敗着 1 - 2
(1)
暗い部屋の中でヒカルは考え込んでいた。
(塔矢は、緒方先生と?)
同じ年齢とは思えない慣れた手つき、躊躇いのない所作。
(塔矢、塔矢)
繰り返し頭の中で名前を呼んでみる。
「熱っぽい」と言って母親に飲まされた風邪薬が効いている。
棋院の中で見た、自販機から滑り落ちてくる煙草のパッケージ。
赤い色。
不意に塔矢の部屋の空気が蘇る。
「・・・・・・・、」
ゆっくりと呼吸が荒くなる。そっとジャージをずらし手を滑り込ませる。
中学生のヒカルにとっては半ば習慣のような行為だが、今日は思い描く対象が
違っていた。
シャワーを浴びた後の肌の温もりと、為すがままだったあの夜。
無意識に親指の爪をかじる。
「は・・・・・っ」
大きく呼吸をし、身体を捩る。
肩口に掛かる塔矢の髪、火照った体とは対象的な冷たいシーツの感触。
目と目が合った瞬間思わず逸らしてしまった自分。
「塔矢、・・・塔矢・・・」
自分より少し背が高く、碁盤を挟んで鋭く睨んでくる同級生。
そいつと俺は・・・。
後の痛みに塔矢を思い出す。「・・・は・・・あ・・・っ」
塔矢の手の感触と自分の手を重ね合わせ激しく動かす。
「・・・・っ」
ベットが少し揺れた。
(2)
車のクラクションと人のざわめき。
俯いてのろのろと歩を進める慣れた道順。
一呼吸おいて駅ビルの看板を見上げる。
(ったく、どんな顔して行けばいいんだよ・・・。)
ポケットの中で鍵をチャラチャラといじりながらヒカルは迷っていた。
今日こそは、今日こそはと思いつつ日が経ってしまった。
かといって、
「いきなりここは、なあ。」と呟き鍵をぎゅっと握る。
「何やってるんだ?」
いきなり声を掛けられびくりとし、振り返ると緒方十段が立っていた。
「あ・・・、緒方、先生・・・。」
一瞬ヒカルの脳裏にアキラの眼差しが映る。
「碁会所に行くんじゃないのか?」
「あ、いや、今日は、その」
とヒカルが言い澱んでいると、何かを察した様に緒方が目を向けた。
「それとも、別の所か?」
と言って見たのは塔矢の部屋がある方向だった。
この人は、やっぱり塔矢と・・・。
知らず目つきが険しくなったヒカルをせせら笑うかのように緒方は
「・・・俺と来るか?」
真っ直ぐにヒカルに向き直り訊いてきた。
「え・・・?」
「近くに車を停めてある。どうする?」
ヒカルはぎゅっとバックパックの肩紐を握りしめ、無言のままでいた。
(緒方先生は、塔矢と)
訊いてみたいことは山のようにあった。
「フン」
緒方は鼻で笑い勝手に歩き出した。
一瞬躊躇したヒカルは、だがしかし、緒方の背中を追いかけた。
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