Trick or Treat! 1 - 2
(1)
ある日いつものように研究会のため師匠の家を訪れると、玄関先に見慣れない
目と口のついたオレンジ色の物体がデンと据えられてあった。
「・・・カボチャ?」
「あら、緒方さんいらっしゃい。電車、人身事故ですって?大変だったわね」
台所から明子夫人がいつも通りのおっとりした空気を纏って現れた。
「あ、こんにちは。すみません、もう始まってますか」
慌てて靴を脱ぐ若い門下生の前にスリッパを揃えながら、夫人は溜め息をついた。
「いいえ、まだなの。うちの人ったら朝出かけたまま、まだ戻っていなくって」
「え。どちらへ行かれたんですか」
研究会の日に師匠が家を空けているのは珍しい。
「何でもね、麻布のほうに一軒、とっても可愛いお菓子を売ってるお店が
あるんですって。今朝隣のご主人にその話を聞いて、今から行けば研究会までには
戻って来られるからって、あの人飛び出して行っちゃって。でも、行ってみたら
お昼から焼きあがる限定商品があるみたいで、その写真がとっても可愛くて。
どうしてもそれを買って帰りたいから少し遅れるって、さっき電話があった所なの。
ごめんなさいね、皆さんにせっかく集まっていただいてるのに、我儘で」
「あ、いえ。・・・・・・?」
どうも話がよく掴めない。菓子一つのために奔走する師匠の姿が想像出来ず、
緒方は首を傾げた。
その視線が自然と派手なオレンジ色の物体に戻ったのに気づいて、夫人が言った。
「それね、ハロウィンのカボチャなの」
「ああ」
そんな行事もあった気がする。
(2)
「うちでは、特にこんな物を飾ったことはなかったんだけれど・・・幼稚園にお化けや
カボチャのお飾りがしてあるらしくて、アキラさんがうちでもやりたい〜って言う
ものだから」
下手をすれば緒方よりも年下に見える夫人は少女のような仕草で片手を腰に当て、
片手でお化けカボチャの頭をよしよしと軽く撫でた。
「アキラくん、元気にしてますか」
「ええ、最近は幼稚園で色々なことを覚えてくるのよ。先生に教わるのも勿論だけれど、
お友達のやってることを見て真似したり。・・・後であの子がそちらに行くと思うから、
少しだけ相手をしてやって頂戴ね。皆さん碁のお勉強のためにいらしてるのに、
子供の相手をさせてしまって申し訳ないんだけれど・・・」
「?はい」
襖を開けると見慣れた面々が既に碁盤を囲んでわいわいやっていた。
「よっ、緒方くん。社長出勤だね」
「すみません、電車が遅れて」
「あっ、緒方さんこんにちは!これ緒方さんの分です!ハイ」
「何だ?芦原・・・」
渡されたのは小さなキャラメルの箱が一つと、綺麗な薄い色付きハッカ飴が一掴みだった。
「これ、後でアキラくんが来たら渡してあげてくださいって、明子さんが」
自分の持ち分らしい、おしゃぶり型の棒付きキャンディとボーロの袋を
パサパサ振ってみせながら芦原が爽やかに言った。
「アキラくんに?」
「そうです、あっ、知らないですか?外国の風習で、ハロウィンの日に子供が
お化けとか魔女の格好して、近所を回ってお菓子を貰うんだそうです。ちゃんと台詞が
決まってて、確か――」
「とりっく・おあ・とりーと!」
よく通る高い声が響いた。
部屋中の視線を集めたそこには、緒方がさっき見たのと同じカボチャの顔をして、
ぎらりと光る大鎌を持った、小さなお化けが立っていた。
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