霞彼方 1
(1)
「負けました」
勝つつもりだった。勝てると思っていた。
手が届くと思っていたのだ、今の自分なら。
悔しい。負けたことじゃない。自分が目指す高みの、まだその底辺にも
届いていないことが。
目指す頂点はあまりに遠く、いまだ、霞の彼方。
「成長したと思ってた……。二年前のオレはまだヘボで、先生との差は
大きかったけど、今のオレは研究会で先生と打つ時だって気後れなんか
してやしない。そう思ってた――でも、勝負の場での先生を越えられなかった。
オレに足りない物が、まだ、ある」
「勝負の場での――か。棋士の恐さは勝負の場で向き会わねぇと見えんからな。
――だが、その扇子、おまえもカッコつけて持ち始めたわけじゃなかろう?
おまえの何がしかの決意の表れなんだろ? くらいついて来るしかねぇな」
ヒカルは、手にした扇子を堅く握りしめた。
自分の力を信じるために。今はもういない、かの人と、積み上げてきたものが
無駄でないことを確かめるために。
階段の上からその男を見つめる視線は、師匠を見る目というよりは、親の敵を
見ているようだった。
それを真っ向から受け止めて、大人の威厳で跳ね返して見せる壮年の碁打ち。
「おい、検討終わったら、飲みに行くか?」
森下がニヤリと笑った。
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