と皇太子殿下にお目通りするんだ。失礼のないように・・・」
王宮の廊下を一緒に歩いている母ヒルダが、イシュタルの耳に囁く。

今回、ヒルダが北トラキア王国から帝都バーハラに上る際に、イシュタルを連れてきたことには理由があった。
先日11歳になったイシュタルをユリウスと会わせようとしているのだ。
そして、行く末はユリウスの妃としてイシュタルを送るということを考えていた。
そうなれば、帝国内でのフリージの立場はさらに強固なものとなる。
帝国内において潜在敵と判断してるドズルに対しても、優位に立つことができるのだ。
ヒルダの思惑は、まだ幼いイシュタルにも薄々分かった。
自分がフリージ家のために、政略の道具になる・・・
それは分かっていた。
でも・・・まだ会ったこともない少年との話なんて・・・

「二人とも、遠路はるばるご苦労だったな。」
謁見の間ではグランベル帝国アルヴィスが二人を迎えた。
アリヴィスの前で、膝をつきお辞儀をした。
「アリヴィス陛下におかしましては、ご機嫌麗しゅう・・・」
「ああっ、ヒルダも元気そうで何よりだ。」
イシュタルはその時、アルヴィスとヒルダがお互いに相手を鋭く睨みつけているのを確かに見た。
理由は分からなかったが・・・
アルヴィスはイシュタルが、ちょっと不思議な目で眺めているのに気づき、今度はイシュタルに向かって笑顔で話し掛けた。
「お前がイシュタルか・・・大きくなったものだ。前に会った時はまだ乳飲み子だったのに・・・」
「北トラキア王国国王ブルームの娘イシュタルです。お会いできて光栄です。アルヴィス陛下」
「うむ。お前の噂は聞いているぞ、なかなかの才媛らしいな。」
「恐れ入ります。」
「このバーハラまで来たからにはゆっくりとしていけ。勉学に励んでいるそうだが、たまにはそれを忘れて、帝都の物見遊山も悪くなかろう」
「はい、ありがとうございます」
イシュタルに対しては、ヒルダに見せたような厳しい表情はしなかった。
そのやりとりを見ていたヒルダは思い出したように喋りだした。
「そう言えば・・・ユリウス殿下のお姿が見えませんが・・・」
ヒルダの目は、周りを見渡す・・・
謁見の真の目的であるユリウスがいないのである。
「それがな、ユリウスがいないのだ。恐らくいつもの気まぐれでだとは思うがな。」
「・・・そうですか・・・」
ヒルダは残念がった。
このイシュタルをユリウスと引き合わすことが目的だったのに・・・
「まあ、ゆっくりとしていけ。イシュタルよ、この王宮には立派な花壇などもある。見てくるが良いだろう。」
「・・・イシュタル、お言葉に甘えさせてもらいなさい。私は陛下とお話があるから・・・」
二人に勧められて、イシュタルはこの場から離れることにした。
ヒルダの言っていた話というのは、あまり愉快な話ではないだろうから・・・
「では、陛下、母上・・・私は行きます」
彼女は深くアルヴィスに頭を下げて、謁見の間から退出していった。


「ふう・・・」
皇帝の前から退出した後、イシュタルはため息をついた。
さすがに、皇帝の前だと緊張してしまったらしい。
「さて・・・言われたとおり、花を見させてもらおう!」
彼女は年頃の女の子らしく花が大好きだった。
よく、アルスターの郊外の花畑で遊んだりしていたから。

(バーハラ王宮にはどんな花が咲いているんだろう・・・楽しみだな・・・)
彼女は軽やかな動きで、廊下を走っていった・・・




「わあ!ここが・・・王宮の庭園か・・」
彼女は王宮の中庭の花壇に辿り着いた。
イシュタルはあまりに見事な庭園に目を奪われた。
たくさんの色とりどりで、様々な種類の花があった。
調和が取れた植え方がされており、まさにこの世の楽園といった感じだった。

「すごく綺麗・・・こんなに綺麗だなんて・・・ティニーにも見せたかったな・・・」
彼女は、この見事な花達を自分の従姉妹の少女に見せたかった。
しばらく、この花壇を探索しようと駆け出した。
中庭の庭園とはいえ、敷地がとても広いため・・・全ての花壇を見るのも一苦労をしそうだった。
走らなければ、全てを見て回れそうになかったのである。

しばらく、走っていた時だった。
「あれ? 君はだれ?」
声を掛けられて、イシュタルは立ち止まった。
「だれ?」
イシュタルは周りを見たが、どこにも人影はなかった。
「こっちだよ!」
見ると、花壇のなかにある草でできた壁の中から、誰かが手を出していた。
「こっちだよ! こっち!」
声からすると、男の子みたいだった。
その子がイシュタルを手招きしていた。
「え? なに・・・」
イシュタルは訳が分からなかったが、それでも呼ばれるままに草むらの中に入っていった。

草むらの中は一種の空洞みたいになっていた。
そこに一人の少年が座っていた。
歳は、自分と同じぐらいであろう。
燃えるような赤い色の髪と無邪気な笑顔が印象的な少年だった。

「ようこそ! 僕の秘密の隠れ家へ!」

少年は笑ってイシュタルに話し掛けた。
「あなは一体誰ですか?」

イシュタルは当然の疑問を口にした。
自分はこの少年とはあったことはないのだから。

「君こそ・・・だれなの?」
少年は逆に聞き返してきた。
「私? 私はイシュタルです。フリージの・・・」
「えっ?君がイシュタルなの? ふ〜ん」
「私の事を・・・知っているのですか?」
どうやら、赤毛の少年はイシュタルの名前を知っているみたいだった。
「うん、名前だけだけどね・・・それにしてもどう? この庭園は・・・」
「えっ?・・・はい・・・とても綺麗ですね。・・どれも魅力的な花ばかりだし・・・それによく手入れをされているし・・・」
「そうでしょう・・・ここの花はどれもとても綺麗に咲いているんだ・・・不思議なくらい・・・・・・君も花が好き?」
「はい! とっても・・・  トラキアにもこの庭園には負けますが、町の郊外などに花畑などがありますので、よく兄弟たちと遊びに行きます。」
「自然の花畑なんでしょう? 僕も行ってみたいな・・・えへ、男の子なのに花が好きだなんて変かな?」
少年がちょっと恥ずかしそうな笑顔を見せる。
純粋でとても魅力的な笑顔だった。
「そんなことはないと思います。花はとても美しく、魅力的で、人の心に安らぎを与えてくれますから・・・変じゃないです。」
「良かった! 変だなんて言われたらどうしようかと思った。」
よく笑う少年だ・・・とイシュタルは思った。
恐らく、笑顔に包まれた生活をしているに違いない。
「トラキア半島にある花の話とか・・・色々してよ」

それからしばらくの間、二人は花の話などを語り合った。


「イシュタル・・・イシュタル!」
この声はヒルダだった。
「どこにいるんだい?帰るよ?」
どうやら、王宮から帰るのでイシュタルを探しているみたいだった。
「すいません、母が呼んでいますので・・・このぐらいで・・・」
「今の人が・・・イシュタルの母上?」
「そうです。私の母上です」
「そうか、これでお別れなんだね・・・あっ、でもまだバーハラにはいるんでしょう?」
「そうですね・・・たしか母上がバーハラでやることがあるので、しばらくはいることになるみたいですが・・・」
ヒルダのやりたいこと・・・恐らく宮廷工作であろう。
その事を思うと、イシュタルの気持ちは暗くなってしまった。
「良かった! ならバーハラ王宮にいる間、またここにきなよ。城の皆には僕から説明しておくから。またここに来て色々な話か聞かせてよ。」
「?・・・あなたは一体・・・」
「イシュタル! どこにいるんだい?」
ヒルダがイシュタルを探し回っている。
そろそろ出て行かないと、怒られてしまいそうだった。
「すいません。そろそろ母のところに行かないと・・・」
イシュタルはこの草に囲まれた空間から出て行こうとした。
「あっ!ちょっとだけ待って!」
少年は草むらの脇にはえていた、小さな白い花を摘むと、それをイシュタルの髪に飾ってあげたのであった。
「これは・・・」
自分の頭に飾られた花に手を添えながら、微笑んでいる少年の顔を見てイシュタルは尋ねた。

「始めて会えた君への・・・ささやかなプレゼントだよ。」
ニッコリと笑って、少年はイシュタルの手をとった。
しっかりと握手をしながら・・・
「また明日も来てね! 約束だよ!」
そう言って、少年はイシュタルを送り出した。

「最後に・・・あなたの名前を・・・」
少年に押されて草むらから出て行く前で振り返って、イシュタルは少年の名を尋ねた。

「僕の名前はユリウス。」





「まったく・・・どこにいたんだい?探してしてしまたよ?」
「ごめんなさい・・・お母様・・・」
イシュタルはヒルダと合流し、屋敷に帰るためにバーハラ王宮の門から、外に出て行った。
母と一緒に歩きながら、イシュタルは先ほど会った少年の事を考えていた。

(まさか・・・あの方がユリウス殿下だったなんて・・・)
確かに考えてみたら・・・あの場所にいて、あれだけの赤い髪を持った少年はアルヴィス皇帝の息子しかいないだろう。
でも、あまりに笑う表情の前に、その思考に辿り着かなかったのである。

「ところで・・・お前、その花はどうしたんだい?」
ヒルダがイシュタルの髪に飾られた花を見ながら言った。
「これは・・・庭園で頂いたんです。そこの手入れをされている方から・・・」
ユリウスの名をイシュタルは出さなかった。
出すと、「よくぞ、近づいた!」とか「殿下をお前のものにするだ」などと言われることは目に見えているからだ。
(この母は・・・権力のことしか頭にないから・・・)
「そうかい・・・」
ヒルダはそれ以上は詮索しなかった。

(・・・でも・・・不思議な方だったな・・・)
イシュタルはもう一度ユリウスの笑顔を思い出してみた。
眩しいばかりの笑顔だった・・・
なんで・・・あんな笑顔ができるんだろう・・・
あんなに素敵な笑顔を・・・

イシュタルの中で、ユリウスに対する興味が沸いて来た。
この興味が、何に起因しているかは自分でも分からなかったが・・・
それでも、また会ってみて話がしてみたいと思った。
まだ、彼の事が良く分からなかったから・・・


イシュタルはヒルダに頼み込み、これからしばらくの間、王宮に行く事を許してもらった。
ヒルダには、「これからのこともあるので、王宮の事を詳しく知りたいんです」と断わった。
ヒルダは、娘が王宮の事に興味が出た事を喜び、その願いを許した。




イシュタルは、それからユリウスと出会った庭園に毎日出かけていった。
そしてユリウスは庭園で、いつもイシュタルを待っていた。

「ユリウス様!!」
「イシュタル! また来てくれたんだね。」

そんなやりとりから始まる、二人だけの一日・・・
二人だけで、色々な事をして過ごした。
この広い庭園を利用してのかくれんぼ、木登り、花の本を書斎から持ってきての読書、そして語らい・・・
イシュタルは、ユリウスと一日過ごすことによって様々な彼の表情を見つけていった。
怒った顔、泣いた顔、悲しんだ顔・・・
それら全ての表情を、イシュタルは見つめていた。
(私・・・なんでユリウス様の顔に見とれているんだろう・・・)
なんで、笑顔があんなに素敵なのか・・・なんで彼の表情は魅力的なのか・・・
しばらく、彼と過ごしてイシュタルは初めて、最初にユリウスに対して興味が起きたのか分かった。

(私・・・ユリウス様の笑顔が見たかったんだわ・・・もっとたくさん・・・)
イシュタルはユリウスの笑顔の虜になっていたのだ。
初めて出合った、あの時からずっと・・・
だから、イシュタルは何度もユリウスを訪ねた。
なんども尋ねて、彼と語らい・・・彼の笑顔を見ていたかったのだ。
そして、時折見せるほかの表情にも惹かれていくイシュタル・・・
些細な喧嘩で怒った時は少し怖かったが、普段の時にはない凛々しさを感じ・・・
足を躓かせて頭から転んで泣いた時には、彼の泣き顔が頭の中を駆け巡り・・・
彼の飼っていた小鳥が死んだ時に悲しんだ時は、彼を傍にいてあげようと思った。

(私・・・ユリウス様のそばにいたい・・・そばにいて、ユリウス様の色々な表情を見ていきたい・・・)
イシュタルはユリウスの傍にいたいと思うようになっていた。
ユリウスと出会うたびに、その思いは大きくなっていった。
夕暮れにはユリウスと別れて屋敷にもどるのだが、その時間が、日を追うごとに短いと感じるようになり・・・さらに帰りたくないとの感情にまで進んでいった。

(私・・・変・・・ユリウス様から離れられなくなってきてしまった・・・)
ユリウスから離れられなくたってきた事を自覚したイシュタル。
そんな自分に驚いた。
ここまで・・・ある特定の人と一緒にいたいと思うなんて・・・

(これが・・・恋・・・って言うのかな・・・)

イシュタルは初めて、自分がユリウスに恋をしていることに気づいた。
それは、イシュタルにとって初めての経験だった。
彼女を支配していく未知の感情に、彼女自身戸惑っていた。

(胸が・・・苦しい・・・ユリウス様の顔を見ていないと不安になる・・・)
イシュタルは、自分が恋をしていると知ったときから・・・さらにユリウスの傍にいたいと思うようになった。
もう自分では、この想いを止められなかったから・・・

彼女はユリウスと別れてから、屋敷にもどって、食事を食べて、勉強をして・・・就寝するまでの時間がとても長く感じられた。
早く寝る時間になってほしかった・・・早く明日になってほしかった。
そうすれば、またユリウスに会いに行けるから・・・

(早く・・・ユリウス様に会いたい・・・)
これがイシュタルのベットに入った後、いつも願うことだった。




しかし・・・ユリウスとの日々はそれほど長くは続かなかった。
ヒルダと共に北トラキア王国に帰ることになったからである。
その事を夕食の席で、ヒルダから聞かされた時・・・イシュタルは手に持っていたフォークを落とした。
そして、早めに食事を切り上げ、自分の部屋に帰り・・・そして一晩中泣いたのであった。
ユリウスと会えなくなる・・・
今のイシュタルにとって、それは一番辛いことだったから・・・
一番恐れていたことだから・・・
だが、フリージ家の一員である自分は、それに従わなければいけない。
それが分かっているからこそ、悲しかった。




翌日・・・
イシュタルはいつものようにユリウスに会いに出かけた。
しかし、その顔にいつもの笑顔はなかった。
沈み込んだ表情で門をくぐり、庭園へと向かった。
そこには・・・いつもの通り彼がいるから・・・

「イシュタル! こっちだよ!」
ユリウスはいつもの口調でイシュタルを出迎えた。
庭園の中心にある木の下で、手を振ってイシュタルを呼んでいた。

「ユリウス・・・様」
ユリウスの下にきたイシュタル。
ユリウスは咄嗟にイシュタルがいつもと様子が違うことに気づいた。
あまりに暗い表情にユリウスは戸惑った。
「イシュタル・・・どうしたんだい? なにか・・・嫌なことでもあった?」
イシュタルは気持ちが表情に出ていることに気づいた。
「いえ・・・なんでも・・・」
「・・・なんでもない顔・・・してないよ・・・」
「・・・・・・」
ユリウスの言葉にイシュタルは黙ってしまう。
「どうしたの?イシュタルの顔・・・すごく暗いよ・・・」
隠しても・・・なにも変わるわけではなかった
でも、この事をユリウスに伝えたくなかった。
離れたくないのに・・・離れなければならなくなったことなど、伝えたくなかった。

でも、イシュタルは決心した。
自分の口から話さなければ、きっと後悔するから・・・
別れの言葉も言えずに・・・彼の前からきえたくなかったから・・・


そして・・・イシュタルは勇気を出してユリウスに別れを告げたのだった。


「・・・・・・」
ユリウスはイシュタルから話を聞かされ呆然とした。
ユリウスはなにも言葉が出せないようだった。
イシュタルは驚いた。
ユリウスの反応に、である。
ユリウスが受けたショックは相当なものだった。
まさかイシュタルは、ここまでユリウスがショックを受けるとは思っていなかったのである。
(まさかユリウス様も・・・ううん・・・そんなの考えすぎよ・・・思い込みよ)


「・・・僕・・・」
ユリウスは下を向いたまま、言葉をやっと出した・・・
「僕・・・行ってくる! 父上の所に・・・」
ユリウスはいきなり駆け出して、屋内へと向かって走っていった。
「ユリウス様! 父上の所にって・・・」
ユリウスは振り返った。
「父上にお願いするんだ! イシュタルをトラキアに帰さないでくれって・・・僕・・・イシュタルと離れ離れなんて絶対に嫌だ!」
「ユリウス様! 待って!」
イシュタルの静止を聞かず、ユリウスはアルヴィス皇帝に直訴に行った。
「ユリウス様・・・そんな・・・」
ユリウスは、イシュタルのために皇帝に直訴してくれる・・・
イシュタルは自分のためにそこまでユリウスが行動してくれて・・・とても嬉しかった。
しかし・・・
恐らく皇帝は、ユリウスの頼みを聞きはしないだろう。
フリージ家内部への干渉になってしまうし、なによりアルヴィス皇帝は、個人の意向でその強権を発動することはないからだ。
息子の頼みで、イシュタルを留めるようなことはしないだろう。
イシュタルにしても、ヒルダはユリウスの下に残るのを歓迎はするだろうが・・・皇帝の許可が得られない以上・・・ダメだろう。

(私は・・・北トラキアに帰るしかないのね・・・)
そのことは既にイシュタルは覚悟していた。
昨日、散々泣いて・・・やっと受け入れることができたから・・・

(でもユリウス様・・・なぜ・・・私のためにそこまで・・・)
その理由をイシュタルも薄々分かってきていた。
でも・・・それを信じたくなかった・・・
もし、それが本当だったら・・・なおのこと彼と離れるのが辛くなるから・・・




「ごめん・・・イシュタル・・・父上に頼んだけど・・・ダメだって・・・」
「そう・・・ですか・・」
父である皇帝のもとから帰ってきたユリウスと共に草むらに座るイシュタル。
「ごめんなさい・・・ユリウス様・・・私のために・・・」
イシュタルはユリウスに謝った。
原因は自分なのだから、謝りたかった。
「いや、謝るのは僕のほうだ。イシュタル・・・ごめん・・」
ユリウスはただイシュタルに謝った。
「謝らないでください・・・私、謝られてしまっても・・・」
「いや! 謝りたいんだ。君に対して・・・それと僕自身に対して・・」
「自分自身に・・・?」
イシュタルは首を傾げた。
ユリウスの言いたい事が分からなかったからだ。
「だって・・・僕は・・・」
ユリウスの顔が赤くなった。
恥ずかしそうに、モゾモゾする。
「ユリウス・・・様?」

「僕は・・・君の事が・・・好きなんだ!」
「!!」
突然のことだった。
あまりに突然の告白に、イシュタルは心臓が一瞬止まったような感覚に襲われた。

「僕は・・・君の事が好きなんだ。 初めて会った時からずっと・・・花壇の近くに現れた君の姿を見た時・・・花の妖精かと思ってしまうほど綺麗な君に心奪われてしまって・・・声を掛けてみたんだ・・・」
ユリウスは、イシュタルに一目惚れをしていた。
イシュタルの美しい姿を見たときから、ずっと・・・
「だから・・・君が毎日来てくれてとても嬉しかったんだ。色々な話をして・・・色々な遊びをするのが・・・とても」
「ユリウス様・・・」
「だから僕は嫌なんだ!ずっと君と一緒にいたいのに・・・イシュタルとは離れたくないのに・・・僕は君を引き止めることができないんだ・・・今の僕の力では・・・」
まだ10歳の少年であるユリウスには、皇帝である父に従うほかない。
今の彼には、イシュタルを引き止めるだけの力はなかった。
「君にとっては迷惑かもしれないけど・・・僕は君にバーハラに残ってほしいんだ。僕の我儘だって分かってはいるけど・・・本当に離れたくないんだ!」
「・・・・・・です・・・」
「・・・?」
「・・・私もです・・・ユリウス様・・・」
そう言うと、イシュタルはユリウスに抱きついた、
「え! イ、イシュタル!?」
背中に手を回して、しっかりユリウスを抱きしめるイシュタル。
戸惑うユリウスにイシュタルは運命の言葉を言う。

「ユリウス様・・・私もユリウス様の事が好きです・・・好きなんです!」
精一杯の勇気を出して、イシュタルはユリウスに自分の想いを伝えた。
「私も初めて会った時から・・・あなたの笑顔に惹かれていたんです。最初はそれが何なのかは分からなかったですけど・・・でも、何度も会う内に、あなたの笑顔に段々惹かれていって・・・気がついたらあなたに恋をしている自分がいたんです。」
「イシュタル・・・」
ユリウスを抱きしめる力が強くなる・・・
彼女の心を表すように・・・
目には涙が浮かんでいた。
「私だって離れたくない! ユリウス様のお傍にずっといたい! 好きですから・・・ユリウス様の事が大好きですから・・・」
「イシュタル・・・僕は!」
ユリウスもしっかりとイシュタルを抱きしめた。
「う・・・うああああん・・・」
イシュタルはついに泣き出してしまった。
悲しかったから・・・寂しかったから・・・
やっと、お互いに気持ちを伝え合ったのに・・・別れなければならなかったから・・・

イシュタルはユリウスと抱き合ったまま、ずっと泣いていた。
この庭園に、悲しい泣き声を響き渡らせていた。


「・・・イシュタル・・・」
「ひっ・・・く・・・」
涙が枯れたのか・・・イシュタルは泣き止んだ。
その顔は、涙でグジャグチャになっていた。

イシュタルの泣く姿をユリウスはずっと眺めていた。
そして、イシュタルの悲しみを止めることができない自分が腹ただしかった。
イシュタルを遠くに行かさないための力がない自分が憎らしかった。
だから、ユリウスは一つの決心をした。

「イシュタル・・・」
ユリウスは自分に寄り添って泣いていたイシュタルの肩を持って、真正面からイシュタルを見つめた。
「ユリウス様・・・」
「イシュタル・・・待っていてくれ・・・」
ユリウスは決意に満ちた表情でイシュタルに語りかける。
「イシュタル・・・待っていてくれ。今の僕には力はない。君と一緒にいるだけの力が・・・だから、僕は力を手に入れる。君とずっと一緒にいることができる力を・・・だから、それまで待っていてほしい・・・」
「ユリウス様・・・・そんな、私・・・」
イシュタルは震えていた。
ユリウスがここまで自分を想ってくれることに、彼女の心と体は震えていたのだ。
嬉しくて・・・ユリウスの気持ちが嬉しくて・・・

「君と一緒にいれるだけの力を手に入れて、僕はきっと君を迎えに行く。だから・・・だから・・・」
「ユリウス様・・・私は・・・私・・・」
「ダメ・・・かな?」
ふるふる、と首を振るイシュタル。
そして、頬を紅潮させながら・・・
「待っています。私・・・ユリウス様を待っています! だって、私はユリウス様が好きですから・・・ずっと・・・ずっと待っています!」

「イシュタル・・・ありがとう・・・」

お互いを見つめる視線が重なり合う・・・

「イシュタル・・・」

「ユリウス様・・・」


そして二人はどちらからともなく顔を近づけていき・・・

唇を合わせあった・・・











そして・・・ユリウス様は私を迎えに来てくれた。

強大な力を手に入れて・・・暗黒神の力を手に入れて・・・

人格も、私に対する思いも全て変わってしまって・・・

ただ、恐怖の存在になって、私の前に現れた。










(なんで私・・・今になってこんな夢を・・・)




イシュタルは意識を回復させた。
先ほどと変わらなく、木に寄りかかりながら気絶をしてしまったみたいだった。

(そうか・・・私・・・あのまま意識がなくなってしまったのね・・・)
ティニーの無事を確認し、イシュタルは疲労・発熱・苦痛のために意識が落ちてしまったのだ。
その間に、昔の夢をみたのであった。

(なんで・・・今になって昔の夢を・・・)
イシュタルは体を動かそうとした。
しかし・・・
「・・・くうぅぅ!」
体中に激痛が走った。
毒も痛みも・・・まったく引いていなかった。
むしろ彼女の体力と気力が尽きた分、先ほどよりも深刻な状況だろう。
体の全ての部分が、痛みのせいで自分ではないように思えた。
「もう・・・なにもできないわね・・・この状態じゃ・・・」


「お目覚めになりました? イシュタル殿・・・」
「えっ?」」

顔を上げたイシュタル。
そこには・・・

「イシュタル殿、お久しぶりですな。 また、お会いできて光栄ですよ。」
そこには、数十人の魔道士たちや弓兵たちを従えたマンフロイの姿があった。

「マン・・・フロイ・・・」
暗黒教団の大司祭マンフロイ。
ユリウスの中に眠るロプトウスを目覚めさせ、ロプト帝国の再興を図る目的を持ち、この17年間、ユグドラル大陸の戦乱と混乱を影で操ってきた男であった。

「あなたの戦い振りは見させて頂きました。まさにお見事としか言いようがありませんな・・・さすが雷神・・・」
「・・・・・・」
マンフロイはお世辞を言った訳ではなかった。
実際、マンフロイはイシュタルを倒すのに、ここまで苦戦するとは思っていなかった。
自分達を掻い潜り、ここまで突破してきたイシュタルを素直に褒めたのであった。

「だが、あなた・・・いやお前の活躍はここまでだ。お前にはここで死んでもらう。」
厳しい口調でイシュタルに死を宣告するマンフロイ。
「ふふっ・・・なるほどね・・・」
渇いた笑みを浮かべたイシュタルは、自らの最後を確信した。
そして、最後の力を振り絞って立った。
殺されるなら座り込んだ体勢ではなく、立った体勢を望んだからだ。
この男の前で、視線を低くしたまま死にたくなかったからだ。

何とか立ち上がり、マンフロイを睨みつけるイシュタル。
「それにしても・・・私を抹殺するのにあなた自らが出てくるとはね・・・ユリウス様の怒りは相当なものなのね・・・私を殺すためにそこまで・・・」
少し、寂しかった。
こうなるとは分かっていたとは言え、ユリウスが自分の殺害を命じた事が悲しかった。

「いや、ユリウス殿下はお前を捕まえることは命じたが、殺せとは命令しなかった。捕らえて自分の前に連れてこい、と・・・」
「えっ?」
イシュタルは驚いた。ユリウスが自分の殺害を命じたからベルクローゼンが投入されてきたものだと思っていたからだ。

「お前を殺すのは私の一存においてだ。お前がいてはユリウス様の心に迷いが生じてしまうからな・・・だから、お前を殺すのだ。」
マンフロイは手を上げた。
それを合図に、周りの魔道士たちや弓兵が彼女に攻撃の照準を合わせた。
しかし、イシュタルはその光景を見ても、さして何も感じなかった。
既に、自分の最後は定まっているのだから・・・

(この男は、前々から私の事が邪魔だった。ユリウス様の傍にいてロプトウスとしての行いを止めようとする私の存在が・・・だから、今回の事件を利用して私を抹殺するのね)
だが、今のイシュタルにはそんなことなどどうでも良かった。
殺される覚悟は、ティニーを助ける時にできていたのだから・・・

「では、死んでもらいますよ・・・雷神イシュタル・・・」

そう言うと、マンフロイは掲げた手を振り落とした。
「やれ!!」

静かに、イシュタルは目をつぶった。
そして、心の中で・・・
(ユリウス様・・・ティニー・・・さようなら・・・)
別れを告げたのだった。

数多の魔法・矢が彼女に向かって放たれた。





・・・・・・・・・・・・・・・





「・・・・・・?」
イシュタルには不思議だった。
なぜなら、自分の体を滅ぼすはずだった魔法や矢が、いくら時がたっても彼女の体に届かなかったからだ。

目をつぶっている彼女には、なぜ自分が死んでいないのか不思議だった。

そして、聞き覚えのある声が耳の中に入ってきた。


「・・・マンフロイ・・・何をしているのだ? 私はイシュタルを捕らえても、なにもするなと命じたのだぞ・・・」

「!!」
(その声は!?)
イシュタルはその声を今まで何でも聞いてきた。
今まで何でも、この声の人に呼ばれてきた。
この声には・・・逆らえなかった。

イシュタルは恐る恐る目を開けていった・・・
そこには、見慣れた背中があった


マンフロイは驚愕した。
「!!・・・ユ、ユリウス殿下!」

それはユリウスだった。
ユリウスがイシュタルのすぐ前に現れていたのだ。
暗黒の霧を纏いながら・・・

イシュタルを狙った攻撃から彼女を守ったのはユリウスであった。
イシュタルの目の前に転移してきたユリウスはロプトウスの力を解放し、自らが盾になってイシュタルを守ったのだった。
ユリウスの纏う黒い霧の前に、魔法は吸収され、矢は壁に当たったように阻まれた。

「ユリウス殿下・・・なぜここに・・・」
恐る恐るマンフロイはユリウスに尋ねる。
そのマンフロイを襲ったのは、ユリウスの鋭い眼光だった。
「お前が必要以上の戦力を連れて行ったと聞いたものでな、もしやとは思っていたが・・・気配を探らせていたら激しい戦いが起きていたから、飛んできたのだ。・・・やはりなこういうことか・・・マンフロイ!!」
「は、はは!」
「私はイシュタルを殺せなど命令はしておらぬぞ! 勝手な行動をするな! いつからお前はロプトウスの化身である私を蔑ろにできるようになったのだ。勝手なことは慎め!」
「ひっ!」
ユリウスの怒号にマンフロイは怯えた。
マンフロイは今回の事を秘密裏に行うつもりだったが、ユリウスに知られてしまったのだ。
さすがのマンフロイも体が凍りついた。

ユリウスはマンフロイを叱責した後、イシュタルを振り返った。
ビクッと震えてしまうイシュタル。
「イシュタル・・・久しぶりだな・・・」
「ユリウス様・・・」
イシュタルは怖かった。
ユリウスと出会うことが怖かった。
ユリウスを裏切った自分が、再びユリウス様と出会うことが・・・
(私はユリウス様に全てを捧げたのに・・・でも、私はティニーを助けるためにユリウス様を裏切った・・・一体、どんな顔をしてユリウス様と言葉を交わせというの?なにを話せばいいと言うの・・・)
イシュタルはただ、ユリウスの視線を体に受けるしかなかった。
ユリウスが自分を無言で見つめている時間はほんの数秒だったが、イシュタルはとても長い時間のように思えた。



そして・・・ユリウスは口を開いた。
「・・・イシュタル・・・帰るぞ。」
ユリウスは無表情でイシュタルに自分の意思を伝えた。
「ユリウス様?」
「バーハラに一緒に戻るぞ。」
「・・・・・・」
イシュタルは・・・分からなかった。
なぜ、ユリウスが自分を連れて帰ろうとするのか・・・
彼がマンフロイに連れて帰れと命令したのは、自分の手でイシュタルを・・・自分を裏切ったイシュタルを手に掛けるためだと思っていた。
ロプトウスの化身であるユリウスなら、そうするのが自然だと思ったからだ。
それが、どうして自分を連れ帰ると・・・


「・・・できません・・・」
「?・・・イシュタル?」
「私はユリウス様と一緒には帰れません。」
イシュタルは、ユリウスの考えがどうあれ・・・一緒には帰れなかった。
自分はユリウスを裏切ったのだ。
ティニーを助けるために・・・
裏切る事を決心して、ここまできたのだ。
自分が今まで尽くしてきた彼を裏切る道を選んだのだ。
どうして、ユリウスと一緒に帰ることができるというのだ。

ユリウスはゆっくりとイシュタルに近づいてきた。
「イシュタルは・・・私の事が嫌いになったのか?」
「えっ?」
「私を裏切ったことは別にして・・・お前は私の事が嫌いになったのか?だから、裏切ったのか?・・・だから・・・帰りたくないのか?」
ゆっくりと近づいてくるユリウス。
「・・・・・・」
イシュタルは答えられなかった。
自分も分からなかったから・・・
初めて会ったときにユリウスに惹かれ、彼に恋をした。
でも、今のユリウスに抱いている感情は一体なんなのだろう?
恋? 畏怖? 同情?
様々な感情があるかもしれないし・・感情など抱いていないかもしれない。
ただ、今まで・・・暗黒神と化身となったユリウスに尽くしてきた。
これだけは事実だった。
(分からない・・・私・・・分からない・・・自分の事なのに・・・)

「イシュタル・・・答えられないのかい?」
ユリウスはイシュタルのすぐ前まで来た。
今、ユリウスの顔がイシュタルの目の前にあった。
「・・・ユリウス様・・・私は・・・」
イシュタルは結局、答えられなかった。

ユリウスは沈黙したイシュタルを見つめていた。
少し寂しそうな表情で・・・
「そうか・・・でも、私はそれでもイシュタルを連れ帰りたい・・・なぜなら・・・」
ユリウスはイシュタルの肩に手を添えた、
そして・・・


「私は・・・イシュタルを愛しているから・・・」


彼はそう言って、イシュタルの唇を奪った。
「!?」
イシュタルはユリウスの唇が自分の口を塞いだことに驚いた。
目を大きく開け、ユリウスの顔を見た。
(あの時の顔だ・・・私とユリウス様が初めて口づけをした時と同じ・・・)
だが、イシュタルはそこから先の事を考えることはできなかった。
頭の中が真っ白になっていき・・・そして彼女は暖かさに包まれ、気を失っていった・・・


崩れ落ちていくイシュタル。
ユリウスはイシュタルの背中に手を回して、彼女をしっかりと抱きしめた。
「・・・・・・」
ユリウスは落ちたイシュタルの顔を見つめた。
安らかな表情で、イシュタルは気を失っていた。

ユリウスは、口づけをした時にイシュタルに魔法をかけた。
その魔法によってイシュタルは気を失ったのだ。



「マンフロイ! 私はイシュタルと共にバーハラに戻る。お前はヴェルトマーに行け。ヴェルトマーにはナーガの書が封印されている。また、シレジアを解放した解放軍の別働隊がイード砂漠を超え迫っているとの情報もある。ベルクローゼンを率いてかの地を守れ。」
ユリウスはイシュタルを抱えたまま、マンフロイを振り返り、命令した。
「・・・御意」
マンフロイは本当はイシュタルのことについて意見を述べたかった。
だが、独断専行をした今のマンフロイには、ユリウスの命に異を唱えることができなかった。
(まったく・・・これでは・・・ロプト帝国の再興など・・・)
マンフロイはユリウスへの不満を募らせながら、ベルクローゼンを率いてヴェルトマーに向かって行った。

「・・・・・・」
マンフロイと彼の部下たちが去り、ユリウスとイシュタルだけが残った。

彼は眠りにつくイシュタルの美しい顔を見ながら呟いた、
「イシュタルは・・・いつ見ても美しいな・・・」
その顔には、普段の冷酷で狂気に満ちた表情はなかった
今のユリウスの表情は・・・

(では、行こうか・・・)
彼はワープの魔法を唱えた。
ユリウスとイシュタルの体は光に包まれていく。
そして二人は光の玉となり、バーハラに向かって飛び去っていった。

 

 

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