脳の裏側あたりに鈍い痛みを覚えて、太乙は目を覚ました。


 残光
「太乙?」
覗きこまれている気配。ぼやけた視界の真ん中で、黒い影が動く。
「あた……あ、そこ。そこ立ってて」
うめいて、瞼の上から痛む眼球を押さえた。寝入ってから1時間ほどが経ち、太陽が傾いて、視神経を焼くような直射日光が注いでいた。
普段なら何でもないはずの明るさが、瞼を閉じていてでさえ、つらい。
「つ―……」
痛みがだいぶん拡散してしまってから、太乙は恐る恐る目を開いた。
「どうかしたのか?」
光を遮ってくれた黒い影が、声をかけてくる。太乙は目を凝らした。
まぶしい光を背負った影は中々目にはなじまなかったが、その間に脳が緩慢に記憶を引きずり出して、結局太乙は、声からソレが誰なのか判断した。
「何だ…道徳か…」
「起こしたか?」
「いや、起きるつもりだったから」
太乙は長椅子の上に身体を起こして、欠伸混じりに言う。
「そこの棚に、この前貰ったいいお茶があるよ。飲むかい?」
「ん?ああ」
「じゃあ淹れて」
太乙はもう一度出そうになった欠伸をかみ殺して、かわりにため息をついた。
呆れたような顔になり、それでも示された棚から茶葉を出す道徳の背中を、しばらくぼんやりとして眺める。
足元に落ちる影の濃さに、改めていい天気なんだな、と思う。
柱の間から吹き込む風は薄着の肌に涼しいが、外に出れば、それでも暑いぐらいだろう…。
「ほら」
「のあッ」
意識が少し、別な所に飛んでいたらしい。
急に目の前に現れた湯のみに驚いて、太乙は飛びあがりそうになった。
「何をぼんやりしてるんだ?」
「ん―…」
鈍い思考をごまかすために意味のない唸り声を上げ、太乙は湯のみを受け取って机についた。
「寝不足かな」
「ふーん、よくないね」
道徳が、太乙の隣の椅子を引く。それを横目で見ながら、太乙は頬杖を着いた。
「で、何?宝貝の依頼とか?」
「いや、調整」
と、道徳は机の上に黒い棒状の物を置いた。
太乙は軽く目を見張る。
「莫邪の宝剣か…」
千年ほど前に、道徳が開発したものだ。何の捻りも無くて、太乙には正直物足りなかったが、道徳らしい宝貝ではある。
「調整ってことは、…新しい弟子を取ったんだってね。殷の武成王の息子だったっけ。これ、その子に?」
「ああ、多分あうと思うんだ」
道徳は、楽しそうに頷く。
その弟子が入門したのは一年前だったか、二年前だったか…よくは思い出せないが、道徳の様子から、きっといい子なのだろうと太乙は思った。
「じゃあ、見ておくよ。スペアとかあったほうがいいかい?」
「そうだな、頼むよ」
手にとって裏返したり、空洞になっている中を覗いて見たりしていた太乙は、ふと気がついて眉をしかめた。
「あ―…でも、後回しにしていいかな。今は忙しいんだ」
「ああ、別にいいよ、急じゃないし。でも…」
なんで?と目で問いかける道徳に、太乙は知らず浮かぶ笑みを向けた。
「もう少しで…霊珠が完成するんだ」
「ホントか?!」
開発者でもないのに、道徳が目を輝かせる。
道徳のことだから育てていた草が花を咲かせたときでもこれくらいの反応はありそうだが、それでも太乙は少し嬉しくなった。
霊珠は、思惑通りに出来れば、間違いなく仙人界最高の宝貝になる。
「すごいじゃないか」
「うん、ただ…」
表情を曇らせた太乙を、道徳も思わず眉をひそめて見返した。
「ただ?」
「最後の仕上げが、どうしてもうまくいかなくてね―…」
太乙は湯のみを手のひらで囲んで、湯気を散らすようにまたため息を落とした。
すでに、霊珠を宿す女性は決まっている。
早くしなければならない。
自分の中に焦りがくすぶっているのを太乙は自覚していた。
「アレを…ああなのかな。それともあっちの方から…」
「太乙?」
「あっ、何か気になってきた」
口の中でボソボソとつぶやき、太乙は突然がばと顔を上げて茶を飲み干した。
「ゴメン道徳、また―…」
太乙のいきなりの行動に目を丸くしている道徳へと、一応断りを入れながら、太乙は椅子を鳴らして立ちあがる。
そのまま足早に研究室へと向かおうとしたが、その途端、視界が暗転した。
何の前触れもなく平衡感覚が立ち消えて、太乙はその場に膝をつく。
「おいっ!」
道徳の焦った声と、椅子を蹴る音が重なった。
「あれ……?」
太乙は身体の偏重に単純に戸惑って、瞬きを繰り返しながら小さくつぶやく。
背筋や額に、汗が浮くのが分かった。呼吸も浅く短い。
視力は一瞬で戻ったが、焦点が上手く定まらない。
「大丈夫かッ!?」
「……うん、平気だよ」
肩に手をかける道徳に、わざと軽薄な動作でひらひらと手を振って見せる。
実際、症状は一呼吸ごとに、波が引くように楽になっている。ただの立ち眩みだったらしい。
だが、浮いた冷や汗が中々ひかないので、顔は上げられなかった。
「少し、眩暈が…って、道徳!」
いきなり道徳が腹に手を回したので、太乙はギョッとする。
「何…!」
言いかける太乙を無視して、道徳はそのまま腕に力をこめると、太乙の身体を担ぎ上げた。
大の男を、片手で。
恐るべき腕力に、太乙は思わず沈黙してしまった。
「……太乙、昼メシ食べたか?」
「あ、いや…」
太乙は道徳の後頭部を仰ぎ見て、首を振った。
「朝は?」
「……食べてない」
研究に没頭していて食事を忘れるのは、太乙には良くある事だ。
道徳はそれだけ訊いて後は黙ったまま部屋の隅まで歩いて行き、長椅子の上に太乙を降ろした。
もうすっかり眩暈はおさまっていたので、太乙は身体を起こそうとしたが、それを道徳の手が押しとどめた。
「ひどい顔色だよ、お前。……寝てないだろう」
「だから寝不足だって、言ったじゃないか」
実を言うと霊珠の仕上げに入ってから、2時間睡眠をとれば多いほうという日が続いている。
「……寝たほうがいいのは分かっているんだけどね。気になって…眠れないんだよ」
「……マラソンでもしたらどうだ?」
熟睡できるぞ、と言う道徳に、太乙は苦笑した。
「そんな体力はないよ」
道徳は手袋を脱いで、掌を太乙の汗ばんだ額に押し当てた。
太乙が目を伏せる。
体温が下がっているためか、道徳の手は温かくて心地よかった。
「いくらオレ達が燃費いいっていっても食べなきゃ飢えるし、寝なきゃ倒れるよ。健康管理は体力作りの基本だぞ」
「いや、別に体力作りしたいわけじゃぁ…」
「だから、体力をつけろって言ってるんだよ」
「説教くさいなぁ…」
太乙は文句を言いつつ、心残りではあったが道徳の手を押しのけて、上体を起こした。
「霊珠が完成したら、健康管理にも挑戦してみるよ」
「…それで、またしばらく不健康な生活続ける気なんだ?」
「うん…霊珠ができるまではね」
「呪文みたいに、繰り返すなよ」
道徳が、太乙の隣に腰掛けながら、嫌そうな顔をする。
「…呪文ねぇ…」
確かにその通りだと思い、太乙は口元を緩めた。
「かけてるかもしれないな」
「やめろって」
「さて…」
研究室に、と立ちあがった太乙の手首を、不意に道徳がつかんだ。
強く引かれて太乙はよろめき、長椅子の上に倒れ込む。
「ちょっ…何、道徳?」
そのまま両手首を長椅子の上に押さえ付けられ、当惑しつつも抗議の目で道徳を睨み上げる。
「しよう」
「…何を?」
本気で疑問に思って訊くと、道徳は返事の代わりに、上半身を低くして太乙の髪に口づけた。
「あっわかったストップ待った道徳!」
太乙は慌ててまくしたてる。本当はのしかかる道徳の身体を突き飛ばしたいところだったが、
手首にかかる力は思ったより強く、びくともしない。
「嫌なのか?」
「嫌だよ!」
太乙は強く言い返す。
「何で?」
「なんでって…キミとすると体力勝負になるじゃないか。余力ないんだよ今…、大体過労の人間を押し倒すなんて真似がよくできるね」
「うん」
「うんじゃないだろう!何考えて…舐めるな!」
首筋に濡れた感触を覚え、太乙は声を荒げた。
「ああもう人の話を…――――んむッ」
強引なキスに、続きの言葉はかき消される。
「道……っ、待、て……ってば!」
道徳が手首を押さえていた片方の手を放し、太乙の顎を掴んだ。開いた唇の表面を舌が撫で、間を割って口内を犯す。
「……ん、うぅっ…」
違う生き物のように、舌と舌がうごめいて絡み合う。
「何だ…答えてくれるんじゃないか」
近すぎて見えない位置で、道徳の笑みの気配がした。
「……条件反射だよ」
太乙は不機嫌を装って言い放ったが、顔が赤くなってしまう。舌の絡む感触がわりと好きなことを、道徳には既に知られている。
乗り気のときには、それだけで身体が反応するほどだ。
「ふ―ん…?」
含みのある口振りに、羞恥と腹立ちで更に赤面しながら、太乙は束縛のなくなった右腕で、道徳の胸を押しやった。
「とにかく、どいてくれないかな」
視界に入った道徳の顔は、常にはあまり見れない質の微笑みが浮かんでいる。
夏に浮かされたような、強い、それでいて妙に優しげな眼。
キミって昔っから、こういう時はいつもそんな顔するよね。
思って、口に出しそうになったが、タイミングが外れているような気がしてやめる。
「……疲れてるんだ、ムリだよ」
「そんなことないさ。太乙は元々感じやすいから…」
道徳はそう言って、太乙の腕を押し返し、耳たぶに軽く歯をあてた。
子犬の甘噛みのような優しく鋭い刺激と、耳朶に触れる熱い吐息に、身体中を電流が走る。
「…ほらね…」
「…っ、く」
からかうように道徳が笑った拍子に、また息がかかって太乙は喉を鳴らした。
「耳、弱いんだよね…太乙って」
言葉と同時に、指が黒い道衣をたくし上げて素肌の上ですべり、びくりと身体を強張らせた。
道徳はその脇腹からゆっくりと舐め上げて、胸の突起を舌の先で嬲る。
「……それに、ココも」
「ふっ…、う…っ」
太乙が嫌になってしまうほど、しつこくその行為を繰り返しながら、道徳の片手は腰の帯を巧みに抜き取っている。
「!待……っ」
我に帰って太乙は、その手が下衣の中へ忍び込もうとする寸前に、掴んで止めた。
「……ここまでやっといて?」
道徳が、不満げに眉をひそめる。
「キミが勝手にやったんじゃないか」
「まぁそうだけどさ」
と、押しとどめた手が、逆に掴み返される。
「あのさ道徳…。キミには悪いけど、私はこんなことしている暇があったら研究をしていたいんだよ」
「……ホント、悪いなぁ」
苦笑いをして道徳は、しかもまだそんなこと言ってるし…と小さく続けた。
同時に、手首を握る手に痛いほどの力が加わったので、太乙は少し驚いた。
怒ったのだろうか、まさか。
道徳は少々ノリが外れてはいるが、人当たりのよい性質の男で、普段から怒りをあらわに示す事は滅多にない。だから、太乙などは割と言いたい放題に言ってしまうのだが。
今も、口元は笑っているし、目にも苦笑の色が見えるだけだ。
だが、つきあいの長い太乙には、彼の苛立ちがはっきりと伝わってきた。
「道徳?」
「どうしても嫌だっていうなら、それでもいいけど」
道徳は額のバンダナを外して、フウと息をつく。
「それじゃぁ、ガマンしてくれ」
「なん……、ん!う」
背筋がひやりとするほど、獰猛なくちづけに唇をふさがれた。
覆い被さる男の身体を反射的に押し返そうとするが、腕が自分と道徳の身体の間で圧迫されて、うまく動かせない。
呼吸の主導権を握りたくて、太乙は舌を動かした。やはり不摂生のせいなのか、すぐには息が上がって頭痛がする。
「はッ……」
口の中から道徳の舌を追い出し、顔をそらせて息をつく。
だが、すぐにまた封じられた。頭痛はおさまる間もなく、循環の悪い酸素を責め立てるように段々ひどくなる。
「……っ!」
上唇を吸われて、痛みが走った。間違いなく痕の残ってしまうだろうその強さに、太乙は焦って思わずその唇に噛みつく。
加減を忘れた歯が道徳の唇に食い込み、懲りずにまた入れてきた舌は、鉄錆の匂いがした。
血混じり合う唾液の味が、舌に刺さる。
「ふ…ん、んうッ」
下衣の中に侵入してきた手が、なだめるような妙に優しげな動きでそれに刺激を与え始める。
太乙の息が苦しげな喘ぎにかわり、断続的なうめきが唇の間から洩れるようになってようやく、道徳は口接けをやめた。下衣をひきずりおろし、膝の横に唇を寄せる。ぬめりを帯びた熱い感触がそこから脚のつけ根まで伝い、太乙のものを包み込んだ。
「あ……っ」
太乙はビクリと喉をのけぞらせる。
腰の奥のあたりに、疼きが生じていた。ごまかそうとして眼をきつく閉じるが、段々と甘く、強くなってくるその感覚は身体中に満ちて、指先が痺れたようになる。
「っあ、ど…うと、くっ……!」
吸い上げられ、舌先でくすぐられて、たまらず悲鳴じみた声が上がった。
「や……もうい、から……ッ、はな…」
「……こんなになってるクセに」
脚の間で道徳はぼそりと言い、体液の絡んだ指を太乙の中へ挿入した。
「んんっ…」
内壁を擦るように、ゆっくりと何度も抜き差しされる二本の指が淫らな濡れた音を立てる。
「気持ちいいだろ……?」
見ればハッキリとわかるのに、道徳はわざわざそんなことを聞いた。
太乙は、かすむ眼で彼を見上げる。睨む、というほどに、強い眼をする気力はもうなかった。
「…は、あ…っ」
激しく上下する太乙の胸にキスをして、道徳は少し擦れた声で囁く。
「……入れるよ、いい?」
「んっ……」
道徳は返事を待たずに、指を引き抜いて太乙の腰を抱え上げた。
ぐ、とそこが押し広げられ、道徳のものが入ってくる。
限界を超えているのかもしれない大きさに、内側が強く擦られて、そのたび太乙は道徳の背に、爪をたてた。
「んっ、ん、……ふっ」
揺らされ、食いしばった歯の間から押さえきれない声がもれる。
「太乙……っ」
道徳の、熱い吐息が鎖骨の上にあった。
次第に動きが激しくなり、深く突かれて、足のつま先までつりそうなほど、力がこもってしまう。
「……あっ!あっ…!」
絶頂が近くなり、太乙は声を抑えるのも忘れて道徳にしがみついた。うなじに触れる、道徳の息も荒い。
「あ、んッ、んン……!」
一瞬、長椅子の軋む音も、太陽の眩しさも何も分からなくなった。
「…は…ッ」
息をついて、ふ…と身体から力と、感覚が消えていくのに気づく。
そのまま、太乙は抗う間もなく、意識を闇へと手放した。

「……二十四時間ぐらい、寝てるといいよ」
長椅子の上に優しく太乙の身体を横たえながら、道徳は肩をすくめる。
「強情だよな、ホント…太乙」
(研究にハマると、身体の事なんて気も遣わないんだから)
強情というより、研究バカだろうか。
「……知ってたけど、さ」
ため息をついて、何やら、フンだ、とか呟きたい気分になっている自分に気づいた。
立ちあがって机に歩み寄り、すっかり冷めてしまった茶に口をつける。
たんに欲情したという建前で、本当は日陰の生物みたいになっていた太乙を、強制的に運動させるつもりだった、のだが。
……それこそ、自分への建前だったのかもしれない。
「嫉妬したかな?」
何となく、外に広がる空を見やって、呟く。
「……宝貝に?」
可笑しさが込み上げてきて、道徳は太乙を起こさないように声を抑えて笑った。
霊珠ができることは、仙人界の進歩だ。
そしてそれを太乙が完成させる事が、道徳にはとても嬉しく誇らしい。
(遅らせてしまったのは申し訳ないけど)
それでも太乙自身が壊れてしまえば、それは道徳にとって、意味のないものになる。
「…さて」
道徳は部屋を出ていこうとして、踏み出した所で振りかえった。
「おやすみ……太乙」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪あとがき≫
最初はギャグ落ちだったなんて、誰か信じてくれますか(泣)?
もうコーチがつかみにくくて、つかみにくくて…。
しかもやっとつかまえたと思ったら、ニセモノだし(笑)。
彼をテクニシャンにするため「テクありテクあり!‘清虚’も‘道徳’も聞いて呆れるよ!」とか呟きながら書いてました。
太乙の着ている服は、例の鳩尾まで開いているヤツで…。ウフフ。というわけで(どういうわけだ←お約束)最近太乙に愛を注いでいるメグミでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇残光◇ 恵ネネ様 作

初出は「いやはてのえでん」です。この作品も「氷解するトキ」同様、閉鎖に伴い掲載させていただくことになりました。これはわたしが「いやはて」を知るキッカケになった作品です。
もう、コーチがオトコマエでっ!!>< この不道徳さん、水月的道乙史上でベストに入るくらい好きかもしれません。
案 内   書 肆

 
 

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