黒き剣 第二章





1.トラキアの少女剣士

 一つの戦いが終り、新たなる戦いが始まろうとしている。
 北トラキアにおける解放軍とグランベル帝国フリージとの戦いは解放軍の勝利という形で一応の結末を迎える。
 しかし、この戦いの結果を見定めていた南トラキア、トラキア王国のトラバント王は戦いに疲弊した解放軍を討つべく、 惷動を開始していた。
 新たなる戦いの足音はそこまで迫っていた。

 

 だが、戦いの合間の僅か休息が戦士たちには与えられ、そして幾つかの出会いも待っていた。
 マンスターを奪回したリーフ率いるトラキア解放軍にセリス率いるイザーク解放軍が合流し、次なる戦いに備えてい た。
 先日の戦いで活躍したラクチェも戦列に加わっていたが、その彼女がマンスターに到着した夕刻、スカサハとともに北 トラキアにおける戦勝祝いの宴の中を歩いていた際に後ろから溌剌とした元気な声で呼び掛けられたのだった。
 「あ、あなた方は・・・ラクチェ様とスカサハ様ですか!?」
 「え?誰?」
 宴の中で生まれて初めての酒を勧められ、今だその余韻から冷めていない黒髪の美剣士は僅かに反応が鈍化して いた。
 そうした中で振り向いた視線の先には、自分と同じく黒く、しなやかな黒い髪が印象的な少女が立っていた。
 自分よりも1、2歳年下であろうか?背も低く、いまだ肢体は成熟しきってはいない。―ラクチェもまだ十分成長の余 地を残して入るが― だが、背中までストレートに伸びた髪は女性の自分の目からも魅力的で、大きく澄んだ瞳はどこ か気品を感じさせる鼻梁と調和し、可憐の中にも芯の通った美貌を表現している。
 自分はこの少女のことを知らないし、スカサハも自分の知らぬ少女の出現に戸惑っている様子だった。
 二人の困惑に気づいたのか、慌てて少女は自らの自己紹介を始めた。
 「私はマリータと言います。今までリーフ様と戦ってきました」
 「マリータ?君がマリータか・・・」
 彼女の名を聞いてもラクチェには心当たりがなかったが、スカサハはどうやらその名を聞き及んだ事があるらしい。
 「スカサハ、彼女の事を知ってるの?」
 「ああ、北トラキア解放軍の若き少女剣士マリータの名は何度か聞いた事がある。剣技の天才で、リーフ王子の元、 度重なる戦いで力を存分に発揮してきた勇者と聞いている」
 「勇者だなんて!私はそんな立派な者ではないです」
  顔を赤らめて、スカサハの説明を否定しているマリータ。
  照れ笑いというよりも、語尾を荒くして否定している所を見ると、彼女はそこまで自己を評価していないらしい
 「私は、まだ未熟な剣しか扱えない者です。多くの事を学んでいかなければならないと思っています。でも、いつか私を 育ててくれたお母様のように立派な剣士となりたいと思っています」
  彼女の母はリーフ王子の保護者だった女性で、地方の領主としての顔と卓越した剣技を誇る剣士としての顔の二つ をもっている女性と聞いた事があった。
 素晴らしき母親の目標とする少女の姿がそこにあり、ラクチェもスカサハも微笑ましく思う。
  「でも、まさか、お二人にお会いできるなんて感激です!イザークの誇る最高の三剣士・・・剣聖シャナン王子とその 双璧、黒髪の双剣・スカサハ・ラクチェ・・お二方の武勇は前々より聞き及んでいました!本当にお会いする事ができる なんて・・・夢のようです!」
 大きな瞳に興奮と輝きを灯して、二人の語り掛ける少女。
思わず苦笑を禁じえないスカサハに、破顔の表情を醸し出すラクチェ。
 嫌な気分はしなかったが、二人とも、むず痒い感覚で一杯だった。
 「マリータさん・・・?」
 「呼び捨てで構いません!マリータって呼んで下さい!」
 (あのね・・・)と心の中で溜め息をつくラクチェ。
 マリータにしても普段はこんな性格をしていないのだが、あまりに有名な双子剣士に出会えて興奮しているようだっ た。
 
「・・・マリータ・・・も凄い剣士なんでしょう?手合わせしてみない?」
 スカサハから「剣技の天才」と聞かされ、ラクチェの中で熱いものが沸騰し始めていた。
 剣と聞くと目がない彼女はマリータに対する興味を膨らませてきていた。
 「そんな・・・私にはラクチェ様のお相手をするだけの技量なんてありません・・・でも、私もラクチェの剣技、見てみたい です!」
 マリータにしても自分がラクチェに遠く及ばない事は承知しつつも、憧れに近いラクチェの存在と剣技に対しての興味 を隠す事はできなかった。
 この人と打ち合ってみたい、負けても構わない、自分の剣を試してみたい。
 出会えた昂揚が冷めぬ間に、素晴らしい剣士に出会えた興奮がトラキアの若き剣士に上乗せされる。
 (こりゃ・・・似た者同士だな・・・)
 剣に目が無い妹と極めて同じような性質を持っているように見える若きトラキアの剣士。
 二人を見比べながら、スカサハは声には挙げないが苦笑を抑えられない。
 だが、こういう少女を見ているのは嫌いじゃないスカサハであった。
 


 陽も完全に山向こうに沈み、闇に包まれたマンスター。
 だが、戦勝の祝いと解放された興奮に包まれているマンスター城は未だ光が灯され、宴に酔っていた。
 そんなマンスターに迫っていく人影があった。
 背はそれほど高くはない。だが、闇の衣に包まれたその姿は禍々しく、威圧的だ。
 一旦、マンスター城の手前、一理ほどで足を止め、高い城壁を見上げる。
 フードの奥のあるだろう瞳は夜の闇でまったく見計る事はできない。
 無表情なのか、怒りを灯しているのか、悲しみに彩られているのかさえも。
 「・・・ここか・・・」
 誰にも、自分の耳にも聞こえないほどの小さな声を口から漏らす。
 だが、折からの夜風が闇に包まれた人物の小さき呟きすら掻き消してしまっていた。
 ゆっくりと再び歩き始める、自分の目的を果たすために。
 (私はセリスを殺す)
 黒衣の戦士…十二魔将の一人ノインは宴に酔うマンスターへと歩み続けていた。

 

 カキンッ!と鋭く短い金属音が広場に鳴り響く。
 周囲の多くの歓声すらも圧倒するかのような激しい剣戟の音だった。
 「遅い!」
 「まだまだ!」
 解放軍の戦士たちや多くの市民たちが宴を楽しむ城門前の広場の中央で、二人の剣士が激しく打ち合っていた。
 先ほど知り合ったばかりのラクチェとマリータがさっそく手合わせをしていたのだった。
 最初はあまり人がいない場所で試合をしようかと考えていたが、打ち合えるほど広い空間はこの宴の中では物置に 使われているか、休憩所に転用させられていた。
 そこで、つい先ほどまで戦士たちが歌を歌い、芸を披露していた広場の舞台でやることにした。
 大衆の目前で気恥ずかしかったが、早く剣を打ち合いたいラクチェとマリータは自らの欲求を優先した。
 無論、大衆たちの中央の空間で戦うのだから、彼等の視線はすぐに集中し、そして歓声や声援を挙げるのだった。
 凄まじい熱気と興奮に包まれ、二人は剣を抜いたのだった。
 直後に、高速で打ち合い剣士二人の模擬戦闘が始まった。

 高速で駆け抜けながら、剣を繰り出す二人。
 一撃を繰り出しては互いに交差し、離脱していく。
 (速い!?)
 マリータはあまりに早いラクチェの動きに驚愕していた。
 リーフ率いる北トラキア解放軍に加わってから今日まで、彼女を越える素早さを持った戦士と出会えることは無かっ た。
 スピードだけなら彼女が目標とする自分の母に対しても負けない自信があった。
 だが、今、目の前の自分と二つぐらいしか歳が違わないイザークの剣士の動きは自分のそれを凌駕していた。
 (凄い・・・これが噂に名高いラクチェ様の神速だというの?)
 自分に絶対の自信を持っていた素早さで負けを認めざるを得ない状況のマリータ。
 だが、彼女の心に起こるのは挫折感、敗北感といった暗い感情とは無縁のものだった。
 (こんな凄い人と出会えるなんて、そして打ち合えるなんて・・・私はとっても幸運だわ!とっても剣士として参考にな る、自分の実力も測る事ができる!)
 さらに強く、を目指しているマリータにとって、尊敬すべき先輩、卓越した剣技と速さ、それら全ては学ぶべきものだっ た。

 一方、ラクチェも対戦相手の実力に驚きを隠せずにいた。
 (速さでは今の私の方が僅かに勝っているけど・・・剣撃の鋭さは互角、一撃の力も重い・・・)
 戦いつつもマリータの力を性格に見極めていくラクチェ。
 先日は猪突猛進と言える戦い振りを見せた彼女だったが、それは瞬時にして相手の力量を見極める力があればこそ の戦い方。その見切りを無意識に行える事こそラクチェの何にも勝る天才の部分だろう。
 (まだ技は荒削りかな?洗練されてない・・・でも、この荒さで私と打ち合えるなんて・・・ふふっ、これは完成された時、 私は越されてしまうかな?)
 マリータの中に類稀なる力を感じたラクチェは素晴らしい『強敵』の出現に喜びを噛み締めていた。
 バルムンクの継承者・剣聖シャナンに対抗できないのは仕方が無いとしても、それでも自分と互角に戦えるのはスカ サハか光の皇子セリス、実際には戦った事はないがアレスぐらいなものだろう。
 ここにまた一人、素晴らしき剣使いと出会えたのである。
 喜ばずにはいられなかった。

 そんな二人を少し離れた脇から見つめるスカサハ。
 彼は双子の片割れの剣術に見入りながらも、今日出会った少女の予想以上の腕前を真剣に見つめていた。
 (ラクチェ、楽しんでいるな・・・まったく、剣で勝負できるとなると大喜びして・・・だが、あのマリータという少女・・・腕は なかなかだな。あのラクチェとまともに打ち合えるなんて・・・)
 スカサハ自身も剣士である。二人の卓越した技量と力が炸裂し合う試合に興奮しないはずはなかった。
 徐々に加熱していく二人の一挙一動を見逃さないかのように、目を凝らして二人の戦いを督戦していた。

 今は練習用の刃のない剣を使用していると言え、互いに真剣だ。
 高速と機敏な動作を続けている二人だったが、素早さではラクチェに一日の長がある。
 ラクチェの素早く鋭い攻撃の前に徐々に受身の動きを強制させられていくマリータ。
 上下左右から鋭い太刀筋が襲い掛かり、マリータはそれを捌き、受け止めるので精一杯だ。
 左で剣の刃が閃いたと感じた直後、実際には右から切り上げてくる刃と言ったように、目にも止まらぬ剣技が四方八 方から襲い掛かってきた。
 だが、それだけの猛攻を防ぎとめているマリータの実力も並々ならぬものだった。
 (やるわね!私の攻撃をここまで防ぐなんて!)
 ラクチェは不敵な笑みを浮かべつつ、さらに攻勢を強める。
 まったく反撃の糸口を掴めないまま、さらに追い詰められていくトラキア剣士。
 だが、一方で追い詰めつつも、決定打を放つ事はできていないイザーク剣士。
 
 唐突に繰り出されたラクチェの上段からの突きを左に飛んで回避したマリータは前に走ってすり抜けていく。
 横を低い姿勢で駆け抜けていくマリータから一撃が繰り出されてきたが、ラクチェは思い切り地を蹴って跳躍し、敵の 剣から距離を開けた。
 二人の距離が近距離から遠距離へと変わり、一旦両者は動きを止めて相手の出方を待つ。
 今までの激しく機敏な戦いから一転、今度は少しも動きを見せない戦いとなった。
 観客たちも大声を張り上げて送っていた声援を控えめにし、静まり返った二人の動きを凝視する。
 素早く展開が入れ替わる接近戦ではラクチェの天賦の速には敵わないと判断したのだろう、マリータはむしろ中距離 から渾身の力を込めた一撃を放ち、再び距離を開ける一撃離脱の戦法を取ろうとしていた。
 ラクチェにも相手の考えが読めた、だが、迂闊に突っ込む事はできない。
 一撃の力が自分と同等の力がある事は先ほどからの打ち合いで分かっている、こちらから近づけば相手はそれを待 ち受け、強烈な一撃を自分より先に打ち込んでくるだろう。
 素早さで劣勢なら、相手が近寄ってくるまで待てば良い、自分の機動は相手への打ち込みを図る事にだけ専念させ る、無理にこちらの動きにあわせようとしないマリータの切り替えにラクチェは潔さを感じていた。
 とは言え、このままでは勝負が動きそうに無い。
 思い切った動きが必要に思われた。

 (これは・・・長引くかな?)
 観客席に立つスカサハは落ち着いて二人の動きを観察できる立場にいるため、戦いが新たな局面に入った事、二人 の思惑を動きから見て取れた。
 (むやみにあいつがマリータの間合いに入らないのは彼女の一撃を評価しているからだ。それにまだ彼女の全ての 実力を把握してない事が警戒心を刺激しているんだろう)
 そんな思考を巡らせていた彼の肩に手を置く人物がいた。
 「・・・?しゃ、シャナン様でしたか!」
 「うむ・・・どうやら面白い見世物をやっているようだな」
 つい先程までシャナンはマンスター城の会議室で今後の解放軍に指針についてその主導部との打ち合わせを行って いたのだったが、今しがた終了し、祭りに参加すべく城下に降りて来たのだった。
 「会議は滞りなく?」
 「今終わったばかりだ。『みんなも今日はゆっくり楽しんでくれ』というセリスの一言でな。まったく、あいつは緊張状態 の時でも仲間たちへの気遣いを忘れない奴だからな。まあ、あいつ自身も今ごろはユリアとラナとよろしくやっているだ ろうが・・・」
 皮肉と苦笑を織り交ぜて、シャナンは自分が会議と言う名の檻から解き放たれた次第を話す。
 解放軍は現在、前大戦の英雄とシグルドとバーハラ王家皇女ディアドラの遺児セリスを解放軍盟主に、旧レンスター 王国王太子リーフ、旧アグストリア諸侯連合ノディオン王国王太子アレスを副盟主とする体制で戦いに望んでいる。
 シャナンは解放軍の事実上の根拠地であるイザーク地方旧イザーク王国の正統な王位継承者であり、解放軍の中で も最大の戦力を誇るイザーク軍団の総帥でもあるため、解放軍の中では最高位に位置する実戦指揮官であった。
 そんな重要なポストにあるシャナンだったが、あまり堅苦しい会議が好きなわけなく、実際には早めに切り上げてくれ れば幸いと考えていた。(解放軍の主要な人物たちは総じて若く、解放軍全体に見られる傾向ではあった)
 「で、ラクチェと剣を交えている少女は一体誰なんだ?」
 スカサハは簡潔にマリータのことを説明する。
 「なるほど、ラクチェにとってはいい刺激になりそうな剣士だと言う事だな」
 ふっと笑い、ラクチェとその対戦相手に視線を送る。
 「ラクチェは段々強くなっていくな。ティルナノグにいた頃は向う見ずに剣を振るってばかりだったが、今ではようやく剣 聖オードの血筋に相応しい剣士になりつつある」
 「そうですね。いまだ突っ走り過ぎるのはたまに傷ですが・・・」
 スカサハ自身にとってもラクチェの成長は喜ばしい事だった。
 自分はラクチェと双子で、同じ剣の道を歩む戦士だったが、彼女の力には遠く及ばない事を自覚していた。
 戦いの度に見せつけられるラクチェの素質と力、将来の可能性の前に自分の剣が彼女ほど長くはならない事を思い 知った。
 それを納得できた時から、自分の役目はこの双子の妹の至らぬ所を補い、自分の出来る範囲で彼女を守ろうと考え た。
 まだ精神的には大人になりきっていないラクチェは時には暴走してしまうことがある、そんな走り続ける彼女に声掛け をし、時には背中を守る事が役目であると。
 この激しい戦争の中、自分の前を走り抜けていくラクチェの背中を見続ける事にスカサハは複雑な気持ちを抱いてい たが、それでも彼女の成長に対する喜びはそれを凌駕していた。
 
 「・・・ますます・・・似てくるな・・・」
 スカサハがラクチェに対する感情に耽っていたため、シャナンが呟いたその一言を知覚する事はできなかった。


 唐突にラクチェはマリータに向かって駆け出した。
 緊張状態だったマリータの表情に戦慄が走る。
 観客は二剣士の膠着に苛立ち始めていた時だったので、ラクチェの咄嗟の動きを目で追えた者はいなかった。
 二人の剣劇はあらたな局面に突入した。

 一気に距離を詰めていくラクチェを上段に剣を構えて待ち受けるマリータ。
  二人の神経が急激に過敏になり、心身ともに緊張の汗を流す。
  マリータは自分の間合いにラクチェが入り込んだら自分が誇る最高の技を持って、対抗するつもりであった。
  どんどん近づいてくるラクチェの姿が恐ろしく感じると共に美しいほど滑らかな動きに感心していた。
  改めて、これほど凄い人と戦える事を幸福に思った。

 ついにマリータの間合いにラクチェが入り込んだ時、同時に二人は別の動きを見せたのだった。
 ラクチェの突進速度がさらに増し、一挙にマリータの懐に入り込もうとする。
 マリータにとっては予想外のスピードだったが、今まで以上の速さを出す可能性は考えていたので、自分が思ってい た以上に冷静に対処する事ができた。
 地を蹴って、背後に向かって跳躍し、一旦、自分と突進してくるラクチェの距離を調整し、短い時間だかタイミングを修 正しようとする。
 ラクチェは小細工せずに最高の力と技と速さでマリータに正面から挑みかかった。
 相手の戦術に乗る形となったが、これが自分自身の力を最大限に発揮できる道なのだ。
 正面からの戦いで勝敗を決める。それが彼女の狙いだった。

 ついにラクチェの体がマリータの間合いに到着した。
 一瞬、二人は凍ったように時間が遅く感じたが、すぐに目にも止まらぬほど視界が鋭敏な世界に舞い戻ってくる。
 ほんの僅かの差で先に剣を振り下ろしたのはマリータの方であった。
 目の前の脅威にも関わらず、ゆっくりと目を閉じ、剣に自分の全ての神経を集中させる。
 そして、目を開き、目の前に迫った先輩剣士に向けて必殺の一撃を振り下ろす。
 その動作の過程で白金の刃に、そして彼女の体から蒼き煌きが燈る。
 「!?」
 「!!・・・何!?」
 対峙していた少女、その少女の兄が同時に驚愕の声を上げた。
 それもそのはず、彼らには彼女が放とうとする技が馴染みの物だったからだ。
 「あれは月光剣!?」
 月光剣、己が全ての神経と気合を一刀に込め、一挙に爆発させる一撃必殺の剣技。
 その威力はどんな重鎧の板金ですら紙の如く切り裂く。
 双子剣士にとっては幼い頃より習っている技で、特にスカサハはこの技を既に達人の域まで熟達させている。
 まさか、この少女がこれほど高度な技を使えようとは・・・
 (・・・だけど!!)
 だが、ラクチェの中には余裕が生じていた。
 (残念だがラクチェには通用しない!あいつは俺と数え切れないほど剣をあわしているのだから)
 スカサハはマリータの力に感心しながらも、彼女の敗北を予見する。
 ラクチェは幼き頃から、剣士を目指すようになってから、ずっと同じ志を持つ兄と稽古を重ねてきた。
 スカサハは月光剣を習得し、さらに昇華させた男。彼と打ち合ってきたラクチェにとっては今だ完璧なとは言い難い彼 女の蒼き一撃は隙だらけと形容できる物だった。
 「あなたの負けよ!マリータアァ!!」
 消えたという表現が正しかった。
 確かにマリータの月光剣はラクチェの姿を捉えたはずであった、しかし、実際には鋼の煌めきは彼女の残像を虚しく 切り裂いたに過ぎない。
 直線で走り抜けてきたラクチェの動きはまったく速度を落とさず、急激な左方向への転換を見せた。
 真上から見ると、直角に折り曲がったような軌道であり、全力で走り抜けてきた人間には到底成し得ぬ動きであるは ずだった。
 一瞬にしてマリータの月光剣の振り下ろされるであろう位置を避けた彼女は逆に相手の右側面に回り込んだ。
 ラクチェを捕らえられなかった蒼き閃光は虚しく空を切る。
 (この勝負決まったな・・・)
 誰もが、スカサハもシャナンもラクチェの勝利する瞬間が訪れる事を確信していた。
 だが、マリータは彼らの想像以上の剣士だった。
 
 (・・・やっぱり、私の技じゃラクチェ様を捉える事はできないか・・・)
 自分の実力がラクチェに遠く及ばない事を彼女は十分すぎるほど理解していた。
 月光剣を避けられたからと言って、その可能性は彼我の実力差から十分あり得ると思っていた。
 だからこそ、ラクチェが攻撃を避け、自分に対して絶好の位置に移動してきても冷静な精神を保つ事が出来た。
 剣を振り下ろしながら、その力を借りて前へと駆け出す。丁度、数瞬前にラクチェが直角機動を見せた位置まで駆け 出す。
 油断は無かったにせよ、予想外の動きに戸惑うラクチェ、彼女は既に剣を引き、強烈な突きを繰り出そうとしていた。
 だが、前進する相手の動きを追尾するために腰を回し、狙いを修正する必要に迫られたため、僅かだが攻撃のタイミ ングが遅れた。
 その時、前進していたマリータの下に向いた剣が緑の光を放ちながらラクチェに向かって切り上げられた。
 「!?」(この技は!?)
 その技の正体に気づいた時、彼女の常人離れした視力を持つ目は自分に向かってくる五つの光を見て取った。
 (流星剣!?)
 流星剣。
 イザーク王家に連なる者が扱うことができるとされる伝説の秘剣。
 自らの剣と動作の速さを極め、神速の世界に入る事ができる剣士にだけ扱えるもの。
一瞬のうちに数個の剣撃を相手に叩き込む。
 月光剣と比べ一撃の威力は劣るが、完成された剣士の剣が数本に増えたかと思えるこの技を防ぐのは困難であっ た。
 月光剣に続き、マリータはこの技さえも繰り出せるのであった。

 (避けられない)
 次々と自分に向かってくる閃光にラクチェは回避不能の窮地に追い込まれた。
 剣士の繰り出す剣の速さに比べれば、いくらラクチェの足でも勝てるわけが無い。
 防ぐしか方法は無かった。
 「・・・せいやああああァァーー!!」
 避ける事が出来ないなら、剣を持って受け止めるしかなかった。
 スカサハ、そしてシャナンすら見極めが困難な速さでラクチェの右腕は動作した。
 短く、それでいて高い金属音の鳴が夜空に遠く響き渡る。
 しかも、それは五回連続鳴り響いた。
 「・・・な!?」
 「ハアアアアァ―――!!」
 マリータの目前で信じられない光景が繰り広げられる。
 自分の五つの斬撃はラクチェに肉薄するはずだった、だが、実際にはラクチェの剣によって全て防がれ、捌かれた。
 そして全ての剣戟を撃ち終え、無防備になったマリータの剣を持つ右腕にラクチェの一撃が加えられた。
 「・・・うかァっ!!」
 刃を持たない練習用の剣とは言え、その打撃にマリータの脊椎に強烈な刺激を与え、激痛をもたらす。
 痛みに耐えかけた手は剣を落とさせ、彼女の敗北を伝えた。
 「さすがラクチェだ・・・自分に迫った流星剣に対して自らの流星剣で防ぐとは・・・」
 シャナンですら彼女の一瞬の機転に驚く。
 スカサハもあまりの展開に言葉を失っているようだ。

 自分に襲い掛かった流星剣の剣閃をラクチェは自分も流星剣を発動させて、五つの剣を延ばすことで防いだ。
 先に流星剣を放たれたにも関わらず、瞬時に流星剣を出して防御に回す事が出来たのは彼女がいかにそれを 熟 達しているか証明する物だった。
 右手を抑え、蹲るマリータの様子を窺うラクチェ。
 本気の打ち込みを浴びせてしまったのだから、最悪、骨が折れているかもしれない。
 「す、すまないマリータ・・・大丈夫か?骨に異常などないか?」
 「大丈夫です!!ちょっと響いてますけど・・・いたっ!?」
 骨に異常が無いのは彼女が腕を動かせている事から分かったが、打撲は免れていないだろう。
 すぐにラクチェは取り巻きの観客に傷薬と患部を冷やすための水を持って来させる。
 そして自ら治療を行う。
 既に周りにはスカサハ、シャナンも来ていた。

 「すまない・・・痛くはない?」
 患部をしばらく水で冷やさせた後、傷薬を塗り、包帯を巻きつけていくラクチェ。
 マリータは痛みに汗を大量に流していたが、表情は平常に戻っていた。
 「すいません・・・ここまでしていただいて・・・」
 「いや、謝らなければならないのは私の方だ。練習試合だったのだから、あそこまで強い打ち込みをする必要はなか ったのだから」
 「マリータ、それだけ君はラクチェを本気にさせたと言う事だよ」
 「す、スカサハ!?」
 「そうなんですか?」
 座りながら治療を受けるマリータは立っているスカサハに視線を上げる。
 逆にスカサハはラクチェに視線を向けてみた、頬を赤らめ、目に狼狽の色が浮かんでいる。
 「君の力があまりにラクチェを追い詰めたからこそ、ラクチェは本気で対抗せざるを得なかったんだ。弱い相手なら相 手を気遣う余裕もあっただろうけど。君に怪我をさせたと言う事はその余裕が君相手には持てなかったという事さ。ま あ、勝負を捨てれば寸止めぐらいはできたのだろうけど、こいつは負けず嫌いだからな・・・」
 「うっ・・・」
 自分の事を的確に指摘され、さらに赤くなる。
 ラクチェの赤面にマリータは(ああ、この方はこういう表情が出来るんだ)という妙な感想を抱く。
 「でも、ラクチェ様は本当にお強いです。私の攻撃はまったく通用しませんでした。自分が情けなくなる以上にこ れほ どの方と戦えて良かったです!」
 「マリータ、あなたも凄いよ。流星剣に月光剣・・・二つの剣技を扱えるなんて・・・スカサハの言う通り、本当に危なかっ た」
 「そ、そんな事ないです。どちらの技もまだ未熟で・・・ラクチェ様の流星剣のように磨ぎ澄まされた美しさと鋭さを持つ 事が出来ないんです。どうも、私は不器用で・・・」
 「私の流星剣もまだ完成されているわけじゃない。剣士にとって技は生涯掛けて追求する物。あなたも私もまだ道の 途中よ。」
 今は自分が勝てたか、次に勝負する時はどういう結果になるかは分からない。
 それだけのものを彼女は持っている。
 自分も負けてはいられなかった。
 「お互いに頑張りましょう・・・マリータ・・・」
 「ラクチェ様・・・はい!!」
 ラクチェは彼女の手当てを済ませ、そして手を差し出した。
 差し出された手に痛みを忘れ、強く手を握り締める。
 今二人は戦いを通して共感し、互いに通じ合う事ができた。
 自分達の目標を再確認し、共に同じ道を歩む仲間となったのだ。

 その後、ラクチェはシャナンをマリータに紹介した。
 実はマリータはトラキア戦の最中にシャナンに出会い、流星剣を教えてもらっていた・・・・はずであったが、実はその シャナンは偽者(騙りだったらしい)だと言う事を同じく解放軍に加わっていたホメロスに知らされた。
 本物と偽物を間違えた事にマリータは怒りと恥ずかしさでいっぱいになったが、それでも何故か流星剣をある程度扱 えるようになっていたのでよしとした。
 そして、今回、本物のイザークの王子シャナンに出会うことが出来た際に、一瞬警戒してしまったが、前回の偽者に はない王族としての賓客と剣士としての鋭い眼光、何より聖戦士の血を引く者としての神々しいオーラを纏っていたた め、瞬時に本人だと納得する事ができた。
 『初めて』のシャナンとの出会いに再び興奮するマリータ。
 そんなマリータの様子にちょっと冷ややかな視線を送るラクチェだったが、先方はそれに気づいていなかった。


 「それにしてもラクチェ・・・お前も随分成長したな」
 二人の興奮に包まれた試合が終わり、落ち着きを取り戻しつつある夜の広場。
 ラクチェとシャナンは二人で広場脇の石段に座り、会話をしていた。
 「い、いえ・・・私はまだ本当に未熟で・・・先ほどの戦いでも自分の技量不足と精神的な弱さを再認識させられたところ です」
 「確かにお前らしくなく苦戦していたな。だが、それはあのマリータという少女の技量が優れていたからだ。いたずらに 自分の力を貶めるな。それは今の自分の正しい姿を見失わせる事になる。それに、お前をあそこまで追い詰めた彼女 の実力すら軽んじる事になるのだ。謙虚は結構だがな・・・」
 「・・・はい・・・」
 シャナンの前では「勝気な剣士」ではなく「剣聖の一番弟子」をついつい演じてしまう彼女だったが、確かに、過度の謙 虚は自分だけではなくマリータすら侮辱する事になろう。
 その事に少し反省させられる。
 当のマリータは今、スカサハと広場の中央辺りで会話していた。
 どうやら今のマリータは流星剣より月光剣を重点的に伸ばしたいと思っているらしい、そのため月光剣に関してはラク チェを遥かに超える鍛錬を積んでいるスカサハに色々と教授してもらっているみたいだ。
 (この解放軍の中ではスカサハを越える月光剣の使い手はいないからな。私は主に自分の素早さを最大限に活かせ る流星剣を使い込んできたし、剣聖といえるシャナン様も流星剣のみで戦われていられるから・・・)
 言い方を変えれば、スカサハは月光剣に関しては解放軍一といえる存在であったが、自分の流星剣はシャナンの存 在のため二番手に過ぎなかった。
 ほんの少しの嫉妬心をシャナンとスカサハ、両方に抱いてしまう。

 「だが、本当にお前は成長した。もう少し経験と鍛錬を重ねれば私を越して、イザーク最強の剣士となる日もそう遠い 事ではないだろう」
 「そんな・・・私はシャナン様を越える事はできないです!」
 シャナンは十二聖戦士・剣聖オードの血の正統な継承者。自分も同じくオードの血を引いているが傍流に過ぎない。 そんな彼を越える事は謙虚ではなく、本当に出来ないと思い込んでいるラクチェであった。
 「そんな事はない。お前はあのアイラの娘なのだから。いや、アイラの生まれ変わりと言えるほどだ。お前なら剣に関 しては誰にも負けない存在になるに違いない。自信を持て」
 「・・・はい・・・」
 シャナンの言葉にラクチェは返事をしたが、何故かその声は自分が思った以上に小さく濁った物であった。


 ラクチェとスカサハの母アイラはイザークの姫であると同時に大陸有数の剣士であった。
 その実力は聖戦士直系の騎士・剣士にも劣らぬ物であり、シグルド軍に参加した後の活躍は伝説的な形で後の世に 伝えられている。
 対ヴェルダン戦における森の中での神出鬼没な戦い振りで数倍の敵兵を打ちのめし、対アグストリア・マディノ攻防戦 においてアグスティを包囲した一部隊を彼女だけで壊滅させ、そしてシレジア内紛の際に大陸中に蛮勇を轟かせてい た傭兵「地獄のレイミア」との一騎討ちなど、その強さは具体的な戦いの様子と共に受け継がれていた。
 その娘であるラクチェは容姿、戦い方共にその母と瓜二つとシャナン、そして先の戦いから参戦しているオイフェなど も言っている。
 それだけの母を持ち、かつその母の再来と期待される事は嬉しくもあり、誇らしい事であったが、逆にラクチェと言う 個人があまり見られていないように錯覚に陥る。
 いや、他の人にならどう思われても構わない、だけどシャナンだけにはそう見られたくはなった。
 『ラクチェ』という名前で見てもらいたい。
 それが彼を愛し、愛してもらいたい少女の欲求であった。

 (だけど、時々思う。この人は私を見つめる際、何か遠くの何かを、私を通して何かを見ていらっしゃるように思え る・・・)
 不意に漠然とした不安のような感覚に実が僅かに震えるラクチェであった。
 もしかしたら、この震えはこの後すぐに起こる出来事を予兆だったのかもしれない。


 それを最初に察知したのはシャナンだった。
 物思いに耽っていたラクチェが異変を察知するよりも早く、広場からすぐ側に聳える城に目を向けた。
 城の一角、東端の塔から煙が立っていた。その煙自体が赤黒く濁っているので、火の勢いも強いのだろう。
 ラクチェも、そして歓談していたスカサハとマリータ、そして周囲の人々も異変に気づいた。
 「シャナン様!あれは・・・?」
 異常事態である事は誰にでも分かった。
 この異変に際し、二人はすぐに異常に慣れた戦士の顔へと変わった。
 「ただの火事かもしれないが・・・放火という可能性もある。まだ、この辺りに敵の残兵が残っていたのかも・・・」
 まだマンスターを解放して間が無い、周囲には敵の残存勢力が息を潜めて潜伏している可能性がある。
 それらが解放軍を混乱させるためにゲリラ的な活動をしてきたのかもしれない、という可能性まで一瞬の間に頭の中 で見出していた。
 「ラクチェ!スカサハ!私について来い!!」
 シャナンはタダの事故かもしれないこの火事に戦いの予感を感じた。
 すぐに自分が信頼する従妹たちに召集をかけた。
 先ほど知り合ったばかりの少女も只ならぬ気配を感じたのか、後に続く。
 混乱と喧騒に周囲は流され始める中、四人の剣士は火に包まれているだろう東塔に向かった。



2.アサシン

 炎に包まれる東塔の周辺には既に異変に気づいた多くの解放軍の兵士や騎士達が集まり出していた。
 皆、それぞれに武器を携帯している。やはり、敵襲という可能性を考えていたらしい。
 東塔に到達したラクチェを初めとする四人は瞬時に周囲を警戒したが、特に敵兵の姿は見えなかった。
 盛んに消火活動に動いていた兵士を引き止めて、事情を聞いた。
 「これはシャナン様・・・」
 「一体、なにが起きたのだ?」
 「分かりません、ただ、この塔は元々、無人でしたので事故によ出火ではないと思うのですが・・・」
 「では、やはり、放火か?」
 しかし、その確実な証拠はないと兵士は述べていた。
 「とりあえず、放火の可能性が捨てられないとすると、まだ、犯人はこの周辺にいるかもしれない。皆で分散して、周囲 を見回ってくれ」
 シャナンは周囲にいた兵士達に指示を出して、警戒態勢をとらせた。
 「シャナン様!私たちも・・・」
 ラクチェはシャナンの返事を聞かずに飛び出した。
 敵の匂いを嗅ぐとすぐに突っ走ってしまうのは彼女の悪い癖だろう。
 「まったく、落ち着きがない奴だ・・・」
 苦笑いを浮かべながら走っていく彼女の背中を見つめるシャナン。
 どこが喜ばしいような表情をしている、とスカサハは思った。
 「では、俺も周囲を見回ってきます」
 スカサハもシャナンに一言言ってから駆け出そうとしたが、すぐ後ろにいたマリータに話し掛けた。
 「君はシャナン様とここにいるんだ」
 思わぬ事を言われて、マリータは思わずしかめた顔をした。
 「な、何故ですか・・?」
 「君も探しに行こうとしていただろう?」
 「も、もちろんです。私も何かのお役に・・・」
 「止めとくんだ。君は腕をラクチェにやられて動かせないだろう?もしかしたら敵が出てきて戦いになるかもしれない。 そうなったら、その腕じゃ満足に戦えないだろう?だから、ここでシャナン様と一緒にいたほうがいい」
 先ほどのラクチェとの試合で痛め、包帯を巻いてある右腕を抑えてみる。
 確かに痛みは完全には引いてない。この状態で戦うといっても痛みのせいで満足には戦えないだろう。
 自分だけ休むのは彼女の性格が許さなかったが、自分のせいで誰かに迷惑が掛かる事は避けねばならなかったの で、受け入れざるを得なかった。
 「分かりました・・・では、私はここに残ります・・・」
 「それがいい・・・では、シャナン様、私も行ってまいります」
 シャナンにマリータを任せ、スカサハも城壁の方へ駆け出した。
 「・・・はあ〜・・・」
 ラクチェとスカサハが去った後、シャナンと共に残されたマリータは一つ溜め息をついていた。
 自分だけ残された事に不満はなくても残念だった。
 シャナンも今は周囲の兵士達に次々と指示を出していた。
 仕方なく、先ほどのラクチェとの戦いを頭の中で思い返す彼女だった。

 ラクチェはとりあえず炎上する塔の周囲を見回った。
 兵士達が必死に水を運ぶなどをしている姿があったが、どうやら不審者はいないようだ。
 確かに異常事態に皆、動揺していたが混乱は事態に慣れてきたのか収拾し始めていた。
 やはり、ただの火事なのか?とラクチェが思おうとしていた時だった。
 ラクチェは城壁から石畳の通路を越えて、マンスター王宮東門に差し掛かった時だった。
 数人の兵士が血を流して倒れている光景が見えたのだった。
 「何!?」
 すぐさま兵士達の元へ向かったが、既に息をしている者は誰もいなかった。
 皆、心臓や首を一刀で仕留められている。
 凄腕の仕業だ、とラクチェにはすぐ分かった。
 さらに東門の奥を見ると点々と同じように解放軍の仲間である戦士たちの変わり果てた姿が転がっていた。
 「・・・そう言う事だったのか・・・」
 ラクチェはようやく事の真相が分かった。
 あの東塔の火事は陽動だったのだ。
 火事で人々の関心を東塔に向けさせている間に手薄となったマンスター王宮に突入する。
 それが今回の騒動を引き起こした犯人の狙いだろう。
 マンスター王宮に突入したと言う事は狙いは恐らく解放軍の主要な人物の抹殺。
 ここまで潜入して来たと言う事は敵の数は少数だろうが、それだけ相手は強者なのだろう。
 一気にラクチェの顔は戦場の顔へと変化していく。
 これだけの事態を引き起こした罪を償わせ、殺された兵士たちの恨みを晴らす。
 ラクチェはまだ見ぬ刺客への怒りを募らせていた。

 彼女は同じく東門に辿りついた兵士にシャナン、スカサハへの伝言を頼んだ。
 現在、マンスター王宮に敵兵が侵入したため、直ちに兵を王宮に集めるようにと。
 また、マンスターの各門、各城壁の警戒を強めるよう要請した。
 兵士がすぐさま東塔周辺にいるシャナンの元へ走ったの見届けたラクチェは東門から王宮内に走っていった。



 ノインにしては計画通りに事が運んでいた。
 反乱軍の重鎮が今後の方針について軍議を行うとの情報を祭りに沸く街角で知ったノインはその場に踏み込んでセ リス以下の解放軍首脳を討ち取ろうと企図した。
 しかし、正攻法で突っ込んではリスクが大きいし、討ち漏らす可能性が高かった。
 そこで軍議が行われている会議場に隣接している東塔を放火し、場内の兵士の注目を東塔に向けさせている間に会 議場に踏み込もうとした。

 廊下を滑走していく黒衣の刺客。
 「な、何者だ!?」
 会議場へと向かう途中、数人の夜警の解放軍兵士と遭遇したが、彼らは何が起きたのか分からぬ間に切り殺され た。
 ある者は手に持った剣を振りかざしたが、打ち合う事も出来ず切り殺され、ある者は腰に吊るした剣を手に取る事す ら出来ないまま斬殺された。
 徐々に会議場へと近づいていき、ついに目的地へ通じる扉の前に到達した。
 そして躊躇なく中へと突入していった。

 しかし、ノインの誤算は思わぬところにあった。
 中へ踏み込んだノインが目にした物は蝋燭の光一つ灯されていない暗くなった無人の室内だった。
 既に軍議は解散され、解放軍の首脳はそれぞれの部屋に戻ったり、祭りに沸く町へと繰り出していた。
 つまり、ノインの行動は見事な空振りに終わったのだった。
 間接的ではあるが、セリスが仲間達を労って早めに会議を切り上げさせた事が危機を回避させる結果に繋がった。
 人が聞いたら物笑いの種になる事だろう。

 当の刺客は立ち尽くしていた。
 確かな情報を元に考えた襲撃だったが、どうやら自分の作戦は失敗した事は明らかみたいであった。
 目標であるセリスの居場所は分からなくなっている。
 また、反乱軍の戦士たちが異常に気づき、自分を探している事だろう。
 この状況で再びセリスを探す事は難しい。
 ここは素直に撤退した方が良いだろう、と、思案を巡らせていた。

 だが、ノインが無人の空間で思案を重ねられたのは短い時間だった。
 バンッ!!と激しく扉を開けて室内に突入してきた人物がいた。
 追いかけてきたラクチェだった。
 新たな戦士の出現に、ノインはゆっくりと彼女の方へ振り返る。
 「お前が火を放ち、兵を惨殺して城の中に踏み込んだ曲者か!いったい何者だ!?」
 張りのあるラクチェの声が激しく目の前の人物に問い掛けるが、相手は何の反応を示さない。
 その様子にラクチェの中に怒りが充満し始め、小さく均整取れた美顔に戦慄が走る。
 背丈は大きくない、自分と同じぐらいだろう。だが、風貌は明らかに不気味であった。
 頭の上から爪先まで黒色のローブで包んでおり、その姿は月の出ていない闇夜なら見つける事すら難しいだろう。
 だが、その姿に似合わず、右手に握られている剣は白く凛然とした輝きを放っており、この緊張した空間の空気をさ らに研ぎ澄まされた物にしているようだ。
 ラクチェの額に緊張のためか汗が流れ出す。
 自分でも不思議なぐらい目の前の刺客に威圧感を感じている。
 フードの奥に隠れているであろう視線は窺う事はできない。だが、体全体を覆う殺気は激しくはないが、とても冷たく鋭 利で、ラクチェの体を深々と突き刺し、貫通する。
 ここまで敵のさっきが痛いと感じた事は無かった。
 強い、その一言が自然と頭の中に浮き上がる。
 闘志剥き出しの相手は今まで何度も出会ってきたが、ここまで底知れぬ実力を感じさせる相手は初めてだった。
 だが、自分はスカサハと共に修行し、シャナンに剣を教わったのだ。
 自分に流れる剣聖オードの血に掛けて、自分のこの剣に掛けて、解放軍の中枢を狙った刺客などには負けられなか った。

 ゆっくりと両手で柄を強く握り締め、中段に構えるラクチェ。
 それに対する刺客ノインは無造作に立ち尽くすも、右手が握る黒く光る剣をゆっくりと立てていく。
 それが互いに戦闘状態に入ったことを示す事になる。
 一瞬、ラクチェは大きく息を吸い込み、自らの精神を限りなく清純に、そして膨張させる。
 刹那、ラクチェの体が消えた、いや、消えたと表現できるほど素早く動いた。
 相手が強大な敵だということは分かっている。お茶を濁して様子を見る余裕などを持ったら、それは死に繋がるであ ろう。
 最初から自分の全ての力を出し切って、相手を叩き潰すのみ。

 ラクチェの動きは速く、単調ではなかった。
 まっすぐ相手に向かっていくのではなく、大きく円を描くような軌道を取って、相手の斜めから突入していくような動きで 向かう。
 先ほどのマリータとの一戦で彼女の待ち受ける戦いで危機に陥った事が一瞬、頭の中を過ぎったのだろう、彼女は 一直線に相手に向かう事はしなかった。
一方、相手のノインはまったく動こうとはしない。とは言って、剣を握り締める力を強めようとはしない。
 あくまで自然体で身動き一つしなかった。
 無防備といえる状態であり、全身に闘志を募らせたラクチェの相手としては正反対であった。
 ラクチェは自分の攻撃を咄嗟に避けるほどの素早さをもっているからこそ、これはその自信の表れだと推測した。
 (なら・・・避ける余裕は与えない!!)
 自らの握り締める剣に緑の波動を伝えていく。
 たとえ、相手が類稀な素早さを誇ったとしても、五つの剣閃を避ける事は容易ではないだろう。
 強大な相手に対するもっとも有効と思える攻撃を仕掛けようとさらに足を速める
 
 剣士と刺客の距離が急激に縮まる。
 ラクチェは一撃を加えようと全ての神経を集中させ、滑走していく。
 それを静かに待ち受けるノイン。
 二人の距離は瞬く間に縮まり、衝突しようかと言う至近になる。
 「この一撃を喰らえ!」
 短く叫び、流星剣を発動させるラクチェ。
 刹那、五つの剣閃が発生し黒衣の戦士に襲い掛かる。
 美しくも悪魔の破壊衝動を含んだ緑の波動。
 月の光が差し込む薄暗い部屋で妖しく輝いた。

 だが、悲鳴も剣戟の音も、そして赤い鮮血が飛び散る事はなかった。
 攻撃を仕掛けたラクチェの歯軋りだけが静かに空気を伝わり拡散する。
 確かにラクチェは流星剣を放った。しかし、緑の光を湛えた剣は暗殺者を捉えることなく空中で静止している。
 ノインは眼前の敵が繰り出した無数の刃の中に一歩踏み出す。
 そしてその中に左手を差し入れて、ラクチェの手首を掴み上げた。
 (!?・・・そんな・・・そんな・・・!?)
 神速といえる剣の繰り出して無数の刃を形成しての連続攻撃、流星剣。
 敵は残像を作るほどの剣速と無数の刃の中から冷静に自分の腕を掴んだのだ。
 また、勢い良く突き出された攻撃を片手だけで止める筋力。
 見極めの動体視力、手の早さ。
 全てにおいて自分を勝っていなければ出来ない芸当。
 それを目の前の刺客に行われてしまった。
 自分を遥かに超える存在にしか出来ない事を目の前で演じられてしまった。
 ラクチェが感じたのは怒り、そして恐怖。
 自分は遊ばれたのだ。これほどの実力を持つ相手なら流星剣を潜り抜けて自分に一撃を浴びせる事ができただろう に、それをせず、流星剣を手で摘み上げるという行為で自分を中傷したのだ。
 この刺客は自分を倒せるだけの実力があるにも関わらず…
 そして恐怖。
 それほどの相手と戦っている、自分の命を弄べるほどの相手と。
 この相手がその気になれば即座に自分は殺されてしまう。
 圧倒的な実力差に弄ばれる怒り、そしてその先にあるだろう死に匂いを感じ取りラクチェは恐怖に支配されていっ た。
 今までラクチェは大勢の敵兵に囲まれても恐怖する事はなかった。数々の戦士と戦ってきたが負ける事はなかった
 だが、それは今まで自分以上の力を持つ相手と巡り合わなかっただけだった。
 シャナンもスハサハも味方だった、それは今まで自分にとっては幸運な事。
 今までの自分の幸運と強大な敵と出会った恐怖にラクチェは混乱した。

 「う、ウワアアアアァー!!」
 思い切り掴まれている腕を振り解いて、後ろに飛び退く少女剣士。
 それをノインは追撃しようとはせず、ただ、下がったラクチェを冷ややかな視線で見つめる。
 ラクチェは動揺していた。息が荒くなり、体中から冷汗が流れ出す。
 頭の中が混乱から立ち直っておらず、この相手にどう相対していいか分からない。
 ただ、剣を構えて、敵を睨みつける事しか今はできなかった。

 「・・・その程度か・・・」
 小さく低く呟くノイン。
 だが、綺麗で透き通った声だった。
 (・・・女!?)
 その声は間違えなく女性の声であり、ラクチェは刺客の正体が女性であった事を知る。
 自分も女性なのだから、さして驚きはなかったが、同性にしてあの実力に嫉妬を感じる。
 「この程度で流星剣とは・・・笑わせるな」
 小さいがはっきりと伝わる声質がラクチェに自分が非難されている事を認知させる。
 思わず唾を飲むラクチェがいた。
 「・・・・・・いくぞ・・・」
 ゆっくりとノインは剣を横に滑らせていき、斜め後方に切先が向く脇構えを取る。
 (美しい)と思わずラクチェが溜め息をつくほどの美しい姿勢と構えの移動。
 だが、そこから発せられるのはこれ以上ないほどの殺気だった。
 ラクチェに戦慄が走る。
 「・・・死にたくなければ避けるんだな・・・」
 その一言を合図として、一気にノインはラクチェに向かって駆け出した。
 (速い!?)
 ラクチェが一瞬、完全にノインの姿を見失った。だが、相手は一直線にこちらに向かってきていたので、すぐに再び捕 捉する事ができた。
 剣を前に出して受け止めようとするラクチェの視線の先に迫ってくるノインが映ったが、一瞬、誰なのか分からなかっ た。
 目の前に迫ってくる刺客の服装は先ほどと同じ黒衣だった。だが、凄い速さで走り抜けてくる圧力でフードが後ろに下 がって、中に納められていた髪が露になる。
 流れるような艶のある漆黒の長髪…
 自分と同じような…

 ノインという名の女性は緑の光に包まれる。
 そして至近に迫ったラクチェに足して脇に構えた剣を前に繰り出した。
 (流星剣!?)
 敵の技が流星剣と見切り、ラクチェは直ちに回避運動に入ろうとしたが、敵の剣の鋭さは尋常ではなかった。
 一瞬で回避しきれない事を悟り、先ほどのマリータの戦いと同じく流星剣を発動させて防ごうとした。
 立て続けに金属音が響き渡り、流星剣同士が激突し合う。
 しかし、ラクチェの流星剣は最大で五撃ほどしか同時に放てないのに対して、ノインのそれは十撃以上が襲い掛かっ てきていた。
 防御に回っていたラクチェの流星剣は全てノインのそれに相殺され、残った五つの刃がラクチェに襲い掛かる。
 一撃目の突きはラクチェの右の太腿を貫き、二撃目の斬撃はラクチェの右の二の腕を傷つける。
 「うあああァ―――!?」
 さらには三撃目の切り上げは彼女の腰から腹に掛けて血と裂け目の軌跡を作り上げ、四撃目の切り落としは彼女の 肩をえぐった。
 五撃目は彼女の心臓に対する突きだったが、崩れ落ちるラクチェの前に空振りに終わった。
 全身に信じ難い激痛が走りながら後ろ向きに倒れていくラクチェ。
 (・・・ああ、私はここで死ぬんだ・・・)
 激痛と衝撃で頭の中が真っ白になっていく。
 自分はこの刺客の手によって地獄に堕ちる。
 ふと、シャナンの顔が浮かんだ。
 (シャナン様・・・ごめんなさい・・・私は・・・?)
 自分を育ててくれた、剣を教えてくれた、そして愛してくれたシャナン。
 もっとシャナンの近くにいたいのに、自分が至らぬばかりにそれが適わなくなる事は悲しかった。
 ふと、白くなっていく視界の中に自分にとどめを刺すだろう刺客の姿の顔が映った。
 流れるような黒髪と同じぐらい黒く、透き通っていて、意思が強そうな瞳。
 細く整った輪郭は厳しさと気品を内包している。
(・・・本当に美しい人・・・)
 途端、白き世界が暗転し、ラクチェの意識は闇の中に堕ちていった。

 バタン!と大きな音を立てて扉が開かれた。
 刺客進入するの報を聞いたシャナンが、スカサハが、そしてマリータがラクチェを追って室内に突入してきた。
 そして打ちのめされたラクチェと彼女の脇に立つ加害者を発見する。
 「!?・・・そんな・・・」
 先頭に立って入室してきたシャナンが愕然とし、立ち尽くす。
 スカサハは立ち止まったシャナンを思わず追い抜いてしまった、そしてシャナンの狼狽する表情を始めて見ることにな った。
 月を覆っていた雲が晴れ、月光が大窓を通して室内を照らす。
 徐々にはっきりとしていくノインの姿と顔にシャナンは思わず叫んでいた。

 「・・・アイラッ!?」

 どこが幻想的な月光が差し込む部屋にシャナンの言葉が鳴り響いていた。


続く


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