平安幻想異聞録-異聞-<外伝> 1 - 2
(1)
「なんだよ、それ…」
出雲から帰ったヒカルに伝えられたのは、藤原佐為の訃報だった。
都に帰って、その足で出向いた検非違使庁で、ヒカルは思わず声を荒げた。
「どういうことだよ!説明しろよ!!」
「取り乱すんじゃねぇ!!」
加賀につめよったヒカルを、三谷がいさめる。
「すまない、近衛。君のいない間、佐為殿をよろしくと頼まれていたのに……」
そう言って顔をふせた筒井に、ヒカルは現実を受け止めざる得なかった。
佐為の遺体は見つからなかった。
ただ、紅葉の落ち葉で真っ赤に染まった沼の岸に、佐為のものと思われる扇と
靴がそろえて置いてあったのだ。その扇には、死の決意を思わせる句が、流麗な
字で書かれていたという。
佐為らしい、と思った。
内裏では、つい先日まで佐為の君佐為の君と騒いでいた女房達が、今は、その話を
忌避し、ヒカルをさける。佐為は、帝の前での不正行為の汚名を着せられた上、
自ら命を絶つことで、仏道にも反した。その名を口にするだけで、汚れるかの
ように扱われてもしかたのない事だった。
ヒカルは、もはや教える人もおらず、人の気配のしない佐為の碁会所に来ていた。
内裏の空気にも、ヒカルを腫れ物をさわるように扱う検非違使仲間にもいたたまれ
なかった。
人の気配はなくとも、佐為の碁会所は秋の日が差し込み、しらじらと明るい。
部屋の隅に寄せてある碁盤をとろうとして、ヒカルはそこにわずかに溜まる
ホコリに気づいた。
几帳面な佐為が、生前は絶対にそのようなことを許さなかったのを思い出し、
ヒカルは一人で掃除をはじめた。
たまったホコリを掃き出し、窓べりをから拭きし、碁盤もひとつひとつ丁寧に
汚れをふき取る。
ひととおりの物を、佐為がいた時と同じように綺麗にし、やっと一息つくと、
ヒカルは碁盤のひとつを部屋の真ん中に出し、その前にすわった。
(2)
(佐為……)
そこに座っただけで、碁石を打つ佐為の綺麗な指が、鮮やかに目に浮かぶ。
(おまえ、馬鹿だよ。どうせ、菅原の奴がまた汚い真似したんだろ。おまえが、
碁に関してそんなことする奴じゃないってのは、オレが一番よく知ってるよ)
(もう、いいじゃんか。貴族の奴が、自分のことしか考えてない汚い奴等ばっかり
だなんてのは、お前もオレもよく知ってたことじゃんか。今更だろ)
(なんで、待っててくれなかったんだよ。貴族の奴らなんてもういいだろ?
京を追放されたからってなんだってんだ。お前を罠にはめて喜んでる奴らが
のさばってる所なんて、こっちから願い下げだ。オレは、お前と一緒にこの
京の町を出て、どこか遠くに行ったってよかったんだ)
――そう、生きていれば。と思う。
生きてさえいてくれたなら、二人、何処ででも生きてゆけたのだ。
そんなこともわからないなんて佐為は馬鹿だ、と思う。
そして、同時に佐為がそんなことができるような奴ではないことも、
ヒカルはよく知っていた。
ただの汚名ではないのだ。
あいつが命を賭していたと言ってもいい、囲碁の、なのだ。
自分が人生をかけて築き上げてきたものを、土足で踏みにじられる、その
屈辱と絶望感。
自らの魂の一番大事にしてきた部分に、後ろ指をさされることに、佐為は死を
思うほど、傷ついたのだ。
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