追憶 1 - 2
(1)
時計を見るともう朝とはいえない、かろうじて午前であるような時刻だった。
それなのに、隣のメッシュ頭はまだ起きる気配も見せず、惰眠を貪っている。
ベッドを抜け出し、シャツを一枚羽織って、窓際に立ち、カーテンをそっと開ける。
外は静かに雨が降っている。昨日の夜も雨だった。今日も一日降り続くのだろうと天気予報は言って
いた。けれどそれも構わない。今日は何の予定も無いし、雨に降り込められて一日彼と怠惰に過ごす
のもいい。
窓の外から見える庭木は雨に濡れてより鮮やかに緑を増したように見えた。
雨を見ながら、さっき見ていた夢を思い出していた。
あの人の夢だった。
何を言っていたかはわからない。ただ、あの人がボクに何か囁きかけて、ボクはあの人に背を預けて。
触れている背中はあの人の体温を感じているのに、その温かさが何だかとても哀しくて。
なぜだろう。なぜ、今更。
記憶を辿る耳の奥で、ぽろりとピアノの音がこぼれたような気がした。
ああ、そうか。それでなのか。
この雨の音が、あの人の部屋を尋ねていった時の事を思い出させたのか。
あの時もこんな雨が降っていた。
ボクは独りで、世界中に独りぼっちで、自分の隣には誰もいないと思っていた。
誰かに傍にいて欲しくて、それなのに身体に触れるあの人の身体の熱さえ、心の奥までは届かなく
て、いつも独りで寒さに震えていた。触れられている時は忘れていられるのに、離れた瞬間に冷たい
風にさらされて、空虚さに身が震えるのを感じていた。
(2)
その時、ふわり、と、後ろから温かい腕に包まれた。
記憶に残る空虚さと、今現実に感じる温かさとの落差に涙がこぼれそうになる。
キミと出会えたのが奇蹟なら、今こうして二人でいられるのは更に奇跡的な事だ。
この腕にこんな風に抱かれる日が来る事があるなんて、キミがボクの傍にいてくれる事があるなんて、
そんな未来があるなんて、あの時のボクは予想も出来なかった。
「おはよ。」
寝起きの少し掠れた、ふやけたような声が耳に落ちる。
「もう早くもないだろう。」
後ろに手を伸ばして、彼の柔らかな髪を乱す。
「何見てんの?」
「雨。」
「雨?」
「うん。」
「そんなカッコでいると風邪ひくぜ?」
「うん。」
空返事をして窓の外に目を戻すと、車がしぶきを上げながら走り去って行った。
そのまま、雨が降りしきるのをただ眺めていたら、唐突に身体に回された腕に力がこもって、彼がボク
の肩に顔を埋めた。
「…進藤?」
名前を呼んでも彼は答えずに腕の力を強めるだけだった。
その手にそっと自分の手を宥めるように添えると、ビクッと彼の手が震えたような気がした。
そのまま首を伸ばして唇で軽く触れると、ボクを拘束していた手の力が少しだけ緩んだ。
両手でその手を包みこみながらもう一度今度は腕にくちづけすると、微かに彼がボクの名を呼ぶのが
聞こえた。
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