恋の微熱
身体が熱い。重い。気だるい。 熱があるのだと自覚したのは昨日の夜。 元気からの電話も早々に切り、床に就寝したのは今から…何時間前のことなのだろう。 靄がかかっているような思考を働かせ、時計を見ようと重い瞼を持ち上げる。 視界に入る誰かの顔。 「辛い? あんず?」 「げ…元気君…?」 焦点が定まらない中でぼんやりと浮かび上がった輪郭の該当者の名を呼び、あんずは狼狽した。 はっきりと目が覚める。 いるはずも無い相手だ。確か今日は仕事が詰まっていたのではなかったか。 「うん。仕事の休憩時間にちょっと立ち寄ったんだ。昨日の電話の様子が変だったから。そうしたら熱を出したって」 言うと同時にこつんと額と額を合わせる。 秀麗な顔が近付く。 吐息が触れる。 髪がさらさらと流れ落ちる。 合わさった額から伝わる体温が心地いい。 「風邪が移るよ元気君…」 顔が近付いて思ったことは先ずそれだった。 相手は芸能人なのだ。それも売れっ子の。 病気などしたら大変だ。自分と比にはならないくらいに。 「いいよ、あんずになら移されても。移したほうが早く良く治るって言うし。あ、寝たままでいいよ」 起き上がろうとしたあんずを制す。 あんずは寝たままの姿勢で椅子に座っている元気を見上げるような構図になっていた。 「も、もう! 元気君一人の体じゃないんだよ!」 あんずの言葉にぷっと元気が吹き出した。 「なんか妊婦さんに対してのコメントみたいだよ、それ」 「に、にん…っ」 思いもよらない反撃に言葉が詰まる。 「えっ…あ、そのっ…これからお仕事?」 何とか話をそらそうとあんずははっきりしない思考の中懸命に話題を探す。 この話題がますます自分を窮地に陥らすとは想像できずに。 「うん、今度月9の主演が決まってね。その記者会見」 「わぁ! 凄い」 月9と言うのは月曜9時のドラマの略称で、数あるドラマ枠の中でも高視聴率をたたき出している時間帯である。 その主演に選ばれたと言うことはそれだけで今後の芸能活動においてステータスになるほど名誉あることとされている。 しかし、そんなあんずの賞賛にも元気の顔は晴れ晴れしない。 「でも、ラブストーリーなんだよね」 ラブストーリーのどこが不満だと言うのだろう。 思いあぐねていると元気がじっとあんずの顔を見つめ、口を開いた。 「第1話でキスシーンが4回」 「え?」 「第2話でもえーと…とにかく数えるのも億劫なほど多いんだ。こんなに恋愛色が強いんだったら断ったのに」 「えっ!?」 「だってあんず以外の人とキスなんて演技上でも嫌だな」 「元気君が他の誰かとキスするのは正直に言うと嫌だけど…でも! だからってその話を断っちゃうのは勿体無いよ!」 「ドラマが入ると忙しくなるし、今以上に合う時間も減るかもしれない」 「寂しいけど…耐える。私、演技している元気君も凄く好きだから。私にできる範囲で協力するよ!」 「本当に?」 後から考えればこれは元気の手だったに違いない。 絶対に、間違いなく。 「うん!」 「じゃキスシーンの前後にはあんずで練習してもいい?」 「!? れ、練習…?」 「あ、違うかな。消毒?」 「それはちょっと言いすぎなんじゃ…」 月9ならば相手も今、旬の女優なのだろう。 しかし、役得という考えは元気の中に無いようだ。 「あんず以外の人とキスだよ。それも何回も。あんずも嫌だって言ってくれたよね」 「う…うん。でも時間が無いってさっき…」 「減るかもしれないって言ったけど逢えなくなるわけじゃないよ? できる限り時間はつくるし」 実際、元気はどこにそんな暇があるのかというくらいまめにあんずと会うようになる。 「駄目?」 顔を覗き込まれて。 「だ、駄目じゃない…けど…」 戸惑いがちな肯定の返事を受け取ると、 「あんず顔真っ赤だ。熱上がったかな」 再び額を合わせ考え込んだ。 熱の急上昇。誰のせいだと思ってるんだろう。 「氷枕を代えてくるね」 あんずを持ち上げ、氷枕を抜き取る。 「ありがとう…」 「ちょっと待ってて」 甲斐甲斐しく世話をしてくれる元気に謝辞を陳べるあんずに特上の笑みで答えると、元気は足早に部屋を出て行く。 一人残された部屋であんずは熱る頬に手を当てた。 頬の熱さは決して熱のせいだけではない。 顔を覆い隠すように布団を持ち上げる。 なんだか。 とんでもない約束をしてしまったのかもしれない。 その後、すっかり回復したあんずは原作の本の結末を見、今後の自分たちを想像しては赤くなるのだった。 快感フ○ーズのドラマ化だったら大変だ。(笑) というか元気君云々より私の頭がどうにかなってます。 ところでこれ恋の微熱どころか熱出してますよ(苦笑)と、誰かに突っ込まれる前に自分で突っ込んでみます。 BACK |