Two feelings
「はぁ…」
始業式を終えての放課後。
昇降口は生徒たちの喧騒に支配されていた。
その明るい笑い声とは対象的にあんずは、これ以上ない落ち込んだ気分で時を過ごしていた。
下駄箱から靴を取る手も重い。
吐き出されるのはため息ばかりである。
「どーしたんだよ。死にそーな顔して」
「周防君…」
一緒に帰る約束をしていた周防があんずの姿を見つけたのか駆け寄ってきた。
「おい、何かあったのか!?」
今にも泣き出しそうなあんずに何か嫌な予感を感じ取ったまか真剣な声へと変わる。
「自由研究…忘れてたの…」
溜めて10秒。
「はぁ!?」
唖然とした周防の声が昇降口に響いた。
あんず談。
自由研究課題の存在をすっかり忘却し、先ほど諒子と会って初めてその存在を思い出したらしい。
「あれだけ夏休みの宿題やってただろーが…」
夏休みの間、周防とあんずはいっしょに宿題をやっていたのである。
「周防君とは課題中心にやっていたから、そっちでもう満足しちゃって…」
「おいおい」
あんずは周防が言わなければ社会の宿題も忘れていたのである。
自由研究を忘れていると言うことは予想しえた事態だった。
「今から自由研究ってもな…。 提出日は…3日か」
自由研究の提出日は初回の授業だ。
がくっと隣であんずが肩を落とす。
「仕方ねえな…。とりあえずうちの学校の自由研究なんて出せばどーとでもなるからな…。問題は題材か」
とはいってももう時間が限られている。
明日は日曜としても今日を含め後2日。
忘れましたと言い訳を使っても3日が限度である。
「後3日で出来るヤツか…」
しばらく考えた後、口を開いた。
「…望月、今日俺の家に来れるか?」
「お、お邪魔しまーす…」
「何だよ、人の家に窓から侵入してたくせに何ビビってんだよ」
あんずの様子に周防が苦笑して答える。
あんずとしてみれば玄関から入るのは初めてなのである。
いつもとは勝手が違う。
「俺の部屋で待ってろよ。茶煎れて行くからさ」
「うん…あ、周防君」
「なんだよ」
「…部屋、どこ?」
「は? どこってお前行き慣れて…ってそっか。お前専用の出入り口は窓だったもんな」
そのとおりで返す言葉がない。
が、しかし、そういわれるとなんだかカチンと来るのは確かである。
この物言いは周防の性分だから仕方ないのだけれど。
「階段上って突き当たりだよ。俺が行くまであんまり物に触るなよ」
「…うん」
性分だから仕方ない。
数日振りに訪れる周防の部屋は相変わらず殺風景だった。
がらんとした家。
静か過ぎて…落ち着かない。
前に周防が言っていた言葉。
自分はいつでも母や草が家にいる。
誰も居ない家に帰るのはどんな気持ちなのだろうか。
生活観を感じさせない無機質な部屋。
周防自身アルバイトに日々明け暮れている生活である。
お金を稼ぐ為と言ってはいるが、家にあまり居たくないということもあるのかもしれない。
今は兄のように慕っていた純也の存在もない。
寂しくないはずがない。
決して表に出そうとはしないけれど。
「で、自由研究だけどさ。世界の遺跡レポートとかはどうだ?」
コーヒーを飲み一息入れたところで、周防が案を披露した。
「あ…! 面白そう!」
「遺跡関係や考古学の本ならうちに溢れてるからな。それ使ってレポート書けば資料を探す手間だけは省けるぜ」
そう言って周防は本棚から手ごろな本を数冊抜き取り、床に置いた。
一冊一冊に厚みがあるために数冊でも積み上げればかなりの高さになる。
「望月、家にパソコンはあるか?」
「うん、お兄ちゃんの部屋に」
「ならネットで集めた資料もフロッピーに保存してやるから家で見とけ。これだけあれば適当になんか書けるだろ」
「ありがとう、周防君」
切羽詰っていた気持ちもすっと抜け落ち、急に安心感が広がる。
それは課題達成のために一筋の光が差し込んできたという理由だけではないだろう。
「全くお前ってホントどっか抜け落ちてんのな」
「あはは…」
何だろう。
緊張する。
いつもは他愛無い話を平気でしているはずなのに。
今日は何かが違う。
いつもと違う。
違和感。
部屋に二人きり。
今までも数回あった構図。
けれど今はターゲットとアプリコットで逢っている訳ではない。
この部屋で周防篤と望月あんずとして逢っているのだ。
今までの部屋で今までとは違う関係で逢っているために違和感を感じていたのだ。
その正体がわかると今度は急に意識をし始めてくる。
二人きりなのだ。
周防の部屋で。
「ほ、本! 見てもいい?」
「あ、ああ…?」
急に立ち上がって、ぎこちなく辺りに視線を彷徨わせるあんずを訝しそうに周防が見る。
「それにしても俺が傍にいねーと全く駄目だな…って何言ってるんだ俺は」
はっと言いかけて、すぐさま正気に戻り口をつぐむ。
「え? 何?」
幸いなことと言うべきか、不幸なことにと言うべきか、本棚の前に立って一人悩んでいるあんずの元には届かなかったらしい。
「い、いや、聞こえてなかったんならいいんだ別に。それよりいい本は見つかったか?」
「うん、いっぱいありすぎて迷っちゃうな…古代インカ帝国の秘密…ヒッタイトの歴史…どれも面白そう!」
「だろ?」
「どれが一番お勧め?」
「そうだな…これか?」
横にあった本から一冊抜き取り、それをあんずへと手渡す。
瞬間。
手が触れ合った。
そして。
ばっと勢い良く周防が手を離し、落下する本を慌ててあんずが拾う。
「も、もう…急に手を離すと危ないってば」
「悪い…」
「…周防君…顔赤いよ?」
「なっ! っおわぁ!!」
そのまま後ろに半歩下がろうとしたところで、積み上げていた本に当たる。
その衝撃でどさどさと本が雪崩落ちる。
「だ、大丈夫?」
「あ…ああ。…ったくお前が! …いきなり変なこと言うからだろ」
ますます紅潮する顔。
「…あはは」
「な、なんだよ」
「ううん、私だけじゃなかったんだな、って」
「はぁ?」
わけがわからないといった表情で周防が問い返す。
いやがおうにも意識してしまう今の状態。
けれど、意識しているのも余裕がないのも決して自分だけでなく。
(同じ気持ち…なんだ)
そうとわかれば気分も落ち着いてくる。
何より気持ちは一緒なのだから。
いや寧ろ現状では自分以上に周防のほうが重症かもしれないが。
「…明日も来て平気?」
「あ?」
「家のパソコンはお兄ちゃん専用のだし、居ないと判らないし…。それにここで調べれば本も選り取り見取りだし」
最もそれだけが目的ではないけれど。
なんとなく、ではあるが周防を一人にしておくのが気が引ける。
寂しさを自分が埋めてあげる、とまでは言えないが少しずつなら埋めてあげることが出来るかもしれない。
「仕方ねえな…ま、お前が忙しかった一因は俺にもあるだろうしな」
そして一呼吸を置いて。
「それにお前は俺のパートナーだからな、一応。手伝ってやるよ」
「……」
「ほら、さっさとテーマ決めて書き抜くぞ!」
照れ隠しに声を張り上げ、更にあんずの頭を軽く小突いた。
赤くなる頬を目の当たりにして、嬉しさが込み上げてくる。
全く不器用な感情表現。
最も素直になれないのは周防だけではなかったが。
「ありがとう、周防君!」
今だけは飛び切りの笑顔を捧げよう。
目の前のパートナーに。
やっぱり寂しさは自分が埋めて上げられるかもしれない。
バカバカ。←寧ろ私が。
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