浴衣 1
(1)
「アキラさん、そろそろ出掛けたほうが……」
襖の向こうから、母の声がした。
慌てて雪見障子に目をやれば、明度を落とした橙色が、白い障子紙を染めていた。
「もうじき5時だよ」
進藤が驚いたような言った。
改めて、掛け時計で時間を確認し、僕も驚いてしまう。
進藤がやってきたのが2時ごろだった。あれからそう時間が経っているようには思えないのだけど、3時間近く二人で碁盤を睨んでいたことになる。
「お母さん」
襖が開き、母が晴れやかな顔を覗かせる。
「夢中になるのもわかるけど、そう根をつめるものじゃなくてよ」
「すみません」と僕が苦笑すると、進藤も軽く頭を下げていた。
進藤と蛍を見てから、そろそろ一ヶ月になる。
あれをきっかけに僕たちの関係が変わったかというと、実は何も変わっていないのだった。
夏場は様々なタイトル戦の予選や棋院主催のイベントなどが目白押しで、いろいろと忙しい。
僕はまだ学生という身分にあるので、普段はイベント関係の仕事は免除されることも多いのだが、夏休みということもあってここぞとばかりに依頼がある。
ひとり暮しをはじめた進藤はき、生活費を稼ぐんだと、雑多な仕事も進んで引きうけている。
そんな訳で、僕たちのスケジュールは一杯一杯、今日こうして二人とも空いたのは奇跡的なことかもしれない。……少し大袈裟だな。
―――――塔矢も、俺のこと好きになってよ。
あの晩、進藤が囁いた言葉に、僕はまだ返事をしていない。
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