「雨上がりの後に」
不意に強くなった雨音にはっとする。 何度か目を瞬き、ゆっくりと周りを見渡せば、そこは見慣れた執務室だった。 「うたた寝ですか、プラチナ様」 「あ、ああ、すまない」 一緒に仕事をしていたジェイドに謝る。意識がまだはっきりしていないのか、 自分がどれくらい寝ていたのか思い出せなかった。 「……どれくらい寝ていた」 「そんなに寝ていませんよ。5、6分って所ですか」 「そうか……」 本当に眠いときは、数分でも熟睡した気分になる。目覚めるタイミングが良ければ、そのまま復活することも可能だが、生憎タイミングは悪かったようだ。 再び眠りの深淵に引き込まれようとする自分を、プラチナはどうすることも出 来なかった。 「夜更しでもしましたか。しょうがないですねえ……」 動く気配がしたかと思うと、ジェイドがすぐ傍までやって来た。 「ほら、起きて下さいよ、プラチナ様」 「眠い……、寝かせろ……」 「寝るにしても、こんな所で寝ないで下さい。後は俺がやっておきますから」 急かすように追いたててみたが、プラチナは一向に席を立たない。 大きく頭が揺れたかと思うと、がくりと机に突っ伏してしまった。 そんな様子にジェイドは溜息をつく。 「俺に寝室まで運べと……?」 もとより返事は期待していなかった。体力のないプラチナを何度か運んだことのあるジェイドにとっては、今更かもしれない。 完全に寝入ってしまったプラチナを抱え上げ、ジェイドは寝室に向かった。 次にプラチナが目を覚ましたのは、自分の寝室だった。 しばらくまどろんでいた後、はっきりと覚醒する。 「あ、起きましたか。ぐっすり眠れました?」 間を置かずして、ジェイドがお盆を持って寝室に入って来た。 時計を見れば、ちょうど3時を過ぎた所だった。 「そろそろ起そうかなと思っていた所だったんですよ。グッドタイミングでし たね」 「すまない、眠ってしまった……」 「たまにはいいんじゃないですか。それに眠いときは寝てしまった方が、後で集中出来ますし」 ジェイドの言葉に、それもそうかとプラチナは頷いた。 紅茶を用意していたジェイドが不意に窓の方を見る。 「見て下さいよ、プラチナ様」 「あ……」 開け放たれたカーテンの向こうには、七色に輝く虹が見えた。 起き上がって窓を開ければ雨に濡れた草木が、キラキラと反射していて眩しい。 「雨はもう上がっていたんだな」 「俺も気付きませんでしたよ」 「きれいだな……」 プラチナは見事な曲線に目を奪われるように呟いた。 「ええ、本当にきれいですね」 間近で聞こえた声に振り返れば、ジェイドが自分を見つめていた。 にこにこと笑うジェイドを、プラチナは訝しむ。 「お前……、どこを見ている」 どう見ても窓の外ではなく、自分の顔を見ているとしか思えない。 案の定、返って来た答えはそれを肯定するものだった。 「どこって……、プラチナ様の顔ですが」 「虹を見ていたんじゃないのか」 「最初に見ましたよ。その後にプラチナ様のことを見ていたんです」 「……相槌を打ったのは、虹に対してだと信じていいか?」 「愚問ですね。もう一度言ってほしいんですか?」 「いや、いい……」 一気に脱力したプラチナに、ジェイドが口を開く。 「紅茶、冷めてしまいますよ」 「そうだな……。もらおう」 プラチナは先ほど入れてくれた紅茶に手を伸ばした。 ときどきジェイドの睦言めいた台詞には眩暈を覚える。 ほんの少しのときめきも覚えないのかと問われれば嘘になるが、些細な会話のやり取りに混ざるそれは言葉遊びの延長のようで、ジェイドはただ雰囲気を楽しんでいる感もある。真に受けてやるつもりもないが、以前よりもそんなこと が増えた分だけ、プラチナはそっと嘆息した。 「お前、ただ反応を面白がっているだけだろう」 「あ、酷いですね。信じてないんですか?」 やっぱりちゃんと言ってほしかったんじゃないですか、と小さな呟きに、ジェ イドが反応する。 「そんなことは言ってない」 「遠慮なさらなくても……。貴方が望むなら、何度だって愛を囁いて見せまし ょう」 そんな言葉と一緒に、軽い口付けをもらう。 「……ジェイド!」 顔を真っ赤にして怒るプラチナに、ジェイドはさっと身を離した。 「さあさあ、楽しいお仕事が待ってますよ。今日中に終らせなければいけない書類が山とあるんです。夜遅くまで仕事を持ち込むと、また昼間眠くなっちゃいますよ」 睨まれても肩を竦めただけのジェイドは、さっさとティーポットを片付け始めた。 その様子を見たプラチナは、最後まで待たず無言で部屋を後にした。 ジェイドの抗議の声も、先ほどのお返しだと思えば気にならなかった。 「いつまで経っても慣れないものだな……」 執務室へと続く廊下で一人ごちる。 自分ばかりが振りまわされていると思う。 同じくらい大切に思っているのに、プラチナにはジェイドのような余裕はない。 キス一つで慌てるのも、突然のことに頭がついていかないからだ。 不意打ちでなければ、もう少しましな反応も返せるのだが。 「いつか一矢報いてやる……」 プラチナは固く心に誓い、執務室のドアを開けた。 |