純白の魂に妙な胸の痞えのようなものを覚えたのは何時だっただろう。 プラチナを見ていると、沸き起こる言葉に出来ない想い。 時に甘く疼き、時に苛立ちを覚えさせる。 …それがなんであるのか、確かめる必要もない。 彼は自分を天上へと導くための鍵なのだから。 それ以外の必要性はないのだから…。 「プラチナ様、入りますよ」 返事がないテントの中に足を踏み入れると、ジェイドはまだ心地よい夢の中にいるプラチナの傍へ歩み寄った。 業務連絡があったのだが、この様子ではまだ起きる気配がないだろう。 覚醒しているときは大人びて見える表情も、寝顔だけは子供のように無垢なものだ。 …そう、彼はまだこの奈落に生まれて間もない存在。 王としての素養から錯覚しそうになるが、まだ片手で足りるほどの年月しか過ごしていないのだ。 心地よさそうに眠るプラチナの顔には、銀色の髪が無造作にかかっていた。 あれほど手入れをするようにいったのに、容姿に極めて無頓着で物臭なこの王子はそのまま寝てしまったらしい。 流れる水を掬い上げるように、月光のような髪を手に取った。 自分に触れる何かに気づいたのか、ゆっくりとその瞳が開かれた。 「…お前か…」 まだしっかりと意識がはっきりしていないのか、まどろんだ瞳がゆっくりとジェイドを捉えた。 「無防備ですねえ。私が敵兵だったら簡単に寝首をかけますよ。こうして」 ベッドに横になってるプラチナの元へ近寄る。 そしてその身を屈めると、プラチナの首に手を当てた。 素早い一連の動作にプラチナの美麗な相貌が歪んだ。 「おおっと、じょーだんですって」 全く反省のない飄々とした口調でそう告げると、ジェイドは身を起こした。 「朝から性質(たち)の悪い冗談だな」 半身を起こすとプラチナはジェイドを軽く睨む。 寝起きの不機嫌さもプラスされ苛立ちは倍増、といったところだろう。 「そうそう、今日の予定です。南の森で天使の目撃情報が入りました。今日はその討伐に向かいます…ってプラチナ様、聞いてます?」 プラチナからの反応はない。 見据える視線はどこか遠くを見ている。 自分ではない何か。 それが何故か気に触った。 「プラチナ様!」 「…そんなに大声を出さなくてもちゃんと聞こえてる」 プラチナは顔にかかる髪をかきあげると、煩そうにジェイドを見上げた。 見据えた蒼の瞳には自分の姿が映っている。 「だったら反応を示してくださらないと。独り言喋ってるみたいじゃないですか」 一呼吸を置いてジェイドは言葉を紡いだ。 「ああ…それとも私の声なんて耳にはいっていないとか?」 「何…?」 眉根を寄せてプラチナが問い返す。 「そういえば、サフィルスとは何を話したんですか?」 「唐突に何を」 サフィルス、という名前に過剰に反応し、プラチナの瞳には戸惑いという感情が揺らめく。 「ずっと聞きたいと思っていたんですよ」 「お前には関係ないだろう」 「関係ないことないですよ。サフィルスは敵の参謀。こちらの情報が引き出されていたりしたら適いませんからね。…ま、勿論プラチナ様がそこまで無能だとは思っていませんけど」 「特に他愛もない会話をしただけだ。お前とは話さない類のものだがな」 聞かれたくないことなのか、誤魔化そうとするように語気が強くなっていく。 ジェイドの挑発に乗ったことに今のプラチナは気づいていないだろう。 あの日。 敵方王子であるアレクたちと一時休戦をしたあの時から、プラチナの様子が変わってきていた。 自分の呼びかけにも無反応になることがしばしばある。 何か考え事をしている時間が前にも増して増えた。 おそらくそれは自分が関与することがなかったあの時間に原因があるのだろう。 サフィルスの影響ということは疑う余地もない。 それを見抜けない自分ではない。 サフィルスは一日にも満たない会話でいとも簡単にプラチナの心を奪った。 ジェイドが今まで積み上げてきたものをあっさりと飛び越えたのだ。 (何が気に入らない? 決まっている) サフィルスの介入が気に入らないのだ。 そうだ、彼に与えるものは全て自分が与えている。服も本も知識も食事も何もかも。 それ以外の介入は排除してきた。部下となっている者たちへも必要以上にプラチナには近づけさせないようにしてきたつもりだ。 なのに、今のプラチナの中には彼が与えたもの以外の存在が大きくなっている。 そのことが想像以上にジェイドに動揺を与えた。思ってもみない感情に笑いがこみ上げる。 何を今更。 王となる上で特別なものは必要ない。常に孤独であるべきなのだ。 特別な存在なんて…必要ない。 そう、それだけだ。必要ない。必要ないからこそ、サフィルスの存在を彼の中から打ち消したいのだ。 それ以外の感情なんて…ない。 サフィルスとの最終目的は一致している。言うなればこの奈落では唯一の同胞。 最もそれだけでサフィルスとは考え方も違う。 最終目的は一緒だったとしても、そこにたどり着くまでの過程が相容れることはないだろう。 甘く優しく王子を加護するサフィルスと突き放し、冷たく当たる自分とでは。 しかし、自分はこのやり方を貫いている。今更方向転換はできるはずがない。 彼に与えるのが許されているのは自分だけなのだ。 そう、自分以外の誰かにその役目を譲る気は毛頭もない。 「あらら…怒らせちゃいましたか? でもプラチナ様」 …貴方を手放す気は俺にはありません。 貴方は俺の鳥篭から飛び立てない力なき小鳥なんです。 俺の介添えなしでは決して自力で羽ばたけない…。 そう思うと、少しは気持ちも浮上する。 「貴方と私は一蓮托生なんですからね。貴方の行動一つで私の運命も決まること忘れないで下さいよ」 「…ああ」 「プラチナ様」 「何だ?」 「言動にはしっかりと責任を持って下さいね。言葉には言霊が宿るとも言いますし」 この言葉の真意をおそらくプラチナはわかっていないだろう。 わからせる気もないけれど。 「無論だ」 プラチナはジェイドの言葉に頷く。 「着替えてから行く。先に用意をしていろ」 「でも一人で着替えられます?」 「当たり前だ!」 間髪いれずに反応が返ってくる。 相変わらずプラチナはからかいがいがある。 殺伐とした奈落の生活の中で、確かにこの日常は自分に息づいていた。 「じゃ、外で待たせてもらいますよ」 「…ジェイド」 テントを後にしようとしたそのとき、ベッドに腰をかけたままのプラチナが声をかけた。 「なんです?」 「今日のパートナーはお前だ。しっかりと働いてもらうぞ」 「…仰せのままに」 その時のジェイドがどんな表情をしていたかを知るのは、この世でプラチナただ一人だろう。 |