「この子どもを育てて欲しいのじゃが…」


 氷解するトキ


 そう言われて、玉鼎は目を見張った。
 崑崙の教主、元始天尊が玉鼎の前に連れ出したのは、まだ4、5歳にも満たない幼子だった。
 いや、そんな事よりも玉鼎が驚いたのは、その頭部。
 まだ幼く愛くるしいその両側頭部には、まぎれもない…
「元始天尊様、その子どもは…」
 さぐるように訊いたその言葉に、元始天尊はやけにあっさりと頷く。
「うむ。妖怪の…しかも通天教主の息子じゃ」
「……」
 小さく息を呑む。
 通天教主の息子……?
「なぜ、そんな…」
「わけあって、理由は明かせんが…とにかく頼んだぞ、玉鼎」
 どれだけ不満があろうとも、さすがに逆らえない。
 玉鼎は微かに頷いて、その子どもを見た。

 きっと、美しい子なのだと思う。
 よく晴れた、仙人界の清浄な空を思わせる髪。
 滑らかな白い肌に大きな紫色の瞳が、よく映えていた。
 ただ、耳の上から突出した異形の角が、その美貌をよけいに凄みを持ったものとしてしまっている。
 妖怪の子ども。
 やっかいなモノを引きうけてしまった。
 普通の子どもですら育てる事など初めてなのに、まさか妖怪とは。
 玉鼎は、人知れずため息をついた。


 手のかからない子どもだった。
 普通なら何千年もかけて得るであろう人型をすでにとっている事からわかるように、力は恐ろしく強い。
 そのせいか、飲食も必要ないようだ。
 おそらく、睡眠すらも。
 金霞洞につれてきてから何日か経ったが、一言もしゃべろうとはしない。
 あの紫の瞳で、ぼんやりと玉鼎をみあげているだけだった。
 そうなると、玉鼎も気が抜けたようになる。
 妖怪とは、やはりそのようなものなのか。
 もともと他人と話す事が苦手だった事もあり、その子どもに洞府の中の個室を一つ与え、
 自分は今までと同じように気ままな生活を送る事にした。
 ただ、気配だけはいつも探っているようにしている。
 元始天尊の意図はハッキリしないが、きっと妖怪との間に何かあったとき、役に立つのだろう。
 人質のようなものか。
 しかしそれなら、通天教主は自分の子どもを引き渡した事になる。
 結局、妖怪とはどれだけ人の形をとっても、人のような感情は得られないのだろう。
 そう、思っていた。

 ‘育てる’というより、‘同じ洞府に置く’という状態がしばらく続いた。
 そしてある日の夜、玉鼎はふと、いつもの気配が洞府のどこにもないことに気がついた。
 どうやら睡眠さえ必要ないのであろうその子どもは、夜中も起き続けている事もしばしばで
 あったが、今日はその気配がない。
 まさか、逃げ出したのか。
 崑崙内で、殺生でも犯したら、大変な事になる。
 玉鼎は愛用の宝貝、斬仙剣を握り締め、洞府を出た。

 夜の涼しい風が、黄巾力士に乗った玉鼎の頬を撫でて行く。
 漆黒の髪が、夜空に溶け込んだ。
 気配はすぐに見つかった。
 他の仙道に見つかっては、色々と面倒な事になるだろう。
 そう思って、力士を急がせる。

 ―――いた。

 闇夜の藍に、白い布がはためいている。
 その子は、黄巾力士の降りる音に立ち止まった。
「どこへ行く気だ」
 力士から飛び降り、玉鼎がその目の前に立つ。
 かなりの長身である玉鼎だったから、その子は痛いほどに顔を上げていた。
「どこへ行く気だった」
 もう一度、強く問いかける。
 その口調は、少し詰問の色を含ませていた。
 斬仙剣の柄が、しっとりと手になじむ。
 すると初めて、その子どもは表情を変えた。
「……は?」
「……?」
 聞き取れないほどの小さな声に、玉鼎が眉を寄せる。
 子どもはうつむいて、肩にかけている布を握り締めた。
「…お父様は、どこですか…?」
 玉鼎が、驚いたように目を開く。
「お父様がいないと、怖くて眠れません……」
 消え入りそうに、か細い声だった。
 小さな肩が、震えている。

 ……父親の…通天教主の元に帰ろうとしていたのか。
 ……眠りが必要ないのではなく、眠れなかったのか。

 玉鼎は、小さく唇を噛んだ。
 何を考えていたのだろう、こんなに小さな子ども相手に。
 突然親から引き離されて、寂しくないはずがないだろう。
 人の感情がないのは、自分ではなかったか。
 
 やりきれない想いで、そっとその子の前にしゃがみこむ。
 驚いて上げたその瞳には、大粒の涙がたまっていた。
 まばたきした拍子に、頬を伝う。
 綺麗な、瞳だった。
「……すまない……」
 突然謝った玉鼎に、首をかしげる。
 玉鼎は、そのままその身体を抱き上げた。
 この子にちゃんと触れたのは、これが初めてかもしれない。
 急に抱き上げられ、怯えてすくませた背中を、やわらかく撫でてやる。
 そうしていると、ゆっくりと緊張も薄れていった。
 頼りない手が、玉鼎の服をにぎる。
 玉鼎は不器用ながら、できるかぎり優しい声で楊ぜんに呟いた。

「眠れないのなら、これからは私がそばにいてあげよう」


 ずっと。


                                <fin>


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪あとがき≫
ふわああああ、すみません、こんな話書いて…。
始めらへんの師匠が、えらくムカツキボンバーですね。
でも、素晴らしい甘々の出会い編は他の素敵サイト様が書かれているので、あえてこんなカンジにしました。
やはり甘い話の書けない私。
お、怒ってらっしゃるかしら、師匠ファンの方々…
でも、マジで私の玉楊の始まりはこんな感じなのです。
すみません…近頃正直です、私…。

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◇氷解するトキ◇ いとうかな様 作

いとうかな様にいただきました。
初出はご自分で開設されていたサイト「いやはてのえでん」です。閉鎖に伴い掲載させていただくことになりました。玉砕覚悟でオネガイメールを出したのですが快く承諾をくださいまして、そうとう嬉しいのですが、複雑な心境ではあります。
わたしの玉鼎のイメージは、常識的で社会通念にしばられてそう、というものだったので、この話にはハートをがっちりキャッチされました。もうこれ以外の馴れ初めなんぞ考える気も起きません。
案 内   書 肆

 

 

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