指話 1


(1)
―ようこそ、プロの世界へ。
―よろしく、お願いします。
その言葉を交わした瞬間から、自分にとって“その人”は“敵”となった。

幼い時から、父とその人が碁を打つところを何度となく見て来た。他の門下生らが
見守る中で、あるいは3人だけで。息を潜め、子供心に父親を応援しながらも、
父とその人が作り出す棋譜に心惹かれ夢中になった。
本当に小さい時はその人に抱き上げられ、その人の膝の上で寝入る事もあったらしい。
だが、いつからか、まったく自分がその人に寄り付かなくなったという。
はっきりしたきっかけがあったのかはもう、自分でも記憶は定かではなかった。
ただ思い当たるとすれば、その人がある時何か大きな大局で負けてしまい、その検討会を
父と二人でしていた時に、何か用があって自分が父を呼びに入った事があった。
普段通り正座した父の対面でその人はあぐらをかき片手で膝を掴み片手で髪を
掻きむしりうなだれていた。
部屋に入った瞬間、その状態のその人と目が合った自分が泣き出したのだ。
その時なぜ自分が泣いたのか不思議に思うけれど、多分その人の目が、
とても恐ろしく、そして悲しそうだったからだろうと今なら推し量れる。
プロの厳しさを最初に肌で感じたのはその時だったと言える。
二度と、そういう場面にその後出会うことはなかった。
数多い門下生の中でもその人は誰よりもより多くのものを父から受け継いだ。
だからかもしれない。
いつからかその人が自分の中で特別な人になっていったのは。



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