裏階段 アキラ編 1 - 2
(1)
山の手の高級住宅街は窓から見下ろせる眺めの良さと引き換えに細く急な坂道が多く
日常生活における不便さと隣り合わせになっている。
現在のような宅配や通販システムが充実していなかった時代である。
そういう家に住む者ならば車やタクシーでちょっとした買い物も済ますと
考えられるだろうが意外とそうでもない。
本当の金持ちとは普段倹約家で質素な生活者である事が多い。
「先生」の使いで下の街に下りる時もよく隣近所の住人と顔を合わす事が多かった。
だがさすがにその日は目も眩むような強い日差しの下、威圧的に目の前に立ちはだかる白い路面に辟易した。
昼下がりで出歩く人もほとんどない。光は苦手だった。
空から降り注ぎと地面から照り返される光から逃れようと目蓋の上に手をかざして坂を上がった。
豊かに貯えられた道路脇の民家の庭先の緑から狂わんばかりに蝉の声が響き聞こえて来る。
ふと見上げると遥か上の方に白い日傘が回っている。その下に白いワンピースの後ろ姿が揺れていた。
距離はあっという間に縮まった。無理もない。相手は女の足でその上何やら重そうなビニール袋を下げている。
荷の重さと暑さを誤魔化そうとするように鼻歌を歌っている。
耳なれたその歌に気付かれないようため息をついて声を掛ける。
「持ちましょう、明子さん。」
「あら、セイジくん。ありがとう。今日も暑いわね。」
(2)
「…それで?お母さんはその時何を抱えていたんですか?」
テーブルの上のグラスに入ったロウソクの光りを瞳に宿してアキラが問いかけて来る。
「一升瓶の醤油と西瓜だ。」
クスッとアキラが吹き出す。
「お母さん、醤油にはこだわりがあるんですよ。倉敷のじゃないとダメだって。」
三谷と言う少年を乗せて都内に戻り、彼が指定した繁華街の一角で降ろしてやった。
途中で食事をとろうとして別のホテルの駐車場に入ったが彼に断られた。
無意識のうちにあまりに痩せ細った彼の身を案じたのかもしれない。
野良猫にその時ばかりのミルクを与えて救ってやったような満足感が欲しかったのかもしれない。
あれだけのものを彼から貪り奪いながら。
その後碁会所の前で進藤を待つ彼の姿は見かけなくなった。
そして今はこうしてアキラを食事に誘い都内のホテルに来ている。
50数階の展望レストランから見下ろす東京の夜景は男の中の野心を嫌でも掻き立てる。
望んだ時にこの眺望を得られる生活を手に入れる事が、人生の勝利者の条件の一つと信じていた。
時間をかけたつもりだったがこちらの皿が空になってもアキラの方にはまだ多くが乗っている。
上品と言う程でもなく、ただ慎重にまだ不馴れといった様子でナイフとフォークを使い
小さく切った肉片を口に運ぶ。
ただでさえ一人っ子の特質というか、アキラは食べるのが絶望的に遅かった。そして食が細かった。
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