白河夜船 1 - 2
(1)
―――北斗杯に着ていたスーツは、かなり前から着込んでいる。
もう一着欲しいなあ。仕方ない、デパートに行って購入してくるか。
アキラは早々と手合いを終えて棋院を後にした。
同じくヒカルもアキラと変わらないぐらいの早さで、手合いを終了していた。
「塔矢、これからどうするか?」
「ボクは用事があるから帰るよ」
「ふーん、何の用事だって聞いたら駄目か?」
ヒカルは人懐っこい笑顔をアキラに向けた。
そんなヒカルの笑顔を見てアキラは思わず顔がほころぶ。
「まったくキミには、かなわないなあ。別にたいした用事じゃないんだ。
デパートで新しいスーツを買おうと思って」
「なあ、オレも一緒に行ってもいいだろう?」
「ああ、いいよ」
二人は地下鉄に行き、駅を乗り継いであるデパートに着いた。
アキラはブランドがそろっている階へ行き、迷いもしないでその中の一つの
店に入った。ヒカルも続けてアキラの後について行く。
「いらっしゃいませ塔矢様、今日は何をお求めですか?」
アキラを一目見て店員は、即座にアキラの苗字を言い頭を下げる。
店員の態度からアキラは、ここのブランド店のお得意様だという事がヒカルに
も瞬時に分かった。
アキラは店員が持ってくる数点のスーツを手に取り、少し困惑した表情を見せ
た。
「進藤、このグレーのスーツと、モスグリーンのスーツ、それにベージュの
スーツのどれがいいと思う?」と、アキラはヒカルに尋ねた。
「えー、オレそういうの決めるのって苦手だよ。オマエ顔いいんだから
何着ても似合うんじゃねえのか」
(2)
「おせいじ言っても何も出ないよ、進藤」
冷淡とした口調でアキラは言う。
「うわあ、かわいくねえヤツ」と、ヒカルは不愉快に思ったが口には出さない
で舌打ちした。
結局アキラはグレーのスーツに決めた。
店員は基本である紺やグレーのスーツを着こなしてから、いろんな色合いの
スーツに移ったほうがいいとアドバイスし、アキラに似合うネクタイや
ワイシャツ数点を新たに持ってきた。
「塔矢様は色白ですから何色でも合うのですけど、こちらの紺色のワイシャツ
に合うネクタイは、薄いラベンダー色やチョコレート色の物などがオススメ
です」
「そうですね、ネクタイを変えるだけで印象が違うので、あともう少し他の
ネクタイを見せてもらえませんか」
「かしこまりました」
ヒカルはアキラと店員のやりとりを、少し離れたところで見ていた。
ヒカル自身はブランド店独特の格調高い雰囲気に気おくれしたが、アキラは
堂々と、そしていつもと変わらない様子で自然に振舞っていた。
やっぱりアイツとオレは生活圏がだいぶ違うなあと、ヒカルはついそう思って
しまう。
食事する時もヒカルが選ぶ所へ、アキラが合わせてくれている。
以前ホテルに行った時、事がすんで身支度をしている際、床に銀のネクタイ
ピンが落ちていた。
それを拾いアキラに渡すと、父から譲り受けたものだと嬉しそうに話す様子が
昨日の事のように思い出される。
ネクタイピンは、シルバー製で緑翡翠の石が埋め込まれていた。
アキラの事を知れば知るほど自分との環境の差を激しく痛感し、時々強い不安
にヒカルは陥る。
オレはあんなヤツにつり合う輩なのかという焦りに駆られる事も多かった。
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