恋月夜
視界いっぱいに広がる漆黒の闇。月明かりだけが自分をほのかに照らし出す。
電気もないこの時代。夜は高灯台のほのかな光だけがたよりだ。
月光で柔らかな暖かい。
いつの時代でもこれだけは変わらない。
見上げる夜空は何処か切なさを髣髴とさせる。胸の沸き起こる何か。
それが元の世界との唯一の接点だから感じるのか、違うのか、あかねにはわからない。
そういえば月を題材にした説話があった。
前世の因縁が元で、贖罪を果たすために穢れた地上世界へと流刑させられた姫の話。
その中でのクライマックス描写とイメージが重なる。
今の自分が置かれている現状に通じる部分があるのだろうか…とぼんやりと思考を巡らせた。
あかねは釣殿から身乗りだし、ふわりと手を差し出した。
自然の光で薄暗かった手が仄かに照らされ輪郭が露わになる。
そしてその場に座り込むと、空を見上げた。
「あかね」
ふいに呼びとめられて、あかねは声のする方向を振り仰いだ。
愛称でなく…本当の自分を呼んでくれる暖かな声。
辛いとき、落ち込んでいるとき…自分を叱咤激励する懐かしい声。
声の主はゆっくりとあかねへ歩み寄ってきた。
「どーしたんだよ。こんなところに座り込んで。なんだ、アレか? 腹でも下したとか?」
「もう」
軽く頬を膨らませて抗議するあかねに、天真は笑顔で受け入れる。
「冗談だよ、マジにとんなって」
そう、照れたように優しく言うと、あかねの傍に腰を下ろした。
「…月がきれいだなーって思って。時代は全然違うのに、夜空と花は現代と全然変わってないの」
あかねにそう言われて、初めて天真は空を仰いだ。
そこには満天の星が砂塵のごとく散らばっている。
現代のように照明がが発達していないこの時代の星空はプラネタリウムでしか見られないように光り輝き、美しい。
そして綺麗な円を描いた月が、この闇の中で存在を一層誇示している。
「なんか、すげー綺麗だな。…あっちじゃ、夜も人工の光が一晩中灯ってるから、月や星の輝きがあんまりわかんねぇんだな」
京にこなければ知らなかったことだ。
めぐり合わなかった人々、知り得ることがなかった出来事。
いつかは元居た世界に帰るだろう。
ここで経験したことは全て思い出となるのだろうか。なってしまうのだろうか。
「…普段、平凡な生活の中に埋もれてて、気づかないことってたくさんあるんだね。失ってから気づいたりして、その価値を初めて知ったりして…。幸せなことや、封印しておきたい辛いこと。でも、思い出はどんなに辛くても忘れたくない。だって…今の私を作っている大事な要素だから」
天真の脳裏に蘭との思い出が鮮やかに蘇る。蘭がいつも自分の傍にいるのが、至極当然だと思っていたあのころ。
失ってから気づいた蘭の存在。
あの辛い事件も今の自分を作っている要素となっているのだろうか。
「天真くん」
突然あかねは立ち上がると、天真の正面へと回り込み、瞳と向き合う。
あかねの瞳は不思議なくらい住んでいて、視線はまっすぐ天真の心を捉えていた。その瞳同様、きっとその心も澄んだ水のように綺麗だと、天真は感じていた。
あかねはぎゅっと天真の手を握り締めると、
「天真くんは一人じゃない。いつも傍に頼久さんや、詩紋くんもイノリくん、友雅さんに鷹通さん、永泉さん…それに藤姫だって…あと頼りにならないかもしれないけどっ、私だっているから! 月の周りにはいつも無限の星があるように、天真くんの周りにもいつも私達がいるってことを忘れないで。天真くんがいつも私を支えてくれるように、私も天真くんを支えたい。守られるだけじゃなくて、私も大切な人を守っていきたいの。天真くんが悩んでいるときには、傍にいて一緒に考えたいの」
顔を真っ赤にして、けれど真剣に一生懸命言葉を紡ぐあかねに天真の胸に甘い感情が走る。
今はまだ言うつもりもない想いだけれど。
「あかね」
すばやく、天真の手を握っていたあかねの手を取ると、己の胸に抱き寄せた。
「て、天真くんっ!?」
わたわたとしているあかねを力強くそのまま抱きしめる。
「ありがとな、元気、出た。お前が落ち込んでるんじゃないかとおもってここに来たのに、逆に励まされちまったな」
「ううん、こうして話せるだけで、元気付けられるんだよ、私は」
「明日も頑張ろうぜ」
天真の言葉に、あかねはにっこりと頷いた。
「あかね…さす…か」
「え?」
「茜さす。この間授業で習ったんだよ。光源氏が玉鬘に贈った歌とかで使われてた。あ、あと額田王の歌にもあったかな」
むーっとあかねが眉根を寄せる。思い出そうとでもしているのだろうか。
可愛らしい仕草に思わず笑みがこぼれた。
「案外お前の名前の由来ってここから来てたりするんじゃねーの?」
「ええ! ど、どうなんだろう…」
首を傾げて問い掛けるあかねに、天真は意地の悪い笑みを浮かべた。
「枕詞らしいぜ。月や照るとかにかかるっていってたか…」
「そうなんだ。なんか綺麗で嬉しいな」
茜さす。
色美しく照り映える。
天真にとってのあかねの存在を表しているかのようだ。
あかねを胸に抱いたまま、天真は天を仰いだ。
涼しげな風が自分の顔をそっと撫でるように吹き通る。
月明かりがそっと二人を包み込んでいた。
以前出した同人誌より再録パート2。再録…しようと思っていんですが、あまりに酷い出来で(以下略)。とりあえず遙1の一押しカップルの二人なので、二人が書けただけで満足気味です。
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